第74話・対千治高校、その伍

「「「抜けろぉぉぉぉぉッ!!」」」

「飛び付け高崎ィ!!」

 迅一の打球はライト線に飛んだ。

 ファウルにはならない。

 ツーアウトで点が欲しいので、捕っても捕らなくても関係ない。平業ランナーはもう走っている。

 打たれた以上はもう止めるしかない。

 ボールが落ちる前に。

 ライト高崎が飛び付いた、その結果。

 そのグローブが打球を掴む事はなかった。

「抜けたぁ!」

「回れぇ!!」

 平業サイドはヒートアップ。

 既に高崎は体勢を立て直し、ボールを拾いに行っている。

 三塁コーチャー、島野勇は迷う。

(鷹山先輩は回せる。でも山岸先輩は?今から突っ込んでもアウトになるか?点は取れてるんだ。次の烏丸さんで確実に返す方が良いんじゃ……。いや、ここは)

 突っ走ってくる山岸の目は、本気だった。

 勇は賭けに出た。きっと勝ってくれる。負けても、ただでは転ばない男だ。必ず何かを成し遂げてくれる。

「山岸さん、お願いします!」

「あぁ!」

 腕をぶん回す島野の勢いに背中を叩かれたかの如く加速。

 山岸はこれまでの自分が出した事の無いようなスピードで走り抜ける。

 返球が先か、それとも己が先か。

「うぉぉぉぉッ!!」

「行かせるか!」

 尾上はボールを掴み、山岸をタッチしようと動く。

 既に石森と鷹山はホームインして2点取られている。

 これ以上の失点は致命傷になりかねない。

 交錯する両者。主審の判定は……。

「アウト!」

 僅かに尾上のミットが触れるのが早かった。

 スリーアウトチェンジ。

 これで平業高校は2点を取り返す。

 七回裏終わって、7対5。

 これより八回表の守備に着く。



 ・菅原迅一side


 5点返した。

 何か色々あったけど、それでも5点返した。

 あの絶望的な点差を、2に縮めたのだ。

 追い風が吹いた。

 これから。まだ勝負はこれからだ。

 そういう空気が、ベンチに流れている。

「ナイスバッティングだお前ら!」

「やっぱすげぇな!」

 誰も試合を諦めていない。

 これなら、次の回も希望が持てる。

 千治相手に一回で一巡したのだから。

 俺が守備の準備を終えてマウンドに向かおうとすると。

「さっきの、何打ったんだ?真っ直ぐじゃないよな」

 京平が本当に分からなそうに聞いてきた。

 別に隠す事でもないし、言ってもコイツどうせ真っ直ぐ狙うし、言っちまうか。

「スクリューだよ。新宮本来の決め球」

「は?スクリュー?投げられんのアイツ。つか何で知ってんだよ。何で言わねぇんだよ」

「スクリュー投げるのある一人に対してだけだからな、あの野郎。この試合では投げないと思ってたんだよ。俺には投げたけど、ここまで一球も来なかっただろ?」

「まぁ、確かに……」

「スクリュー投げちまった以上、もう奴のプライドは完全に砕け散った。これを割り切って投げられるような奴でもない。逆転はこのチームなら朝飯前だろ?」

「……そうだな」

 この時、京平が感じていたある不安は、的中してしまう事になる。

(尾上さんがここまでやってきた事が、新宮を立ち直らせちまったら……万が一どころか、百に一なんてのもあるかもな……)

 そんな事は俺はつゆ知らず、マウンドに向かうのだった。


「とりあえず初球な。特に二人抜けてるけど、結局は全員怖い打者だ。スリーボールにしなきゃ、勝負は不利にはならないからな」

「了解。攻めの姿勢を忘れない、だろ?」

「その通りだ。さぁ、行こうか!」

「あぁ!」

 京平が戻って、ミットを構える。

 審判がプレイボールを宣言する。

 打順は七番から。

 三人で抑えれば、下位で止まり、上位相手にランナー無しから勝負できる。

 尾上さんはチャンスメーカーであると同時に、チャンスをモノにできる好打者でもある。

 そんな人の前にランナーを置いておきたくない。

 だから、必ず三人で抑える。

 そう思って初球。

 アウトコースへのストレート。

「ストライク!」

「……?」

 まず様子見と思って見逃してくれた。

 喜ばしい事だが、それより驚きの方が勝っている。

 間違いなく今日は調子が良い。のだが、しっくり来すぎている。寸分のズレも無く、スッとボールを放れた。

 二球目、これもストライク。しかも同じコースに、ドンピシャ。

 京平の反応は上々。

 間違いない。今日は調

 何かが俺を後押ししている。

 何故だろうか。今日はもう、負ける気がしない。

「ストライク、バッターアウト!」

「……よしっ!」

 俺は小さくガッツポーズをした。



 ・森本京平side


 千治の打者に、一回もバットを振らせなかった……。

 今日の迅一は明らかに違う。ベストコンディションか、いや、まだウォーミングアップみたいなもんだ。てことは、これから更に上がってくのか?

