第61話・対寺商高校、その陸

 ・森本京平side


 間抜けか俺は……!

 おかしいと思ったんだ。

 国光さんの時から、甘い球じゃなくカウント取りに行った球で振ってたのは、これが狙いだったのか?

 もし国光さんがマウンドにいたなら、俺はフォークでストライクを狙っていただろう。

 それが泉堂さんの場合は横カーブ。

 まさかあの人、自分がカーブ得意だからって、それだけで全部見切って打ったって言うのか?

 初めからカーブが来ると予測して?

 このツーストライクの状態で、百パーセント当たると分かっていても、そんな簡単に振り切れるものなのか?

 そんな馬鹿な話があるか。

 調子の良いストレートか、それとも他の変化球か。

 他にも選択肢はあった筈だ。

 それなのに何故、ピンポイントでカーブを狙えたんだ……?

 ホームベースを踏んで、ベンチに戻ろうとする牧谷さんとすれ違った時、ボソッと言われた。

「お前って凄いよな。どんな投手でも、まるで一心同体になったかのようなリードをする。その時ベストだと思った球がバッテリーで一致するんだ。投手も気持ちよく投げれて、打者にとっちゃこの上なく怖いよな。でも……」

 背中越しの言葉が、どんどん突き刺さっていく。

「俺な。気持ちよくプレーしてる奴らをどうやったら崩せるか、それだけ考えて今まで野球やってきたんだよ。そうしないと勝てなかったからな。もし俺をカーブで打ち取れたら、最高の快感だったろうぜ。それがずっと頭にあるんだ。投手なら、そこに飛び付いちゃうよな。分かる分かる」

 そして、振り返って見せたその顔が、俺の脳裏に深く刻み込まれた。

「この一点を返すのはもう無理だと思うからよ。今言ってやるぜ。それがお前の弱点だ。投手の気持ちに寄り添えすぎる。だから、その分かりやすい快感の罠に、飛び付かせちまうんだよ。俺みたいな気持ちぶっ壊したがる奴には、とっておきの餌になるぜ、それ」

 この一瞬が、俺の野球人生一生分かけてのトラウマになったのは、言うまでもない。

 言いたくもない。


 その後、五番と六番を何とか打ち取ってスリーアウト。

 打たれたけど、乱れることなくアウトにできたのは大きいな。

 ……駄目だ。

 ポジティブシンキングで上塗りできるような状況じゃない。

 迅一だけじゃない。他の選手にも、牧谷さんの恐ろしさがハッキリと伝わってしまった。

 誰もが今の調子で負けるはずないと思っていた。

 だからこそ、ここで打たれた事の反動は大きかった。

 国光さんを平気で様子見してくる。

 絶好調の泉堂さんも打たれた。

 今ここで誰がマウンドに立っても、牧谷さんは必ずスタンドに運んでしまうだろう。

 それくらい、今の牧谷さんはノッてるし、俺らは沈んでいる。

 堂本さんは抑えられるかもしれないが、ロングリリーフは無理だろう。

 樋川さんはそもそも準備できてない。

 となればやはり迅一しかいない。

 好調とまでは言わないが、せめて本調子に戻ってきてくれれば、まだ希望はあるだろうに……!


「京平」


 その一声。

 今までだって、何度も呼ばれていた。

 だが、今回だけは、やけに印象に残った。

 声の主に目をやれば、そこには、俺が惚れ込んだ相棒が立っていた。

「迅、一……」

「爆速で温めてくる。お前も準備しとけよ」

「えっ。お、おい」

 迅一は気がノッてると、スイッチが入る。

 普段は冷めているが、勝ちが見えると野性的になり、ピッチングも荒々しい、力の入ったものになる。

 バッテリーを組んでから分かったことだ。

 だがそれは、マウンドに立ってからの話だ。

 マウンドに立ってすらいない今、もう既にスイッチが入っている。

 これまでとは違う迅一だ。

「お前が言ったんじゃねぇか。ビビってる場合じゃねぇってよ。その言葉で呼び戻したんだからな。最後まで、俺の知ってる凄いキャッチャーでいてくれよ」

「っ!あ、あぁ!」

 クッソー……。

 さっきまで俺がアイツに発破かけてたのによぉ……。

 カウンター決められちまった。

「迅一!」

「あん?」

「背中に一発頼む!」

「……ほらよ!!」

 迅一の右手が俺の背中に振り下ろされる。

 バチーーン!!

