第81話・新宮煌雅、決着

『森本京平は、今の君の成長を阻害している』


 帰り道、尾上さんの言葉が頭から離れなかった。

 あの後、実践練習なんかもやったけど、その言葉が頭から離れなくて、本来得られた筈の経験を得られなかったのではないかと思う。

 打てる、走れる、どんな球も受け止めてくれる。

 投手にとって最高に頼もしく、最強なキャッチャー。

 尾上さんは京平を認めている。認めた上で、俺がアイツと組む事に何かを感じている。

『今の君のストレートは、森本京平にコントロールされている状態だ。どんな球でも受け止めてくれるキャッチャー相手なら、自分の持ち味を存分に発揮するだけで良いから楽だろう。でも、ここから先の戦いでは、迅一君自身でコントロールできるようにならなければならない』

 自分自身でコントロール……。

『コントロールってのは、別にコースへの投げ分けの事だけを指しているんじゃないぞ。どうすればキャッチャーが捕りやすいか、状況に対応した球が投げられるか。要するにさ。このブレを自分でコントロールできるようになれば森本君の負担は減るし、運任せの要素がグッと減る。狙った勝負がしやすくなる』

 すぐには無理でも、やってみてほしい。

 そう言われた。

 俺にできるだろうか。

 尾上さんの言うような事ができれば、俺でも京平と肩を並べる事ができるって、堂々と言えるかもしれない。

 だが、それをやるには、多分京平相手じゃ駄目だ。同じく捕れるようになってる濱さんも。

「キャッチャー、か」

 今まで組んだキャッチャーで言えば、中学で組んだ相棒が一番下手だった。

 でも、一番野球の面白い部分を楽しめたのはアイツならではだったと思う。

 多分もう野球辞めちゃったけど、本当に人を楽しませる天才だった。

「京平と組んでからは、ずっと勝負勝負だったもんな……」

 中学での相棒はそもそもキャッチャー経験が無かったから、お互いに試行錯誤して、どうにかバッテリーとして形にしていた。

 ……あ。

「そう、か」

 お互いに試行錯誤。

 そうだ。高校からは、いつも考えるのは京平だった。

 俺は自分の発想を、京平に受け止めてもらうだけだった。

 京平の発想を汲んだ事があったか。受け止めた事があったか。

 衝突して、悩んで、解決して、また衝突する。

 そんな事が、できていただろうか。

「俺、甘えてたんだ。アイツ、ずっと言いたい事があっただろうに。受け止めてもらってばかり。アイツの言葉を、受け止められてなかったんだ」

 これに気付いた時は、ショックというか。

 寂しくなった。

 俺は身を委ねて楽をしていたんだ。それを当たり前のように感じていたんだ。

 俺は強い奴に勝ちたくて、弱いなりに試行錯誤するのが好きだったんだ。

 でも新宮に負けてから、諦めてたんだ。どうせ無駄だって、強い奴に任せとけば良いんだって決めつけて。

(馬鹿だよな。そんな楽に勝てたら、試行錯誤する必要なんか、ねぇもんな)

 でも、気付けたおかげで、野球への情熱はメラメラと再び火を燃え上がらせてきた。

「よっしゃ、まずは準決勝!やるぞー」

「そうか。なら、オレに少し付き合ってもらおうか」

「んあ?」


 グラウンド。

 それも、出身の中学。

「何で今更キャッチボールなんだよ」

「良いだろ別に。さっきの敵は今の友、ってな」

「大分せっかちな言葉遊びな事で……」

 さっき声をかけてきたのは新宮だった。

 フラフラ歩いていたら中学に着いて、しかもそこに新宮がいた。

 こんな偶然あるもんなのか。

「まさか、待ってたんじゃねぇだろうな?」

「来るかも分からん奴を待つつもりはない。お前の家行こうと思ったら、当人がいただけだ」

「そうかい」

 俺んちには来ようとはしてんたんですか、そうですか。

「千治からは遠いだろ」

「幸い、電車もバスもあるんでな」

「何で今日なんだよ。試合直後だろ」

「今日しかないだろ。お互いに面と向かって話せるのは」

「普通に連絡すりゃ良いものを」

「できる奴だと思うか?」

「そういや俺も行く奴ではないな」

「そういうことだ」

「そういうことか」

 暫しの無言。

 パシッ。ヒュッ。パシッ。

 投げては受け、投げては受け。

 少しずつ間隔は開いていく。

「今思えば、ほんの些細な事だったよな」

「そうだな」

「みっともねぇガキのプライド。誰かよりも優れていたいと思う。アイツより強い、アイツより凄いってなりたかっただけの、我儘だった」

 新宮は変わった。

 朝と夜、一試合やっただけだが、この変わりよう。

 朝のアイツなら、こんな事思いもしなかっただろう。

 それが、今じゃ言葉にして、ハッキリ言った。

「そのプライドで、オレはお前を傷付けた」

 ボールを捕って、グラブを降ろし、俺に頭を下げてきた。

「ごめん」

 こんな姿を見る事は無いと思ってた。

 コイツは、自分以外はゴミ同然だと思っていて、自分しか信じられなくて。

 あの試合で何かが変わったとしても、そんなすぐには俺に頭を下げたりしないだろうと。

 心のどこかではそう思ってた。

(俺も、同じ様なもんか……)

 勝手に決めつけていたのは、俺も同じだ。

 新宮に良心なんかありはしないと、思い込んでた。

 相手に向き合っていない。コイツとは分かりあえない、そうやって、向き合う事から逃げていたのは、俺もなんだ。

(ほんの些細なきっかけで、お互い壊れちまったもんな。きっと、もっと違う形で会えていたら……)

 何て考えていると、新宮がよしと言ってグラブを外す。

 そして、背負っていたリュックから別のグラブを……?

