第63話・対寺商高校、終

 ・練馬隼side


(……ば、馬鹿な)

 ワンアウト、ランナー、ニ三塁。

 こんな状況になると、予想できただろうか。

 京平にも、郷田にも。

 勝てると確信していたのに。

 打たれて、この男に回ってしまった。

(菅原、迅、一ィ……!)

 前の二人には負けても割り切れる。

 だが、コイツだけは。

(コイツに負けることだけは、許されないんだよ!!)

「ストライク!」

 初球ストレート、空振り。

 感情が昂ぶる。

 その昂りがボールの威力となる。

 普段なら自他共に認める鉄仮面の僕だが、今この時ばかりは怒りを抑えている余裕はない。

(負けてたまるか!負けてたまるか!!)

 でも。

 この思考に持ち込まれた時点で、僕の負けは決定しているのだと。

(あ……ッ)

 菅原のフルスイングと共に鳴り響いた金属音が、僕に宣告した。

(お前の出る幕は、この試合にはもうねぇよ)

 菅原の背中が、まるでそう言っているかのように見えた。



 ・菅原迅一side


「おいおい、美味しいとこ持っていきやがって迅一この野郎!」

「ホンマ凄いわ!何やねんあのスイング!味方ながら、ゾッとしたで!」

 ホームベースを踏んだ俺をど突く二人。

「痛い痛い、止めろ……って京平、お前のはマジのやつだろ!本当に痛え!」

「うるせぇこの!心配かけやがって!」

「お互い様だろ……」

「おうお前ら。まだ楽観的にはなれへんで。先延ばしにしてた問題が戻ってきただけや」

「おっと、そうだった……」

 俺達三人、牧谷さんと相田さんを見る。

 そう。

 寺商を完璧に倒す為には、練馬だけではなく、牧谷大樹と相田方助から勝利をもぎ取らねばならないのだ。

 頼もしい先輩達に任せるのではなく、俺達自身の力で。

 このホームランは、その第一歩だ。


 七回表。

 先頭打者は一番から。

 インコースに放ったストレートを捉えられ、初球ツーベースヒット。

 続く二番はストレート続けて、見逃しの三振。

 そして三番は送りバントの構え……。

(ッ、違う!?)

 低めの球を狙っていたのか、バントの構えを解き、

(バスター、か!)

 綺麗に左中間に飛ばされた。

 その間に一番が帰って来て、2対3。

 一点をあっさり取り返された。

(狙われてる……?)

 この人の前にランナー置いときたくなかったんだけど……。

 四番、牧谷大樹。

(こんだけインコースに調子良く投げられんのに、何で飛ばされたんだろうか)

 そんなことを考えながら状況分析。

 随分ベース寄りだな。

 インコース捨てましたってか。

 下手すりゃインコースの多少のボール球でも当たっちゃうんじゃね?投げにくいなぁ。

 一応マウンドに立ってからの初対戦だよな。

(様子見するか?)

(いらん)

 アイコンタクトでの会話。

 ではなく、サインでの会話だ。

 といっても京平の一方的な問に、イエスかノーで答えるだけだが。

 様子見いらんと言ったのは、単純に様子見の球を捉えられる可能性があるからだ。

 だったら変なことするより、いきなり真っ向勝負した方が良い。

 それを踏まえて、京平が構えたのは……。

(ボール?)

 とりあえず投げてみる。

 次、その次も。そして。

「ボールフォア!」

「ちょっと待てぃ」

 京平にこっち来いと合図する。

 タイムを取って、マウンドに来る。

「どういうつもりだ。真っ向勝負じゃねぇのかよ」

「まぁ待て。この回じゃ牧谷さん抑えられないと思ってのリードなんだよこれ」

「ん?どういう事だ?」

「あくまでも流れは向こうにある。練馬に勝った事で少しは取り戻せたかと思ったがそうじゃなかった。確信したよ。このチーム、中心は完全に牧谷さんなんだ。あの人がいればこの回で簡単に逆転できるし、その後逆転されることもないと思ってんだよ、寺商は」

「じゃあ、ここであの人倒してもまぐれとかで片付けられるかもしれねぇな……」

「そういう事だ。負ける可能性を微塵も考えてない奴らには何したって無駄だ。負けるかもしれないって思わせた後じゃねぇと、流れを引き戻せない。そう思わせる要素ってのが……」

「牧谷さん以外を封じ込めた後の、更なる牧谷さんの敗北か」

「そういう事。今下位打線は完全に封じれている。残り一周で上位まで抑えれば、流れはこっちのもんだ」

「……分かったよ」

 とりあえず納得して、五番打者、相田さんに警戒する、が。

 キィン!

