第70話・迅一の知らない過去その壱、新宮の屈辱


 ・新宮煌雅side


 俺様オレには、自制心というものが無い。

 今まで必要無いと思っていた。

 リトルの頃から、誰もが俺様の才能に屈し、誰もが、俺様を褒め称える。

 野球をチームプレーという者達を、俺様一人が屈服させる。そんな事ばかりしていた。

 キャッチャーですら、俺様と組むと、何も意見しない。ただ捕るだけ。

 俺様の野球は、殆どが孤独だった。

 そんな俺様に屈しなかった、むしろ、俺様を屈させたキャッチャーがいた。

 それが、菅原迅一クンの双子の弟、柊古だった。


 その前に。

 俺様がリトルで野球を始めた時、その当時の先輩を全員抑えた。

 強豪リトルの打線が、野球始めたてのピッチャーに手も足も出なかったのだ。

 監督は、ダイヤの原石が入ってきたと喜んだ。

 それ以上に喜んだのが、俺様の母親だった。

「コウちゃんは凄いねぇ。かっこよかったよぉ」

 まだ純粋だった俺様は、喜んでもらえたのが嬉しくて、試合で活躍しては褒めてもらった。

 都大会で優勝した時、これでもっと褒めてもらえると思った。

 でも、そこから、歯車は狂い出した。

 母は、俺様の活躍を盾にリトルで、小学校の保護者会でも、少し強情になった。

 色んなところに高圧的な態度を取り、他の保護者は萎縮していた。

 それを見た当時純粋な俺様は、自分もそうして良いんだと思って周りを従えた。

 自分の心の中の違和感に蓋をした。親を疑うなんて事は、あっちゃいけないと思っていたからだ。


 リトルでの、最後の大会。

 それまでコールド勝ちしていたウチのチームが、まるで点が取れずに最終回まで来ていた。

 能力的には圧倒的に格下。準決勝で対戦したチームの方が上手い。

 間違いなく下手くその集まりなのに、俺様達はことごとく抑えられ、ことごとく打たれた。

 何が原因だ、誰のせいだ。そんな考えが頭を回る。

 そして見つけた。八番にいたから全く気付かなかった。コイツが黒幕だと確信した。

 下手くそに見えるが、それをしっかり下手に見えるようにわざと打っている。球数を稼ぐように。捕手の時もわざと落としたりして、でも絶対に逸らさなかった。

 なるほどコイツめ、さては細かく罠を張っていたな。俺様だけでなく、内野も消耗するように打ち分けやがって。

 その生意気な面、ぶっ壊してやるよ!

 俺様は偶然を装って奴の顔面に放った。

 あれだけの反応ができれば避けるだろう、怖がってくれるだろうと思った。

 しかし、あろう事か、奴は大きく後退した。

 まるでチャンスボールを打つかのようなスイングで、外野まで飛ばした。

 それが、フェンスの向こうに落ちたのを見た瞬間。

 これが、同じ小学生だと?

 俺様は野球を始めて以来、初めて敗北を実感した。


 結局大会は俺様達が優勝した。

 奴のリードも万能ではない。投手が大きく乱れて、ウチの打線が簡単に逆転した。

 その後、中学に入学した。

 ウチの中学は弱小チームだが、シニアに行くので、態々軟式強豪には入らなかった。

 母は相変わらず高圧的だった。それに愛想を尽かされたから父と離婚したというのに、それから目を逸らすように、態度はどんどん大きくなった。

 俺様も、何となく母を避けた。そこから逃げるように、周りを威圧して従えた。

 シニアでも同じだった。俺様は入ってすぐに先輩を圧倒し、すぐにエースナンバーを勝ち取った。

 しかし、そんな俺様より目立つ奴がいた。おかしい。これだけの事をしたのに、それ以上がいるというのか。

 そちらの方を見れば、因縁の敵がそこにいた。

 それがリトル決勝で対戦したチームの八番捕手。

 菅原柊古だった。


 俺様は基本的に、俺様以外は同等だと思っている。

 自分は強い。下等の中でどれだけ序列があろうと自分がトップ。それ以外は等しく下等だ。

 しかし、そんな俺様が唯一敗北を認めたとすれば、それは柊古だけだ。

 俺様は再び奴に挑んだ。

 結果を先に言おう。敗北した。

 俺様が突っかかると、奴は「うわっ、コイツいんのかよ」という顔をした。

 強くなった自分に自信があった俺様は、大きく苛ついた。

 今ならどこに何を投げようと打ち取れると、確信していた。

 その思い上がりを嘲笑うかのように、全球初球ホームランにされた。ストライクだけじゃない。ボール球もだ。変化球によるボール球もだ。

 十回もやれば充分だった。もうコイツには勝てないと、思わされた。

 しかも、投手としてだけじゃない。打者としても負けた。柊古は、俺様を三球三振に打ち取った。

 それまでに積み上げたプライドは、完全に打ち砕かれた。


 しかし、俺様は奴に勝つ事を諦めなかった。

 奴の持つ知識を、力を、バッテリーを組むことで吸収しまくった。

 シニアで全国大会に進んで、優勝した。いつしか、お互い中一にしてシニア最強バッテリーと呼ばれるようになった。

 柊古とは中学も同じだった。休み時間になれば柊古の教室に行き、ひたすら嫌な顔をするアイツから野球の話を聞き出した。

 どこかに行きたがっているのだが、俺様はそれを許さなかった。

 しかし、冬のある日の事だった。

 ちょっと腹の調子が悪く、トイレに寄ってから行こうと思って、少し遅れた。

 教室に行くと、柊古はいなかった。

 どこにいると同じクラスの生徒に聞けば、震えながらも教えてくれた。

 奴は双子の兄が違うクラスにいるらしい。

 俺様は柊古に気付かれないように廊下から覗いた。

 すると、熱心に懇願する柊古と、顔のパーツだけそっくりな奴が嫌そうな顔で喋っていた。

 それが柊古の兄、迅一クンだ。

 髪型も、纏う雰囲気も違うから、双子なのに別人のように見分けがつく。

 聞き耳を立てて、聞こえた情報はこうだった。

 迅一クンにもシニアに来てほしい、兄弟でバッテリーを組もう、このまま軟式でいれば勿体ない、リトルの頃と違って邪魔する奴はいない、今度こそ伸び伸び二人で野球をしよう。

 俺様は、流石にショックを受けた。

 二人で全国まで行ったというのに、柊古にとって最高の相棒パートナーは、あの無名の兄だったのだ。

 そもそも迅一クンはリトルでベンチ入りすらしていないではないか。実力的にも地位的にも、柊古と組むのは俺様こそ相応しいはずだろう。


 その日、俺様は野球部の練習を見に行った。

 クソ寒い冬だと言うのに、元気にメニューをこなし、グラウンドで実践練習をしていた。

 酷いものだった。一回戦敗退の弱小チームは伊達じゃない。スイングも、走塁も、打球処理やカバーも、あまりにもお粗末だった。

 そんな事はどうでも良い。俺様は迅一クンとやらを見に来たのだ。

 遠くのブルペンで投げているのが見えた。

 奴がしていたのは、柊古の兄とは思えぬ、下手くそな投球。球は遅く、制球も悪い。

 だが、奴は笑っていた。楽しそうに野球をしていた。

 何を笑っているのだ。お前の弟は、一切笑わずに、真剣に野球をしていると言うのに。

 お前に柊古は相応しくない。奴と最強のバッテリーになれるのは、この俺様だ。

 そういう思いが強くなった。


 シニアの中では、俺様達はどんどん地位が上がっていった。歳上ですら、俺様達に敬語を使い、ヘコヘコしていた。悪い気分ではなかった。柊古は微妙な顔をしていたが。

 俺様は自分の力を誇示するかのように、柊古のミットに球を投げた。

 柊古は相変わらず反応が渋いものの、良い感触だと返球が丁寧になる。かわいい奴め。

 やはり迅一クンより俺様の方が、そう思っていた。


「何なのよ、アンタらとこのガキは!!」

 しかし、また歯車が狂った。

 母が、菅原家にカチコミした。

 どうやら俺様が柊古より下に扱われるのが気に食わなかったらしい。菅原父を怒鳴りつけ、菅原母に手を上げ、あろう事か柊古自身にもアンタ生意気よとか言ったらしい。

 これで警察に行かれなかったのは、菅原家の温情に感謝する他ない。

 母の暴走を放置していた結果がこれだ。俺様は流石に頭を抱える事になった。

 しかし母は止まらない。菅原家が動かないと見るやいなや、保護者会、更には職員にもある事ない事吹き込んだ。

 いつの間にか、割と地位が上がっていた母の言葉を、完全にではないが周りは信じた。

 菅原家の両親を呼び出した緊急保護者会が開かれたりもした。やったという証拠は無いが、やってないという証拠も無い。面倒だと思ったのか、第三者に判断を委任したらしい。冷静な判断だ。少なくとも何を言っても通じない空気だったから。

 母はその第三者にも接触したようだが、流石に目に余ったのか相手にされなかった。

 そしてその行動が印象を悪くしたのか、菅原家は母の言うような行動をしないと判断され、母は逆転負けした。

 居間で爪を噛み、頭をガリガリと掻く母を見て、俺様は呆れてかける言葉が見つからなかった。


 その出来事が、俺様と柊古の溝を深めてしまった。

 一応チームの方針なのでバッテリー練習はするのだが、終わればすぐに他の練習に取り掛かった。まるで、俺様との練習時間が無駄だと言わんばかりの態度だった。

 二年の夏、俺様達は都大会三回戦で敗北。

 原因は分かりきっている。柊古がわざと俺様が打たれるようにリードしたのだ。

 本来ならもっと早くに負けたかったのかもしれない。

 しかし適当にやっても抑えるだけの力が俺様にはあったもんだから、県大会まで残れたのだ。

 では何故三回戦で負けたのか。

 柊古が、今度は打たなくなったのだ。

 わざと空振りして三振するか、ノックを打つかのようにサード前に転がした。

 得点力を一つ失った結果、ウチは敗北した。

 前年の結果もあって、監督は激怒した。

 柊古のわざとやったプレーを見抜けない程の節穴監督の言葉だから、誰も聞いちゃいなかった。

 大会後の休み、俺様は菅原家に行った。

 母の暴挙を、ちゃんと謝ろう。柊古ともう一度ちゃんと野球がしたい。それだけが願いだった。

 家の前に着くと、庭から音がした。

 久しぶりに聞いたミットの快音だった。誰が鳴らしたのか、考えるまでもない。

 扉の前のインターホンを鳴らす。

 出てきた菅原母は驚いた様な顔をしていたが、俺様が頭を下げると、頭を上げてほしいと切実に言われた。

 庭を見ていいかと尋ねると、どうぞどうぞと通してもらえた。

 なるべく気配を消して覗いて見ると、柊古がミットを構えていた。

 投げているのは、迅一クンだった。

 当時まだ仲が良かった兄弟二人で、投球練習をしていたのだ。

 相変わらず下手くそな投球にしか見えなかったが、柊古は褒めていた。快音が鳴るように捕球して、満足そうに頷いていた。

 何故だ柊古。俺様と組んでいた時は、そんなに楽しそうな顔を見せたことは無いだろう。

 何故、何故。そう思いながら逃げるように菅原家を後にした。


 俺様はシニアの練習をサボるようになった。

 家には監督からの電話が鳴り続けたが、ガチャ切りした。

 何となくトレーニングは続けていたが、野球そのものからは完全に離れていた。

 時が経つにつれ、母は荒んで行った。

 それまでの高圧的な態度は空回りし、誰も相手にしなくなった。

 その結果仕事が手につかなくなり、若い男に手を出した。

 家に帰ったら色事に至っていた。

 俺様は知らないふりをした。

 父に電話をしたら、一緒に暮らさないかと言われた。

 今は独り身で、使う宛もなく貯金ばかりしているらしい。帰れば酒を飲むだけのつまらない日々だと。

 俺様はハッキリと答えを返せなかった。

 父のおかげで始めた野球から離れて、どんな顔をすれば良いのか分からなかったからだ。

 そのまま時が経った。

 俺様がいなくなって肩身が狭くなったメンバーがすり寄ってきた。勝手にしろと放っておいた。

 いつしか取り巻きの方が俺様より酷い威圧をしていた。

 正直、止めるほど興味が無かった。


 柊古は偶に迅一クンと練習しているらしい。

 前ほどシニアに来なくなったと、取り巻きから聞いた。

 迅一クンは、弱小チームの中ではリーダー格になれるレベルには成長していた。

 ストレートの球質は、俺様から見ても中々見所があった。

 でも、まだ認められなかった。

 迅一クンのような凡人より、俺様の方が柊古に相応しいと。

 本人の前で証明したかった。


 俺様はまた柊古に勝負を挑んだ。

 やっと勝てた。

 流石に三振するとは思わなかったのか、度肝を抜かれていた。

俺様オレの勝ちだ柊古!いい加減認めろ!迅一よりも俺様の方が上だって事を!俺様達二人が最強のバッテリーなんだよ!」

 俺様は勝ち誇った。

 そして高圧的に言った。

 認めてほしい。俺様達は全国に行ったんだ。二人で。最強のバッテリーになったんだ!

「あのさ、何考えて物言ってるか知らないけど」

 柊古は真顔でこう言った。

「僕がなりたいのは、のバッテリーなんだよ。別に最強になりたいわけじゃないんだよね」

 ……理解できなかった。受け止められなかった。この男は何を言っているのだ。

「確かに君と組めば日本一になれるさ。それは認める。でも楽しくないんだよね。君の野球には、君と僕しかいないじゃないか。君、他の選手がどんなプレーしているか、一つでも覚えているかい?」

 俺様との野球がつまらない?

 野球とは勝ってこそ楽しいものではないか。

 俺様と柊古がいれば、どんな打者でも手も足も出ない。

 柊古だって、迅一に固執しているではないか。アイツの野球には、アイツと迅一しかいないのではないのか。

 他の連中なんかどうだって良い。俺様は、俺様が認めたお前さえいれば、どうだって良いんだ!

 今の柊古に何を言ったって認めないだろう。そう思った俺様は、取り巻きを呼び出し、迅一クンのところに向かった。

 俺様と組む事こそが、最強で最高のバッテリーになれるって事だと、証明するのだ。

 菅原迅一を倒す事によって。


 この日、これからの新宮煌雅が始まった。

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