第47話・夏、霧城高校、終
平業ベンチは、重苦しい空気に覆われていた。
失点。
それだけならまだしも、エラーと暴投。
チーム全体にも、何より当人の山岸さんにその責任感がのし掛かる。
「すまん、菅原……」
「い、いえ……」
俺もかける言葉が見つからない。
偶然が重なって起こったミスだ。
誰かを責めることでもない。
しかし、だからこそ。
このタイミングでは痛かった。
このミスは確実にチームに響く。
そして。
霧城はここで追い打ちをかけてくる。
「ストライク、バッターアウト!」
藤山さんが三振に取られた。
しかも球種はここにきての……。
「フォークかよ……ッ!」
そう。
今、現時点で、平業の誰一人として、攻略できていないフォーク。
ここに来て解禁したのだ。
後半の勝ち越しのタイミングで、この攻略難のフォークを投げた。
本気でトドメを刺しに来たようだ。
「こりゃ、ヤバいかもな……」
京平も、流石に気分が落ちたようだ。
マズい、このままでは……ッ!
そして、石森さん、郷田も三振で交代。
霧城の勢いを止めるには、もうここしかない。
そう、三番との対決を得て、この回、神木と六度目の勝負だ。
マウンドにて。
「三番を敬遠!?」
「馬鹿、声デカい」
「どっちが馬鹿だ!お前、神木の前にランナー出す気か!?」
京平に、考え付いた策を伝える。
滅茶苦茶怒られた。
「まぁ落ち着けよ。これは、ウチが勝つための賭けなんだよ」
「賭けだと?」
「あぁ。こういう場面での失点で、どのチームも考えるのは、これ以上の失点を避けるってことだ。失点のリスクを抑える策を考えやすい。それってのは……」
「強打者の敬遠……か」
「そう。霧城で言えば神木だ。向こうもそう来ると思っている。なら、ここで予想外の行動をしてやれば良い。こっちからランナー作って神木と勝負する。これ以上の予想外はねぇだろ?」
「だが、危険すぎる!もし打たれでもしてみろ!たちまち差は開く!ウチの勝利の希望は完全に途絶えるんだぞ!」
「京平!!」
ちょっと声が強くなってしまった。
「ノーリスクで勝てる事なんか無い。ここで逃げても、平業の空気は変わらない。どのみち勝負しなきゃならねぇ。四番という打撃の軸を崩す事でしか、もうこの流れを絶ち切れやしないんだ!」
この試合、神木に全敗している。
だが、ここで勝てば、このミスを帳消しにするほどの結果になる。
いつの時代でも、四番が担う空気は大きいのだと思う。
それを絶ち切るのは、ハイリスクであり、しかしハイリターンでもある。
ノーリスクでは変わらない、変われない。
ならば、俺は迷わずハイリスクに挑む。
「逃げても負けるしかないんだ。なら、今ここで、勝負を託してくれ、相棒」
これは、菅原迅一の
これまで俺を活かしてくれたキャッチャーへの冒涜にも等しい。
だが、ここで森本京平という男の闘志は、今までの何倍も滾ってきたようだ。
「……へへっ。良いな、玉砕上等。まさかお前が賭けに出てくるなんてよ」
ミット越しに見せたその顔は、この試合一番笑っていた。
「分かった。三番は敬遠だ。四番の神木と勝負する。ただし条件付きだ」
「条件?」
「ワインドアップ。そして、三振。そんだけデカいこと言うなら、これくらいやってもらわねぇとな?」
「この野郎……」
良い性格してんぜ、本当に。
「上等!やってやる!」
「そう来なくっちゃな!」
二人でミットとグローブでタッチする。
「「絶対勝つ!」」
「えっ!?」
「おい嘘だろ!?」
「三番を、敬遠……!?」
観客達はざわついている。
霧城サイドは特に。
ベンチもだ。
「フォアボール!」
三番が塁に進む。
さて、待たせたな。
『四番、ファースト、神木君』
打席に立つ、怪物打者。
その顔には、俺達の行動が理解できない、と書いてある。
悪いな怪物。
俺は、失点程度で挫けるようなメンタルしてねぇぞ。
こんな頼もしい仲間がいて、負ける気がするかってんだ。
勝負だ、この野郎。
その鉄仮面、絶対壊してやる。
さて。
もう出し惜しみはしない。
最初から何もかも出し切る。
初球、スプリッター。
「ストライク!」
お望み通りの新球だ。
二球目、スプリッター。
「ファウル!」
っと。
もう合わせてきたか。
やっぱ怖いなアイツ。
三球目、スプリッター。
「ファウル!」
でも、芯では捉えられてない。
四球目、ツーシンカー。
「ファウル!」
どうした、前に飛んでこねぇぞ神木。
五球目、スプリッター。
「ボール!」
六球目、ツーシンカー。
「ボール!」
七球目、チェンジアップ。
スプリッターもツーシンカーも、速い変化球。
ここでチェンジアップを投げたことで、体勢を崩した。
「ファウル!」
そこで粘って引っかけるのが神木という打者なのだが。
さーて。
コンディションは整ったぜ。
練習試合では変化球で取ったけど。
俺の武器は、あくまでコレなんだよ。
今日の試合は全打席で狙い打たれた。
この状況で、最高の武器で、お前から。
八球目。
((インハイストレート!!))
