第38話・悲劇

 ・海王高校、新橋天豪side


 夏大会一週間前。


「天豪さーん。鍵どうしますか?」

「部室に置いといてくれ。終わったら俺が返しとく」

「わかりましたー」


 素振り今日何本振ったっけな。

 つか今何時だ。

 とりあえずあと百本。

 くそっ。

 落ち着かねぇ。

 久しぶりに怒りに身を任せて練習したな。

 自分が思う以上に、腹立ってんのか?


 全く、上手くいかないもんだな、野球ってやつは。

 奏矢、俺は優勝するぞ。

 例え、お前と戦えなくても、な。



 ・菅原迅一side


 重苦しい空気が部室に流れる。

 まさかこんなことになると思わなかった。

 もちろん、これは偶然のプレーによる偶然の事故のようなものだ。

 それでも、到底受け入れられるものではなかった。

 事は、カラ学、鴉沢学園との練習試合中に起こった。

 七回表、平業の攻撃。

 三塁ランナーの嶋さんが、ライト前ヒットでホームに帰ろうとしたその時。

 ライトはホームに間に合うと思って投げ、その時起こるのはキャッチャー、比嘉さんとの接触プレー。

 これだけなら普通に起こりうるプレー。

 しかし、この後悲劇が起こる。

 点を取るというランナーの思い。

 絶対守るというキャッチャーの思い。

 その両者の思いは、どちらも間違いではない。

 ただ、時としてそれは、その思いを無に帰す引き金にもなる。

 審判の判定はセーフ。

 ただし、その時の衝突で。

 嶋さんが、立ち上がることは無かった。

 搬送された嶋さんは腰の負傷と診断され、大会開始までに完治は間に合わないという判断になった。


 平業の得点源の嶋さんが離脱。

 この事実はチームの気合を大きく削いだ。

 三年生はもちろん、俺達後輩までも、下を向いていた。


 病院から戻ってきた嶋さんが皆に頭を下げたとき、かけるべき言葉を、誰一人見つけることはできなかった。


 夏の勝利は絶望的か、この中の誰もがそう思った。

 ただ、一人を除いては。


「あれ、皆さんまだ部室にいたんですか」

 汗だくの京平が部室に来た。

 昨日の今日でもう切り替えたのだろうか。

「もう練習始めないと、日が暮れますよ。ただでさえ練習時間無いのに」

 あ、今その言葉はマズい。

 俺の心配空しく、京平は胸ぐらを掴まれていた。

 嶋さんと同じサード、そして、このチームのキャッチャーでもある山岸さんに。

「お前、悔しくねぇのか!」

「何がですか」

「嶋が、キャプテンが、こんなことになったんだぞ!」

「あぁ、皆さんまだそれ引きずってんすか」

「何ィ……!?」

 京平、それ神経逆撫でするだけ……。

「皆さん、話聞いてました?」

「あ?」

「嶋さんは、完治は大会開始に間に合わないって言われたんであって、そもそも大会出れないとは言われてませんって」

 ……言われてみれば。

「準々決勝までに完治するらしいじゃないっすか。てことは話は簡単でしょ。勝ちゃ良いんですよ。あの人が戻ってくるまでに」

 皆、呆気にとられている。

「それとも何ですか。ここで腐って嶋さんが出る前に敗退とか言うんですか。誰よりも近くであの人の努力を見てきた貴方達が?」

 京平の目の色が変わる。

「冗談じゃない。嶋さんがいなくなっただけで諦めるほど、アンタらの努力は薄っぺらいのかよ。こんな時こそ、あの人が戻ってくるまで勝って待っててやろうって気持ちは無いのかよ。怪我一つでチームが機能しなくなるってんなら、それこそチームを信じているあの人への侮辱に他ならねぇだろうが!」

 言葉が荒々しくなる京平。

 そうだ。

 コイツも、かつて大事な仲間が怪我で苦しんだんだ。

 その苦しみが分かっているからこそ。

 立ち止まるわけにはいかないと。

 最後の夏を本当に無かったことにするかどうかは、仲間の俺達にかかっているのだ。


 胸ぐらを掴む腕を振りほどく京平。

「俺は諦めませんよ。嶋さんには何としてもグラウンドに立ってもらいますから。その為ならアンタらに嫌われても構いません。勝つために嶋さんがやってきたこと全て、俺らが無かったことにするわけにはいかないんで」

 失礼します、と言って京平は一人練習に戻った。


 その姿を見て、俺の、俺達一年の身体は自然に動いていた。

「俺達、練習してきます」

「せやな。この程度の事、野球やってりゃいつ起きてもおかしくないで」

「まっ、俺らの代表があんな風に言ってて、俺らがそっぽ向くわけにもいかないッスよ」

「僕らも、勝つために練習してきたもん」

「こんなに緊張感も久しぶりね」

「よーし、頑張ろう、薫ちゃん、皆!」

 ボルテージは最高だった。

「よっしゃ。京平、何一人でカッコつけてんだ、俺らも混ぜろ!」

「四肢がもげるまで練習や!」

「「「もげたら意味ねぇよ!!」」」



 ・山岸理貴やまぎしりきside


 一年が皆、練習に向かうため、部室を出ていった。

 嶋の離脱を、何とも思わず、立ち直ってしかも勝とうとしている。

 何なんだ、何なんだよ……ッ!

 一年のくせに!

 どうしてあんなに気楽でいれるんだよ!

 何なんだあの自信は!

「山岸」

 肩に手を置かれる。

 手の主は星影だった。

「拳、今にも血が出そうだぞ」

 手を見ると、相当力んでいたのか、手のひらの皮膚が破れそうになっていた。

「気持ちは分かる。ずっと嶋の近くにいたのはお前だ。同じサードを争ったわけだしな」

 でも、と言いながら星影は部室を出ようとする。

「こういうところじゃないのか、俺達が弱いのって。嶋に頼りきりで、アイツがいなくなれば黙っているしかない。それに比べて一年は、諦めてない。俺達三年よりずっとレベルの高い位置にいるよ。心技体全てにおいてな。それに、嶋のこと、一番分かってんの、アイツらだよ。三年間共に過ごした俺らよりずっと分かってるんだ。ここまでされて、黙って見ているわけにはいかない」

 お前はどうする、と星影の背中は語りかけていた。

 俺は。

 俺は、どうしたいんだ……?


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