「ってェ……。へヘッ。よっしゃァ、切り替えて行くしかねぇ!待ってろ迅一、必ず取り返してやっからな!」

「楽しみにしてらぁ」

 沈んでたって勝てやしない。

 あの人はファーストにいる。

 練馬を倒せば、あの人が出てくる。

 これは寺商がかけた保険だ。

 練馬は同じ一年。寺商側にしか見えていない弱点があるから、保険をかけたんだ。

 なら、今やるべきことは一つ。

(練馬を倒す。この試合、真の敵は牧谷さんだ。練馬には他にできるポジションが無い以上、倒せれば必然的に、投手は牧谷さん一人だけになる)

 今ここが勝負時。

 練馬を打ち崩す。

 そして、牧谷さんを攻略する。

 それ以外に道は、残されてない。


 五回裏。

 先頭打者は八番の山岸さん。

 俺は打席に向かう山岸さんにこう伝えた。

「山岸さん。とにかく粘ってください。チャンスボールはしばらく来ません。とにかくファウルに。そして、見たままの事を次の打者に伝えてください」

 そしてそれをチーム全体に依頼した。

 現状分かっているのは練馬の能力。

 それだけでは攻略できない。

 俺が目を付けたのはあのキャッチャーだ。

 かつての練馬は、ほとんどの配球をキャッチャーに一任していた。

 というのも、滅茶苦茶コントロールが良いので、どんな要求でも注文通りの球を投げられる。

 だからまぁ、好きにしろ、僕はその通り投げるから、みたいな奴だったのだ。

 つまり、練馬自身はそこまで深く考えて投げていない。

 キャッチャーのリードに素直に従って投げているのであれば、練馬が投げているうちに、リードの特徴が掴めるはず。

 ていうか、牧谷さんはスパイクカーブとストレートを研究されているにも関わらず、それでもあんなズバズバ決まるのは何か絡繰があるのだろうと。

 もちろん、進化してるのだろうけど、それだけじゃない。

 裏で糸引いてる奴がいる。

 それが恐らく、あの捕手。

 今捕手のリード百パーセントで投球をしている練馬がいるうちに、見極めるしかない。

 それが牧谷さん攻略の第一歩だ。

 しっかしあの捕手どっかで見たことあるよな……。

 特別親しかったわけじゃないけど、妙に頭にチラつく場所で会ったことがあるような、無いような……。

「あのキャッチャー全然パスボールしないよな」

「ウチの一年も大概だけど、アレも凄い捕球と強肩だよ」

「相田だっけ。あんなのが無名だったとか信じられん」

(相田……、相田?うーん、尚更どっかで)

「何でも、肩を故障してたらしい。それであの送球って普通に凄くね?」

「俺、アイツと同じ中学の友達いるけどよ。捕手になったの、中学の時らしいぜ。小学生の時は投手だったってよ」

「マジか」

「あぁ。しかも、西東京選抜に選ばれるレベルの投手だったって。本当、そんな奴が転向するなんて、怪我って怖いよなー」

(元投手……、肩の故障……、西東京選抜にだって……?)

