第65話・正セカンドとして
翌日、グラウンドで全体ノック。
主に前回の相田さんがやったような微妙な当たりへの対処だ。
平凡なフライでも、変な位置に落とされると結局相手をセーフにしてしまう。
結局無限にあるパターンを想定するのは難しいので、出てきたらその都度対処して、他のプレーで補い、次の練習で克服するしかないのだ。
個々の守備範囲には限界があり、それを補う為のポジショニング。
合宿で散々やったのだから、先輩達はすぐに適応できた。
これなら千治との試合でも問題無さそうだ。
これまで以上の気合で先輩達は臨んでくれている。
一年に頼りきりとは言っていたが、一年だって先輩達がいるから思いっきりいけるのだ。そこらへんはお互い様なのだが……。
ところで。
ちょっと気になるのがセカンドの二人だ。
星影さんと荒巻……薫ですねすいません。そんなに睨まないで。
さっきから星影さんはノックに入る回数が少ない。薫の守備を見てはアドバイスをしている。薫自身もそのアドバイスを素直に聞いて、指摘された部分をすぐに修正している。
薫の動きは日に日に良くなっている。
同年代のセカンドでも間違いなく守備技術はトップクラスだと言える。
フィジカルに不安があるとは本人談だが、最近は星影さんの筋トレ指導で体幹も強くなっている。
これからだろうな……と言いたいところだが、ここは素直に認めてしまおう。
今の薫は、星影さんより上だ。
入部試験の時から明らかにその技術は示していた。
体力面では少し低めだったが、それは男子平均のまま比較したからで、一年としては充分過ぎるほどあったように思う。合宿を乗り越え体力もついただろう。
打撃にしたってそうだ。
バントやらカットやらはもちろん上手い。芯で捉える事もできるから、非力でも外野の後ろまでは普通に飛ばせる。
星影さんもそれくらい普通にできる。けど比較対象が悪すぎる。考えようによっては一年と同レベルでしかないという事なのだから。
得点力、防御力、さらに将来性を考えれば、薫を使う方が良いだろう。
しかし、薫には経験値が無い。
大会中はどんなプレーが来るかは分からない。しかしそうは言ったところで対処できなけりゃ負けるのだ。
星影さんは場数を踏んでいるから、そう言った部分での勘というものは凄まじい。
実力、将来性共に本物だが、経験が少ない薫か。
あるいは実力は同等だが経験は間違いない星影さんか。
個人的な感想を言う。正直、今から薫を使うメリットより、デメリットの方が大きい気がする。
星影さんは三年の中心人物の一人だ。嶋さんの怪我で不和が起きた時も、それをいい感じに取り持ったのもあの人だ。
試合数を重ねて、チームの連携、士気も上がっている。
毎試合フル出場して、チームを支えてきた星影さん。
そこにここまでベンチにいた薫を混ぜても浮いてしまうだろう。
薫本人の気持ち的にも、遠慮してしまうはずだ。
何より、女子選手としての看板を背負う事になる。
俺達の誰も、薫は肩を並べるチームメイトだと思っている。
でも、外部から見たらそうじゃないかもしれない。
女の癖にと後ろ指を指されるかもしれないし、女子選手に頼る平業高校とチーム全体に言われるかもしれない。
ルールで正式に認められていても、それを人の心が納得するかどうかはまた別の問題だ。
準々決勝以降で薫が急に出たら、心理的な負担は伺い知れない。その原因が、自分からか他人からかは分からないが。
でも、薫が出る姿を見たいのも本心だ。
遅くまで残って、自主練して。道具の手入れ、備品の整備もきちんとやって。
最初に俺と青山が気付いて、次は京平、田浦、郷田、島野と。
気付いたら一年全員整備に残るようになった。
俺らが気付く前からずっとやってたんだ。
誰に言うでもなく、一人で黙々と。
一目で分かる。コイツがどんだけ野球が好きかって。
その姿勢が報われてほしいとも思う。
星影さんも、薫も。
どちらも大切なチームメイトなんだ。
だから、選べと言われたら選ぶ事はできない。
最後に選べるのは、選手じゃなくて、監督だ。
どちらも、チームの為に沢山の事をやってくれたんだ。
どっちを選んでも、悪いようにはなるまい。
運命の、スタメン発表の時間だ。
わざわざ全体ノックの後に発表するのだ。
監督も迷っていたところはあるはずだ。
セカンドだけじゃない。俺達投手や、京平達捕手だって。
スタメンが確約されているポジションは無い。
「では、明日の準々決勝、対千治高校に向けたスタメンを発表する」
皆息を呑んだ。
ここまでの試合、色んな経験をした。
ここから勝っていけば、四強全てと戦う事になる。
今まで以上に熾烈な戦いになるのは間違いない。
それを戦い抜く為に、監督は誰を選んだのか……。
一番、ショート、烏丸
二番、センター、藤山
三番、セカンド、荒巻
