第75話・諦められるか


 ・千治高校二塁手、柴山秀光しばやまひでみつside 


「先輩達はあんな事言ってたけどよ……」

 殆どのレギュラーが三年の千治高校では、毎年秋になると、チームレベルはガクッと下がると言われている。

 去年の夏なんかは尾上先輩以外は皆それより上の先輩だけだった。

 秋になって、全ての戦力がガクッと落ちた。

 攻撃力も守備力も、投手力も無かった。

 唯一のレギュラー経験者として四苦八苦しながら、たった一人でチームをレベルアップさせ、四強レベルにまで押し上げたのが尾上先輩だ。

 今の千治は、歴代の千治にも負けていないはずだ。

 それでも春大で負けたのは、投手の薄さ。

 一人一人はシニアからエース張ってたような投手ばかり。

 でも、試合をガラッと変えられる投手はいなかったように思う。

 それが、やっと新宮が入ってきて完成してきたのだ。

 先輩達の言うように、負けてもただでは転ばない、次に繋ぐのが千治の野球だ。

 だけど。だけど、それじゃ駄目なんだ。

 このメンバーだからこそ、今甲子園が見えているんだ。

 あの人達は、血が出るまでずっと練習していたんだ。

 バットのグリップに血が滲んでいたのを、何度も見た。

 そんな人達の努力が報われないなんて、後輩として許せるわけがない。

 俺は勝ちたい。このチームで。新宮、尾上先輩が揃ってる今年がラストチャンスなんだ。

 それが分かっていて、

「諦められるかァッ!!」

 烏丸の鋭い打球に飛び付き、一塁へ送球する。

 烏丸がベースを踏むのが早く、セーフにさせてしまった。

 でもまだだ。

 俺は諦めない。

 このまま、必ずゲームセットにしてやる。

 それまで、何度だって飛び付いてやる。

 例え、この脚が千切れようとも。

「すまん!次こそ止めてやるからな!」

「柴山先輩……」

 新宮、お前も勝て。

 自分を乗り越えろ。

 そうなればお前は、俺達は、無敵だ。



 ・新宮煌雅side


 分からねぇ。分からねぇよ。

 何で、降ろさねぇんだ。

 俺様は、チームにとって迷惑な存在でしかないはずだろ。

 それなのに、何でそこまで……。

 アンタらの三年間は、そこまで軽い物だったのかよ。

 そんな軽い気持ちで、野球やってたのかよ!

(あ……ッ)

 力んでしまった。

 ツーストライクでは最悪な、捕りにくいバウンド。

 これは逸らしてしまう。振り逃げだ。カバーに行かなければ……。

「ボール!」

「えっ」

 尾上さんのミットは地面に付いて、その中にボールがあった。

「と、止めてるぞ」

「何だあのキャッチャー……」

「この場面でも冷静かよ……」

 スタンドから、ベンチから、どよめきの声が上がる。

(ちゃんと周り見ろよ。お前一人で野球やってんじゃねぇんだから。チームメイトがどんな選手か、今からでもちゃんと理解しろ)

 俺様の中の何かは、さっきまでの責める感じではなく、俺様を諭すように語りかけてくる。

(力を恐れ、足下に収まろうとしていた中学までの連中とは違う。今のチームメイトはお前を対等な存在として、後輩としてとっくに信頼している。お前が周りを見て、仲間を理解すれば、それだけで最後のピースは埋まるんだよ。チームは完成するんだよ)

(理解する……)

(別に普段から仲良くしろとか、近付けとは言わねぇよ。そういうの、苦手だしな。ただ、グラウンドに立っている間は、チームで野球やろうぜってだけの話だ。やっとこさ、お前を本当の意味でちゃんと認めてくれるチームメイトに出会えたんだからよ)

 チームで野球をする。

 久しく忘れていた、いや、考えた事もなかったんだろう。

 柊古一人に固執して、柊古が信じてやまない迅一クンに八つ当たりして。

 ずっと一人で、勝手な野球をしてきたんだ。

 高校に入ってからも、キャッチャーのリードガン無視で。

 尾上センパイには、随分苦労をかけたのではなかろうか。

 ミットではなく、その奥にいる、高校生には見えない顔でマスクを被っている男を見る。

 彼は、真っ直ぐにこちらを見ている。

(カウントツーストライク。どんな球でも止めてやる。お前なら……)

 言葉は交わさずとも、何を言っているかはハッキリと分かる。

 ……あぁ、そうか。

 あの人は、ずっと俺様を、オレを、待っていてくれたんだな。

(お前なら大丈夫……。来いよ。最強、新宮煌雅)

 右腕は、軽い。これならいける。

 あのミットに、届け。

 届け。

 これがオレだ!


 スパァァァンッ!!


