第68話・対千治高校、その弐

 郷田が打席に立つ。

 郷田も元は怪物となる投手だった。

 新宮も存在くらいは知っていたのだろうか。

「ストライク、バッターアウト!」

 ……そんなわけないか。

 郷田の球速を遥かに超える147キロ。早速自己最速を叩き出し、ウチの四番をあっさり三振に取った。

 当たれば飛ぶが、そもそも当てられるという概念が無いのだ、あの投手には。

 さて、五番の京平。

 トップクラス同士の対決。もし、京平が互角以上に勝負できたのなら、チームの希望が少しずつ見えてくるのではなかろうか。

 ストレート、146キロ、ストライク。

 やはり速い。自己最速を出した事で、より力が出るようになったらしい。

 今んとこ尾上さんとも一悶着は無い。

 この状態が続けば、ウチに勝機は無いだろう。

 と、ここで新宮の性格を考えてみよう。

 奴は文字通りプライドの塊で、自分が下に見ている人間に否定される事を何より嫌う。

 そもそも上に見ている人間がいないかもしれないが、それは新宮のみぞ知るところだ。

 自意識過剰とは言われるかもしれないが、俺は特に奴に下に見られているだろう。

 中学の時は勝てると思って挑んだが、自信を失う程の敗北を喫した。

 多分その場の勢いもあったろうが、俺は存在価値までも否定された。一度言葉にしてしまった以上、奴の中で俺の評価は存在価値の無い人間で固定されたはずだ。

 バッテリーを組んでいる京平も、俺と似たような見られ方をしているだろう。もちろん、アイツは知名度があったから新宮も聞いた事はあるのかもしれないが。

 つまり、ここで京平が打てば、新宮の神経を逆撫でする事となるに違いない。

 アイツは一度でも苛つけば、自分の力でねじ伏せようとしてくる。キャッチャーの事なんかお構い無し。

 最も簡単に奴を苛つかせる方法。奴の一番自信のある球をバットに当てることだ。

 それすなわち、先程自己ベストを超えた球に他ならない。

 140後半の、真っ直ぐだ。

「ファウルボール!」

 京平は待ってましたと言わんばかりのフルスイングでレフトスタンドまで飛ばした。

 惜しくも切れてしまったが、バックがどよめくくらいには衝撃だったようだ。

 森本京平の打者としての弱点は、決して多くはない。

 そりゃ、工夫された投球や、良すぎる球に振り遅れたり不意を突かれる事はある。

 しかし、凄いとされる特徴のあるだけの球は、まず普通に当てられるし、飛ばせる。

 例えば、落差やキレがあるだけの変化球。それに、とか。

 コースを突いたり、緩急を付けたりする工夫すらもない、凄いだけの球は京平にとっては格好の餌だ。

 新宮は力が出ていた。それが自分でも分かっていたから、適当に投げても空振りするとか思ってたんだろう。コースへの投げ分けが疎かになっていた。

 マウンド上であからさまにイラッとしている。

 忌々しいという目線は京平よりも尾上さんに向いている。折角従ってやってるのだから、適当に投げても打たれないようなリードをしろとでも思っているのだろう。要するに八つ当たりだ。適当に投げていたのは自分なのに。