四番、ファースト、郷田
五番、キャッチャー、森本
六番、ライト、石森
七番、レフト、鷹山
八番、サード、山岸
九番、ピッチャー、泉堂
「「「……」」」
誰も、何故とは言わなかった。
星影さんを見ていれば分かる。
きっと最初からここで、いや、もっと早いうちに、セカンドを明け渡すつもりだったんだ。何なら奪ってほしいとすら思っていたはずだ。
でも薫は遠慮した。星影さんが出るべきだって、もっとプレーを見て学びたいって思ってるから。奪う事なんかできない。
星影さんはそれが分かっていたから、きっと自分から、次の試合を薫に任せたいと言ったのだろう。
監督の表情も複雑そうだ。ずっとセカンドを支えてきてくれた主力だ。それを外すのは決して楽な決断ではなかったはず。
皆の顔は決して明るいものじゃない。
当の薫だってそうだ。きっと事前に聞いていたのだろう。決してびっくらこいたって感じではない。でも、その表情は暗いのだ。
でも、星影さん自身は、とても晴れやかな表情だった。
薫に託せた。
それで肩の荷が降りたのだろう。
そんな顔を見てしまえば、外野が何か言うだけ野暮ってもんだ。
こうして対千治高校の、スタメンが決定した。
・荒巻薫side
アタシは昔、私だった。
苦しくて追い込まれて、そんな現状を乗り越える強い自分を、アタシという自分を作った。
でも、今回の事を察した時、アタシは薄れ、気の弱い素の私に少し戻っていた。
「荒巻さん。烏丸も島野君も。聞いてほしい事があるんだ」
皆が打撃練習をしている間、アタシ達三人は星影先輩に呼び出された。
グラウンドの外で、四人で座って。
星影先輩は、目を閉じて、覚悟を決めたかのように息を吐き、やがてゆっくりと目を開いて、話し始めた。
「俺は、準々決勝以降、セカンドを守れない」
何を言っているのか、一瞬理解できなかった。
でも、島野君の視線の先を見てすぐに気付いた。
(……脚が)
星影先輩は、足を庇っている。
変な座り方だと思った。
左脚は胡座をかくように、右脚は伸ばしっぱなし。
違うんだ。右脚が曲がらないんだ。
「その反応を見る限り、島野君は気付いていたかな?」
「……烏丸先輩にも言ったッスけど、確信は無かったッス。でも、ここまで酷いなんて、思ってなかったッス」
「酷くなったんだ。寺商のゲッツーの時にね。思いっきり踏ん張っちゃったから」
元々小さな爆弾だったらしい、が。たった一回のプレーでこれほどまでに選手の身体を破壊するなんて。
最近の星影先輩はおかしかった。明らかにアタシにノックを譲ってる場面が多かった。
寺商との試合で壊れたと言っていたけど、本当は違うだろう。もっと、ずっと前から壊れていたんだ。しかも、それを分かっていて、鞭打って守っていたんだ。
「だから、言うまでもない。これからの試合は、荒巻さんにセカンドとして出てもらうことになると思う」
結果そうなる。
星影先輩の言葉を信じれば、アタシ以上のセカンドはいないらしい。
そんなわけないと私は言いたい。
でも、星影先輩の顔は真剣そのもの。
言い返す力は、私には無かった。
「きっと不安だと思う。慣れないチームメイトもいるだろうし、相手が四強だから、皆も強張って、馴染めずに浮いてしまうかもしれない。きっと周りからも色々と言われるかもしれない」
その通りだ。
きっと私は浮くだろう。
ただでさえ一年で、しかも女子だ。
女であることで苦しめられた数は計り知れない。
このチームの人達ならきっと大丈夫だ。
でも、外野はきっと許してくれない。後ろ指を指され、鼻で笑われるだろう。
それに……、ベンチでずっと見てきたのだ。
森本君を、マッキーを。
何度追い込まれても復活する迅ちゃんを。
そんな凄い人達の為に、今度は私が力を出さなければならない。
そんな凄い同期に、私は並べるのか?
不安ばかりが積もる。
私にはそんな力は無いんじゃないかと疑ってしまう。
でも……。
(いつまでも、そうは言っていられない)
星影先輩が言ってくれたじゃないか。
烏丸先輩が言ってくれたじゃないか。
島野君が言ってくれたじゃないか。
迅ちゃんが言ってくれたじゃないか。
「「「お前は凄い、お前ならできる!」」」
私を信じてくれた人を目の前にして、私自身がビビっててどうするんだ!
「私……アタシ、やります!」
「うん、ありがとう。俺も、まだまだ力になれることはあるから。正セカンドとしての全てを君に託すよ!」
「お願いします!」
今はまだ不安だ。
だから、もう少し虚勢を張れるアタシでいよう。
でも……。
(いつか、素の私でも、自信持ってプレー出来る日が来ると良いな)
千治高校に勝つ。
星影先輩に託された夢を。
私は全うする。
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