第72話・対千治高校、その肆


「ウガァァァァァ!!」


 新宮がまた吠えた。

 だが今度のは何だろうか。

 さっきの、怒りに身を任せたようなそれとは違った。

 今のは、どちらかと言えば苦しんでいるような……?

「奴の中で、葛藤が起きているんだろうな」

「葛藤?」

「今まで、自分の力が絶対だと思っていた奴が、他人の力が優れていると認めるのは難しいって事さ……。マキ!」

 京平は打席に向かう郷田を呼び止めた。

「初球ホームランだ。忘れたとは言わせねぇぞ?」

「……嫌な黒歴史思い出を掘り返すな」

「悩める天才ほど、お前にとって最高の餌は無いだろ?」

「あぁ。まるで鏡を見せられている気分やで……」

 郷田と京平の言葉に気になる部分はあったが、どうやらこの様子だと心配は無さそうだ。


 左打席に立つ。

「大丈夫かアイツ……」

「心配すんな。こういう場面でのアイツは」

 京平の言葉と同時に、その結果が俺の目に映った。

「世界最強だよ」

 右中間を大きく割る弾丸ライナー。

 フェンス際に落ちた球を、前進していた外野が急いで捕りに行く。

 荒巻に打たれて尚、油断があったらしい。

 そりゃそうだ。ここまでパーフェクト。一人に打たれたとて、連続しては飛ばさないだろうから、前で止めてゲッツーを狙おうとしたようだ。

「へっ。軟式出身とはいえ、全国屈指のスーパースイングだ。後悔しな、千治高校。打者になったマキを手放した事をな」

 かつて郷田は、強豪からスカウトを受け、故障で取り消されたと言われていた。

 そのチームが、千治高校だったのだ。

 あれが敵に回ってたかもしれないってこと?

 いや、そもそも故障してなかったら京平いないから対戦する以前の問題か……。

「迅一。よーく見とけよ。お前がビビり散らかしてる天才って連中が如何に脆いか、ってな」

 そう言う京平の背中は、いつもより大きく見えた。



 ・森本京平side


「結局の所、俺達も同じなんだよな。アイツと」

 マウンドで何やら苦しそうな新宮を見ていると、思う。

 早いか遅いかだけの差なのだ。

 俺達みたいなのがいつかブチ当たる壁とは、才能は決して万能ではないと知るという事だ。

 人よりは多分センスがあると思って、調子に乗って、それを打ち砕かれて。

 俺達はそれを中学で何度も経験したけど、新宮は多分これまで経験してこなかったのだ。いや、経験はしたかもしれないが、それを素直に認められなかったのかもしれない。

 野球が好きだ。勝ちたくて、勝ちたくて。ずっと努力してきた。自分の嫌な部分だって何度も見せつけられてきた。それでも、野球が好きな気持ちだけは揺るがなかった。

 新宮の過去は知らない。でも、奴のプレーに、野球が好きという気持ちは無い。本来あるのかもしれないが、現在の奴にとって、野球とは、力を示す手段にしかなっていない。

 野球という目的の為に努力する俺達と。

 野球が存在証明の手段でしかない新宮と。

 どちらが勝るだろうか。

 あー、いや。どちらも勝るだろう。

 しかし、今、この場で。

 実力も才能も同等なこの勝負においては。

 誰よりも努力してきたという自信がある俺は、あんな薄っぺらな天才に負けないと、証明しなくてはならない。

 相棒迅一に、天賦の才だけの力なんかより、お前の積み上げてきた努力によって生まれた力の方が尊いものだって。証明するのだ。

 それが、俺の役目だ。

 新宮そのものを倒すのは、迅一の役目。

 ならば俺は、迅一の中の、最後の壁をぶっ壊そう。

 他人より少し多めにもらえただけのこの才能。

 今この瞬間に使わなくていつ使うんだよ、って話だ。


 新宮のスタミナは、全国区いや、もはやプロでもそうはいないだろうレベルだ。

 球数を稼いだところでコイツは微動だにしない。

 ツーアウトで二塁三塁なら、確実性を狙おうと守備は前進したままだろうし。

 俺に荒巻ほどのボディコントロールは無いから、この状況で馬鹿球打ってヒットは難しい。

 狙うは初球。下手に数投げられて、俺に慣れられても困る。警戒して力んで、棒球のうちに、叩く。

 色々考えているうちに、新宮が投げた。

 初球ストレート、来た!

