第36話・三原監督

 五日目を死ぬ思いで乗り切り。

 迎えた合宿六日目。


「来週、実は練習試合があるのは言ったと思うが」

「監督、言ってないです」

 疲労が溜まった状態での練習試合が決まった。


 実戦練習。

 毎試合起こるようなプレーから、年に何回経験するか分からないプレーまで。

 様々なシチュエーションでプレーを経験するのだ。


 例えばランナー、一二塁で三点ビハインドの場面、相手は火山クラスの重量打線であると仮定したとき。

 ノーアウトであれば、打たせて捕るというのは好ましいとは言えない。

 ワンアウトであれば、ゲッツー狙いで候補には入るだろう。

 もう一つ。

 ワンアウトでランナーが一三塁の両チーム無得点の場面。

 ここで点を取られたら、勢いは確実に持っていかれる。

 足が速いランナーなら、転がされればホームに帰ってくる。

 一塁からも揺さぶられることで、チーム全体のプレッシャーは大きくなる。

 これがツーアウトなら満塁策を選んだかもしれない。

 しかし、そうではないときどうするか。

 ポジショニング、ランナーの動き方、次の打者、投手の状態、コーチャーの判断。

 考えうるパターンの思い付く限りを、ここで潰していく。


 打席に京平が立つ。

 マウンドには俺。

 マスクは濱さん。

 京平が場面を指定して、その状況で選手達が勝負するというもの。

 ところでこの練習、京平の面白い癖が出るのだ。

「地区大会三回戦、六回表三点ビハインド、ワンアウトランナー、二三塁!」

 試合の中身だけでなく、その試合がいつのものかまで指定してくるのだ。

「打者は内野の頭上狙い、三塁ランナーは迷いなく突っ込んで、二塁ランナーは慎重に走ってきます!」

 ランナーの性格、打者の狙いまで指定してくる。

 この指定が全てではない。

 同じ選手でも、場面によっては狙ってるプレーが得意なプレーにならないかもしれない。

 野球という試合には、色んな確率が絡んでいるのだ。

 ちなみに俺への指定は先発で三失点。

 交代寸前の状態。

 相手は三点リードのため、余裕こそあるものの、ここで追い討ちをかけておきたい。


 濱さんは細身で小柄なので、クロスプレーで接触があった場合では押し負ける可能性が高い。

 尚且つこちらはこれ以上の失点は避けたいところ。

 フライ、ゴロでも帰ってくる、かといって三振を狙えるようなバッターでもない。

 フォアボールでの満塁も避けたいところ。

 濱さんはインハイ、ゾーンの中に構えた。

 森本京平は怖い打者。

 内野の頭上とか言ってるけど、なんなら一発狙ってるし。

 そんな相手にも、積極的に勝負に行くと。

 かわいい顔して、強気のリード。

 誰の影響受けたんだか。

 そういうの本当、大好物なんですよ!

 放ったのはストレート。

 京平はバットに当てる。

 ボールの行く先は。

「サード、ホーム!」

 捕った山岸さんが返球、ホームベースでアウト。

「ファースト!」

 さらに濱さんの送球で見事ゲッツー。

 俺達の勝利。

「「よっしゃァァァ!!」」

 俺と濱さんはお互いのグローブとミットでタッチした。


「やられたぜ今日は」

「なーにがやられただ。あの後仕返しの如くボコスカ打ちやがって」

 そう。

 喜んだのもつかの間。

 よっぽど悔しかったのか、再試合をすることになった。

 五戦四敗。

 俺達が完敗した。

 やっばり相当な負けず嫌いなんだよな、コイツ。

「実際、あの場面でインコース投げるって相当な勇気だぜ。しかも高め。甘く入れば命取りだったしな。最善な選択だったとは言えないよな」

 京平の言うことも最もだ。

「最善とは言えないが、最高だったな。チームに勢いを取り戻すピッチングだった。消極的な印象のアウトコースよりも、強気のインコース。これが毎回決まるなら、捕手としては最高のリードだ」

 京平の視線の先には、濱さんがいる。

「俺なら、迷ったかもしれない。でも、あの人は迷いなく構えた。投手を乗せるリード。濱さんは、その点において、俺よりも上にいる」

 負けたくねぇな。

 そう言った京平の目は、ギラギラと燃えていた。


 午後3時。

 監督がバットを持った。

「よーしお前ら、そろそろ始めんぞ。準備はできてんな?」

 か、監督直々にノック……?