「キャッチャーミット?」

「これくらいだよな。ピッチャーとキャッチャーの距離」

 ミットを付けて、新宮は座る。

 そして、ミットを構える。

「おいおい、何してんだ」

「見りゃ分かるだろう」

 ……あぁ、そうかい。

 生憎、それやって人付き合い上手くいった試し、ねぇんだけどな!


 パァァァァン!!


 ……捕りよった。

「痛ってぇ……」

 と思ったら痛かったらしい。

「キャッチング上手いな。流石最強」

「最強、か。それも思い上がりだ。結局オレは井の中の蛙。上には上がいる。今日ハッキリとそれを実感したよ」

 左手をプラプラさせた後、またミットを付ける。

「こんなに重いんだな。お前のストレートは」

「知らん。自分のストレートは自分じゃ受けられん。それに、お前のはもっと重いと思いと思うぜ」

「そうかな。案外軽いかもしれないぜ」

「どこの世界に軽い150キロがあるってんだよ」

 ボールを投げ返してくる新宮。

「尾上さんも、他の先輩も、平業や今まで戦った選手達にもそれぞれ人生があって、凄さがあって、オレはそれを軽んじてた。もっと学ぶべき事があったのによ。あーあ。今更ながら、勿体ねー事した」

「まだまだこれからだろ」

 自分に呆れ返るような新宮に、俺はそう言った。

 自分の思いをちゃんと伝えるんだ。

 今度ははぐらかさないように。

「俺達はまだまだできるんだぜ、野球。今気付けたなら、これから取り戻していけばいい。同じ間違いをする奴を止めてやればいい。そうやって間違いと訂正を積み重ねていくから、人は成長するんだろ」

 これは俺自身にも言えること。

 だから言葉にした。

 俺達は今日、少しだけ成長した。

 今度は間違えないように。

 お互いが、今までの間違いに向き合っていけるように。

「ハハハ。お前とこんな話するようになれるなんてな」

「笑うなよ。俺だって恥ずかしいんだぞ」

「そうだな、悪い。……これ、さっき尾上さんから貰ったんだ」

 新宮の付けているキャッチャーミット。

 どこかで見たと思ったら、さっきまでの試合で尾上さんが付けていたものだ。

「試合直後にすげぇ磨いててよ。そしたら俺にって。夏が終わったら、このミットとも最後にするつもりだったんだってよ」

 そうか。

 そのミットにとっても、今日が最後の日になったんだな……。

「で、これからはオレがこれを使う」

「は?」

「オレはもうマウンドには立たねぇ。これからは、オレがマウンドに立つ奴を輝かせる」

 新宮は一呼吸置いて、目の色を変えて言う。

「オレは、尾上さんの意思を継ぐ!これからは、オレが千治のキャッチャーだ!」

 俺は愕然とした。

 とんでもねぇ奴だとは思ったが、まさか最後の最後にとんでもねぇ爆弾投げてきやがった。

「でも、まぁ。良いかもな。キャッチャー新宮」

「だろ?で、物は相談なんだが」

「おう。この際だ。何でも言ってみろ」

「二人で柊古倒そうぜ」

「おいおい、言うじゃねぇか」

「できるだろ。オレが捕手でお前が投手。二人でバッテリーを組むんだよ」

「チームが違うのにか?」

「高校でじゃねぇよ。その先の世界さ」

 新宮は立ち上がり、手を広げて言う。

「この先、プロ、世界、大リーグだってあるんだぜ?そこに行くんだよ!オレ達は可能性の塊、挑戦者なんだ!足掻けば足掻く程、可能性は近くなる!柊古だってきっと倒せる!」

「プロ、かぁ。なれっかな。俺に」

「なれるさ。お前は菅原柊古が認める、世界最強の兄貴だぜ?」

 新宮の言葉、今までなら嘘に聞こえただろうが、そうは聞こえなかった。

「甲子園行けよジン。火山も海王もぶっ倒して、お前の存在を知らしめるんだよ」

「じ、じん?」

「でも、秋以降は譲らねぇからな!オレがキャッチャーやるからには、平業も四強も容赦なく叩き潰す!」

 ハッハッハと高笑いをする新宮。

 コイツらしさが戻ってきた。

 ……でも、そうか。

 そこまで信じてくれてるんだな。

「望むところだぜ。甲子園行ってやるよ!今年も、その先も!」

「よく言った、ジン!さぁ続けようぜ!テメェの球完璧に捕れるようになって、秋は全打席ホームランだ!」

「馬鹿たれ、成長するのがお前だけだと思うなよ、コウ!ヘボキャッチャーなんか練習に利用するのに丁度良いぜ!探してたとこだしな!」

「何おう!?」

「捕れるもんなら捕ってみやがれ!」


 その後、警備のおっちゃんに追いかけられるまで、俺達はずっと投げ続けた。

 それは、今までの辛い事全部上書きしちまうくらい、楽しかった。

 俺達、良いバッテリーになれるかもしれないぜ、コウ。

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