第67話・対千治高校、その壱
「はじめまして、尾上京の兄、尾上信広です」
「は、はい。はじめまして……。尾上さんにはいつもお世話になっております……」
そう。千治高校主将にして、正捕手の尾上信広は、我らがバスケガール、尾上京の兄その人だ。
それについては、四回戦突破おめでとうのメッセージと共に彼女から事前に言われていた。
兄が出ている事もあって、今回はどちらも応援するという事で、申し訳ないとも。
しかしまさか今から試合始まりますよー。礼してください。ってとこで言ってくるとは思わなかった。
しっかし何だこの人。圧が凄い。
あれだな。富樫さんが落ち武者だとすると、尾上さんは将軍だな。
「……尾上さぁん?京も尾上さんなんだぞ?」
「え?」
「貴様に尾上さんと呼ばれる筋合いは無い!お義兄さんと呼べ!!」
「ハッ、ハイィッ!!」
凄い剣幕で言われた。
お義兄さんと呼ぶな、じゃねぇのかよおかしいだろ。
「君達、終わったかね?」
審判の人に注意された。ていうか、律儀に待っててくれたんかい。
当の尾上さんは満足気にベンチに戻って行った。何なんだ……?
先攻、千治高校。
後攻、平業高校。
各校先発は新宮と泉堂さん。
千治高校のオーダーは一番に尾上さんと、四番に新宮。二番と三番にアベレージヒッターを置いた、超攻撃型オーダー。
対する平業高校はクリーンナップ全員一年生。三番は今大会初出場、テクニシャンの荒巻薫。下位打線にクリーンナップ経験のある石森さんと鷹山さんを置き、八番には富樫さんからホームランを打っている山岸さん。こちらも意外と攻撃的だ。
しかし、薫に関しては意外だったように思う。石森さんには三番打者としての実績もあるし、わざわざ打順を下げる事は無かったと思う。ぶっちゃけ薫を下位に置いて守備に集中させるのが定石だと思ったが。
それに関して、三原監督はこう答えた。
「石森は対新宮においては打順を後にして色々と見せた状態で立たせたい。荒巻の観察眼を上位に置けば、それだけで後半が変わるからな」
だそうだ。
薫は男子との身体能力を技術と観察力で補っていると言っていた。
新宮との勝負ではそれが役に立つらしいが……。
とはいえ、こちらは後攻。点が簡単に取れない以上は失点を最大限に減らすしかない。
さぁ頼むぜ、京平、皆……!
・森本京平side
「……」
無言。
俺は守備に着く前にベンチで泉堂さんと話そうとした。
寺商でのホームランが効いているかもしれないと思ったからだ。
ここぞという場面での一打で、トラウマになってしまう投手は少なくない。
心配無いとは思うが、念の為だ。
しかし、泉堂さんは何も言わない。
言えないのかもしれない。
「……森本。俺は、大ちゃんに打たれた事を引きずっている。心の中でな」
開口一番。正直に言ってくれた。
やはり、試合後の練習でそういった実感があったのかもしれない。
「でも、何か大丈夫なんだ。俺は投げて大丈夫なんだって、これからもっと投げられるって、監督が言ってくれた。あんな結果にしてしまった俺に、先発を託してくれた」
その後、監督がちゃんと励ましたのだと。
あの人、選手の事ちゃんと見てるからな。
「俺、頑張るよ。大ちゃんに託されたここからの試合。全力で投げる。あの敗北から、さらに上に、飛んでみせる」
