第71話・迅一の知らない過去その弐、新宮と千治高校
二年の、秋。
「ふーむ。やはり、学校のグラウンドは、設備も古いねぇ」
挑発するように物を言う。
もうこんなのやっているのは可笑しいと分かる歳だが、今回ばかりはそうしなければ気が済まない。
「おや、君達が弱小野球部諸君かな?」
「な、何だよお前ら」
戸惑ったように言う部員。
しかしコイツには用は無い。
「おや、この俺様達を知らないとは、ここの野球部は、実力だけでなく、情報力も貧弱なようだなぁ?」
戸惑う部員の後ろから、一人の部員が出て来る。
迅一クンだ。
「シニアで有名な新宮君じゃないですか。ウチの野球部に何か?」
迅一クンも戸惑いつつ、こちらを真っ直ぐ見て、そしてハッキリと聞いた。
俺様の事は、柊古から少しは聞いていたのだろう。悪い意味で。その証拠か、手に力が入っている。
俺様にコイツ如きがこんな口を聞く事に、腹が立った。
「
「は?」
そんな事実は無い。
だが、教師陣と口裏は合わせている。
あの野球部のクズ顧問、快く承諾しやがった。本当に、碌な大人がいない。
それを聞いてグラウンドを飛び出して行った。
その後、しばらく迅一クンは来なかった。
どうやら顧問と一悶着あったらしい。
俺様達は、迅一クンが戻って来るまで、部員達に雑用だけをやらせた。
早く戻って来い。さもなくば、コイツらは一生大好きな野球ができないぞ。
三日もすれば戻ってきた。
ただならぬ雰囲気だ。その口から放たれる言葉を、俺様は待っていた。
「俺が勝ったら、ここから出て行け」
それを聞いて、大声で嘲笑った。
腹のそこで渦巻く怒りを、鎮めるように。
「ふっ、フハハハハハハッ!!!……良いだろう、マウンドに立て」
五打席勝負。
俺様が奇数回、迅一クンが偶数回でマウンドに立つ。
捕手はシニアでブルペン捕手しかやっていない、ただの壁だ。俺様が何か言えば、怯えたようにそれに従う。今回ばかりはコイツの方が都合が良い。
一回目、俺様が三振に取る。
二回目、俺様がホームランを打つ。
三回目、勝負が動いた。
俺様のストレートを、当てたのだ。もちろんヒットではなくファウルだ。
だが、前に飛ばした。
この凡人が、加減したとは言え、俺様のストレートをだ。
勿論、あの柊古の兄だ。それだけのポテンシャルがあって当然なのだが、この時はそこまで考えが及ばなかった。
許せなかった。何の価値も無い凡人が、この俺様に歯向かってきやがる。コイツ如きが。
許せねぇ、許せねぇ、許せねぇ……!!
お前は、大人しく俺様に負けてれば良いんだよ!
感情はどんどん大きくなって、自分でも制御できない領域まで来た。
そして、抑えられず、爆発した。
「……ふざけんなァァァァッ!!」
俺様は、珍しく、吠えた。
コイツ如きが、俺様と対等になろうとする、その現実に耐えられなかった。
それから、勝負は一瞬で終わった。
迅一クンの表情は、絶望に染まっていた。
「これが力の差だよ、凡人君」
勝負が終わった後、自己嫌悪に陥った。
結局俺様は母の血を受け継いでいるのだ。
力を誇示して他者を圧倒し、孤独になる。
それが自分の力か、他人の力か。それだけの違いだ。
迅一クンへの申し訳無さも、無いわけではない。
これは結局八つ当たりだ。柊古が俺様を認めないのは俺様のスタイルの問題。それを他人のせいにしたところで、その事実が変わることはない。
俺様は、迅一クンをボコボコにする取り巻きを止める事ができなかった。自己嫌悪は加速した。
「煌ちゃん、これ、奴らの道具だけどどうする?」
「これ限定モデルじゃん。こんな奴らに勿体ない!なぁ煌ちゃッ」
気付いたら、取り巻き達をボコボコにしていた。
俺様は、どんどん八つ当たりの歯止めが効かなくなっていった。
野球部員、迅一クン達の道具が、取り巻き達と共に転がっていた。
俺様のやってきた事の結果が、これか。
迅一クンは、学校に来なくなったらしい。
グラウンドで練習していると、迅一クンとバッテリーを組んでいた捕手が掴みかかってきた。
「お前が!一人の野球人生を奪ったかもしれないんだぞ!お前の勝手な八つ当たりで!」
その言葉は、俺様に重く響いた。
野球人生を奪っておきながら、俺様は何故マウンドに立っているのか。
取り巻きはその捕手にまた手を上げたが、今回は流石に止めた。
「止めろ、みっともねぇ!」
「で、でも煌ちゃん」
「もう必要以上だ。これ以上俺様を苛つかせるなら……」
お前らも同じ目に合わせてやる。
そう言ったら、もう余計な事はしなくなった。
「やぁ、新宮」
ある日の事。
柊古がグラウンドにやって来た。
口調は相変わらず柔らかいが、目がこちらを睨みつけている。
その手に持った野球道具は、柊古がこれから為そうとしている事を悟らせる。
「お前を、倒しに来た」
柊古が初めて、俺様の事を、お前と呼んだ。
相当憤っている。
当然だ。あれだけの仕打ち。しかも、自分の大好きな兄が受けたのだから。
俺様は逃げも隠れもしない。正々堂々勝ち誇ってやる。
「お前のお気に入りの迅一クンを倒したぞ。これで、俺様が最強の相棒だと認めるか?」
「前から言ってるだろ。最強なのは認めるけど、最高じゃない。ここまでやられると、最低最悪だよ」
心底俺様を侮蔑、嫌悪している。
何故コイツは頑なに俺様を認めてくれないのだ。
最強である事こそ最高ではないのか?
「何故アイツなんだ!兄弟としての贔屓目を使っても、俺様の方が優れている筈だ!」
「能力的にはね」
「だったら!」
「あのさ」
柊古は常識を問うように、俺様に言った。
「君、野球を何人でやってるんだい?マウンドで孤独だから、個人プレーだと勘違いしていないか。君が試合に出れば、少なくとも八人のチームメイトは、同じグラウンドに立ってるんだよ。彼らの事を無視していて、君が最高のプレイヤーだと、どうして言えるんだ?」
俺様はそこでやっと、かつて柊古に言われた事の意味を、思い出した。
柊古は、ずっとチームメイトと野球をしていたのだ。
だというのに、俺様は柊古に固執し、その他を見ていなかった。二人だけで、野球をしようとしていたのだ。
罪悪感が膨れ上がった。そして、同時にスッキリした。
これから自分がどうすればいいのか、明確になったからだ。
俺様は再びシニアに戻った。
柊古が来る事はなかったが、別のチームで練習していると聞いたから、とりあえず置いておいた。
俺様は再び野球に打ち込んだ。今度は、チーム全体を見ようと心に決めた。
しかし長年付き合ってきた、この腐りきった性根が簡単に直るはずがない。
周りの連中は俺様に怯えている。当然だ。今までの行いを考えれば、普通になる方が難しかろう。
三年の夏。何とか、柊古を欠いたチームで全国まで進んだ。優勝はできなかったが、それでも何とか形にはなった。
そして理解した。俺様は強過ぎる。
柊古以外に、俺様に歯向かうような選手が、少なくともこの周辺にはいないのだ。
これでは今までの二の舞いではないか。
そんな時、千治高校野球部のスカウトから、声がかかった。
「ウチのスポーツ科を受けて、野球をやらないか」
千治と言えば中々歴史ある強豪。
他の連中はほとんど千治には行かないはずだ。
そうか。そこに行けば、俺様はもしかしたら、失ったものを取り戻せるかもしれない。
俺様はそうと決めたら動き出した。
まずは母の事だ。
正直、あれはもう駄目だ。最早人間として腐りきっている。
この間も例の男と部屋で色事に至っていた。
家に帰る時間を遅らせる事で知らん振りをしていたが、今だけはそれではいけない。
家に早々に帰り、部屋の扉をこじ開ける。
最早欲の前では服を脱ぐのも手間らしく、シワだらけのスーツで色々やっていたのが察せられる。
「母さん、俺は父さんの所へ行きます。お世話になりました」
朝のうちに荷物を纏めていたので、父が駐車場に車を停めているのを確認したら、すぐに後部座席に自分ごと荷物を放り込んで家を出て行った。
父は母の有様を見て、
「私がもっと話せていれば、煌雅にも苦労をかけずに済んだのかもな……。すまない」
そう言った。
車のルームミラーからは、母が何か叫んでいるのが見えた。聞こえるはずもないが、耳を塞いだ。
千治に入学してから、野球部でひたすら己と戦い続けた。
柊古に言われた、最高になるため、迅一クンより俺様が優れていると認めさせるため。
俺様はひたすら自分と戦った。
しかし、主将とやらはこの俺様に歯向かってくる。
俺様は柊古に言われた通りの事をしている。
今の俺様を否定する事は、柊古を否定するという事だ。
この人物にそれだけの力があるとは思えない。
俺様は進化した俺様が、チームを甲子園に連れていける事を証明するのだ。
それを邪魔する者の言う事を、聞く必要は無い。
だと言うのに、何だ、この言い様の無い違和感は……。
俺様はチームメイトの力を測った。
誰も彼も俺様や柊古以下だが、それぞれに何やら違いがある事が分かった。
どうやら下等は下等でも、優れている部分は違うらしい。
しかし所詮は下等。
俺様が力を貸さなければ、甲子園に行くことは叶わないだろう。
それが分かっただけでも収穫だ。
やはり、このチームは俺様が引っ張らなければな。
どうだ柊古。
俺様は成長したぞ、と胸を張って言えるようになった。
今の俺様が迅一クンを倒す事ができたなら、今度こそ認めてもらうぞ。
俺様と柊古が、最高のバッテリーであると。
夏の大会、開会式。
俺様は迅一クンと会った。
あれだけの事があったのに、まだ野球を続けているというのか。
柊古とは違う高校に進んだらしい。
やはり見捨てられたか。
当然だ。柊古とて、あんな情けない兄と、未だにバッテリーを組みたいなどと思っているはずがない。
やはり、柊古に相応しいのはこの俺様なのだ。
とにかく煽った。
迅一クンを否定する様な事を言い続けた。
しかし、迅一クンはまるで気にもしていなかった。
それどころか、「コイツまだこんな事やってんの……?」みたいな顔をしていた。
まるでコイツに見透かされているような気分だった。
腹が立って仕方なかった。
こんな凡人が、俺様達の領域まで到れるはずがない。負け姿を見たら、指を指して笑ってやろう。
迅一クンへの否定的な気持ちは、どんどん強くなっていった。
迅一クンのいる平業は、勝ち進んだ。俺様達とぶつかる、準々決勝まで。
まさか霧城相手に完投するとは思わなかった。
奴はあの敗北から恐ろしい速度で成長を重ねている。
でも、貴様だけは認めるわけにはいかないのだ。
試合が始まった。
迅一クンは出ていなかった。
俺様は六回までパーフェクトだった。
七回表。
千治打線に苦戦する平業。
しかし何度でも立ち上がる。
何度でも盛り上がる。
その光景に、何かが引っかかる。
これは、何だ?
(嫉妬してんだろ?お前にはできなかった、柊古が理想とする野球をやってる平業に)
俺様に、できなかった?
奴らにできて、俺様にできない事など……。
(お前は何もできないよ。他人より能力があっただけの、無能だよ)
俺様が無能だと……?
(柊古が言ってただろ?野球はチームプレーなんだよ。結局、お前は周りを見ても自分の力しか信じられなかったんだ。所詮そういう人間にしかなれないんだ。お前はあの母親と同じさ)
(
俺、が、凡人?
ふざけるな……ッ!
何なんだお前は!
(それが分からねぇからお前はいつまでもその程度なんだよ)
止めろ!俺の心を掻き乱すな!
(さっさと認めろよ。試合に勝てたとしても、お前は凡人に負けるんだよ)
「凡人……?凡人如きに、負けるだと?」
(現に、お前の力に平業は折れていない。お前の前に立ち塞がる、まさに強敵だな)
「ふざけるな……!俺様の覇道に、立ち塞がってんじゃねぇ……ッ!!」
(……ほらな。そうなるから、お前は、一生柊古に認められないんだっての)
気付けば、俺様は、打席で吠えていた。
ホームランを打った。
そして、七回裏。
一番と二番を抑えた。
続く三番。なんと女ではないか。
舐められたもんだ。ここに来て、クリーンアップに女を置いているとは。
まともに勝負もできていない。簡単だな。コイツも抑えてしまおう。
その時だった。
平業ベンチから何者かが叫んだ。
その言葉を聞いて、三番の女の目付きが変わる。
何だ、コイツは。
今更開き直ったところで、俺様に勝てる筈もない!
投げたのはストレート。
ゾーンに投げた筈だった。
だが、身体が言う事を聞かなかった。
甘く外してしまったのだ。
この女、それを好機と見るや、右方向へ流した。
盛り上がる平業ベンチ。
その歓声を聞いて、また感情が暴れだした。
(クソっ!何なんだよこれ!)
(良いじゃねぇか。許せねぇんだろ?最強だと思っていた自分が追い抜かれるのが。その才能に胡座をかいて、努力を舐め腐っていたのは自分なのに。自業自得だよバーカ)
(うるせぇ……! うるせぇ……!)
(可哀想になぁ……。迅一をさっさと認めりゃよかったのに。迅一どころか、素直に周りを認められないから)
お前は柊古に認められないんだよ。
「ウガァァァァァッ!!!」
心の中で囁く何者かに、俺様の心は掻き乱されていった。
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