第62話・対寺商高校、その漆


 ・森本京平side


 六回裏。

 二番藤山さんから。

 山岸さんが見たもの、泉堂さんが見たもの、烏丸さんが見たもの。

 色んな情報を噛み砕いて整理する。

(基本軸は外のストレート。練馬はコントロールが良いから、どのコースでも安定した勝率を出してる。変化球は……相変わらずシュートだけか)

 気になる点は、強いて言えば、高めへの要求が多い気がする事だ。

 練馬のコントロールなら、低めに投げても甘くなる事はない。少なくとも俺は見たことがない。

 むしろ高めを力で押し切れる球威かと言われるとそうでもない。

 わざわざリスキーな高めを増やす必要があるのかと言われると、疑問だ。

 そういえば、牧谷さんの時も高めが多かったな。

 何かあるのか?あのコースに。


「アウト!」

 藤山さんは打ち上げてアウト。

「ゴメン、外しちった!」

「ドンマイドンマイ!タイミングは合ってたぞ!」

 そう、タイミングは合っていた。

 合ってたけど、じゃあ何故押し負けてしまったのか。

 藤山さんは高めを打ち損じる事はまぁ、無い。

 よっぽど力の入った球か、あるいはコーナーいっぱいに入った球か。

 そうでなければ基本内野は抜ける。

 少なくとも、転がす事はあっても、打ち上げる事はない。

 では何故今回に限って……。


「森本。お前の打席だぞ」

「あっ、すいません」

 いかんいかん。

 考えすぎて自分の打席を忘れていた。

「……誰かの目じゃなくて、お前の目で見た方が良い。俺達の中の誰もが気付かない事に、お前なら気付けるはずだ。それが練馬の最短の攻略方法になる」

 俺の、目で?

 俺一人でできることなんて、限られてる。

 だから色んな人の目を借りようとしたのに、それが違うってことか?

 ゴチャゴチャした頭で打席に立つ。

 うーん、相変わらず無という文字がよく似合う男だねぇ。何考えているか見当もつかねぇ。

 とりあえず初球……。

「ストライク!」

 アウトローか。

 まぁ様子見としちゃ、順当だな。

 二球目は……インハイのストレートか。

 これはボールだな。

「ストライク!」

 んあっ!?

 い、今の入ってんのか?

 ど、どういうこっちゃ。

 軌道的には完全に外れていたはず。それがストライクだと?

 あっという間に追い込まれて三球目。

(とにかく、三球退場は駄目だ!できる限り粘ってやる!)

 その後、三、四、五、六球目と、ギリギリ振り遅れないようにカットし続ける。

(畜生、分からねぇ!打ち頃の球なんか来ないのは分かってたけどよ。そもそも当てにくい球なんて初めてだ!迷ってたら振り遅れる!とにかく集中しろ、練馬を観察し続けるんだ!)

 クソッ、そもそもなんでこんなに距離があるように見えるんだ?

 迅一と勝負した時もインハイとアウトローが続く事はあったが、あの時の倍以上の距離を感じちまう。

 秘密があるとすりゃ、投げた後?

 いや、投げた後に小細工なんかできやしない。

 つーことは投げる前に秘密……が?

 ここでちょっと妙な事に気がついた。

 いや、別に不自然では無いが、やけに目につく動きだった。

(アイツ、投げてから、俺がバット振ったらすぐに前に出てるよな。ランナーいなくて、ゲッツーがあるわけでもないのに。それにその後、一球ごとに全体を確認している。声掛けの為?いや、それにしちゃ多すぎる。一人相手に球数増え続けてるのに、動き増やしてスタミナ減らすような真似する奴だったか?)

 少しずつ、何かが見えてくる。

 あと少し、あと少しで分かるって言うのに。

 もっと頭がクリアになってくれれば。

 余計な情報を考えるな。

 やってることは実にシンプル。

 違いは俺の目に映っているはずなのだ。

 何が、何が違うんだ。

 あの時の迅一と、今の練馬の違いは何だ。

 考えろ。

 俺が捕手なら、分かる。

 直前の練馬と、ここから先の練馬の違いを、見つけるんだ。

(……ハッ!)

