第73話・これしかないから

『代打、菅原君』

「思わぬ展開……満塁で代打って……」

 そもそも、リリーフで出る気満々だったのだ。

 わざわざこれから投げますって投手を代打に出すかね。

 と、こんな事垂れちゃいるが、打てないとは思っていない。

 今までの新宮に対する印象は、少しずつ変わりつつある。

 少なくとも、これまで俺が奴にしてきたような、腰抜けスイングを披露する事は無いだろう。


 新宮の様子はというと、何か変だ。

 先程から何か葛藤してるようだが、俺が視界に入った瞬間から、苦悶の表情はさらに歪む。

 初球、ボール。

 その後スリーボールに。

 ストライクにならない。

 俺に限った話ではないが、奴は明らかに打者ではなく、別の何かと戦っている。

 打者を、見ていない。

 目の前の勝負を見ていない。

 ここで見逃せば、押し出しフォアボールになる。

 ツーアウトだし、試合に勝つ為なら、それもありだろう。

 でも、本当にそれで良いのか?

 それで勝ったと言えるのか?

 監督の言う、過去の敗北を振り払う事になるのか?

 ……ならねぇよな、多分。

 俺が倒すべきは、ベストコンディションの新宮だ。

 それでこそ、過去を振り払える。

 チラッとベンチを見る。

 監督は、振れのサインを出している。

 良いんですね?俺に振らせても。

 結果は保証しませんよ……。

 四球目。

 明らかにボール球のストレート。

 違うんだよ新宮。

 こんな腑抜けた球を投げるのは、お前らしくねぇだろ。

 俺が恐れた最強のプレイヤー、新宮煌雅。

 例え勝っても負けても、最強のお前と勝負しなきゃ。

 この試合の結果がどうであろうと、何の意味も無いんだよ。

 さっさと、

「目ぇ覚ませ!」

 ゾーン外の球を何とかバットに当て、ファウルにする。

 新宮はそこでハッとしたようだ。

 何かを考えた後、奴は俺に向き直って、一呼吸置く。

 雰囲気が戻った。

 ここからは、引け腰ではいられない。

 焚き付けた以上、塩を贈った以上。

 勝利の為に足掻く責任がある。

「ほう。まさか、自ら逃げの道を塞ぐとは」

 マスク越しに、尾上さんがボソッと、しかしハッキリとこちらに向けて言った。

「お前は新宮とは相性が悪かろう。何故今更茨の道を選ぶ?」

「そこに疑問持つんですか?有利になったのはそちらですよ」

「持つさ。わざわざ格上相手に不利になるような真似をしてきたなら、な」

 格上。

 そう、相手は圧倒的格上の千治高校なのだ。

 新宮レベルがわんさかいて、新宮があれほど乱れなければ、平業はとっくにコールド喰らってたかもしれない。

 乱れたとて、負けている。

 でも、完敗にならなかったのは。

「迅一!テメェこの野郎、固いんだよ!もっと力抜け!」

「森本京平、か……」

「ん?」

「いや。今更になって、俺がアイツに相棒と呼ばれる理由が、分からなくなっただけですよ」

 本当に、恵まれている。

 決して楽しい事ばかりじゃなかった野球人生だが。

 京平と同じチームになれた事は、それら全てを差し引いても、余りある幸運だろう。

 その相棒が、俺の誰が言ってんだよ状態の発破で、結果を残してくれた。

 アイツだけじゃない。郷田や薫、先輩達も、ここまで連れてきてくれたんだ。繋げてくれたんだ。

「さっきの尾上さん……失礼、お義兄さんの疑問にお答えしましょう」

「ほう。答えがあるのか?」

「今の俺なら、最強の新宮を倒せる。その自信が、俺の逃げ道を塞いだんです。逃げる必要なんかない、とね」

 その言葉を、尾上さんは鼻で笑った。

 いや何か違うな。嘲笑った感じではなかった。

 今のは、感心した感じか……?

「新宮は、千治でも稀に見る本物の化け物だぞ?それも、この俺が選んだんだ。ソイツに勝つだと?弱小校の一年投手が?しかも打撃で?舐められたもんだな」

「下手な煽りは止めたほうがいいですよ。人褒める方が得意なんでしょ」

「……バレてるのか」

 ここまで、二人でボソボソ言いながら、しかし俺はひたすらファウルを打ち続けている。

 新宮は制球力は未だ完全ではないものの、本気で俺を倒しに来ている。

 それでいい。

 その状態のお前を倒してこそ。

 俺はこの先の戦いに進めるんだ。

 お前のその先にいる奴とも、戦う資格を得られるんだ。



 ・新宮煌雅side


 満塁のピンチ。

 とはいえツーアウトだ。

 しかも相手は迅一クン。恐れる必要なんか全く無い。

(まだそんな事言ってんのか?)

