第57話・少し暗い過去

 時は、小学生時代に遡る。

 俺が野球を始めたのは、とあるプロ選手に魅入られたからだ。

 その人みたいになりたいと思って、リトルチームに入って、上を目指そうとした時期もある。

 しかし、そうはなれない現実を、俺は幼き心に叩き付けられることとなった。


「アイツら、兄弟らしいぞ」

「似てないなぁ」

「顔は一緒だけどな」

 当時、同じ時期に入った兄弟がいた。

 当然、二人なら比べられる。

 弟の方が優秀で、すぐにでもレギュラー入りしたのに対し。

 兄の方はと言うと、お世辞にも褒められた実力ではなく。

 その差は、どう見ても大きくなっていっていた。

 最早、陰口の一つも言われない。

 目を向けられることもない。

 兄にとって野球は、ある意味、気楽で、辛い物であった。


 それでも努力を続け、小5の時には、怪我した選手の代理で外野手になった。

 まぁ、たった一度の出場は、微妙な負け方をして終わった。

 それでまぁ、ガキの心理というか、誰かを悪者にしなければ気が済まないという思考が働き、兄に矛先が向いた。

 弟は監督に気に入られて、しかもちゃんと実力があるもんだから、その鬱憤を本人にはぶつけられない。

 なら、下手くそな兄にぶつければ良い。

 今思えば、かわいいもんだ。

 でも、兄は耐えられなかった。

 その罵詈雑言によって、自分が悪いんだと思い込み、責任を取って辞めようとした。

 監督が止めてくれた。

 善意からだと思ったが、実際には弟が、『兄が辞めるなら自分も辞めます』と言ったかららしい。

 主力の弟が抜けると困るし、イジメが理由で辞められるとチームの評判に関わる、という事だったようだ。

 その事を親に言ったら、片側はやたらと俺を責めてきたが、もう片側は俺を守ってリトルから離してくれた。

 その後、学校の野球部に参加し、楽しく野球を続けられるようになった。


 中学に入ってから。

 兄はシニアに入らず、中学で軟式野球をする事にした。

 やたら弟がぐずったらしいが、その実力からシニアに上がることは周りに既に決められていたようで、兄弟は明確に違うステージに進むようになった。

 何度かシニアを辞め、部活に入ろうと足掻いていたらしい。

 結構家を巻き込んだ騒ぎになったこともある。


 兄は、野球を始めた当初から希望していた投手をやれるようになった。

 リトル時代は主力投手が強過ぎて、とてもじゃないが下手くそは割込めなかった。

 しかし、秦野中の実力は下の下。

 人数も少なく、ポジションの希望は殆ど通る。

 その結果。

 勝つことは出来なかったが、変な争いも起こらず、平和な野球が出来た。

 出来ていたはずだった。


「ふーむ。やはり、学校のグラウンドは、設備も古いねぇ」

 二年の秋頃。

 知らない声が聞こえた。

「おや、君達が弱小野球部諸君かな?」

「な、何だよお前ら」

「おや、この俺様達を知らないとは、ここの野球部は、実力だけでなく、情報力も貧弱なようだなぁ?」

 同学年のくせに、随分高圧的な態度。

 言わずと知れた、新宮煌雅である。

「シニアで有名な新宮君じゃないですか。ウチの野球部に何か?」

「俺様に質問とは良い度胸だ。なーに、こんな廃れたグラウンドでも、君達如きに使わせるのは勿体無いと思ってね。今日から、俺様達シニア組が使わせてもらうことになったのさ!」

 は?

 何を言っているか理解できなかった。

 シニア組がグラウンドを使う?

 共用グラウンドで練習場所も充分じゃないのに、更に人数が増えるって?

 ましてや、現役で使っている俺達の預かり知らぬところで勝手に決まっているって?