 今、分かった。

 いや、確信はしていない。

 だが光の当たり方が違っている。

 気のせいか?いや、そんなものは今見れば分かることだ。

 七球目は外へのストレート。

「ファウル!」

 ここはカットした。

 もし、さっき俺が見たことが合っているのならば。

 今、マウンドに、一番日が大きく当たる時間。

 練馬は先の動作をして、マウンドに立ち直す。

 その瞬間、ハッキリ見えた。

(……捉えたぜ、その影を!)

 大きく、広くなった、三塁側から差す日の光。

 そして、練馬を通してできる日の当たらない影。

 それが、先程より小さくなっている。

 これが、答え。

 ストレートで感じたこの距離感。

 外に投げた事により、外へと向いた距離感が、インコースへのボールを近く見せる。

 それを更に近く見せるにはどうするか。

 決まっている。更に内へ迫る変化球を投げれば良い。

 実際はストライク。

 なのに危険球と言えるほど近くに見えてしまうこの錯覚。

 それは、コースへの投げ分けと、立ち位置による変化。

 右打者の外なら三塁側へ、内なら一塁側へ立ち、十字に交差するようなストレートの投げ分け。

 今、三塁側で外に投げた。

 そして、一塁側に立った。

 投げる球は絞れた。

 練馬、お前が投げるのは……。



 ・練馬隼ねりましゅんside


(インハイへのシュート、だとでも思っているだろうな)