 尾上センパイのキャッチと、オレの最高のストレート。

 それによって起こった、今日イチの快音。

「……随分と、お待たせしました」

 帽子を一旦外し、汗を拭う。

 適当に被っていたので前髪が出ていたが、前髪を帽子にしまうように被り直す。

「やっとかよ、最強。長かったな」

 尾上センパイは笑っていた。

 オレも釣られて笑う。

「さぁ試合はここからですよ。何せ、最強が更に最強になりましたからね」

「違いねぇ。さぁ行くぞお前ら!新エースの誕生日に、情けねぇ試合するわけにゃ行かねぇぞ!」

「オレの誕生日、10月なんですけど」


(我ながら、本当に長かったな……)

(ありがとな。お前のおかげでやっと気付けたよ)

(本当にやっとだぜ。でも、もう心配いらねぇよな。まぁすぐに何とかなる問題だけでもないし、これからも苦労するぜ。色々やりすぎちまったからな)

(分かってるよ。これから一つ一つ、償っていくさ)

(しかし愉快な身体だよな。頑固者が過ぎて、人格割れちまうんだから)

(全くだ。でも自分に諭されるのって、あんまり楽しくねぇぞ)

(こっちは面白かったぜ。まぁあんまり微動だにしなくて、イラッとしてたけどな)

((ハハハ))

(……じゃあ、もう行くぜ)

(世話になったな。もう一人の俺様)

(あぁ。もう呼ぶなよ。正直面倒なんだよ、お前)

(言ってろ。お前のガミガミ説教聞かなくて済むと思えばせいせいするぜ)

(へっ。……元気でな。勝てよ、最強)

(あぁ)

 オレの中の何かは、いや、もう一人のオレは、こうして消えていった。

 俺様が今まで素直に認められなかったことを、アイツが代わりに受け止めていてくれたんだ。

 アイツがいたから、ここで変われたんだ。

 野球を嫌いになれなかったんだ。

(お前にも、チームメイトにも応えられるように)

 ストレートを投げる腕は、軽い。

(この試合、必ず勝つ!)

 俺の好きな、野球で。



 ・菅原迅一side



「……ッ!」

 マウンド捌きを見て、俺は何かを察知した。

「何か千治バッテリー、盛り上がってないか?」

 京平の言う通り、盛り上がっている。

 いや、盛り上がっているというより、変化している。

 何かが変わった。

 新宮の纏う雰囲気が明らかに違う。

 それに勘付いた尾上さんも嬉しそうだ。

 これは……。

「藤山さんが見逃し……。表情も晴れてるし、ここに来て勢いが戻ってきたな」

「いや、戻ってきたんじゃない」

 あぁ畜生。

 野郎、迷いを全部振り切りやがった。

 そうだよな。

 アイツ、最強なんだよな。

 分かってた。分かってたんだよ。

 でも、そうであってほしくないと勝手に決めつけてたんだ。

 悪い思い出しかなかったから、アイツの中の野球のイメージを、勝手に悪くしちまってたんだ。

 そうだよな。こんだけ強い奴が。

「ストライク、バッターアウト!」

 野球嫌いな筈、なかったわ。

 薫が三振に打ち取られた。これでツーアウト。

 烏丸さんは依然一塁から動けず。

 続くは四番、郷田。


「もう八回裏。九回で決着つけるなら、せめて同点にはしておきたいよな」

「郷田の奴、さっきの打席を見る限りは大丈夫そうだけど、京平から見てどうだ?」

「良い方だぜ。ただ……」

 京平は言い淀む。

 言っていいのだろうかと迷っている感じだろうか。

「本音を言えば、らしくねぇ。自分のスタイルを封じて前のランナーを返す、あるいは後ろに繋ぐ。チームバッティングに徹しているよな」

「良い事じゃね?それができる技術もあるんだし」

「普通ならな。ただマキの場合、一振りで試合の流れを変えてしまえる力がある。それを封印してまで地道な方へ行くのは、何か勿体ないような気もするんだ」

「まぁ、確かに……」

「繋ぐだけがチームバッティングじゃない。時として、自分の持てる力全てを出して、そのたった一振りに拘るのも、チームの為になる。チームバッティングというものを都合良く捉えちまえば、だけどな……」

 京平の言い分も分かる。

 郷田のやろうとしていることも分かる。

 結局、何がチームの為になるか。

 それぞれ考え方が違うし、状況によって刻々と変化していく正解。

 それを一々考えていれば、切りがない。

 京平は、計り知れないその努力に才能が応え、トップクラスの力を得た。その力でチームを引っ張ってきたリーダー格。でもそれは万能じゃなくて、時としてチーム内での衝突もあっただろう。