「……それだけ言えれば、心配ありませんね。千治を抑えて、また牧谷大樹を超えるエースになってやりましょう!」
「あぁ!」
俺達はグローブとミットでタッチし、それぞれの守備位置に向った。
「さぁー準々決勝!四強の首二つ目!全力で挑んで勝ち取りましょう!」
俺は両手を上げて叫ぶ。
「締まって行くぞォォォォ!!!」
「「「オォォォォォッ!!!」」」
一回表。
『一番、キャッチャー、尾上君』
「よろしくお願いします、尾上さん」
「楽しみにしているぞ。世代ナンバーワン捕手」
「同世代がまだ一年ですから。これから追い抜かれるかもしれないですね」
「言ってろ……」
打席に立つはキャッチャーにしてリードオフマンの尾上さん。
我が教室のバスケガールの兄らしい。
右投右打で、どうやら烏丸さんと似たタイプらしい。
強打俊足の一番打者。甘い球を投げれば軽くスタンド、クサイとこでも平気で振ってきて塁に出る、と。
勝率が高いのはランナー無しでのアウトコースへのストレートだったか。
初球はそこは避けた方が無難だろう。
泉堂さん、気持ちが乗ってるみたいだし、今の状態なら変化球でしっかりカウントを取れるはず。
よし。アウトコースへのスライダー。
滅多に試合で投げてないし、データもそう無いだろう。
それに、泉堂さんはストレート投げさせるよりも。
「ストライク!」
変化球の制球の方が良いもんね。
尾上さんの面食らった顔が面白かった。
「良い球投げるよな。寺商の時から思っていたが、あんなのが隠れていたとは」
「へっへっへ。ウチの自慢の軟投派ですからね」
「なるほど。これは手強そうだな」
四強の内の一校の主将だ。プライドもあるだろう。
それでも良い投手を認める事ができるようだ。
この人のは本物の強さだな。
……試合中においては嫌な事実だぜ。
初球見逃しストライクは大きい。
ちゃんとコースを突けると分かって、遠慮なくリードできるようになった。
アウトコースに入ってくるスライダー、と来れば、次はインコースに入ってくるシュートだ。変化球投げる投手は、ボールゾーンまで使わないとな。
二球目。
「ストライク!」
これも見逃し。
しっかり腕が振れてるし、力が乗ってる。
良い球だ。
「ナイスボール!」
三球目。
ここまでゾーンにしっかり入れてきた。
勢いもある。これなら、無駄に遊び球を使う必要も無い。
ここで勝負。インローストレート。
泉堂さんが投げた。
尾上さんはバットを振った。
これは詰まってセカンドへ点々と転がる。
「セカンド!」
荒巻が前に出てしっかり捕球し、ファーストへ。
しかし。
「セーフ!」
「んなっ!?」
尾上さんは既に一塁へ到達していた。
荒巻の守備動作は完璧だったはず。
その間に到達したってのか。
これは……内野ゴロ一つでもレベルが違いそうだな。
荒巻、引きずらないと良いけど。
とはいえ、ここは冷静な泉堂さん。
落ち着いた投球で二番を三振に取った。
流石だ。
とはいえ、尾上さんは一塁で大人しくしているつもりは無いらしく、フェイントやらを仕掛けてくる。塁に出すと嫌な選手だ。
荒巻も内野安打が聞いたのか、一塁を警戒しすぎてしまっている。
タイムを取って声かけとくか?