 これが新宮煌雅の特徴。感情が簡単に出てしまう。本能のままに投げてる奴だからこそのものだ。

 練馬や郷田など比較的鉄仮面な連中をリードしてきた京平にとって、ここまで簡単に感情が出るような投手は大好物だろう。分かりやすすぎて涙が出るんじゃないだろうか。

 新宮のストレートを再び捉えて外野まで飛ばしたが、レフトフライに終わった。もう一歩でスタンドだったが、それでも大きな一打席だった。

 実際は、ほとんどの打者が勝負してもまず力負けするので、これは京平だからこその結果である。

 大きな一歩だ。少なくとも新宮を攻略できる打者がいる。そこに繋げばチャンスはある。

 さっきまで落ち込んでいた空気はまた上を向き始める。

 結局のとこ、俺含め皆、強豪に勝てるかは不安でしょうがないのだが、それでもここまでの試合で自信がついてきたのか、立ち直りが早くなった気がする。

 一瞬一瞬のプレーで、一喜一憂する。それくらいがウチは丁度いいのかもしれない。

「オッケーオッケー!ナイススイング!」

「こっからこっから!」

「頼むぜ石森!」

 ツーアウト、2点ビハインドで、依然こちらはノーヒット。

 でも皆折れていない。大丈夫。格上だとしても、千治に勝てない道理は無いのだ。

 全員で勝つ。新宮の独りよがりなプレーで勝ってるチームになんぞ、今の俺達が負けるかって話だ。

 石森さんは三振に。悔しそうにはしているが、その闘志は消えていない。

 皆、前を向いているんだな。


 三回表。

 打順は九番から。

 この人を抑えられるかどうかは特に重要だ。何しろ、次の尾上さんの前にランナーとして出てしまった場合、更に点差が広がってしまう可能性があるからだ。

 泉堂さんの勢いを取り戻すという意味でも、この人を進めてはいけない。

 基本的にしっかり低めに集める。バットに当てにくく、尚且当たっても飛びにくいアウトロー中心に。

 ただ、泉堂さん特有の変化が大き過ぎる変化球は総じて振ってくれない。

 それもその筈。今日の審判、低めのゾーンが狭いので、あまりに沈む球はほとんどボール判定なのだ。

 わざわざ空振りせずともフォアボールで進塁できるのだから、そりゃ振りはしない。

 じゃあ少しコースを上げれば良いのでは、という話でもない。結局そこは甘いコースだ。そうなれば、いくら凄い変化球でも、外野まで普通に運ばれるだろう。

 結果、低めではストレートや横のスライダーなどでしか勝負できない。一応決め球の横カーブが使えるだけ幸いか。

 この回なら、フォアボールでの進塁が一番厄介だ。偶然でアウトになるような事なく進めるので、相手に落ち着くだけの余裕を与えてしまう。

 同じ進塁でもヒットなら、走らなければならないという緊張感で疲れさせる事はできる。アウトとセーフの間、ギリギリのプレッシャーだ。

 だから、打たれるリスクを覚悟で勝負しなければならない。低めに厳しい審判とも戦いながら。

 勝負が決まる五球目、カウントツーツー。

 打者はストレートを待っていたのだろう。少し早めにバットを振っていた。

 でもボールは来ない。タイミングはほとんど完璧なのに。それもその筈、大きく想定していた軌道から外れて曲がっていったのだから。それも、今までとは逆方向に。

「ここで高速シュートかよ……」

 俺も相手も同じような事を呟いただろう。

 左打者の外に向かって逃げていくスライダー系に対し、内側に切り込んでいくシュート系。

 千治側も、まさかこれほど投げ分けてくるとは思ってもいなかったのだ。驚きの顔を見れば分かる。

「これでこそ、大地だな。変化球お化けめ」

 堂本さんは嬉しそうに笑った。

 ……高速シュートよりエグい高速シンカーを濱さんに投げながら。

 やっぱり少し対抗心あるのかしら。


 さて。

 まだワンアウトだ。

 ランナーを背負わなくて良い分、思いっきり勝負できる。

 打席に立つ尾上さん。

 初球はストレートをカットされ、ニ球目三球目は高速シュートが外れる。

 ツーボール、ワンストライク。

 ここまで見逃し、空振りは無い。やはり三振を取るのは困難らしい。

 四球目、ストレート。

 これは当てられ、打ち上げた。

 否、その前にベース前に叩き付けられていた。

「フェア!」

 京平はコールされる前に気付いていたが、かなり高く打ち上がっていたので、捕った後の送球が間に合わなかった。

 ワンアウト一塁に。

「森本君はこれをどう捉えるんだろうね」

 濱さんがボソッと言った。

 尾上さんはまともなヒッティングではなく、不意打ちの技術を使って塁に出た。

 泉堂さんから普通にヒットを打つのが難しいと判断してのプレーだったのか、それとも偶然だったのか、狙って一塁に留まれるようにしたのか。

 色んなパターンが考えられる。

 怖がってくれているなら、千治から少し流れを取り戻せた事になる。そうでなければ向こうの手は休まるまい。

「少なくとも尾上さんを塁上で好きにさせていたら、大地の集中が掻き乱されて仕方ないだろうな」

「前回森本君に刺されているし、走らないでフェイント増やしてくるかもね」

 状況は依然悪い。

 京平の判断は……。

 二番打者への初球、高速シュート。

 尾上さんは走る素振を見せる。

 守備陣バックが反応する。

「ファースト!」

 しかし京平の一声で郷田が反応する。

 その瞬間に一塁へ送球されていた。

 尾上さんはヘッドスライディングで一塁に戻る。

 やはりフェイントを入れてきた。

 しかし京平も周りが見えている。

 郷田がタッチできる距離だと判断してすぐに一塁へ投げた。

 尾上さんも逆に察知して塁へ戻った。

 捕手同士の、ギリギリの戦い。

「……何か、捕手の間で凄い緊張感あるな」

「尾上さん凄い笑ってますよ」

「一年と三年で戦っているんだよねあの二人……」

 天才にはどんな風に世界が見えているのだろうか。

 少なくとも、俺がこの二人の勝負を理解するにはもう少しかかりそうだ。


 その後は早いものだった。

 尾上さんは三盗まで決めたが、二番のピッチャーゴロでホームでアウト。その後三番がショートフライ。

 点は動くことなく、三回裏。三者三振。

 やはりあのストレートからの変化球を捉える事ができない。一瞬苛ついていたものの、結局そこから乱調することなく、ズバッズバッと打者を切り刻んでいく。

 結局平業はここまでノーヒットだった。


 四回表。

 ここで泉堂さんは交代。

 代打を出さなかったのは、泉堂さんが打者としても可能性があったからだろう。

 そして登板するのは、リリーフエース、堂本さん。

 これまでもしっかり結果を残しているので、この試合でもバッチリ任せられると判断したのだろう。

 さて、四番新宮。

 登板してからいきなりの対戦。

 慎重にカウントを稼ぎたいところだが、まぁ当たると怖い。しかし敬遠しても塁でうるさい。

 となればやはり空振りを誘うしかあるまい。

 審判が平業の低めに厳しいので、コーナーを狙っていくのも難しいだろう。このゾーンならボール球でも平気でヒッティングできるだろうし。

 と、思ったら。

「ストライク!」

 審判が片手を上げていた。

「ストライク!」

 ニ球連続。

 新宮の表情は動かないが、京平は満足気だ。

 何か策がハマったのだろうか。

 三球目。

 流石に食らいついてきた。

 四球目、五球目。全てファウル。

 六球目、ボール。

 七球目、インサイドへの高速シンカー。

 これは微妙なところで、新宮も振ってきたが、郷田が打球を拾ってそのままベースを踏み、アウトになった。

 新宮、ファーストゴロ。

 信じられないものを見た。

 あの新宮が抑えられた。

 完全無欠のあの化け物が。

 混乱が隠せない。

 打者としてのアイツは本当に穴が無い。どこに投げても軽々と長打にしてしまう。そんな奴がファーストゴロ。

 京平はどんなからくりを使ったんだ?

 新宮を見ると、驚きの顔を一瞬見せた後、鬼のような形相になっていた。

 どうやら打ち取られたことがよっぽど気に食わないらしい。

 しかし、その表情を見た時、俺の中で何かが変わった。

 その何かに気付くのはもう少し後の話だ。



 ・森本京平side


 新宮を打ち取った。

 これでワンアウト。

 泉堂さんも堂本さんも、やはりリードしていて楽しい投手だ。

 二人共別のベクトルで変幻自在過ぎる。どんなリードをするか迷っちゃうなんて事もザラだ。

 全く、球種が多過ぎるのも考えものだよな。

 そしてここで確信した。新宮煌雅は確かに天才だが、完全無欠というわけではない。

 迅一が必要以上に奴を恐れているのは、おそらく新宮と戦った時の荒んだ心理状態に引っ張られている部分が大きいのだろう。

 牧谷さんとの戦いで多少改善したみたいだが、それでもまだ新宮を前にすれば、顔が恐怖を見せる。

 圧倒的才能に対するトラウマ。それを払拭するのは本人であって俺じゃない。

 でも手助けはできる。新宮が神でもなけりゃ化け物でもない、その前にただの野球選手でしかないと、認識を改めさせる事はできる。

 結局のとこ、新宮という圧倒的存在が迅一の心をへし折ってきたのだ。迅一自身も変な思い込みで自分の心に勝手に蓋をしてしまうから、尚更立ち直れなかった。

 でも俺達が新宮に勝てれば、迅一の中で奴の存在は改まる。最初はショックを受け止められないだろうが、迅一にとっては良い現実だから、すぐに受け止めてしまうだろう。

 この試合で菅原迅一が、新宮煌雅に勝利する。相棒が、本来の自信を取り戻す為の大きなピース。

 三原監督が言っていた、精神的な壁とは、まさに新宮の事を指しているのだろう。

 この試合をきっかけに、迅一に勝利のイメージを掴ませる。

 皆で新宮を打ち取る。

 俺が、新宮から打つ。

 一人の選手に集中して戦うのは非常に危険だ。他の選手に目がいかずに隙を突かれるかもしれない。

 先輩達には悪いと思うけど、でもここはしばらく付き合ってもらいますよ。このリスキーな挑戦に。

 今代のエースと肩を並べる、もう一人のエースを完成させる為にね。

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