 バットに当たった球は、レフト方向へ飛んだ。

 ポールの上を行く打球。


「ファウルボール!」

「なっ!?」

 審判はファウルと判断した。

 ちょっと待てと言いたくなるが、ぐっと堪える。

 ここで変に難癖つけて悪印象になったらたまらない。最悪退場だ。それだけは絶対に駄目だ。

 しかし、今のは最悪のパターンの一つだ。

 高めに浮いた棒球を確実に引き付けて打とうとした結果がこれだ。

 あわよくばスタンドインだった。それは簡単に二度も打てる打球じゃない。

 少なくともこのファウルは、苛立っている新宮にとって、一呼吸置けるタイミングの、最高のファウルだ。

 しかも、自分の球威でファウルにできたと思われたのなら、尚最悪だ。また自信を取り戻されちまう。

 こうなったら、もう打てる球打つしかねぇ。

 とにかく見極めるんだ。

 持てる力の全てを出し切って、後ろに繫げるんだ。

 二球目、空振り。

 クソッ、ここでフォークか!

 野郎、変化球投げられるだけ冷静になりやがったな。

 三球目、ストレート。これは何とかファウルにできた。

 しかし初球の棒球とは違う。ノビも威力も、コーナーへの制球も。全てが初回とほとんど同じだ。

 こりゃ、いよいよヤバいかもな……。


「何やってんだ京平!らしくねぇぞ!」


 ベンチから聞こえたのは……。

「迅一?」

「あんな凄い打球が飛ばせんのに、何を今更小さく繋ごうとしてんだ!」

 らしくない?

 俺が?

 何を言うか。俺は、いつも通りチームの為に……。

「相棒として助けてくれんだろ!心が折れた俺に、あんな強気なこと言っておいて、そんなへなちょこスイングしてんじゃねぇ!」

「な、何ぃ?」

「ここまでの試合みたいに、お前のバット一つで試合を変えるくらいのスイングしろよ!それで打てなくたって、先輩達が、仲間がまたお前に繋いでくれる!怖がってんじゃねぇよ天才、森本京平!」

 この野郎、言いやがったなぁ……。

 てめぇこそそんな発破かけるような事言いながら、全身震えてんの、見えてっからな。

「上等だよ、この野郎。絶対打つ。最高の結果をてめぇに持って帰ってやるよ」

 新宮は迅一の方を見るも、すぐにこちらに向き直って四球目を投げる。


 カッキィィィィン!!


 自分でも分かる。

 初球に当てた時以上の、確かな手応え。

 棒球でも何でもない、完璧なストレートを。

 俺の手に握られた金属バットが捉えた事を、この反動が証明している。

 打球の行方は……。


 コーン。


 ポールに当たった。

 今度こそ、間違いなく。

 俺の打球は、ホームランになった。

「お、おぉ……ッ!」

「うおぉ……!」

「「「入ったぁぁぁぁぁ!!!」」」

 平業ベンチに加えて、スタンドにいつの間にやら現れた応援団、吹奏楽部すらも。

 歓喜の声をあげていた。

 俺はというと、感情がゴチャゴチャになって、脳死で走っていただけなのだが。

 ホームベースを踏んで、ベンチに戻って、先輩達から揉みくちゃにされて。

 やっと自覚した。俺がやったのだ。

 最高の結果を、持って帰って来たのだ。

 左手に力が入る。この拳をどこにやれば良いのか。上に突き出すか?

