第35話・血を吐くほどの練習

 二日目、身体が慣れたのか、吐くことは無かった。

 しかし酷い筋肉痛が襲いかかってくる。

 動きも判断力も鈍ってくる。

 頭の回転と身体の動きに徐々にズレが生じるのだ。


 三日目。

 学校も始まり、辛い筋肉痛と、急速に襲ってくる睡魔。

 しかし大会前に期末もあるため、寝るわけにはいかない。

 寝る、わけには……。

 グー。

 ハッ、いかんいかん。

 練習は放課後すぐ。

 ようやく身体が合宿での練習時間に適応して、夜練習についていけるようになった。

 ところが。

「ダッシュラスト十本、ゴー!」

 ふえた。


 四日目。

 ノック、バッティング、ベーラン。

 流石の先輩達もキツくなってきたのか、ミスが増え始めた。


 この日から導入されたタイヤ運び。

 大きめのタイヤを一回一回ひっくり返してグラウンドの向こう側まで運ぶというもの。

 タイヤが重い上に、疲れが溜まっているので、全身を上手く使わないと運べない。

 そしてプレートダッシュ。

 ウエイトのプレートを持ってグラウンドを往復する。

 腕が振れないから身体が進まねぇ。


 手押し車。

 ジャンピングプッシュアップ。

 ジャンピングスクワット。

 懸垂。

 階段ダッシュ。

 綱登り。

 タイヤ引き。

 フルマラソン。


 身体が、これまでの自分とは別のものに近付いていってるのを感じる。

 これだけのトレーニングをしながら、怪我しそうな感覚はほとんど無い。

 監督の管理によるものか、自分達が適応してきたのか。

 そこまで考える余裕は無くなっていた。


「よーし休憩。水分多めに摂っておけよ」

 バタッ。

 つ、疲れた。

 張り詰めた何かが解れて腰が落ちる。

 初日であんだけやってまだ増えるのかよ。

 す、水分水分。

 自分のボトルを手にして、何とか飲んだその時。

「ゲホッゲホッ」

 むせた。

 口で押さえる。

 あービックリした。

 水分口に入れるのもままならねぇな。

 口から手を離すと、一瞬視界に映った。

「ん、血?」

 何と、血を吐いていた。

 どうやら口の中を噛み違えて切ってしまったらしい。

 結構前から切ってたよな。

 それに気付かなかったってことは、よほど追い込まれてんのか。

 自分一人では、ここまでやれなかったな。

 ここまでやれるって気付かなかったよな。

 野球部に来てから、気付かされてばっかりだな。


 投げ込み、素振り、遠投。

 自分達の技術。

 重い身体で力むこともできない。

 そのおかげで。

 腕が最も自然な形で振れる。

 京平のナイスキャッチングで、快音がグラウンドに響く。

「菅原。それがお前の疲労の先にある球だ」

 三原監督の言葉。

「疲労のピークで、ある一点を境に甦る投手が存在する。力の限り投げ続けた後、無意識にピッチャーとしてのギアが変わるんだ」

 ギア。

 強い投手の、リミッターみたいなもんだろうか。

「リミッターを自分でコントロールする投手には届かない世界だ。そういう者は、自分の規格の中でしか投げることができない者が大半だからな。そこから大きく変貌することは少ない」

 だが、と三原監督が京平を見る。

「お前は今、これまで投げられなかった真っ直ぐを投げた。お前の超回転を最大限に活かした綺麗な真っ直ぐ。暴れるストレートとは真逆で、手元で加速するストレート。これはお前が疲労したからこそ。全身全霊で投げてきたからこそ。これまでのトレーニングを、お前が乗り越えてきたからこその球。受けたアイツが一番感動してるな」

 これまでの自分の成果。

 こんな形で表れるとは思っていなかった。

「今、そのギアが変わった状態を意識するチャンスだ。自分が限界に達したとき、そこからどういう球が投げられるか、この合宿で少しでも感じとれ」

 三原監督、何だか嬉しそうだな。


 ギアが変わったことで、自分の限界値の先の世界が見える。

 これが、俺の武器。

 求められた、本来の真っ直ぐ!