((ビ、ビッミョーー!!))

 二遊間とセンターのちょうど中間に落ちる当たりになってしまった。

 衝突を怖がってしまったか、誰も捕れずに落として、結局三番がホームに帰ってきた。

 3対3。

(や、やっちまった~)

 クリーンヒットならまだ希望はあったろうに、詰まらせた当たりがかえって失点を招いてしまった。

(自分史で一番調子が良いのに……。それで招いた事がかえってピンチの要因になっちまった)

 いや、切り替えろ。

 早いうちに止めるんだ。

 ここだけじゃない、後二回も投げなきゃいかんのだからな。

 次の六番。

(ストレートの力はあるんだ。焦って失投するより、落ち着いてコーナー攻めていこう)

 京平の指示にしっかりと頷きを返す。

(そうだ。ここで六番七番を抑えれば、八番九番で失点する事はなくなる。ここが勝負所だ……)

 さっきから初球のストレートを狙われている。

 ここで球種を変えたくなるが……。

(変えることを狙われているかもしれない。乱れやすい変化球を初球に持ってくるのはかえって危険だ。ここは安定している直球で勝負しよう)

(了解)

 初球インコースストレート。

 入るか外れるか、微妙なコースへ構えられた。

 セットから最速で放る。

「ファウル!」

 あっぶね。

 やっぱ初球ストレートで打ちに来てるな。

 つか、三番今盗塁狙ってたか?

 リードは狭いのに、そこから走ろうと?

 いや、揺さぶりか。

 畜生分かりづれぇ。

 やっぱ追い込まれてんだな俺達……。

 二球目……。

 そのサインを見て、俺は鳥肌が立った。

(マジかお前……?)

(むしろここしか無いだろ?)

(引っ掛けられてもアンラッキーヒットになるかもしれんだろ……)

(怖がることは無い。向こうが安心しきってる今だから効くんだよ、コイツは)

 知らねぇよ?

 投げろと言われたら投げるからな、俺。


(お前には見えてないかもしれねぇけどよ。さっきから怖い顔してるぜ、先輩達。このまま後輩に業を背負わせられるかよって。だから、多少変な当たりなら大丈夫だ)

 後から聞いたが、これは後ろが見えていた京平だけが分かっていたらしい。


 マジで知らねぇぞ、何せ、お久しぶりのスプリッターだからな!

 ストレートとほぼ同じ球速で、大きくキレる縦の変化球。

 スプリットと縦スラの特徴を上手いこと併せ持った球。

 これが、かつて神木に勝つ要因となった。

 アイツ以上の打者じゃなけりゃ、この球が負ける事は、ほぼ無い!

 久しぶりじゃなけりゃな!


 ゴッ!


 鈍い当たり。

 それは三遊間に転がり。

(ギリギリ守備範囲外……ッ!)