 マウンドに上がれば野生で熱くなる奴だが、普段はやや理性的で冷めてる。というか上がってからも暫くは冷めてる。

 でも今回は最初から野生が出てきてる。目の色が変わっている。何か、目の前の曇りを払ったかのような。そんな感じだ。

 向かってくるボールも、今までのような引っかかりがない。その時の意思が百パーセント乗ったストレート。ミットに残る感触が重い。

 確実に今までの菅原迅一とは違う。いや、これが本来あるべき姿か。

 進化とは違う、本領発揮。

 本来の姿を取り戻した、最高の相棒。

 あの中学での試合で感じたもの以上に、今俺は、この投手に惹かれている。

 そんな奴とバッテリーを組んでるんだ。

 キャッチャーとして、これほど興奮する事は無い。

 八番、外へのストレート。

 ツーシンカーでカウントを取り、最後は低めのボール球を引っ掛けてアウトに。

 これでツーアウト。

 九番は再び外へストレート。低めに集めたストレートをファウルにされた後、インハイへのストレートを詰まらせセカンドゴロ。

 スリーアウトチェンジ。

 完璧すぎるリリーフ。

 これぞ風格。

 コイツは、たった1イニングで試合の空気全てを掴みやがった。

「ナイスピッチ!」

 自然とそう言えた。

 迅一、今はもう、新宮にも負けてねぇよ。



 ・尾上信広side


「なるほど、富樫が褒めるわけだな」

 同世代最強の富樫が認めた投手。

 実際に目の当たりにすると、本当に一年かと思う。

 まだまだ経験不足は否めないが、それでも四強とやりあえるのだ。十分強かろう。

 彼を形容するとして、その言葉は何だろうか。

 未知数?未来ある投手?天才や秀才とは違かろう。

 彼は弱小だった筈だ。それがどういうわけか、この大会期間中に本来あり得ない程の成長を遂げている。

 我が天使京がやけに野球に食い付き、試合の映像を見ては、これはなんだあれはなんだ。

 彼に気を惹かれてる事を納得したら、ちょっと妬いちゃうぜお兄ちゃん。

「おいキャプテン、これヤバいんじゃねぇか?あの投手が出てきてから、明らかに空気が違うぞ……」

「だろうな。でも今までとやる事は変わらないさ。お前らには悪いが、新宮で駄目ならもう誰が出ても駄目だろう。ウチは投手層薄いしな。新宮を立ち直らせるしか、もう俺達が平業に勝つ道は無い」