三振を取る!!
「ストライクバッターアウト!!」
綺麗に伸びたストレートは、相棒のミットに受け止められ、審判のコールで、その結果に気付く。
「ナイスボール!」
相棒の声が耳に届き、神木の驚いたような表情を目にする。
「う。おぉぉぉぉォッ!!」
そして、興奮のあまり、雄叫びを上げた。
「「「よっしゃぁぁァァァァ!!」」」
その声に呼応するように、平業高校は一気に盛り上がった。
八回表、大きなワンアウト。
・神木咲良side
「馬鹿な……ッ!」
三振。
この試合、この状況で、前との勝負を避けて俺と勝負した。
しかもワインドアップ。
新球で決めずに、カウントを稼ぎにきた。
それに、最後のチェンジアップとストレート。
ここまでのアイツとは別人のようだ。
「富樫さん、すいません」
ベンチに戻ると、タオルを被って日陰に座る富樫さんに謝った。
「へっ、謝るな。らしくねぇぞ……」
(富樫さん、様子が……?)
よく見ると汗だくで、声にも力がない。
「ワシとしたことが、あまりにも楽しすぎてなぁ……。今日の気温で、飛ばしすぎた」
疲労。
この男にも、そういう概念があるのか。
この心臓鉄人に。
「こんだけアガったのも久しぶりじゃ。菅原には感謝せんとな。この試合中に、壁を越えるどころか、投手としてのレベルが上がりよった。プレイヤーでいられる間に、最高の投手に出会えたわ」
「壁……?」
「
富樫さんの言葉には、期待と、何か別の感情が込められていた。
「富樫さん、もしかして……」
「何も言わんでええ。この試合、まだまだ死んどらん。集中を切らすなよ」
グラウンドに立つそのエースナンバーは、試合開始前よりも褪せて見えた。
・森本京平side
八回裏。
「今回は、お前らに救われたよ」
烏丸さんが俺にバットとヘルメットを渡してくれる。
「正直、俺は心折れそうだった。それを変えてくれたのは、間違いなくお前らバッテリーだ」
「……それは違いますよ。俺も折れそうだったんです。でも、アイツが、また火をつけてくれたんです。それだけじゃない。壁を越えて、またレベルを上げた。……捕手として、こんなに嬉しいことはありませんよ」
急激なほどの相棒の成長。
その背中に、エースナンバーが微かに見えた。
「投手が諦めてないのに、俺達が諦めて、ここで援護できないなんて、アイツに申し訳が立ちません。……相棒としてのもう一つの仕事、果たしてきます」
「おう。頼むぜ」
五番の鷹山さんが、粘りのフォアボールで出塁。
六番、俺。
流石の落武者鉄人も、球数と気温でやられているらしく、コントロールは確実に悪くなっている。
特にインコース。
バッターボックスのホームベース寄りに立つ。
アウトコース狙いのアピールだ。
内側が乱れているなら、外側に。
決め球のフォークが来る前に叩く。
あの人以外の打者は、それしかないんだ。
初球。
外への、フォーク。
「ストライク!」
ありゃ、来ちゃったわ。
二球目。
同じ球。
「ストライク!」
フォークを振ってこないと思って、フォークを投げ続けるか。
……いや。
この場面でフォーク二つ?
こんな分かりやすい外狙いに、外に投げてきたんだぞ?
……俺だったらどうするよ。
決まってる。
こんな大事な場面に。
決め球を見極めさせたりなんかしない。
これは、印象付けだ。
初回からフォークでアウトを取ってきた。
インコースに決まらない。
だから三球目も外にフォーク。
そんなわけあるか。
そんな時、多少荒れていても、一番信頼できる、最も投げやすい球、コースを選択するはずだ。
それは、分かりきってる。
決め球はフォークで、それによって活かされる投手最大の武器。
三球目……。
富樫さんが放る。
ストレート。
球の軌道は、俺に近い。
考える前に身体が動いた。
外に大きく踏み込んで、腰の回転を最大まで高める。
内側に向かってくるストレートを、持てる力を振り絞って、叩く。
左中間に飛んだ打球は、フェンス手前に落ちる。
「シャァ!!」
ノーアウト、二三塁。
七番、星影さん、ファーストフライ。
これでワンアウト。
チャンスはまだ続く。
そしてここで。
八番、山岸さん。
霧城攻略、最後の切り札は、この人だ。
今の平業に、富樫さんのフォークを攻略できるのは、山岸さんしかいない。
山岸さん、頼みます……!