いや、視野が広いのだからそれも良かろう。
ここで泉堂さんのリズムを断ち切るのも良くない。
三番との勝負に集中だ。
ゲッツー狙いで、引っ掛ける感じを狙っていこう。
サインはアウトローへのストレート。
アベレージヒッター相手なので、厳しいコースでも流される可能性が高い。
甘いコースなら尚更だ。
ここは慎重に。
初球、泉堂さんが放る。
「スチール!」
尾上さんが走った。
捕球してストライク、二塁へ投げる。
「アウト!」
「よし!」
「ナイス森本!」
「泉堂も良いストレートだ!」
守備陣からの声掛け。
今日は全体的に士気が上がっている。
良い事だ。
これなら、ランナーがいない状態で次の新宮と戦えるかもしれない。
その為には、この三番を倒す。
ランナーいなくなって、気楽に勝負できるようになった。遠慮はいらないな。遅い変化球も使っていこう。
二球目、チェンジアップ。
ここで引っ掛けてショートゴロでスリーアウト。
初回無失点。良い感じだな。
・千治高校、尾上信広side
「センパァイ。困りますねぇ。何ですかあの盗塁は」
ベンチに帰るや否や、新宮に文句を言われた。
今回ばかりは仕方ないと聞いているが、正直驚いた。
一年捕手に俺を刺せる肩の奴がいるとはな。
いやー、良いね、平業。流石俺の推し高校だ。
妹が通っている学校だという事を差し引いても、野球部には良いメンバーが揃っている。
何より、我が妹がお熱な菅原迅一と、その女房役の森本京平。
寺商、否、それより以前の試合から、彼らがお互い刺激しあうバッテリーとして理想である事は知っていた。
ウチの
でもゴメンねマイエンジェル京。今回ばかりはお兄ちゃん、張り切ってやっつけちゃうぞ。最後の大会だからな。遠慮はしないぞ。
「……センパァイ。表情が気持ち悪いですよ」
新宮が珍しくマジの苦言を呈して来た。ありゃ。
・同じく千治高校、新宮煌雅side
日頃喧嘩をふっかける迅一クンに、今日は何も言う気が起きなかった。
嫌味の一つでも言ってやろうとはした。しかし、迅一クンを見てから、そんな気は失せた。
迅一クンは俺がいると分かった時、決まって嫌そうな顔をする。
しかし今回ばかりは、覚悟を決めたような顔をしていた。
その顔を見て、俺は何をしていたのだろうと思い始めた。
そもそも、俺は何故迅一クン如きを敵視しているのだろうか。
あんな凡人、俺の足元にも及ばないゴミだと言うのに。
・菅原迅一side
一回裏、三者凡退。
二回表。
「四番、新宮か」
一年生にしてエースで四番。
四強ともなれば、強力な投打の選手が集まっているはずだ。
そこから自力で四番を掴み取ったというのなら、やはり新宮の能力は凄まじいと言わざるを得ない。
打席に立つ背番号1。
平業は三塁側ベンチなので、新宮の背中がよく見える。反対に千治もこちらの左打者の背中が見えることだろう。
京平は軟式だったし、新宮との対戦歴はまぁ無いはずだ。天才のリードと神童の打撃、どちらが上回るか……。
その答えはすぐに分かった。
新宮が初球を捉えて、右中間を綺麗に割るツーベースヒットを打ったからだ。それも、左投手である泉堂さんのアウトコースへのスライダーを。
京平の反応を見るに、多分かなり良いコースだったんだろう。並の打者ならそもそも振ることもできないかもしれない。
でも、並の打者じゃないんだよ。相手は、新宮煌雅なんだよ。
普通打てないだろってコースを平然と長打にできるのが奴の打撃能力だ。
簡単に勝てるなんて思っちゃいないが、あんなにも簡単に運ばれると絶望感は大きくなる。
その上、新宮は投球も化け物だ。シンプルな力でねじ伏せてくる。それが後半衰えるどころか、どんどんギアが上がっていく。
こうやってベンチで試合を客観視しているだけで絶望は積もっていく。実際に対戦すればその胸中は想像するだけでも恐ろしい。
今までも勝てないだろって人達は何人もいた。その場の踏ん張りで何とか勝利を掴んできたのが平業だ。
しかし、今回ばかりは勝てるビジョンが無い。とにかく理不尽なのだ。強い奴が弱い奴に勝つ、そんな言葉がそのまま通るような奴だ。理不尽なまでにシンプルな、強い力。そこに小手先の技術など存在しない。新宮煌雅の、天性の力と少しの努力によってのみで構成された能力なのだ。