 俺様オレの中の何かはずっと俺様の心を突いてくる。

 掻き乱される一方だが、それはこちらの事情だ。

 このピンチでは、もうそんな事は周囲にとって言い訳にしかならない。

 自覚するのが遅すぎたが、まだ勝負は終わっていない。故に取り返せる。ここで抑えれば、これ以上のチャンスは平業には訪れない。俺様の調子がどうなろうと、千治の勝利は揺るがないものとなる。

(案外そうでもないかもな。平業はチャンスを何度も潰してる。それでも勝ってるって事は、この場面でどんな内容になっても、そうそう影響受けないって事じゃねぇか?)

(お前はどっちの味方なんだ。俺様の中にいるなら、俺様の敵になるような真似をするな!)

(だから、俺はお前の味方だっての。お前が勝つ方法は、他者を認めて、自分のベストを尽くすって事だ)

(ベスト?ベストだと?俺様がベストを尽くしてないとでも言うのか!?)

(尽くしてないだろ。お前は全力ではあっても本気ではない。己の力を誇示する事だけに固執しているから、プライドが許さないのさ。ストレートじゃない、を投げる事をな)

(それは……)

(勘違いするなよ。お前の真っ直ぐはただ速いだけだ。それじゃ迅一のように勝負球にはできない。現に森本には捉えられたんだ。他の連中も時間の問題さ。どのみちこのままならお前は代えられる。本気にならなきゃ、お前が投げても、他が投げても、行き着く先は一緒だからな)

(何だと……?)

(平業は強い。それは揺るぎの無い事実だ。お前が本気にならなければ、あの打線を確実に抑えられる投手はいなくなる。千治高校は、為す術もなく負けるのさ。たった一人の独りよがりなプレーによってな)

(止めろ、それ以上言うな!)

(最早才能だけの投球じゃ無理なんだよ。そういう領域に来ているんだ。才能ある連中が血反吐を吐くような努力をした先にあるのがここからの戦いだ。そもそも才能だけで胡座をかいていたお前が立ち入る事も許されない世界なんだよ)

(うるさい!一体何様なんだお前は!)

(そんな世界でお前が戦う手段があるとすれば、お前が唯一努力して手に入れたウイニングショットを使う事だけじゃねぇのか?迅一の顔を見てみろよ。もうお前なんか眼中に無さそうだぜ)

(……は?)

(お前が手に入れられなかったものを、アイツは掴み取った。才能も実力も圧倒的に差があるのに、それでもお前が踏み込めない次のステージに、奴は進んでるんだよ)

 迅一の顔を見る。

 確かに奴は、マウンド上の俺様を見ている。

 しかし、奴の意識は、もっと先に向いている。

 まるで、俺様を通過点としか思っていないかのような。

 そんな目だった。

 その先にいるのは。

(柊古、か)

(そう。アイツはもう、弟へのコンプレックスを克服しようと戦い始めてる。過去に囚われず、先に進もうとしている。足踏みしているお前なんか、何の障害にもならねぇって事だ)

(ふざ、けるな……ッ)

(おいおい。この後に及んでまだそんな事……)

(やってやるよ……。やりゃ良いんだろ!俺様の貴重な本気だ!証明してやるよ、俺様の方が強いという事を!お前に先の世界に進む資格なんか、無いという事を!)

(……ま、これはこれでありかもな)