 予想は付いていた。

 控えであっても、バッテリーを組んできたんだ。

 僕は君の実力を知っている。認めている。

 だからこそ、君が僕の思考の先を読んでいるのは、分かっている。


 マウンドの立ち位置を微妙にズラして、軌道の見え方を変える。

 そうすれば、コーナーに決まる球も、直前までボール球に見える。

 相田氏の教えだ。

 僕だけじゃない、牧谷氏もこれを相田氏から教わっている。

 彼は小学生にしてこの答えに辿り着いたのだそうだ。

 もし今まだ投手をやっていたら……。

 考えるだけでゾッとするような先輩だ。

 そして相田氏に事前に言われたのは、僕がマウンドに上がれば、森本は気付いてしまう、ということだ。

 試合時間的に、光の当たり方で、立ち位置を変えているのはバレてしまう。

 微妙な変化でも、それに気付くのが森本京平だ。

 それが分かっている以上、対策を練る事はできるのだと。

 京平はこう思うはずだ。

 さっき外へ投げたストレート。

 それによって、自分はインコースをより近くに感じる。

 更に近く感じさせる為に、打者に向かって曲がる変化球、シュートを投げるだろうと。

 そこに辿り着いていたなら、半分正解。

 京平とて人間。

 錯覚は感じるし、デッドボールは怖い。

 もちろん、あまりに近くに見えれば避けようとする。

 その錯覚を利用してインハイにシュートを投げれば、大体の打者は入っていても気付かない。ボールを避けようとして、見えないから。

 防御反応には逆らえない。怪我したくないから。痛いのは嫌だから。

 今大会も、それだけで見逃し三振を何個も取ってきた。

 打席では納得いってなくても、ビデオを見直して入っていると気付いた時の反応を想像すれば、ニヤケが止まらない。

 三振を取る快感は、特に見逃し三振の快感は、たまらなくてしょうがない。

 僕の制球はその為にあるのだと。

 入ってないと思って見逃したら、ストライクと宣言された時の打者の顔ったら、今でも忘れられない。

 僕は今日、かつて僕が勝てないと思っていた者達のその顔を拝めるのだと、期待して眠れなかった。

 インハイへのシュートは確かにここでの最善の一手。

 しかしそれが読まれている、読まれることが分かっているのだ。

 素直に投げてやるわけがない。手札はもう一つある。

 変化球がシュートだけだと思っていれば大間違いだ。

 高校に入って、シュートとストレートだけでは通じないとして、新たな変化球の研究に励んだ。

 その結果習得した、右打者の外へと流れる高速スライダー。

 曲がる方向も、投げる位置も、何もかもが違う。

 これが、森本京平をただ一度だけ屈服させられる切り札。

 確かな勝利を確信して、内側に構えられたミットに向かって放る。

 そして、外に向かって動いていくミットに吸い込まれるように。

 ストレートとほぼ同じ球速のスライダー。

 インコース対策の立ち位置、スタンス、構え。それが揃っている京平は反応できない。

(僕の勝ちだ、京平!)


 コンッ。


(えっ……?)

 僕の耳に届いたのは、ミットの快音でも、バットがボールを捉えた金属音でもなかった。

 目に映ったのは、ミットに収まる瞬間でも、ボールが後ろまで運ばれる瞬間でもなかった。

 ワンアウト、ランナー無し。右打者でしかも、次の四番打者に繋ぐべきこの状況。

 あまりにもリスキーだと誰もが思い、故に誰もがやらないだろうと思っていた。

 でもやった。

 森本京平という打者は、それが最善だと思うやいなや、咄嗟の反応でそれを実行した。

 完全に不意を突いたと思ったのに、逆にこっちが不意を突かれた。

(セ、セーフティバント、だと……!?)

 この不意打ちは、今こそよく効く。

 三塁線ギリギリ、ホームベースとサードのちょうど中間にボールが止まる。

 だが、僕もキャッチャーもサードも、反応できない。

 足が動かない。

 この三人の誰もが、まさかと思うプレーだったから。

 硬直をくぐり抜け、ボールを掴み、一塁へ送球するも……。

「セーフ!」

 京平のヘッドスライディングが先に到達し、一塁はセーフに。

 ワンアウトの場面で、ランナーを一人出してしまった。

(アイツバントも上手えのかよ……)

 相田さんの顔を見れば、何を思っているかよく分かった。

 ……大丈夫。森本京平がバントしかできなかったんだ。後続の打者がそれ以上のプレーができるわけがない。

 四番になっていたのは驚いたが、君の打者としての能力は、京平には遠く及ばない。

 この場面では、決して怖い奴ではない。

 なぁ、そうだよな。……郷田真紀。



 ・郷田真紀side


「フゥーーー……」

 深く、深く息を吐く。

 京平のバントには驚いたで。

 練馬がスライダーを投げたことにも驚いたが、それを更に完璧にバントして見せるとは。

 奴が俺に繋げたこのチャンス、無駄にはできへん。

 正直なところ、今でも思う。

 何故自分が四番に選ばれたのか。

 先輩達の中にも、それこそ同期なら京平だって。もっと四番に相応しい打者はいるはずなのに。

 せやのに、何故俺が選ばれた?