「一年生は外れろ。そんな状態で、怪我されちゃ困るんでな」

 いつもより口調が厳しい監督。

 先発達も目の色が変わった。

「行くぞォォ!!」

 地獄の監督ノック、始まる。


 三原舞華みはらまいか

 小中高と野球部に所属。

 彼女が学生のときは男女混合ではなかったため、男子に混じって野球をするということはできなかった。

 が、当時、野球女子が増加していた。

 そのため、高野連が女子野球大会を男子大会と平行して開催。

 女子が甲子園を目指す熱い時代になった。

 今でこそ男女混合で熱い試合が多い世の中だが、女子だけの野球はそれはそれで見応えのある試合だったらしい。

 ちなみにその頃、俺はちょうど野球嫌いを拗らせていたので、実はよく知らない。

 三原監督はその当時の看板選手の一人でもある。

 全てのポジションでの公式戦への出場経験があり、女子甲子園準優勝にも輝いたこともある。

 プロのスカウトは、男子でさえあれば、あるいは野球界が男女混合というものを受け入れさえすれば、プロとして一流の世界で戦えただろうと話している。

 本人は、甲子園以上に自分が熱くなれる環境は無いと、どのみち蹴るつもりだったみたいだが。

 三原監督はその後、高校教師になり、遂に四年前、野球部の顧問になった。

 母校である平業高校の野球部に。

 今では女子部活専用の部室棟の建設も、監督の代の甲子園出場が大きく関わっているとのことだ。

 これが三原監督について、何故か宿の清掃員の人に教えてもらったことだ。

 現役以上の身体を作り、男子顔負けの体力で選手を鍛え上げてきた。

 全ては、教え子に甲子園の舞台を見せるため。

 顧問になってからしばらく、前任の監督の教え子との野球。

 そして今年、前任の監督が目をつけた選手が卒業し、自分が見つけ、一から育てた嶋さん達が三年に。

 三原監督のこれまでの集大成が全て出る。

 嶋さん達も、監督とのこれまでに応えようとしている。

 その思いが、このノックに滲み出ている。


「どうした、腰が落ちてないぞ!」

「……ッ、らァ!」

「足が動いてないから、グローブが届いてないだろうが!!」

「グ……ッ!」

「判断が遅ぇんだよ、疲れた時こそ身体で止めに行けェ!!」

 監督、ずっと打ってる。

 先輩達も捕ろうという意識が途切れていない。

 待っているんだ。

 捕ることを、ずっと。

 それまで、何球だろうと打ち続ける。

 監督も選手も、ボロボロになっている筈なのに。

 この人達、捕るまで止まらない気か。

「どうしたもう限界か、お前らの甲子園はここで終わりか、エェ!?」

「先輩達、膝が落ちてる。何がこの人達をここまで奮い立たせるんだ……!?」

「それだけ前を見てるんだ……。絶対に甲子園に行くって、監督をあの舞台へ連れていくと、三年間共に進んできたあの人に応えようと、何もかも振り絞ってるんだ……!」

 くそっ、何で今、俺達はあそこに立ててないんだ……ッ!

「くっ、……ガッ、ラァァァァァァッ!」

「うぁ、ァアァァッ!」

 叫びながらも立ち上がる先輩達。

「……お願い、しますッ!」

「何球、だろうが、捕って、みせますッ!」

「その言葉、嘘じゃないだろうな。良いぜ、容赦はしねぇ!」

「「「来いやァァァァ!」」」


 夜。

 流石に皆、疲れ果てている。

「すまねぇ菅原、手ェ貸してくれ……」

「あ、はい」

 椅子から立ち上がるのに、俺達が手で支えを作る。

 見ているだけだったが、今回のノック、凄く刺激になった。

 これだけやる人達なんだ。

 俺が、俺達一年が、置いていかれるわけにはいかない。


 それから一時間後、ちょっと風呂まで時間があるため、室内練習場に入り、一人でネットスロー。

 ビデオで撮影しながら、フォームチェックをして、新球にチェンジアップ、ツーシンカーとストレートを投げ分ける。

 ビデオで見てみると、腕の振りが微妙に違うのだ。

 これを修正できれば、実戦でも使える。

 最初はシャドーで練習していたが、やはり球種による変化なので、ボールでも練習しておきたい。

 一人で黙々と投げていると。

「こんなところでこっそり練習か」

 入り口の方を見ると。

「か、監督」

 三原監督だった。

「も、もう風呂上がったんですか」

「いやこれからだ。室練の電気が点いてたんで気になってな」

 さっきまでの鬼のような姿とはうって変わって、やはり美人だなと思わされる美貌であった。

「新球か。スローボールは扱いきれなかったか?」

「カウントをとろうとすると、やっぱりスローボールだと厳しいですね」

「ま、外すために教えた球だからな。使えないと判断してチェンジアップにたどり着いたなら、それもよし」

 三原監督はどこから取り出したか、キャッチャーミットを着ける。

「チェンジアップ以外の新球、投げろ」

「え、プロテクターは?」

「いらん。はよ投げろ。あるんだろ?」

 え、えぇ?

 いきなり監督に投げるって、投げにくいんですけど……。

 いや、でも、凄い人なんだよなこの人。

 ……投げてやろうじゃねぇか。

「怪我、しないでくださいよ!」

 俺は監督に向かって新球を投げた。


 合宿最終日。

「というわけで、合宿お疲れさま。よくここまで頑張ったな」

 翌朝。

 皆、顔から力が抜けていた。

 中には泣いてる人もいた。

「来週からは練習試合を組んでいる。そこから夏の大会まで毎週一試合ずつある。そこが夏大までの最後の仕上げだ。各自、己のケア、課題の克服にもしっかり努めてほしい」

 そしてもう一言。

「私の中で、大会に出す者はもうほとんど決まっている。後はこれからの練習試合で最終的な決定を出すつもりだ」

 レギュラーメンバーの決定。

 夏の大会に出られる選手、20人。

 このとき、その20人を決することの意味の重さを、俺はまだ理解していなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る