第78話・見事

「随分と疲れてやがるな」

「あん?」

 京平がタイムを取ってマウンドに来ていた。

「とても1イニングとちょっと投げた奴の汗じゃねぇよ、それ」

「……誰もがお前みたいに、平気な顔して凄い奴らと戦えるわけじゃないんだぜ、京平」

 新宮との勝負、尾上さんとの勝負。

 彼らだけじゃない。千治の打者、一人一人が強烈な圧を感じさせてくる。

 霧城の時ですら、ここまでではなかった。神木や富樫さんがずば抜けていたものの、全体のレベルは霧城打線と殆ど変わらないのに。

 この違いは何か。

 新宮へのトラウマを差し引いても、大きく違う点がある。

 それは間違いなく、尾上さんの存在だ。

 選手としてのタイプが違う。富樫さんが力で引っ張るタイプなら、尾上さんは心で引っ張るタイプ。

 一人で圧倒的な存在感を示すのが富樫さんや新宮なら、全体の為に戦いチームを盛り上げるのが尾上さんや笠木兄弟だ。

 なるほどね。千治は尾上さんを中心に結束している(約一名を除く)。だから、尾上さんと対戦した緊張感がそのまま次の打者に引き継がれるのだ。

 高校一年の俺には、荷が重い。

「そうかい。で?」

「あん?」

「ここまで来ての感想はそれだけか?」

 帽子を深く被っているので、京平の顔は見えない。

 俺より少しだけ高い背も、今日ばかりは一段高く感じる。

「さっきの三振でな、腕がどうかしちまったよ」

「は?」

「あーあ、どっかの誰かさんが試合を長引かせようもんなら、俺はベンチで泣くハメになっちまうなー」

「……にゃろ」

「なぁ迅一、新宮倒してもまだ甲子園には行けないけどよ……あの人達が待ってるぜ」

 京平が平業スタンドを指す。

 その先にいるのは……。

「おい、何でアンタらがいるんだよ……」

 笠木兄弟。

 俺達の知る限り、最恐の敵。

 彼らこそ、真に倒すべきライバル。

「もうお前の目指すところは、新宮だけじゃねぇだろ?それにお前はもう、倒そうとされる側の立場にもいるんだよ」

「……あぁ、そうだな」

 京平のおかげで、こんなステージに来れた。

 あの新宮を倒せる可能性が見える領域まで来た。

 俺はもっと上を目指して良いんだと思える。

 コイツが相棒でいる限り、もっともっと柊古を目指せる。

「……よし。何球あれば抑えられると思う?」

「そうだな、全球ゾーンで勝負して……6球かな」

「6、か」

 この男の計算にどんな要素が入っているのか分からないが、それが俺の現在値なのだろう。

 ならば、その計算を。

「超えてやるさ」

「は?」

「何でもねぇよ。ほら、戻れ戻れ」

 さて、何球かかるか、数えとけよ。



 ・新宮煌雅side


 迅一クンがマウンドで構える。

 120後半の決して速いわけではないストレート。

 それでもウチの打線を抑えられる理由は、やはりその回転スピンだろう。

 浮き上がって見え、加えてその暴れっぷりに、千治のアベレージヒッター達が芯で捉えられない。

 逆に言えば、このストレートを捉えられたなら、それこそがこの試合の事実上の決勝打になるという事。

 奴らにとって最も自信があり、最も確実な球種とコース。そこを叩き、今度こそ奴らの希望全てをねじ伏せてやろう。

 それ即ち、インコース……ッ

「ストライク!」

 球場が静まり返る。

 初球のその球種をオレ含め、誰も予想していなかったからだろう。

(何で気付かなかった……ッ!他はともかく、だけは、オレは知っていて然るべきだったのに!)

 インコースへの、チェンジアップ。

 菅原迅一が、中学の時に唯一使っていた変化球。

 高校入ってすぐに速い変化球を覚えたらしいのは聞いていたが、このチェンジアップだけは前の勝負から見覚えがあった筈なのだ。

(奴はスクリューを捉えた。ならばオレがこの程度のチェンジアップを捉えられないはずがない!)

 迅一クンのチェンジアップは元々遅いストレートと球速差がそこまで無い。

 不意に投げる事でやっと効果を発揮する程度の代物。

 ストレートへの影響は殆どない。

 つまり二球目以降、奴のチェンジアップはオレに対して効果のない棒球。

(捉えてみせる。真っ直ぐだろうがチェンジだろうが、他の変化球だろうが。テメェにだけは負けねぇ……!)

 二球目、球速は先程と同じ。後は落ちるかどうか!

(落ちた……ッ!!)

 だが捉えたはずの球は、オレの手に感触を与えなかった。

「ストライク!」

「……あ?」

 空振り。

 このオレが、迅一クンの変化球で。

「フォー、いやパーム……?」

「チェンジアップさ」

 相手のキャッチャーがボソッと呟く。

(まさか、コイツ……)

 全て、全て、コイツの策略だとでも言うのだろうか。

 ここまで一球も投げてこなかった、球速差のある変化球。

 それは全て、オレとの勝負に使う為。

 その存在を、オレの意識から外す為。

「種明かしだ。菅原迅一のチェンジアップは、元々のを封印して、新たに三種類習得してんのさ。そのうち使いこなせてる二種類を今使った」

「おい、舐めてんのか。まだオレはアウトになってねぇぞ」

「……これを見せた時点で、もうゲームは決まってるよ」

 キャッチャーの最後の一言は聞こえなかったが、どうでもいい。

 必ず捉える。

 オレが打てば、次がある。

 試合を決める打者になれなくたって良い。

 オレはこのチームで勝つんだ。

 オレの目を覚ましてくれた、あの人に、一瞬でも良いから、報いたい。償いたい。

 だから、だから!

 この試合だけは!

 三球目。

(ぁぁぁぁ!!!)

 思いっ切りにバットを振った。

 だが、やはり。

 オレの手に、打球の感触は、残ってくれなかった。

 最後は疑いようもないストレート。

 だがそのストレートは、オレの想像の遥か先、

(あぁクソッ、速ぇなぁ……)

 菅原迅一の最速、136キロをスコアボードに刻んだ。



 ・sideout


「やられたな、新宮……」

 尾上は呆然と二塁ベースに立ち尽くす。

 スリーアウトが宣告されてすぐは、身体が硬直してしまっていた。

 いや、最早初球のチェンジアップから身体が動かなくなっていた。

 二塁にいた自分は蚊帳の外。

 遅い変化球を投げられたのにも関わらず、自分は動けなくなった。

 自分は一年生に、キャッチャーとしての敗北を突き付けられた。

 恐らく初球でチェンジアップを使うことは決めていたのだ。

 勝負の決め手は、尾上との勝負で使わなかったかどうか。

 もし使っていれば、三者凡退で切り抜けられただろう。だが、新宮がその存在に気付く事で、バッテリーが切れる手札はなくなってしまう。

 だから、例え尾上に塁に出られるとわかっていても、意地でもチェンジアップを対新宮に温存した。

 知らなかったとは言え、新宮にスクリューを使わせてしまった自分とは対称的である。

 捕手同士の我慢比べに、自分は負けた。

「お見事だ森本京平、そして菅原迅一……」

 何と素晴らしいバッテリーか。

 最早尾上は、相手を讃えることしかできなかった。


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