「オエー」

 初日以来、久しぶりに吐いてしまった。

 沢山投げた後の、合宿一日の仕上げのメニュー、めっちゃグレードアップしてる。

 先輩達も疲れているはずなのに、それでも食らいついている。

「どうした一年、誰が休んで良いって言ったよ!?」

 くっそー、動けこのタコ!

 血まで吐いたろうが!

 こうなりゃ地獄の先まで駆け抜けろ!


 お、終わった……。

 い、一歩も動けん……。

「おい一年死んでるわ。運ぶぞーー」

「女子は担架で運んでやれ。野郎は引きずって良いぞーー」

 待遇の差……。


「一年生、動けるようになったら飯食えよ。とりあえず用意されてるもんだけでも腹に入れとけ」

「うーす……」

 全員、力のある返事は、できなくなっていた。

「迅一、生きてるか……」

「何とか……」

「俺、この合宿終わったら、グハッ……」

「き、京平、何だよ。合宿終わったら、何するんだよ……。最後まで言ってくれよ、なぁ京平」


 黄泉へ召されかけた京平を叩き起こし、何とか食べ物を腹に入れる。

 脂汗が止まらない。

 立つことすらままならない。

 野球のためだけに、ここまでしなきゃならんのか。


 あ……風呂の時間か……。

 くっ、立ちやがれこの足め……ッ!

 テーブルを支えに身体を椅子から立ち上がらせる。

 自分の部屋に置いてある風呂道具を入れたカゴを持つ、落とす。

 これ持つことすらままならなくなったか。

「菅原君、これから風呂かい?」

「濱さん、泉堂さん……?」

「限界極まったて感じだな。カゴ貸せ。持ってやるよ」

「すいません……」


 ゆっくりと浴場に向かう。

 二人は俺のペースに合わせてくれた。

 ありがたい……。


 更衣室に着き、服を脱いで、浴場に入る。

 身体の土を洗い流して浴槽に入って、入って……、ブクブクブクブク……。

「こーら。ここで力尽きるんじゃない」

「懐かしいな。去年の俺らじゃん」

 救出してくれる濱さん、後ろで笑っている泉堂さん。

 そういえば、濱さんとも泉堂さんとも、ゆっくり話したことって無かったな。

「お二人は、どうして平業に?」

「単純に力不足。強豪行ってまで野球やる力が、無かったんだ。まぁ、蓋を開けてみりゃこれだったけどな」

「去年、監督が変わって三年目。人数不足の部でそれでも結果残すために、監督自身も地獄のような日々を選手と過ごしたのさ」

「女性監督ってだけで後ろ指差されたりな。そうならない為に、俺らはあの人を甲子園に連れていきたいって思ったんだ」

「あの人は、今の環境に満足せず、上を目指してる。やり方が上手いとは言えないけど。選手一人一人と自分一人で向き合って、勝つために沢山話した。もし強豪に行ってたら、三原監督みたいなことをしてくれたとは思えない。僕たちが、このチームで勝ちたいと思えたのは、あの人のおかげなんだ。だから、どうしても恩返しがしたい」

 きっかけは違えど、皆甲子園を目指してるんだ。

 間違いなく強くなってるのは、三原監督のおかげなんだな。

 にしてもさっきから女子風呂、なんか騒がしくないか?



 ・青山明良side


「か、薫ちゃん!」

「でーすーかーらー、監督はもっと自分の為に時間を使うべきなんですーー!!」

「み、三原監督!」

「なァんだお前は。私が野球の為に時間を使うのは私の為になってないとでもーー!?」

「そうじゃないですけど、監督も良い歳の女なんですよ!?」

「うるへーー、今の私は甲子園が恋人じゃーーい!!」

「とんだ遠距離恋愛ですねーー!?」

「二人とも止めてーー!!」


「どうした青山ーー。何があったーー。」

 男風呂から菅原君の声が聞こえてくる。

「薫ちゃんと三原監督が恋愛観で言い争い始めちゃって!」

「は?」

「片や恋せよ乙女、片やどの口が言ってるんだって、両者日に日に恋愛トークが爆発してるのーー!!」

「お、お前、自分もその変なノリに呑まれてるの気付いてるか?」

「多分女性陣逆上せてるね、これ」

「監督、去年は女一人で、寂しかったんだろうな」

 男性陣は何か納得してるし!

 もーー!


 私、疲れてるのにーー!!


 四日目、終了。

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