 捕れない。

 誰もがそう思った。

「烏丸ァッ!!」

 が、山岸さんの咆哮が。

 グラウンドにいる全員を、刹那の思考から呼び戻した。

 何という事か。

 山岸さんはワンバンした打球を、ギリギリまで伸ばした自分のグラブで弾いた。

 打球の向かう方向が変わる。

 その先は、烏丸さんの守備範囲。

「……ッ!星影さん、ゲッツー取れます!」

「了解!」

 すかさず捕球、そしてその強肩で、牧谷さんが到達する前に二塁アウト。

 そして、星影さんの送球を、郷田が確かに受け止めた。

「スリーアウト、チェンジ!」

「「「うぉぉぉぉぉ!!!」」」

 思わず、全員が叫んだ。

 安堵か、不安か、緊張か、感嘆か。

 色んな感情が込められた叫びだ。


 山岸さんのプレーはハッキリ言って危険そのもの。

 でも今のは間違いなくファインプレーだったと言える。

 少しだけ、平業に流れが戻ってきた。



 ・森本京平side


 七回裏。

 八番山岸さんから。

 打席に立つ前、俺と濱さんは山岸さんと意見交換をした。

「森本、ハッキリ言おう。俺は恐らく打てない。悔しいが、牧谷を自力で攻略するだけの打撃力を、俺は持ち合わせていない」

 だからこそ、と前置きして、山岸さんは言ってくれた。

「しっかり見てくる。お前達が攻略する為に必要な事を、必ず見つけてくる」

 そう言って、打席に向かっていった。

 残った濱さんは続けて俺に言う。

「僕にも、牧谷君を倒す力は無い。だから、伝えられるだけの事をありったけ伝えるよ。この試合、必ず勝つ為に」

「分かりました。お願いします」


 山岸さんは結果的にライトフライ。

 しかし、確かな情報を持って帰って来てくれた。

 立ち位置を変えなくなったことと、もう一つ。

 それはストレートとスパイクカーブのフォームの差だ。

 牧谷さんはスパイクカーブの軌道を弄る事ができる。

 だが、そこの技術に関しては、泉堂さんの方が上なのは分かっていた。

 必ず癖があるとは思っていたが、どうやらそれを見つけてくれたらしい。

 どうやら、スパイクカーブ本来の軌道から変えた時、変な溜めがあるらしい。

 濱さんも、ベンチから牧谷さんを観察していたようだが、ランナーのいるいないで溜めの違い、安定感の違いがあったと言っていた。

 二人がほぼ同じ事を認識した以上、何かあると思い、考察した。

 ズバリ、乱れを減らす為にタイミングを取っていると。

 何でそう思ったかというと。

 実はあの人、クイック下手な所があるのだ。

 そもそもこの試合でランナー背負う場面が少ないからちゃんと確認はできていないが、ビデオを見た感じを思い出しても、合っているはず。

 超安定のストレートでも、溜めが無いクイックではやや制球が乱れた。

 それでも誤差の範囲だが、スパイクカーブでは尚更それが起こると。

 そうか、溜めを作ってタイミング合わせてたのか。

 これが超安定の正体。

 同時に、軌道弄りの弱点。

(少し見えた気がする)

 この溜めを見ることができれば、攻略は可能な筈だ。

(今しかない。今しか……)

 これを泉堂さんに伝えると、大きく頷いて打席に向かった。

 かつてからのライバルだった泉堂さんが、この試合の、平業の最後の目だ。



 ・泉堂大地side


(1、2、3ッ!)

 タイミングをカウントしながら、バットを振る。

 空を切る。

 当たりこそしない。だが、理解はできる。

 明らかに溜めがある。

 言われてから観察してみれば、それがよく分かる。

 何で気付かなかったのか。

 いや、気付かせなかったから、ここまで来れたのだ。

 大ちゃんの技術には、感心させられてばかりだ。

(でも、ここだ。ここしかない。俺自身は勝てないかもしれないけど……)

 俺の次を、勝たせる事はできるはずだ。

(俺が招いた悪い流れ。俺が断ち切るんだ。今、ここで!)

 三球目、さっきより少し遅い溜め。

(ここだ!軌道の変わった、スパイクカーブ!)

 読み通りだった。

 本来の軌道より縦気味なカーブ。

 膝下に来るその球を、引っ掛けた。

 でも前には飛ばない。

 セカンド前に転がり、アウトになった。

 大ちゃんは勝ち誇ったような顔をしている。

 でも、これこそは、最高の敗北だ。

 確信した。

 これが、牧谷大樹を終わらせる弱点だ。



 ・森本京平side


「ありがとうございます。確かに、受け取りました」

「後は、頼んだ」

「はい!」

 泉堂さんからもバトンを受け取った。


 八回表。

 七番から始まり、その後八番九番をしっかり抑えてスリーアウト。

 迅一はしっかりガッツポーズしていた。

 珍しいな、あんなに喜ぶなんて。


 八回裏。

 二番藤山さんから。

 先輩に対して生意気なのは承知で、意地でも出塁してくださいと頼んだ。

 そしたら、得意のバスターで塁に出てくれた。

 ありがたい。


 そして、三番、俺。

「スゥーー、ハァーー……ッ」

 思いっきり深呼吸した。

 ここだ。

 俺が打てる最後のチャンス。

 ここで打てなきゃ、延長すら無く負ける。

 俺はあがり症で、気張ってしまえば打てないのに、それでも力が入ってしまう。

 それを解消する為の、超ロング深呼吸。

(力を入れるのは、ケツと腹だけ)

 思考は非常にシンプル。

 タイミングをとって打つ。

 これだけだ。

 横からリズムは見れた。

 イメージは完璧、のはず。

(迷ったってしゃーない。力で勝てないなら、気持ちだけでも勝つ。今までと同じだ)

 まず初球。

 スパイクカーブ。

「おっとぉ……?」

 こんな配球は初めてだな。

 まさか溜めの事、バレたのか?

