第79話・対千治高校、決
同点で迎えた最終回。
「喜びも束の間、だな」
「新宮を倒さなきゃいけないもんだと思ってたが……」
マウンドにいるのは、新宮ではない。
三年の舘さん。
新宮がいなければ、エースになっていたであろう投手だ。
「まさか代えてくるとは……」
「イチかバチかの賭けだろうな。ここまで崩れた一番手を使うより、全開の二番手を使う方が可能性はあるだろうからな」
京平の言うことは分かる。
だが、新宮を代えるならもっと別のタイミングがあった筈だ。
それに、もしここで代えるなら代打を出せば良かっただろうに。
向こうの監督、いや、尾上さんの考えが読めない。
「舘は、今の三年の代の全日本代表候補。嶋から空振りを取った数少ない選手だな」
「そんな人からエースナンバー奪ったんだから、新宮って化物なんだな」
「森本ぉ、お前らの代どうなってんだよー」
二年と三年の先輩達から突っつかれる、我らが世代代表捕手。
しかし困ったな。
仮に俺が代打を出されなかった場合、あの人と対戦する事はないわけだが。
「心配すんな菅原。お前に打席は回さねぇよ」
打席に向かう石森さんが笑って言う。
「監督、何球あれば良いですか」
「4」
「かしこまり」
鼻歌を歌いながら歩いていく石森さん。
何だあれ。
「お前らはまだ知らないだろ。時間稼ぎをやらせたら地区、否、日本トップクラスのカットマンだぞ、石森は」
元々クリーンナップを打っていた石森さん。確かに打撃能力は高いが、打撃の中心とするにはもっとインパクトのある三年の先輩がいるような気もしていた。
「当てるだけなら石森の方が烏丸より上手かったんだ。ただ飛ばすのが下手だったからな。急ピッチでその当て方を活かす方法を考える必要があった。その結果辿り着いたのが」
「カット打法、ですか」
「その通り。戦力層の薄かった平業では、何かしら持ってる奴には出てもらわなければならなかった。烏丸、石森、堂本は、特に即戦力クラスだったからな」
監督の言葉通り、石森さんは相手の球をカットし続けた。
指定の球数の倍以上……13球。
京平は苦笑いしている。
「もう既に2イニング投げてます、みたいな顔してら」
そして、監督の次のサイン。
「鷹山、好きに振って良いぞ」
サインですらなかった。
郷田と同じ様に、好きに振れと。
「元々チームバッティングより大振りさせる方が打率良いからな、鷹山は。一振りの強さだけなら」
豪快な金属音と共に、監督のドヤ顔。
「嶋にも負けとらんよ」
レフトの頭上を越え、フェンス手前に落ちる打球。
「打ち分けを考えぬ大胆なスイング……」
「左打席にも関わらず左方向。これでスイッチヒッターだもんな……」
「嶋、鷹山、藤山は、私もプロで通用すると確信している打者だからな。元々の左打ちに専念すれば良いものを、最後までスイッチで押し切りよって」
さて、と監督は前に出る。
「準備はできたか?」
「えぇ。むしろ思ったより時間があって、食べ頃過ぎたかもしれませんよ」
「なーに、果実は食べ頃過ぎたくらいが一番美味いもんだ」
監督はカラカラと笑いながら言う。
「おいおいおい……」
「マジかよ……」
俺と京平も啞然としていた。
当然だ。
準決勝からだと聞いていたのに、まさかここで代打に出るとは……。
「スタメンになる準決勝に出られるかどうかは、当の本人のお前のバットに委ねられているぞ。さぁ、行って来い!!」
「はい!」
『平業高校、選手の交代をお知らせします』
『八番、山岸君に代わりまして』
『代打、嶋君』
『八番、嶋君。背番号5』
総大将、我らが大砲の、出陣である。
「うっそぉ」
「どうりでさっきから見当たらねぇと思ったんだ。裏でアップしてやがったのか」
山岸さんが笑いながら言う。
「良いんですか?サヨナラのヒーローのチャンスだったのに」
「チャンスはチャンスだけどな。俺が行ったらピンチになるかもしれねぇだろ。それに」
その目は、山岸さんの目には、陰は無かった。
「奴は決めるよ。何時だって、奴は遅れてやってくるヒーローなんだからな」
・尾上信広side
信じたくはなかったが、理解できないわけでもない。
この男が、じっとしているわけがないのは、これまでの付き合いで分かっていた。
「どこまでもヒーロー気質なんだな、お前は」
嫌味の一つも言いたくなる。
正直、コイツが出てこないという確信があったから、安心していたのだ。
こんなのと対戦すれば、たった一人のせいでスコアボードがおかしな事になる。
腰の怪我はそれそのものが決して軽いものではない。
スポーツどころか、日常生活にすら影響を及ぼしてしまう。
準決勝までは絶対出ないと思ったし、出せる筈がないと思った。
相手の三原監督も、そこまで無責任な人ではないと思う。
まさかこの男、無理矢理押し切ったのだろうか。
「準決勝からじゃなかったのか?」
「元々、早くて準々決勝だったんだよ。無理したのがバレて伸ばされたんだ。でも、守備禁止の縛りで、一打席なら許された。だから、試合を決着させられるこの場面にしてくれって頼んだのさ」
初球ファウル。
「つまり、お前がこの試合の勝敗の手綱を握っているわけか」
「あぁ。俺を抑えればお前らの勝ち。サードは何とかなるが、菅原が下がればお前らに通用する投手はもういないからな」
二球目ファウル。
本当に何もかもこの一打席にベットしたのか。
敬遠されるとは思っていないのだろうか。
「敬遠を考えたなら止めとけ。菅原に回せば打たれるぞ。今の舘は」
三球目ファウル。
まさか、舘の事まで気付いたのか?
たった二人相手にしただけで?
「ソウ。いくらお前でも、復帰戦でデカい顔しすぎじゃないか?病み上がりに打たれるような半端な投手じゃないぞ、俺らの代のエースは」
四球目ファウル。
やはり。普段の嶋奏矢なら、もう既に芯で捉えている筈だ。
四球も捉えられていないということは、やはりブランクで身体が追いつかないのだ。
舘、いけるぞ。
今のソウは怖くない。
お前の全てをぶつければ、抑えられる!
抑えられるんだ!
・嶋奏矢side
初戦から準々決勝をベンチで過ごす。
過酷だった。
何もできない自分が。
国光も、せっかくエースナンバーを手にしたと言うのに、不幸が重なって投げられなくなった。
俺達二人が出来る事と言えば、ひたすら声をかけつづけること。
そして、このクソ暑いグラウンドで苦悩する仲間を、後輩を、見ている事だけ。
結果で応えてくれるアイツらに、キャプテンとして何もできない。そんな自分が情けない。
試合が終わる度、リハビリをしながらそう思う。
「先生。何とか、準々決勝に間に合わせる事はできませんか」
この間、無理したのがバレて怒られたばかり。そんな時に言うのもおこがましい事だが、言わなければならなかった。
俺は出なければならない。
このままアイツらにおんぶに抱っこで、ベスト4にしてもらうだけなんて、そんなのは申し訳が立たない。
「キャプテンとして何かをしてあげたい。その気持ちは分かるよ。でも、その何かは完治して戻ることじゃないのかい?」
「確かにそれはそうです。でもそれじゃ駄目なんです」
だって俺は……。
「この夏が、最後なんです」
「ん」
「アイツらは、出会って何年もしない俺の為に、命懸けで名だたる強豪と戦ってくれているんです。そんな奴らとチームメイトとして野球ができるのは、この夏だけなんです」
「そうだね」
「そんな姿を見て、じっとしているなんてできない。俺は自分のバットでアイツらに恩返しがしたい。その為なら、俺は自分の未来を全て投げ出したっていい」
俺は、例えこの先の世界への切符を破り捨ててでも、ぶっ壊れても、アイツらに報いたい。
「これは、俺のエゴです。ワガママです。カッコよくもなければ、褒められたもんでもない。自分勝手な暴走です。でも、先生、お願いします……ッ!俺に、野球をやらせてください……!」
頭を下げた俺に、医者の先生は苦笑いした。
「クク……。失礼。昔、一言一句同じ事を言った奴がいてね。公式戦ではなく練習試合だったけど。それを思い出したら可笑しくなってしまった」