「立ち直らせるって言ったって、ラストイニングで一体どうやって……」

「こればっかりはアイツ自身がどうにかしてくれないとな。ただ……」

 俺の腹はもう決まってる。

 仲間には批判されるだろう。最低の主将だと。

 それでも良い。俺の夢は千治高校が甲子園で活躍する事。そこに俺がいるかどうかは、正直どうでも良い。

 この代が無理なら次が、それでも無理ならまた次が。

 そうやって先輩から後輩に繋いでいくのがチームだ。それができるのが高校野球だ。

 俺は、俺の三年間に懸けて、このチームに精一杯の置き土産を残していきたい。

 あの新宮暴れ馬も、最初は手を焼いたが、今ではもう立派なチームメイト。

 アイツが今よりもっと成長すれば、千治は海王にも負けない、最強のチームになれる。

 全く……面倒な運命に巡り合っちまったもんだな、俺も。

 この歳になって、しかも最後の大会前に、才能に惚れ込むようなエースに会っちまうなんてよ。


 八回裏、平業の攻撃。

 ウチとしてはもう1点もやれない。

「一番からだからな。とにかく、烏丸を出さなきゃ勢いは削げる。まず一人ずつアウトにしていこう。2点差あるんだ。お前なら抑えられるよ」

「……」

 新宮は頷くものの、いい反応ではない。

 しかし勝負の事は分かっているようなので、とりあえずマウンドから離れる。

 ミットを構えて様子見する。

 反応したので問題なかろう。

 とりあえずしっかり外して、呼吸を整える。

 乱れた投手は明確に外させると一息ついてくれる。中途半端な構えが一番良くない。焦った状態ではカウントを欲しがってしまう。

 初球、ストレート。

 その球筋を見て大きく困惑した。

 制球が戻っているのだ。今、俺はほとんどミットを動かしていない。

 しかし球は走っていない。何処かブレーキがかかっている。ノビもないし、止まっているようにすら見える。

(薄い……何と薄く、小さくなってしまったのか……)

 この男が試合の前後でここまで揺らぐ事を、俺は、俺達は想像できていなかった。

 明らかに投げる事を怖がってしまっている。

 何がきっかけかは考えるまでもない。

 さっきの回、菅原との対戦で様子が変わってしまっていた。

 あれだけの自信家が、心をボッキリと折られた。これ以上惨めな自分を曝け出したくないと、どんどん小さくなっていく。

 まさか、菅原と新宮の精神面での勝負が、逆転するとは……。

 だが……。

 これはチャンスだ。

 ラストチャンス。

 新宮を、もう一皮剥けさせる為の、最後のチャンス。

 これ程の逆境は予想外に早く来たが、それならそれでモノにするのみ。

(ここだ。ここに投げて来い、新宮!)

 インハイ。

 打者に最も近いコース。

(烏丸を抑えて、また流れを取り戻す!)

 二球目に放られた球。

 制球は完璧。

 だが、やはり勢いはない。

 キィン!

 烏丸の打球は三遊間へ転がる。ボールに勢いが乗ってるのでこれは恐らく……。

「よぉし抜けたぁ!」

「良いぞ烏丸!」

 平業の勢いは止まらない。

 この流れはマズい。

『二番、センター、藤山君』

(烏丸は走ってくる。ボールカウントをくれてやれば追い込まれるのはこちらだ。積極的にストライクを狙っていきたい)