 流石に、兄も激昂し、顧問に直談判しに行った。

 すると顧問はあろうことか、

「言いたくはないが、ウチは弱いだろ?シニアで結果出してるアイツらに比べて、練習する意味ってあんまり無いと思ってな。それに最近は部活より勉強に専念させろって声も多いからな。もう良いんじゃないか?」

「もう良いって何ですか」

「このまま野球続けたって、プロになれるわけでもないんだ。良い機会だし、すっぱり諦めて、良い高校目指して勉強したらどうだ。弟みたいに上手いわけじゃないんだかッ」

「黙って聞いてりゃ好き放題言いやがってこのクソ野郎がァ!」

 自分達野球部の事を勝手に諦められた怒りと、新宮達の態度への怒りと、一教師としてあるまじき姿勢を見せられた事と、何より弟を引き合いに出された事で、自分自身を見てくれていなかったという事実に気付き。

 それら全てが重なって、気付いたら掴みかかっていた。

 周りの先生に止められて、何も知らない生活指導にこっぴどく怒られかけたが、近くで見ていた生徒と他の先生の証言によって、その場は収まった。

 ちなみに、その時の顧問は兄を見ることもなく、他の先生と飲みの約束を交わしていたのを覚えている。

 それ以来、顧問は部活に来なかった。

 証言で助けてくれた先生に聞いたら、適当な報告をして監督責任を果たしたように見せていたらしい。

 兄は以降、その男を先生と呼ぶことはなくなった。


 新宮達は、部員に練習をさせることなく、自分達の練習の補助だけをやらせていた。

 部員は野球に対し、苦しい思いをさせられていた。

 兄は何とかこの状況を脱しようと、新宮に勝負を挑んだ。

「俺が勝ったら、ここから出て行け」

 新宮はその言葉を聞いて、嘲笑うかのように大笑いした後。

「良いだろう。マウンドに立て」

 俺が新宮と勝負することになった。

 結果は、5打席全敗。

「これが力の差だよ凡人君。君が野球を続けたところで、俺様には勝てない。分かったらとっとと辞めちまいな。下手くそを見ていると、虫唾が走る」

 新宮と、その取り巻きに言葉と物理でボコボコにされ、野球道具まで奪われ。

 俺は完璧にまで叩きのめされて、心がポキっと折れてしまった。

 野球を辞めるどころか、しばらく学校にすら行かなくなった。


「兄さん、学校行こうよ」

「……俺は良い。ほっといてくれ」

「何があったか知らないけど、塞ぎ込んでたって分からないよ」

「……うるせぇ」


「今日、全部聞いたよ。野球部での事」

「……何してんだよ」

「道具、取り返して来たよ。アイツら、人の物を壊す度胸は無かったみたいだ」

「……」

「部員の為に新宮に勝負を挑んだんだって?凄いカッコいいじゃん」

「……うるさい」

「一度負けたからって、負けっぱなしで良いのかよ」

 バァン!

 兄は部屋のドアを思いっきり殴った。

「うるせぇなほっとけよ!!」

「……兄さ」

「勝てねぇんだよ天才には!どんだけ努力しても!同じスペックでも!どんだけ野球を愛していても!!」

「……」

「どんだけやっても、俺と新宮じゃ強豪シニアと弱小軟式の差がある!アイツの才能に、俺の才能と努力じゃ届かねぇんだよ!!」

「だからって諦めるの?」

「諦めるしかねぇんだ!だって、俺は、俺はずっと……ッ!」

 お前という天才に、最初から負け続けていたのだから。

 その言葉を聞いた弟は、それ以来、俺の部屋に来なくなった。


 同じ日に生まれて、同じ試合に魅入られて、同じ時期に野球を始めて。

 それなのに同じ才能は与えられなかった。

 弟にだって絶対に負けてないと言える努力もした。

 でも、最初から強い奴に、その後の努力で追い付ける奴なんか数える程しかいなくて。

 ましてや、一度アイツは駄目だと思われたら、その後はずっと、見てももらえない。

 スタートは一緒なのに、ちょっと途中経過が違うだけで、こんなにも差が開いてしまった。

 その事実は、ずっと心に残り続けた。




 ……高校に入ってから、自分を誤魔化し続けて、忘れられたと思ってたんだけどなぁ。

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