その視線が俺の後方に向かう。
振り向くと、ポリポリと頬を掻く監督がいた。
「え、監督?」
「三原、弟子は師に似るとはよく言ったもんだな?」
「止めろ錦……昔の話だ」
「まぁそう言うな。良い話だろ?……さて、嶋君。君の覚悟はよく伝わった。僕から見ても十分に完治しているので、試合に出るのは問題ないよ」
「ッ!じゃあ!」
「但し、リハビリメニュー以上のトレーニングを行ったペナルティはまだ継続中だ。条件付きで許可しよう」
そう言うと、パソコンのファイルを開き、一枚の写真を表示した。
「昔同じ事をした奴は、最終回に代打で出場して、試合を決めたんだ。君にもそれと同じ事をしてもらう」
そして課された条件は、
「守備厳禁。代打で一打席。試合を決める場面で出場して、君の手で、仲間達の勝利を絶対にしてやれ。それが僕からの条件だよ」
「無茶振りも良いとこだな。幾ら嶋でもできない事があるんだぞ」
「でも君は止めなかった。できると思ってんだろ、三原」
「……」
「君の打撃の師をやってた僕が保証するよ。嶋君は君の打撃を完璧に受け継いでいる。彼がこんな条件に応えられない筈がない」
三原は何も言わない。
錦はフッと笑いながら言う。
「楽しみだな。明後日の朝刊が」
「フゥ……」
一呼吸。
奴らのペースに乗せられるな。
お
ここまでで四球、今五球目。まるで捉えられていない。
カッコつけて出してもらったんだ。
ここで打ち取られちゃ男じゃねぇって。
「嶋さん、打てぇ!!!」
「男見せろやキャプテン!!!」
「嶋ァァッ!!!」
ベンチから、スタンドから、声が聞こえる。
その声が徐々に小さくなっていく。
自分は集中状態に入ったのだと理解する。
舘の腕の振り、ボールの回転は見えている。
打席に立った以上、ブランクはもう言い訳にできない。
一振り。二塁の鷹山を返すには、外野の前まで飛ばす一振りで十分。
(走れよ、鷹山ァ……)
「……いッ!?」
鷹山が何かを察したのか、妙な声を出す。
失礼な。まるで俺が脅したみたいじゃないか。
盗塁は上手くないが、足は速い。ヒットエンドランにはもってこい。
マウンドの舘がセットポジションからの投球。
リリース、コース、球速、回転、もう見えている。
自然と身体が動き、バットはボールを吸い込むように。
一番力の伝わる所に当たる。
全ての力を振り絞って、バットを、腕を振り抜く。
打球は前へ、速く、強く。
(飛べ、仲間達の為に!)
一緒に、先の世界へ、行く為に!!!
「行けッッ!!!!」
そして、その行方は……。
「ゲームセット!!」
・菅原迅一side
「両チーム、礼!!」
「「「したァ!!!」」」
スタンドから聞こえる拍手。
目の前で涙を堪える千治高校の選手達。
たった一球で幕切れとなった、準々決勝の余韻。
それを噛み締めつつも、平業野球部一同は、勝利を実感していた。
差し出された手。
俺は混乱していた。
何しろ、その手の持ち主は、
「何だよ、オレとの握手は嫌ってか」
新宮煌雅だったからだ。
使う言葉は同じなのに、どこか角が取れたような気がする。
「別に嫌じゃないけど……」
「じゃあしようぜ。これから先の大会で、またぶつかった時もな」
何だかくすぐったい。
この男は、こんなに丸かっただろうか。
俺と触れるのも嫌だったのではないか。
……いや、そういった思い込みが、新宮との確執を生み出していたのかもしれない。
きっと、もっとちゃんと向き合えれば、良き友になれたかもしれないのだ。
「勝てよ、火山に」
「あぁ。お前に恥じないプレーをしてやるさ」
時間がかかるかもしれないが、歩み寄ってみよう。
この化物じみた男と、また野球をする為に。
夏の西東京大会、準々決勝。
7対9。
嶋奏矢のサヨナラツーランホームランで決着。
平業高校は準決勝に駒を進めた。
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