「俺様の足元にも及ばない屑が!俺様を超えるなんて、生涯かけてもあり得ねぇんだよォォッ!!」

 俺様が放ったのは、存在こそ伝えていたものの、ずっと封印していた真のウイニングショット。

 その名は……。



 ・菅原迅一side


 新宮が放った、恐らく勝負の一球。

 球速はそんなに差が無いものの、それでも遅くなっている。

 真っ直ぐの自己ベストを更新した事、久しく投げた事、乱調している事。

 その他も含めた全てが重なって、奴自身も自覚していない、最大の弱点を奴は自ら突いた。

 これは新宮煌雅が、唯一ある勝負で投げた、本来のウイニングショット。

 それ以降、一度も投げていないであろうその球は、真っ直ぐでもなんでもない、ある変化球の事を指す。

 といっても、しょっちゅう投げているフォークやパームじゃない。

 何故俺が知っているのか。

 それは、俺が奴との勝負で、奴の球をファウルにした時に、一度だけ投げた事を覚えているからだ。

 それともう一つ、柊古はこの球で負けた事があるらしい。

 前者はともかく、後者は柊古が負けたのかと衝撃を受けたのだから、嫌でも思い出す。ボソボソと、しかしかなりの長い期間愚痴愚痴言っていたのだから。

 結果論ではあるが、俺は結局柊古に助けられた事になる。

 まぁでも、それも悪くない。

 柊古だけじゃない。俺は色んな人に助けられて、今野球をしているんだ。

 京平や郷田、嶋さんや先輩達。神木や富樫さん、牧谷さん、鈴さん。

 沢山の人達と野球をしてきた。それが俺の誇りであり、確かな経験、強みであると。相棒京平はそのプレーで教えてくれた。

 新宮、俺とお前は似た者プレイヤーだ。

 それでも、大きな違いがある。

 その違いこそが、俺達の勝負を決する。

 お前が自分の力に縋っている間、俺は色んな人に出会い、経験し、力に変えてきた。

 だからこそ、あの勝負の事を思い出して、あの時打てなかった球を狙う事ができたんだ。

 たった一度きり。それで良い。一度勝てれば文句は無い。

「と、どけェ……ッ!!」

 振り抜いたバット、当たった球、その行方は……。



 ・sideout


 長く、長く、このクソ暑いグラウンドで、クソ熱い勝負が繰り広げられていた。

 その勝負を展開しているのは、両方とも一年だった。

 両方とも一年だが、事前に周囲に刻まれているそれぞれの印象は全くの真逆であった。

 片や、四強期待の黄金エース候補。

 片や、無名校の地味投手。

 当然である。

 中学で既にメディアで名を挙げていた煌雅と、軟式で細々とやっていた迅一とでは、周りが抱く印象は異なる。ましてや、迅一の存在は弟柊古によって掻き消されていたのだから。

 今でこそ相棒と呼ぶ京平とて、直接対決するまで気付かなかった程だ。

 故に皆混乱した。

 当人達は自覚が無いだろう。

 迅一は卑屈過ぎるし、煌雅は傲慢過ぎる。

 前者は自分は追い込まれている、後者は自分は追い込んでいる。そう見られているだろうと思っているのだが、周りは逆だった。

 迅一が、煌雅を押しているように見えている。

 最早客観的に見ても、迅一の方が優勢なのだ。だが当の本人達は認めないだろう。

 少なくとも、明確に勝敗が着くまで、お互いの中で迅一は下で煌雅は上。

 この打席だけで20球。決着が着くまで、後1球。

 ここで新宮が投げた球は、事前情報など無いから、誰もその変化球だと分からなかった。

 分かったのは迅一だけだ。捕手の尾上すら知らない球を、新宮は独断で投げた。

 新宮は最後まで独りで投げていた。尾上のリードに従っていたように見えたのは、自分の力をフルに使うまでもないという、手抜きのような感覚だ。捕手として信頼しているからではない。

 尾上は新宮に見下されているが、本当に強い。

 ちゃんと見ていれば分かることだ。好き放題投げられる意図的な暴投を後ろに逸らさないだけで相当高度な捕球技術なのだ。そんな奴が弱い筈は当然無い。

 新宮はそれすらも気付けないほど曇ってしまっている。柊古への執着、周囲のレベルアップ、自身のステップアップ。家庭の事情もあってか、自分の力を信じるしかなかった男は、周りの変化に鈍感になり、元があれだからさらに己の力を過信するようになった。

 事実、煌雅は西東京の中でも才能だけでまだまだトップクラスの領域にいる。海王や火山にも負けない。それは揺るぎない。

 だが、迅一と柊古、菅原兄弟というトリガーによって、煌雅は自らを乱された。

 本来なら手も足も出せないはずの迅一が、煌雅に届く事ができたのは、煌雅が柊古を意識し、それに連なって迅一に集中力を奪われた事が原因である。

 迅一はそれに気付いた。故に。

(新宮はもしこの試合で、俺との初対戦で苦戦したなら、一度だけ柊古を倒した変化球を投げる筈だ)

 と、考える事ができた。

 かの変化球は菅原柊古を倒した変化球であり、それこそが煌雅の自信の一つ。それ以来柊古より下の打者には絶対に使わなかった。当然捕手を信頼していないから、尾上にも明かしていない。

 しかし迅一に限っては、全く似ていないと言えど双子であり、柊古がチラつく。だから、苦戦すれば投げたくなるのだ。

 柊古相手なら攻略されるだろうかと迷っただろうが、格下の迅一相手なら、負けるはずないと思って投げる。

 この二人の戦いは、柊古によって始まり柊古によって終わる。

 最後まで柊古を意識させられたから、最後まで過去と向き合おうとしたから。二人に明確な差が生まれ、勝負が終わる。


 ガッキィィィィンッッ!!


 球場にいる者は、誰一人として知らないだろう。

 これは歴史的瞬間あり得なかった事である。

 これこそは、弱小が最強を超え、最高になる為の第一歩である。

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