 しかし、流石の俺とて迷いは出てくる。

 完全に自信を喪失して、廃人にでもなられたら本末転倒だ。

 このストレートでは藤山もボールゾーンで振ってはくれないだろう。

 いや、まだだ。まだ策はある。

 こうなれば打たせて取るしかない。

 初球、フォークだ。

 新宮の球速ならストレート投げても大差ない。

 この落差を活かして空振りを狙う。

 アウトコースへのフォーク。

 しかし疲労が出てきたか、思ったより落ちなかった。

 浮いてしまった以上、藤山は簡単にすくってしまう。

 打球の先、セカンドのジャンプは届かず、ライトのかなり際で落ちて、捕球体勢が大きく崩れてしまった。

 烏丸はとっくに三塁へ向かっていた。

 これで走者一三塁。

 もう、限界だな。

「すいません、タイムをお願いします」


 マウンドでは膝に手を付き、下を向く新宮がいた。

 息切れこそしていないものの、その背中は胸中を存分に表していた。

「新宮、ここまでか?」

「……笑いに来たんですか?あんだけデカいこと言っておいて、結局このザマの俺様オレを」

「そうだな。笑いもんだよ。あの新宮煌雅が、こんなにあっさり敗北を認めるなんてな」

「じゃあもういいでしょう。代えてください。このチームは俺様なんかよりずっと良い選手が揃ってるんですから」

 負の方向へ向いてしまっている。

 ただでさえ人の話を聞かない奴だ。

 後ろから声かけても振り向きもしないだろう。

 しかし……。

「お前それ、本気で言ってんのか?」

 四方を囲まれたら、最早無視できまい。

 内野陣もマウンドに集まってきていた。

「はっきり言って、お前が駄目なら他でも駄目だぜ」

「あんだけ存在感出してた奴をノックアウトしたって認めたら、それこそ敵に勢い持ってかれるよな」

「いつもなら多少しくじっても謎の自信で振り切ってたじゃねぇかよ」

「らしくねぇぜ新宮。こんな逆境、いつものお前で乗り越えちまえって」

 新宮は決して部内で好かれてはいなかった。むしろ嫌われていただろう。

 だが、この夏を支えてきたのもまた新宮だ。

 千治ウチに欠けていた、華と才を持ち合わせたスター、エース。

 チームメイト全員が、霧城に勝った平業相手に登板を反対しなかった時点で、もうそれは信頼の証だったのだ。

「お前も他人事じゃないぜ、キャプテン」

「せめて三年の俺らには言えよ。お前、この試合中ずっと、新宮を叩き直す為に色々やってたんだよな?」

 これは予想外だった。

 まさかバレてるとは。

 一体いつから……。

 他人から聞いたのなら、犯人は自ずと一人に絞られるが……。

「口が軽いよな、ウチの控えエース」

 やはりお前か。

 お前が言ったのか。

 新宮じゃなきゃ無理だって言った腹いせか?

「最初ははぁ?って思ったけどよ。何か、納得したんだ」

「ウチのキャプテンは何だかんだ滅茶苦茶だからな。グラウンド立ってるプレイヤーのくせに、心は高校野球好きのおっさんなんだもんなぁ」

「そうそう。しかも甲子園じゃなくて予選見るタイプのな。趣味が渋すぎんだわ」

 滅茶苦茶言われてる……。

 な、何か恥ずかしくなってきたぞ。

「まぁ、でもさ。なぁ?」

「三年間を懸けて、でも、甲子園よりその道選んだんだよな。尾上」

「燻ってた俺らをこの三年間導いてきたお前がやるんだ。俺らは最後まで着いていくよ」

 ……あぁ、クソっ。

 何だかなぁ。

 本当、敵わねぇわ。

 結局見透かされてんだもんな。

「さっきから何の話です?」

 新宮は意味が分からず着いてこれていない。

 無理もない。まだ一年のコイツが、三年間を懸けてまでやろうとしていることの意味が分かる筈もない。

「新宮」

「ん?」

「俺達三年は、ここからは試合に勝つ事じゃなく、お前を支える事を考えて戦う」

「は?」

「千治が甲子園に行くには、お前の力が必要なんだ。でも、今までのお前のままじゃ駄目だ。何としても、最強のエースじゃなく千治のエースになってもらうぞ」

「ちょ、ちょ待ってくれ!」

 新宮は戸惑ったような声を出す。

「何を言ってるんだアンタら!最後の大会なんだろ!?それを、俺様に賭けるって言うのか!?」

「そうだ。例えこの試合を勝ったとして。千治は火山ひのやま高校には勝てない。何故なら、奴らにはチームのエースがいるからだ」

「チームの、エース」

「圧倒的な力を誇り、かつチームメイトと共に上を目指す。まさしく、綺麗事のようなエース。それが今までの千治には久しくいなかった。だが、お前はそれになれる素質がある」

「俺様には、そんな素質なんて……」

「あるんだよ。お前のレベルなら大坂紅龍おおさかくりゅうにだって、DF学園にだって行けたはずだ。でも千治を選んだ。それはきっと運命のようなものだ。その運命に選ばれたお前は、その力を持って、千治のエースになれる。力だけの暴力的なエースじゃない。誇りある救世主のエースにな」

 新宮は下を向く。

 本人はきっと、自分の力を誇っていた。それがこの試合で否定されたような形になった。

 自尊心の塊のような男は、折れてしまえば立ち直るのは難しい。

 でも、そこを乗り越えた時、ソイツは大きく跳ね、真のエースとなるのだ。

 勝利と敗北、両方を知る、本当のエースだ。

 千治は強い。故に、勝利を知るエースはいても、敗北を知るのは実は二番手三番手のみ。

 それに比べ、新宮はこの試合で勝利と敗北を両方経験した。しかも、そこから立ち直れずにいるのだ。

 こんなチャンスが、まさに最後の大会で巡ってくるとは。なんて思わなくもないが、せっかく巡ってきてくれたのだ。これをモノにしない手はない。

「良いか新宮。俺達は全身全霊でお前をサポートする。それで勝てたら儲けもん、負けたら次に繋ぐ。そうやってチームを代々紡いで行くのが、千治の野球だ」

「……ッ!」

「覚悟決めろよ。もう平業は格下じゃねぇ。勢いづいちまってるからな。生半可な球投げたら、また一回で一巡しちまうぞ」

 新宮が何かを言おうとしたのを遮って、全員守備位置に戻る。

 今は焦らなくて良い。答えが出なくて良い。

 どんどん手探れ。掻き分けろ。

 お前には、その先の未来が、まだ待っているのだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る