・山岸理貴side
八回裏開始前。
「菅原、森本、本当にありがとう……ッ!そして、すまない……ッ!」
俺は、二人に頭を下げた。
大会前に喧嘩ふっかけといて、どの口がと言われても仕方ないと思う。
それでも、俺のミスを詫びると共に、平業の希望を繋いでくれたことを、ちゃんと伝えなければならないと思ったのだ。
「山岸さん、頭を上げてくださいよ」
「そうっすよ。あれは、偶然が重なっただけです。引きずる必要なんかありません」
そうはいかない。
俺は、嶋の代わりに、サードを任された。
だが、一年に厄介かけるどころか、試合中にテンパってミスをして、折角来ていた流れを絶ち切ってしまった。
責任はあまりに重すぎる。
「でも、そうですね。どうしても責任を感じるってんなら、バットで取り返してくださいよ」
森本の言葉に、俺は驚く。
「バットで……?」
「富樫さんから点を取る。それだけじゃ、霧城は倒せない。多分また試合を引っくり返されるだけです。そうなれば、今度こそウチは終わり。だから、あの人達の最後の砦を崩さなきゃならない」
「その砦ってのが、富樫さんのフォークですよ」
「俺に、あのフォークを、攻略しろって言うのか……?」
二人の言う意味が分からなかった。
正直、俺は打力で劣っている。
パワーに自信はあるが、それだけだ。
どうやって、攻略しろというのか。
「山岸さん。あのフォークを攻略できるのは貴方だけです。国光さんのフォークの完成に尽力した、山岸さんにしかできないんです」
俺が代理で捕手になったとき、国光は新たにフォークを習得するため、俺と共に練習に励んだ。
その時の経験が大きいのだと二人は言う。
「今、富樫さんはヘバってます。ここでフォークを叩けば、確実に折れる。冷静に、打席でフォークを見てください。打てると思ったときにバットを振れば、必ず勝てます!」
そして俺の打席。
森本の言葉が、頭で反響し続ける。
(あんな化物みたいなフォーク、どうやって攻略しろってんだよ……)
初球、ストレート。
ボール。
三塁に牽制を入れ、二球目。
フォーク。
(うおっ!)
思わず退いてしまった。
こんなの、どうしろってんだよ!
「山岸さん、落ち着いて!ボールを、見て!アンタなら打てる!」
森本の掛け声が聞こえる。
ボール見ろったってよ……。
カウント、ツーボール。
三球目。
またフォーク。
えぇい、絶対目離さないからな!
富樫のフォークを見る。
その球筋は、どこかで見覚えがあった。
国光との練習風景が思い出される。
あの時は、確か……。
自然にバットが動いていた。
「ファウル!」
あ、当たった。
「オーケー、オーケー!見えてますよ!」
そうか、スピードが乗ってて気付かなかった。
富樫のフォークは、国光と同じようなポイントで変化している。
これなら、分かる。
俺の記憶の中の、国光のフォーク。
それを手繰り寄せて、イメージを固める。
(富樫、後輩が優秀なのは、お前だけじゃないらしいぜ……)
まだ、ここでやれることがあるなら、俺はそれを全うする。
四球目、フォーク!
(富樫、これで、貰ったぞ!)
俺の野球人生で、かつてないほどの快音を鳴らしたバット。
そこから飛んでいった打球は、高く高く飛んで……。
・菅原迅一side
九回表。
「大きな援護貰ったな」
「あぁ。大きすぎるくらいだ」
「さぁ、ここで畳み掛けようか」
「変なフラグ立ちそうだから止めろ」
もう、二人で笑いが収まらない。
緊張はない。
充分リラックスしているようだ。
「あと三つ。頼むぜ迅一!」
「おう!」
前の回で、クリーンナップ三人で締められた。
打順は六番から。
ストレートとチェンジアップを駆使して、三振。
七番打者は、ツーシンカーでひっかけ、セカンドゴロ。
八番打者。
ネクストバッターズサークルを見る。
そこにいたのは……。
いや、集中しよう。
初球からストレート。
チェンジアップで続けて追い込み、最後はストレートで三振。
九回表、スリーアウト。
審判のコールと共に、ゲームセットが告げられる。
霧城高校、対、平業高校。
7対8で、平業の勝利である。
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