 それを、監督に聞きに行ったことがある。


「監督、何故自分なんですか?」

「何がだ?」

「四番の座です。自分に嶋さんの代わりが務まるとは思えません。もっと相応しい選手がいるはずです」

「君自身もそう思っているのか?」

「はい。確かに、並以上のパワーはあるとは思ってます。ですが、総合的な打撃能力で言えば、森本や烏丸さんだって……」

「奴らにだって、俺の代わりは務まらないよ」

 後ろから、嶋さんが現れた。

 どうやら聞かれていたらしい。

「立ち聞きとは感心しないな」

「何言ってんですか、自分がそこにいろって言ったくせに」

 どうやら監督の仕込みだったらしい。

「郷田。君が何か言ってくると思ってね。残念ながら私は四番とは縁遠くてね。君の質問に答えられるのは、嶋だけだよ。じゃあ私はこれで」

「まぁ、そういう事だ。少し話そうか」

 監督と入れ替わるようにベンチに座る嶋さん。

 促されて、俺も隣に座る。

「怪我した時にさ。真っ先に誰を後継にしようか考えたんだ」

「……」

「夏の後も、チームは続いていく。いずれは誰かに四番を託さなきゃならない。それが早まっただけだし、これはむしろ俺にとってチャンスだったんだよ」

「チャンス……?」

「このチームはこれまで、得点に関してはほぼワンマンだった。ほとんど俺頼みでな」

 他人が言えば自惚れに聞こえるが、嶋さんの言葉は事実そうなのである。

「俺も何とかしなきゃとは思うものの、それが確実だって思うと、中々声を上げられなかった。こういうきっかけでも無けりゃ、今でもそうだっただろうさ」

 嶋さんの打力、四番としてのカリスマは他にも代えがたいもの。

 それは自身でも感じていたものだという。

「誰を選ぶか凄い迷ったよ。烏丸や石森、星影、藤山。色々候補はいた。もちろん森本もな。でも……」

 そこまで言って嶋さんはこちらに向き直った。

「見ちまったからな。練習後に、河川敷で馬鹿みたいにバット振り続けてる奴をよ」

「……あっ」

 それは俺の事である。

 どうやら嶋さんに見られていたらしい。

 俺は投手を辞めてから、打者として何ができるかを考えた。

 その答えで結局練習に辿り着いた。

 センスでは京平や勇、修二にも勝てない。

 だからバットを振った回数では負けないと誇る為に、日課にしていたのだ。

「攻撃型二番、恐怖の下位打線、二刀流、大砲五番……。色んな攻撃のバリエーションが生まれて、四番単体での得点力の価値は、薄くなっていってる。ランナー返すのは、何もヒットだけじゃないからな」

 四番打者こそ絶対の得点力という時代は過ぎ、今や九番が最高の得点力というチームすら現れ始めている。

 だから、強打者を四番に据える必要は、必ずしも絶対のものではなくなった。

「それでも、四番だからこその価値はあると思ってる。何時の時代も、攻撃の中心であるという事実は揺るぎないからな」

 点を取るだけが四番じゃない。

 仲間の攻撃を引き出すのもまた四番の仕事。

「天才や怪物である必要なんかない。むしろ、四番がそれならワンマンチームになってしまう。重要なのは姿勢を示すことだ。どんな時でも攻めの姿勢を示し続けられる。それが、俺が考える最高の四番だ。そして、そうなれるのはお前しかないと、俺は思ってる」

 最高の四番。

 天才や怪物などではない。

 努力でこそ辿り着く領域。

「神木が最強の四番になるのなら、お前が目指すべきは最高の四番。迷ってもいい。すぐになれなくてもいい。やってみないか、郷田。俺ではなれなかったスラッガーに」

 聞かれるまでもない。

 自分を選んでくれた。

 この主将が、強打者が。

 名だたる天才達ではなく、俺を。

 最強のエースの夢は潰えたけど、最高の打者になれると後押ししてくれた。

 それだけで十分だ。

 断る理由など無い。


 まだぎこちないかもしれない。

 力不足も分かってる。

 でも、もし野球の神様がいるのなら。

 今だけは力を貸してくれ。

 俺を、俺達を導いてくれた、あの人を、甲子園に連れて行く為に。

 また、バッターボックスに立たせられるように。

 この試合に勝ちたいんだ。

 もしそこにいるなら。

 俺のバットを押してくれ。

 そう願って、無心でバットを振った。

 ボールは、俺の手に確かな手応えを残し、センターの頭を越えて行った。




〈作者より〉

 いつの間にか3万PVになってました。

 勘違い、読み間違いかと思いました。

 皆さんのおかげで、ここまで書いてこられました。

 ようやく山場を越え、モチベーションがやっと持ち直して来たので、これからもう少し投稿できるかなと思います。

 これからも当作品を、宜しくお願いします!

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