 でも予想通りのタイミングだな……。

 まさかこの人達、バレた上で力押しに来たのか……?

 まさかな、そんな脳筋プレーするか?


 後で分かるが、本当に力押しに来てたらしい。


 二球目もスパイクカーブ。

 相変わらずクイック下手。

 藤山さん、余裕で走っちゃってるよ。

 つか、烏丸さんもだけど、藤山さんも大概速いよな……。

(さて、ランナー二塁。こっからどうするか)

 ワンボールワンストライク。

 走られたの抜きにしても、珍しく制球乱れたな。

 溜め作れないとこうなるのか。

 海王の連中、これに早いうちに気付いていたからこの人をボコボコにできたのか。

 流石、上は違うぜ……。

(……ん?)

 振りかぶって……?

 ワインドアップッ!?

「ストライク!」

 おーおーおー、マジかぁ……。

 霧城戦で自分達がやった事が、ここで返ってくるなんてな。

 下手にクイックやってミスるより、溜め作って確実に俺を仕留める気か。

 向こうも相当焦ってんな。

 藤山さんは三塁にいる。

 振りかぶっている以上、三盗も簡単に決まった。

 内野まで転がせばまずホームには帰って来れる。

 でも。

(そうじゃない。迅一が牧谷さんをマウンドで倒すように、俺は打席でこの人を倒さにゃならん。引き分けじゃ足りない)

 ここで打てない奴が、この先の戦いで勝てるかってんだ。

 相棒がホームラン打ったなら。

 俺もここで打つしかない。

 四球目。

 何が来る?

 安定しているストレートか?

 それとも乱れたスパイクカーブで汚名返上か?

 考えろ。

 ここだ、ここまでなんだ。

 俺が勝てるのは、この四球目までなんだ。

 ここで打者との勝負に拘ったのは初めてのはずだ。

 まだこの空気になれていない。

 乱れるのは、この一球。

 ファウルにできても、俺は負ける。

 この流れならカウント欲しがってゾーンに投げたくなるはずだ。

 このチャンスを逃すな。

 右打者で、三番、次は結果を出してる四番と五番。

 ランナーはどうしたって突っ込んでくる。

 失点を防ぐには、三振か、内野フライしか無い。

 そこで、どんな風に投げさせる?

 スパイクカーブの軌道をどうしろって言う?

(……いや)

 違う。

 迷う事があるか?

 この場面で、次は最終回だぞ?

 しかも慣れない空気で、カウントが欲しい。

 アウトが欲しい。

 そんな時、ミスるかもしれない球投げるか?

 俺なら……。


『濱さんは恐れが無いよな。俺も負けてられない……』


 恐れが無い。

 俺なら、怖いと思ったけど。

 でも、信じた相棒なら、その恐怖も振り切れる。

 牧谷さんと相田さんは、まさに俺と迅一そっくりそのままだ。

 きっとこの人達も怖いはず。

 それでも、お互い信頼してるから。

 恐怖を振り切って、最高の武器を出してくる。

 四球目。

 溜めを作って、タイミングはやや遅め。

 一番見たフォームだ。

 この溜めを、俺は知っている。

 死ぬほど見た。

 練馬と同じくらい怖かったこの球を、今この人は投げた。

 それが分かったら、身体が勝手に動いた。

 自分でも驚くくらい、自然に振り抜いていたと思う。

 確かな手応えは、痺れとして残っていた。

 高く上がった打球は、白く見える太陽と重なる。

 眩しくて見えない。



 落ちてきた球の行方を認識した後の、湧き上がった感情は、今でも思い出せる。


 ホームラン。これをもって、俺の戦いは決着した。




〈作者コメント〉


や、やっと終われた……。

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