そんなものを超えるのは難しい。
自然を前に、人は無力だ。この試合はまさに、自然対人間。あまりにも理不尽な勝負だ。
「新宮の奴、あっという間にホームに帰って来やがった……」
五番が打って、簡単に1失点。
先輩達は凄く驚いているけど、俺の中ではやっぱり新宮は変わらないという安心感すらあった。
高校野球になって、アイツにも苦労とか葛藤とかあったのかと少しは思ったが、あるはず無いよな。
うん、安心した。アイツは今でも、俺が恐怖した新宮だ。
それを倒さなきゃ甲子園には行けない。
目的も、敵の力も、実にシンプルだ。
今までみたいに自分から迷うことなんかないんだ。
「よし……」
俺はちょっと早いかなと思いつつ、ブルペンへ向かった。
監督が止めないということは、そういう事なんだろう。
ブルペンでは、濱さんと堂本さんがキャッチボールをしていた。
「あれ、菅原君、もう準備に来たの?」
濱さんは俺が出てきた事に少し驚いていた。
「まぁ、早いだろうなとは思いましたけど。でも、尾上さんと新宮の調子を見るに、もしもの準備はしとこうかなと」
「俺もあの人らを抑える自信は正直ねぇな」
堂本さんはアンダースロー投手。
球速は俺より少し遅いかなくらいだが、その制球力は段違いに良い。変化球のキレもあるし、投球リズムも良いから、準備していてくれた時は本当に助かるとは京平談。
正直、能力的にも経験値的にも俺より使いやすいだろう。これまでの試合でも、マウンドに立てばきっちりゲームを締めてくれた。
そんな人ですら自信を失うチームなのだから、四強ってのは恐ろしいもんだ。
「そういや、菅原って新宮と何か因縁でもあるのか?」
「え、そう見えますか?」
「アイツの名前が出ると、何か、親の仇みたいな顔するからな」
「親生きてますけどね。まぁ確かに、因縁というか腐れ縁というか。元々俺とのじゃないんですけどね」
「ん?それはどういう……」
カッキィィィン!!
堂本さんの声をかき消す金属音。
湧き上がる千治スタンド。
六番打者の打球はレフトフライにはなったが、フェンス手前まで飛ばされて、ランナー三塁へ到達。
ワンアウト、三塁。
依然ピンチは続く。
「スクイズありますね」
「初回でか?」
「新宮の暴走を考えると、一点じゃ安心できないと思いますよ。いくら千治と言えど、予防線は張っておきたいはずです」
「まぁ、あれを見れば不安にもなるわな……」
「特に泉堂さんは寺商戦であのホームランまでは好投してますから、寺商も積極的に警戒してたでしょうね。となれば、序盤で捕まえた以上は……」
七番打者は予想通りスクイズ。
しかもプッシュバントで、その飛距離はほぼヒッティングだ。
サード前まで転がして、しかもランナーは既にホーム直前まで走っている。
京平はすぐに一塁への送球を促し、ツーアウト走者無しとなった。
千治はこれで2得点。
「嫌な感じだな。誰のミスってわけでもないから、それがかえって微妙な空気を作っちまってる」
「あれだけ士気が上がってたのに、一瞬のプレーでこんなに変わっちゃうんだね……」
「新宮の一打をきっかけに、試合の流れは千治に偏ってますね。これをひっくり返すには本当に奇跡でも起きなきゃ、かもですね」
グラウンドの空気がブルペンにも伝わってくる。
ドンマイドンマイと声をかけ合うも、それで持ち直す事はない。明確に誰が悪いわけでもないので、それを精算して、割り切ることができないのだ。
京平もスクイズが来ると分かって前進守備をさせたし、郷田と山岸さんもバントが来た瞬間走り出していた。泉堂さんも全体を見てカバーしようとしてた。
打撃だろうと走塁だろうと、やはりレベルは向こうが上手だ。
しかしそれを引きずっている場合ではない。泉堂さんはしっかり切り替えて、次の八番を抑えスリーアウトチェンジ。
二回表、2対0で千治高校が先制点を得る。
二回裏、四番、郷田から。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます