第69話・対千治高校、その参


 ・森本京平side


 堂本さんは安定した投球で、何度か狙われたストレートで被安打を許したものの、六回表まで無失点。

 エグく切れた高速シンカーが膝元に決まると、千治打線もそれを捉えることは難しかったようだ。

 尾上さんですら詰まらされていたから、本物だろう。

 新宮は流石に仕返しと言わんばかりにツーベースヒットを打ってみせた。


 問題はここからだ。

 七回表、先頭打者七番。

 堂本さんは、三回続投のロングリリーフ。

 ここまで安定した投球を見せていたのだが、アンダースロー投手の弱点がここに来て目に見え始める。

 それはズバリ、足腰だ。

 低い体勢から放るアンダースローは、オーバースローやサイドスローに比べて足腰に疲労が出やすい。

 別に堂本さんが三回以上投げる事は珍しいわけではない。先発した試合では結構長く投げられている。

 しかしそれはランナーの揺さぶりが少なかったり、下手だったりした試合での話だ。

 千治高校のそれはレベルが高すぎる。いくら堂本さんと言えど、ランナーが出る度に警戒させられる程のプレーを見せられたら、疲労は溜まる。

 フォームが崩れて制球が乱れたり、ゴロの処理やベースカバーが遅れたりする。

 今はまだ誤差の範囲だが、回が進めば更に酷くなるのは目に見えている。

 だが……。

 ここまで調子良く投げて、流れを作っている堂本さんが降りた場合。

 新宮や尾上さんがその隙を見逃してくれるはずがない。

 まず間違いなくひっくり返される。

 まだ迅一を上げられる程、新宮の印象操作が終わっていないのに、ここで代えられるか?

 いや、多分無理だ。

 今の中途半端な状態では、迅一の心は壊れてしまうかもしれない。

 思わず歯ぎしりしてしまう。

 それくらい難しい状況だ。


 とりあえずタイムを取る。

 マウンドで堂本さんにいくつか質問をして、状態を探る。

 ワンアウト、ランナーは一二塁。

 ここから持ち直せるか。それともギブアップか。

 どちらを選んでも責めることは無い。

 これは人のメンタルの問題だ。誰もが力を振り絞って投げられるわけじゃない。無理をして壊れて、次の試合で投げられなくなったら。どうなるかなんて想像に難くない。

 これ以上投手が欠ければ終わりだ。そんな酷な選択は無い。

 ここはハッキリと答えを言ってもらおう。

「……ハハッ。酷い奴だな森本」

「えっ?」

「答えなんて決まってるだろ。投げるよ、俺は。ただ……」

 堂本さんは苦笑しながら言う。

「俺は、結局リリーフなんだよな。リリーフエースと言われていても、所詮リリーフだ」

「あっ……」

「良いんだよ。分かってるさ。菅原や国光さんが成長すれば、平業は勝てるって。俺達全員そう思ってるから、何も言わないのさ」

 俺はまたやってしまった。

 エースにばかり気を取られて、目の前の投手に、こんな凄い先輩にちゃんと向き合えてなかった。

 しかもそれを勘付かせてしまったのだ。捕手としてあるまじき事だと、反省したばかりなのに。

「おいおい、気にするなって。やると決めたんだろ。なら最後まで貫けよ。自分の仕事は分かってる。もう一人のエースに繋げること。そうだろ?」

「……はい」

「だったらやってやろうぜ。このピンチを抑えて、最高の状態で迎えてやろう。俺の最高の後輩を、お前の最高の相棒をな」

「ッ、ありがとございます」

 俺は戻って、マスクを被る。

 気合を入れ直すように、強くミットを叩く。

 そうだ、泉堂さんも堂本さんも。俺達の為に頑張ってくれたんだ。

 迷わず、その協力に応えなければ。ここまで積み重ねてきたものが、全て無駄になってしまう。

 ここからが本番なんだ。今までやってきた事が無駄かどうかを、先輩達に、勝利という形で証明する。

 それだけが、相棒の為に、俺がしてやれる事だ。

 堂本さん、ここを粘って、必ず勝利に繋ぎましょう!


 一番尾上さん。

 この場面で、一番迎えたくない人だ。

 ランナーがいない事の多い一番に立っているこの人だが、ランナーいる時の打率は七割強。

 つまり、本領を発揮するのはここなのだ。

 疲れ切った堂本さんには酷な相手だ。

「彼は出ないのか?」

 尾上さんが急に聞いてきた。

「出るかもしれませんよ。少なくとも、かなり早いうちからアップしてますから」

 ここは冷静に返す。

 どうもこの人は迅一を気に入っているらしい。

 この質問も名指しはしなかったが、迅一の事を言っているのだろう。

 この人は何を期待しているのか。

「そうか。では、堂本君には悪いが……」

 カッキィィィン!!!

「すぐに降りてもらおうか」

 右中間を割る、強い打球。

 二塁に球が届く頃には、尾上さんは余裕で塁上に到達していた。

 馬鹿な、アウトコースへのカーブだぞ?

 それを流した?どんなバットコントロールしてんだ?

 走者一掃。2失点。

 4対0。これは痛い。

 続く二番打者。これはセカンド頭上、微妙な当たりなのだが。

「カバー!!」

 飛び付いた薫のグローブから溢れてしまった。

 すぐにライトの石森さんがカバーして一塁に放るがセーフ。

「ホーム!」

 尾上さんが突っ込んできた。

 マキの強肩が火を吹く。ボールを捕ってすぐにタッチをしようと飛び付くが……。

「セーフ!」

 躱されて先にベースにタッチされてしまった。

 5対0。

 更に点差が開いてしまった。

 まず薫のミスではない。捕るのは難しい打球だった。むしろ勇気出して飛び付いた事については称賛したい程だ。

 石森さんもカバーは凄く良かった。一塁に投げた時も冷静だった。

 マキも良い返球をしてくれた。俺がもっと早く判断していればきっと刺せただろう。

 これが千治高校、本気の四強との戦いか。

 ……嫌でもレベルの高さを実感するぜ。

「森本!」

「堂本さん?」

 堂本さんはすまんと言いたいのか、帽子を取って頭を下げた。

 俺はえっ、と思って頭を上げてくださいと。

 すると薫含め、後ろの皆も頭を下げてきた。

 俺も流されて頭をより深く下げた。

 そもそも俺のミスから始まった事だ。皆が謝ることじゃないのに……。

「よし。これで終わりな!切り替えていこう!」

「「「応ッ!!」」」

 ……。

 そうか。そういう事か。

 堂本さんは、皆の空気を変えるために頭を下げたんだ。

 誰かにのしかかりそうな責任を、霧散させる為に。

「……本当、先輩達には敵わねぇなぁ」

 そう。これくらいの失点、今までだってあったじゃねぇか。

 全員で、これから取り返していけばいい。

 守備のミスは、打撃で返す。

 野球の基本だろうが。

 ……よし、行くぞ。

 打たれたとしても、もう点はやらん。


 三番を打ち取る。

 高速シンカーにはまだ力がある。

 これをしっかり膝元に決めて、カウントを取る。

 幸い、何とストレートに力が入った。

 この場面でこれは大きい。

 勝負球が増えてくれたのだから。

(遠慮なく!)

 これは打ち上げて、ショートフライになった。

 これでツーアウト、ランナーは一塁。

 四番新宮。

 もう打たせない。お前を抑えて、本当の迅一を呼び覚ます。

「……気に入らないね」

 ボソッと。

 本当にボソッと、新宮が呟いた。

「は?」

 初球、ファウル。

 レフトスタンドのポールギリギリで切れて、ファウルになった。

 奴は今、外野まで飛ばしたのだ。この力の乗った高速シンカーを。

「さっきからさっきから。凡俗共が調子に乗って、この俺様に楯突きやがる……!気に入らねぇ!気に入らねぇ!」

 な、何だ?

「お前ら凡人共が!この俺様の覇道に、立ち塞がってんじゃねぇ!!」

 その瞬間、新宮煌雅が変貌した。

 目は血走り、肌や髪は逆立っている。

 その形相はまるで鬼、違う世界の生物と言われても疑うまい。

 打球はバックスクリーンに突き刺さっていた。

 7対0。

 絶望的な点差となった。



 ・菅原迅一side


 新宮が吠えた。

 遂に始まった。

 この新宮に、俺は怯えたのだ。


 中学時代の五打席勝負で、三打席目に一度だけ、奴のストレートを打ち返した事がある。

 ファーストゴロであったその打球に、呆気にとられたような反応をした後。

「……ふざけんなァァァァッ!!」

 奴は変貌した。

 あの時の野生味は、今見た高校での奴程じゃないが、中学時代の俺のトラウマになるには十分な恐怖の対象だった。

 その後の奴は酷いものだった。

 完全無欠の制球はどこへやら、暴れ球も暴れ球。下手すりゃ頭に当たるんじゃないかと思う程荒れた。

 当時マックス135キロの球速を大きく超えて、大台の140キロを平然と投げてみせた。当然、ストレートだけ投げて、変化球なんか投げもしなかった。

 その形相に、当時のチームメイト達は逃げ出したのだ。無理もない。あんなのを目の前にすれば、戦意喪失なんて珍しくもないだろう。むしろあそこで挑んだ当時の自分を褒めたいくらいだ。


 俺達は方向性は違えど、似たような選手だ。

 新宮は負けそうになった時。俺は勝てそうになった時。

 それぞれスイッチが入る。

 今までに無い力が出る。

 それなのに、どうしてここまで違ってしまったのか。

 それを知る事はできない。知りたいとも思わない。

 俺は俺で、新宮は新宮。

 奴には奴なりの軌跡があったのだ。俺にもこれまでの軌跡があったように。

 どんなきっかけで野球に出会ったのか、誰に憧れたのか、どこを目指しているのか、何の為に野球をしているのか、野球とは何なのか。

 それら全て、人によって違う。俺と新宮なら尚更違う。それでは、分かろうとしたところで分からないのだから仕方ない。

 でも……。

 今の俺なら、理解できなくても、納得はできるのだろうか。

 あの時は、圧倒的な格差、実力差があった。

 でも今は、同じ高校野球で、同じ準々決勝という舞台で、少なくとも対等にはなっているはずだ。

 ねじ伏せられた時のように、全く理解できないという事は無いだろう。

 そうだ、新宮をちゃんと見よう。

 アイツがどんな投手で打者なのか。どんな経験値を積んで、どう成長したのか。

 ここは野球の試合。知るべきは奴がどんな人間かではない。知るべきは選手としての奴だ。

 目を瞑るな、耳を塞ぐな。

 一方的に恐れるな。

 戦ってもいないのに、気持ちで負けるな。

 誰かの目じゃなくて、自分の目で。

 新宮煌雅への恐怖を、終わらせるんだ。


 五番が勢いに乗ってヒットを打つも、その後六番を抑えてスリーアウト。

 七回裏、平業の攻撃。

 ここで新宮攻略の糸口を見つけなければ、逆転は難しい。というか、不可能だ。


「荒巻、郷田、森本」

 三原監督が、クリーンアップ三人を呼ぶ。

「新宮は今、荒れに荒れている。恐らく、今まで以上に打ちにくいだろうが……、綻びが生まれるとしたら、今しかない」

 千治も、まさか新宮がここまで豹変するとは思ってなかっただろう。

 尾上さんだって殆ど初見の筈だ。

 新宮は今、己のプライドによって、孤独となった。

「千治が適応できていないこの回がラストチャンスだ。お前達の目に、私は賭けている。自分の持てる力全てで、新宮の尻尾を掴め」

「「「はい!」」」

「俺達も忘れんなよ!この回でお前らの打席を終わらせたりなんかしないからな!」

「あぁ!絶対繋いでやる!」

 希望は消えてない。この三人なら、きっと攻略してくれる。あの化け物を。

「菅原。お前も準備しておけ」

「え?」

「新宮を超えるのは、誰かの力じゃない、お前自身でなければならない。分かるな?」

「自分に、機会をいただけるんですか?」

「お前と新宮の事は、調べさせてもらった。色々と苦悩したようだが……、今、お前が殻を破るなら、ここしかない。……全身全霊、これまでの全てを駆使して、過去の敗北を振り払え!」

「……はい!」


『七回の裏、平業高校の攻撃は、一番、ショート、烏丸君』

 打席に立つは、ウチのリードオフマン、烏丸御門。

「うらァァァァァッ!!!」

 初球。新宮は早速荒々しく腕を振るう。

「ストライク!」

 ゾーンには入った。しかし、尾上さんのミットが、大きくブレた。

 これだ。

 遂に始まった、新宮の暴走。しかも、高校野球に入ってからは一度も無いであろうレベルの。

 ここまで来れば、ウチの打線なら。


 カキーン!


 捉えられない事はない!

「「「抜けろー!!」」」

 三遊間、バウンドした打球の勢いは死んでない。

 しかし、サードのグラブがボールを掴む。

 烏丸さんは諦めない。珍しく一塁へ頭から突っ込む。

「アウト!」

 間に合わなかった。

 もし打球がもう少し失速していたら。

 そんなたらればを想像してしまうが、意味は無い。

 二番藤山さん。

 右投げの新宮相手に、左打席に立って、得意のバスターの構え。

 球速は既に149キロに到達し、すぐにでも大台に乗りそうになっている。

 恐ろしいのは、これだけフルパワーピッチングなのにも関わらず、コーナーに簡単に集まるという事だ。

 荒々しくなったコントロールも、結局元がいいから誤差の範囲でしかない。高校ではあの暴れ球を制御できるようになったらしい。あれでもまだ成長するのか。本当に嫌な話だ。

 藤山さんはそれでも食らい付く。

 粘りに粘って、打球がセカンド上に飛ぶ。

 落ちるかと思ったが、セカンドのジャンプが追い付き、アウトになった。

 これでツーアウト。

 三番、薫に回った。

 薫は迷っているようだった。

 ここまで、本来の力を出せていなかった、固かった部分が多かっただけに、不安に押し潰されそうなのだ。

 俺も同じだ。だから、分かる。

 でも、その壁を超えられるのは本人だけだ。未だに超えられてない俺が言うのも変な話だが。

「ストライク!」

 振らなければ当たらないと取り敢えずバットを出す。

 しかし当たらない。

 ボールが見えていないし、スイングも固い。このままでは後ろに繋がらない。

 でも。

「荒巻さん!」

 ベンチから叫んだのは、星影さん。

「君ならできる!日々努力してきた君なら、絶対に奴に届く!」

 アドバイスでも何でもない、ただの応援。

 でも、薫にとって、それは何にも代え難い、大きな後押しになる。

 ましてやそれが、自分にセカンドを託してくれた人からの言葉なら。


 その言葉が届いたのか、荒巻の背中がクッと張る。

 オーラが変わった。

 視線は一直線。新宮を、いや、奴の持つボールを真っ直ぐ見つめている。

 そして、その変化を、新宮は怖がった。

 言ったところで認めないだろうが、確かに怖がった。

 今までゾーンに入れていたストレートを、外した。

 怖がったのに、プライドが邪魔して、

 それを見逃してくれる荒巻薫ではない。

 外すなら、ちゃんと外さなければ。

 荒巻薫が男に勝つ為に、修練を重ねて手にした技術。

 その餌食になるだけなのだ。

 アウトローの微妙に外れたストレート。

 そこを確かにバットが通った。

 振り抜かれる事なく、素直に右方向に打ち流す。

 まさしく、芸術的流し打ち。

 一二塁間を越え、ライト前にしっかり落ちた。

 遂に、初ヒット。

 遂に、天才のその尻尾に、手が届いた。

 野球に貪欲に、泥臭く努力した、小さな身体のスーパーウーマンによって。

 俺達は希望を確かに掴んだ。

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