 そのリーダー格が孤独にならないよう、陰で色んな支えを作ってきたのは、実は郷田だ。

 バッテリー時代から、郷田は京平の為に、チームの為にと、色んな事を背負ってきたのだろう。、周りの事を考えていた、誰よりもチームプレイができる男だ。

 京平がその事実に気付いた時にはもう遅かったのだ。だから感じた責任はより大きかった。何度も自分を責めて、野球が手に付かなくなった事もあるだろう。

 京平がらしくないプレーをする郷田に何も言わないのは、郷田に対して責任を感じているからだ。

 でも。

「それじゃあ、もう駄目なんだよ」

「え?」

 俺は監督に話しかける。

「監督、郷田に、本来のスイングをさせてやってくれませんか」

「じ、迅一……!?」

 監督は、目線だけこちらにやる。

「菅原、どういう意味でそれを言った?」

「チームの為に小さくなってプレーしていては、平業ウチはこのまま負ける、という意味です」

 ベンチ内がザワつく。

 一年坊主が、監督に生意気にも意見したのだ。今にもヘイトが集まるだろう。

「最終回も近い。コンパクトなプレーで確実に後ろに繋ぎ、点を取りに行く事に、何の問題がある?」

「王道を行けば確かに確実でしょう。ですが、その王道を何手先までも読んでいるのが四強です。ならば王道から外れなければ勝ち目は無い。読み合いで奴等と張りあうのはウチには難しいですから」

 監督は続きを促してくる。

「追い込まれれば追い込まれる程、最終回が近ければ近い程。プレーが小さくなるのは当たり前です。何としても、どんな形でも点が欲しいから、自分のスタイルを封じてしまう。でも、自分のスタイルを貫く事が結果的に良いモノをもたらす事もある。郷田にはそれができます。だから監督、お願いします。アイツの一振りを、信じてください」

 監督への意見は、チームへの反抗にも等しいだろう。

 俺が言うのも筋違いだし、チームバッティングの重要性も分かっている。

 それでも、郷田の力を抑えてしまうのは勿体ない。

 アイツならきっとこの流れを変えてくれる。

 それを京平に言わせてしまえば、それは京平の負担になってしまう。

 だから俺が言う。

 バッテリーとして、俺がしてやれるのは、これくらいだ。

 何、チームメイトから不信感を抱かれるのくらい慣れてるさ。

「私に楯突く最初の一年が、お前だとは思わなかったぞ、菅原」

 監督はケラケラ笑っている。

「誤解を解いておこうか。私は別に郷田にチームバッティングを強要していない。奴が一発を狙うメリットの方が大きいと思っているのは、私も同じだよ」

「え?」

「アイツなりに試行錯誤して辿り着いたんだろう、あのスタイルは。別に間違っていないし止める必要も無いと思っていた。だがそうだな。この場面ならむしろ、勝負させた方が面白かろう。どっちみち後二回で追い越さなきゃならんのだからな。さて。郷田!」

 郷田はこちらを向く。

 その目は既に勝負を見据えていたのだろう。普段と目の色が違う。

「ツーベースで良いぞ!」

 郷田は驚いた様な顔をしていた。

 そりゃそうだ。

 ハンドサインですらない、口頭での指示。

 ただ、それこそが大きなサイン。

 実にシンプルだ。そのまんまの意味で「打て」というのだから。

 甘い球は期待できない相手投手。

 でも、燃えてるだろアイツ。

 相手が強ければ強い程、元投手の血が騒ぐような奴だ。


 ガッキィィィィン!!!


 ほらな。

 打球ライトのポールの外に切れてファウルになった。

 集中できてるみたいだし、心配いらないよな。



 ・郷田真紀side


「何やねんあの指示……」

 もう後二回しかないんやぞ。

 もう個々のプレーに拘ってる暇は無いんや。

 何としても、京平に繋ぐ。

 京平なら、何とかしてくれる。

 来いやイカ野郎コラ!

「ストライク!」

「……ッ」

 インコースに……。

 下手すりゃ甘い球。

 こんだけ投げて、まだ制球できんのかよ。

 完全に息吹き返してやがる……。

「ストライク!」

 二球目もインコース。

 バットは振ったが当たらない。

 これだけコーナーを突かれると、同じコースでも打者には厳しい。

 クソ、諦めてたまるか。せめて当てて前に飛ばさねぇと。


『マキ。お前、野手やらねぇか?』

「……ッ!」

 突然、ある記憶が蘇った。

 中学で肩を壊し、野球を辞めようかと思っていたある日。

 俺は京平に打者転向を勧められたのだ。

『野手、か。考えた事も無かったな。でも、八代中のどこに俺が入るポジションがあるよ。内外野どこも埋まってるぜ』

『そんなもんこれから奪えば良いだろ。八代中レギュラー全員が、レギュラー確約されてるわけじゃねぇぞ。俺含め』

『どの口が言ってんだ……』

『ここまで続けてきたんだ。怪我だからってあっさり辞めちまうのも勿体ないだろ。やるだけやってみて、無理なら止めないさ』


 この日をきっかけに、俺は打者転向に向けて練習を始めるようになった。

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