 先輩達の会話に出てきた言葉を積み重ねて記憶を思い起こそうとする。

 そうしたら、一人の選手に辿り着いた。

「……んなあぁぁぁっ!?」

 驚きのあまり、ちょっと声が大きくなってしまった。

 それに恥を感じる間もなく、胸中の言葉を全部叫ぶ。

「あ、相田方助あいだかたすけェーー!?」

 言い終わってから、何事だとこちらを見る先輩に気付いて小さくなる。

 同じく何事かと思ったマキが声をかけてきた。

「ど、どないしたんや京平。急に叫んだりして……」

「マ、マキ、相田だよ相田方助。ほら、小5の時の選抜の合宿にいた、あの一個上の!」

「あーん?……ハッ、あぁぁぁ!?」

「なっ!?分かったろ!?」

「お、おぉ。せや、ヘルメットとマスクで全然気付かんかった。あの時の投手やないかアレ」

 分からない人には、それがどうしたと思うかもしれないが、俺らにとっては一大事なのだ。


 小5当時、俺とマキ、イサムやシュージは四人揃って西東京選抜候補選手の合宿に招待された。

 当時からかなりの速球を投げていたマキ。

 俺達全員がエースだったマキに誇りを持っていた。

 が、周りの反応は芳しくなかった。

 いや、反応が悪かったわけじゃない。

 別の投手が注目を集めていたのだ。

 それが今の寺商のマスク、相田方助。

 当時からマキと同等以上の球速を誇っており、さらに制球力抜群。

 ストレートだけで選抜の紅白戦でパーフェクトを叩き出した化け物だった。

 これで中学で変化球を覚え、更に球速も伸ばしたら、と周りのスカウトや記者達は揃って唸っていた。

 関東、いや、全国区でもトップクラスの実力とセンスの投手だったのだ。

 それが中学では名前も聞かなくなり、大会で結果を出したこともないと。

 それ以来すっかり忘れてしまっていたが、まさかマスクを被ってるなんて……。

 それで合点がいった。

 元々投手なら、力の使い方も熟知していて当然だ。

 投手としての目線、野手としての目線、捕手としての目線。

 それらを持っているからこその、純粋な捕手にはない、独特な戦い方。

 海王戦では多分牧谷さんはまだ不完全で、しかも一人で投げてたからあんな点差になったんだ。

 今の寺商バッテリーで戦えば、恐らく競り合えるレベルにまでなっているだろう。

 畜生、四強よりはって思ってたら四強と同等以上だったのかよ。

(せめて、せめて。後二回打席が回ってくれば、攻略の糸口が掴めるのに……ッ!)

 五回裏、平業は三者凡退。

 でも、かなり球数は稼げた。

 そして、リードの癖も少しずつ。



 ・菅原迅一side


『ピッチャー、菅原君』

 監督が交代の指示を出し、俺と泉堂さんがポジションを入れ替える。

 肩はちゃんとできた。

 やけに山岸さんが粘ってくれていたので、温める時間ができた。

 京平が何か言っていたので、アイツなりの逆転までの道を探っているのだろう。

 ならば、俺にできるのは普通に投げることだけだ。

「菅原ーー!気張って行けーー!」

「ここしっかり抑えて行こうぜーー!」

 バックがしっかり声をかけてくれる。

 深呼吸三回。

 落ち込んで、心配かけた分、京平には内容で応える。

 それが今、できること。

 そうだ、落ち込んでいる暇はない。

 ここで勝てばどの道戦うんだよな。

 新宮がいる、千治高校と。

 今からビビったってしゃーないよな。

 過去の事、次の事。

 怖がるのは、試合が終わってからだ。


 六回表、先頭打者七番から。

 七番の人は小さいプレーはあまりしてこないで、普通に振る人だ。

 この人自身が怖いわけじゃない。

 怖いのは八番と九番だ。

 一番並の足の八番と、四番並の力の九番。

 要は、この二人の前にランナーを置いておきたくない。

 上位打線を攻略するにあたって、この下位打線を抑える必要がある。

 ここでシャットダウンする事ができれば、下位打線を恐れることなく上位打線と勝負できるのだ。

 上下にある得点力が上だけになる。半分だけになる。

 一失点が大ダメージになったこの試合においては、早急の課題だ。

 逆転を願うなら、これ以上離されてはいけない。

 まずはこの三人で、止める。



 ・森本京平side


(迅一の奴、かなり集中してるな。既にスイッチが入っているのもそうだけど、立ち直ってからは何かが違うな……)

 初球、アウトローへのストレート。

 ギリギリに構えたけど、いきなりは厳しかったか……?

 そんな不安は杞憂だったと、すぐに分かった。

「ストライク!!」

 打者手が出ず。

 それもそのはず、こんなビタビタに決まりゃ俺でも振れん。

 立ち上がりでいきなりこんなに気持ちの良い球を投げたのは久しぶりだな。

「オッケー、ナイピー!」

 この初球なら、もう一球同じコースでもいけるかな。

 再びアウトローへのストレート。

 ビタッ。

「ストライク!!」

 ……おぉ?

 連続ドンピシャ。

 え、今日どうした?

 そんなに調子良いの?

 俺は迅一に引っ張られるかのように再びアウトローに構えてしまった。

(馬鹿馬鹿何してんだ!流石に三球同じコースは見極められるだろうが!早く構えるとこ変えないと!)

 しかし、俺の身体は言う事を聞かない。

 このコースしかないと言わんばかりに、ミットがボールを待ち構える。

 迅一が既に振りかぶっている。

 あぁもう、いきなり何してんだ俺!

 折角調子良いのに、ここでいきなり打たれでもしたら……ッ!

 打者も流石に同じコースだと分かって振ってきた。

 振ってきたのだが……。

 ビタッ!!

 俺のミットに、ボールの感触が伝わった。

(は?)

 ミットを見れば、確かにボールを掴んでいた。

 審判のコールは。

「ストライク、バッターアウトォ!!」

 一際力強い言葉が、球場に響き渡った。

 ここまでドンピシャなストレートに、球場全体が度肝を抜かれたらしく、シーンとした空気が流れる。

「……マジかァ」

 そんなに大きくないはずの寺商ベンチの牧谷さんからの声が、俺に届くくらいには、本当に静かだった。

 この回、迅一の調子はそのままで、三者凡退、それどころか、三者三振に抑えてみせた。

 えぇ……、本当にどうしたの……。

 俺は嬉しさと同時に、思わず心配の声をもらしてしまった。

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