「ナイスバッティング」

 迅一が、右の掌を上げていた。

 俺はその掌に、左の拳でパンチした。

「見たかこの野郎」

 二人で笑った。

 7対3。点差が少し縮まった。



 ・菅原迅一side


 京平のスリーランホームランで、流れが変わった。

「よっしゃ、石森続けー!」

「ここしかねぇぞ!」

 石森さんへのエールが増える。

 いい雰囲気だ。

 ネクストバッターズサークルにいた時は、闘争心剥き出しで素振りしてたけど、打席に立つと極めて冷静にボールを見極めていた。

「ボール、フォアボール!」

「よーし!」

「鷹山さん、次頼みます!」

「ここで三年の意地、見せてください!」

 ツーアウト、ランナーは一塁。

 千治サイドにも焦りが見え始めている。

 まさかここで流れを掴まれるとは思ってもいなかったのだろう。

 新宮は相変わらず見えない何かと戦っているようだが、尾上さんはタイムを取らない。

 正直ここは、バッテリーとしては一息置きたい場面だ。

 何を考えているんだ……?

 新宮は鷹山さん相手に外しか投げないが、鷹山さんはランナーがいる時のアウトコースの打率はかなり高い。

 新宮の球とて、何球も続けば、捉えられるのは必然だった。

 三遊間抜けて、レフト前シングルヒット。

『八番、サード、山岸君』

 山岸さんには、霧城でホームランを打った実績がある。

 しかも対フォークの時だ。

 ここは期待できるかもしれない。

 狙い球はもちろんフォークだろう。

 現状、ストレートよりは確実性がある。

 初球。

「ストライク!」

「!?」

「おい、今の……」

 尾上さんのミットが、最初に構えた方と逆方向に。

 フォークの失投だ。

 あんな鋭く落ちる失投があってたまるかって感じだが。

 新宮も意図的に投げたわけではなさそうだ。

 あっぶねぇって顔してるからな。

 尾上さんの方は、特に何も反応しない。

 呆れてる?いや、むしろ何かを期待しているみたいな……?どっちだ?

 二球目、今度はストレート。

 これもミットがブレた。

 やはり荒れている。

 制球が定まっていない。

 威力がそのままだから、かえって危険かもしれない。

 メジャーの投手を思い出す。

 今の新宮はまさにあんな感じだ。

 違うのは雰囲気。

 何かを振り払うように、新宮はひたすら投げる。

 四球目投げて、スリーボールワンストライク。

 カウント的には、打ちに行って問題ないが、どうにも異様な感じではある。

 フォークに関して言えば、富樫さんの時とは違うものの、山岸さんが打てない感じではない。

 では何が引っかかっているのか。

 尾上さんだ。

 ここまで荒れている投手をほったらかして、何をしているのか。

 一時期マスクを被っていた以上、何かを疑ってしまうのだろう。

「……ハッ!?」

 すると突然、京平が何かに気付いたような反応をした。

「どうした?」

「今打たないと、俺達負けちまう!」

「え?」

「尾上さん、新宮をわざと孤独にしてんだ。殻を破らせる為に!」

「ど、どういう事だ?」

「千治は、尾上さんは、新宮の独りよがりに手を焼いていたんだ。今までは新宮一人で結果を出せていたから止めようが無かった。でも、奴は追い込まれてる。初めて弱い自分と向き合う機会になってるんだ」

「……点差があるから、か?」

「あぁ。今もし、新宮が殻を破っちまったら、今度こそ俺らは終わりだ。あの化け物相手に、独りよがりという弱点があったから、この回はどうにかなったんだ。その弱点を、この試合で克服されたら……点差を詰められず、それどころか広げられて負ける!」

「それは……」

 無いと、言い切れるだろうか。

 俺自身が、中学と高校でえらく変わったのだ。

 新宮だって変わるのかもしれない。

 そして、それは今はウチには望ましいものではない。

 新宮が投げたのは、高めのストレート。

 結局ボールとなって、フォアボールだったのだが。

 問題は、その球速。

「1、150キロ……!?」

 奴はここに来て、二度目の自己最速を記録したのだった。


「菅原」

 三原監督が俺を呼ぶ。

「代打で出ろ」

「え?」

「九番泉堂に代わって代打、菅原!」

「ちょっ!?」

 俺、リリーフ前に、代打で出される。

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