第34話・食ったもん吐くほどの合宿

 合宿初日。

 連休の為、月曜日と火曜日はフル練習。

 基礎的な肉体作りから基本技術の見直しに加え、合宿ならではのハードな実戦練習。

 今はノックタイム。


「セカンド行くぞ!」

 内野ノック。

 星影さんはデッドボールの影響は無いと診断され練習に参加。

 打球を予測して、余裕を持って安定した良い捕球をしている。

 続く荒巻も、前後左右のノッカーの揺さぶりにも動じず、ここまでノーミス。

 ここだけ見れば、どっちがレギュラーでもおかしくない守備力争いだ。


「次、ショート!」

 烏丸さんは相変わらず。

 足が速くて、打球反応も良い。

 迷いが無くて、ファーストへのボール運びも完璧と。

 島野も烏丸さんに劣らず。

 二遊間の厳しいライナーに飛び付き、こぼさない。

 二遊間は鉄壁だな。


「ウチの勝利のポイントはズバリ、失点を減らすこと、だ」

 三原監督がミーティングで言ったことだ。

「これまでの練習では、個人の守備範囲を広くすることで穴を埋めようとしてきた。しかし野球っていうのは、常に自分とそれ以外のコンディションに左右されるスポーツ。となれば、常に同じ守備範囲でプレーできるとは限らない。そこで合宿の守備の課題、ポジショニングをやるわけだ」

 ポジショニング。

 ワンプレーごとに、どういう打球が来るか、相手がどういう攻撃をしてくるかを予測することで、あらかじめ守備位置を移動しておくということだ。

「どんだけ守備範囲の広い選手でも、立ち位置と真逆にボールが飛べば捕球は困難だ。逆に言えば、守備範囲が狭くても、ポジショニングさえしっかりしてれば、余裕を持った捕球ができる。そうやって守備の穴を埋めて行くんだ。焦らずに捕球して、ボールをこぼさなければ失点する確率は限りなく低くなる、というわけだな」

 そう。

 平業の練習量で、能力を底上げできる範囲は限りがある。

 思考による補助。

 その練習の成果は、これまでの練習試合で実感してきている。

 この合宿で、そのやり方をチーム全体に定着させるのがテーマらしい。


「外野、フライ行くぞ!」

 濱さん、泉堂さん、藤山さん、鷹山さん、国光さん、石森さん、青山、田浦。

 こんだけいると、それぞれ守備の個性も見えてくるなぁ。

 肩がそもそも強い人もいるし、捕球体勢からの移行が速い人もいる。


「初日の昼なんかこんなもんだ。体力が削れてくれば、意識なんか消えるし、元々の癖も顔出してくる。ま、そこからどうやって弱点克服するかが一番の狙いなんだけどな」

 ノッカーを交代して守備の準備をしてきた嶋さんが話す。

「お前も覚悟しとけよ菅原。何百球投げるよりもキッツいメニューまだまだ用意してるならな、監督」


 夕方。

 昼食を終えてから三時間経過して、ノックのスピードは上がりまくっていた。

「はっや……」

「ほとんどライナーじゃねぇか……」

「どうした一年、まだまだこれからだぜ!」

「オラ、次、行くぞ!」

 ハイペースなノックに、一年生はスタミナが追い付かず、ボールをこぼしはじめる。

 先輩達は余裕そうだが。


 夜。

 晩飯前練習に入る前に軽食を腹に入れる。


 入れたのが、失敗だった。

 ここから走り込み、ジャンプスクワット、ベーラン等々、足腰への追い込み。

 ハイペースノックで足腰、神経を磨り減らしてからのこのメニューに、俺達一年はどんどん削られていき。


 食った軽食を、己に吸収する前に、大地に還してしまった。

 早い話が、吐いた。


 20時ジャスト。

 ようやくベーランを終えて、いよいよ終わりかと思った矢先。

「よし、ラスト全員で声出して、グラウンド十周!」

 後ろで島野がまた吐いた。


 初日の全メニューを消化して、いよいよ飯だって喜んだのもつかの間。

 ここにも地獄は潜んでいた。

 食事量はいつも多いつもりだった。

 その三倍の量。

 戻さないように慎重に食べていたので、味の記憶は無い。


 21時半。

 風呂の時間。

 練習を先に上がった上級生の先輩が出てきたら一年の俺達が入る。

 女子風呂は荒巻、青山、三原監督とマネージャーだけなので先に入っている。

 動かぬ脚を引きずって男子風呂に向かうと。

「おい森本沈んでんぞ!」

「急いで引き上げろ!」

 先に入った京平が限界を迎えたらしい。


 茹で上がった京平を脱衣室のソファーに転がして風呂に浸かる。

 変な声が止まらない。

 マジでヤバかった。

 初日の練習でこんだけ追い込んで、一週間耐えられるだろうか。

 そもそも明日の朝、起きられるだろうか。


 ヤバい意識飛ぶ、ってところで気付いた。

 隣、何か泡立ってるな。

 上から覗き込んでみると。

「ブクブクブクブク……」

「た、田浦ァーーーーッ!」

 田浦が沈んでた。


「いやーごめんね。疲れのあまりつい。助けてくれてありがとう」

「ついじゃねぇよ。一緒に入っている人達は気付かなかったのかよ」

「そもそも入ってることに気付いてなかったっぽくて」

「そういや自己紹介で地味とか自分から言ってたっけな……」

 まさかプレーじゃなくて日常的に地味という意味だとはな。


「おう、お前ら。入ってたのか」

「あれ、嶋さんに烏丸さん。風呂これからですか?」

「おう。監督とちょっと話してたら遅くなっちまった」

「ありゃ二人か。外で森本が転がってた以外に、誰かいないのか?」

 アイツまだ目覚ましてないのかよ。

「島野はまだ飯食ってますよ」

「マキは一回部屋戻るって言ってました」

「てことは上級生は皆入って残りは一年だけか。よし邪魔すんぜーー」

 シャワーで全身流した二人が浴槽に入る。

 しっかし広い風呂だな。

 男四人でも全然余裕ある。


「どうよ合宿初日。しんどいだろ」

「正直、こんだけやって予選勝てないのか、って思いましたよ」

「まさか吐くほど練習するなんてって」

「だよな。俺らも最初はそうだったわ」

「一昨年は俺。去年は烏丸。烏丸なんか、昼間で既に吐いてたしな」

「え、お二人もですか?」

「烏丸さんが吐くほど……?」

 意外だった。

 この人達は最初から化物みたいな体力してるもんだと思ってたから。

「俺らも練習重ねてここまでの体力になったわけだしな。ソウさんだって、最初からこんなパワーヒッターだったわけじゃない」

「烏丸も、最初は出来損ないだの落ちこぼれだの、言われたい放題だったな」

「出来損ない……、烏丸さんが?」

「おうよ。俺が強豪からの誘いを蹴った話、そこだけ知ってるよな?」

「はい」

「強豪さんにスカウトしてもらって、それを蹴ってまで平業に入る。それでまぁ何だ。変な矛先が向いてきたんだよな。アイツは馬鹿だ。大人しく強豪に進んでれば、甲子園も見えていたのに、ってよ」

「俺も蹴った側だから言えんが、本当に馬鹿だと思うぜ。わざわざ公立で甲子園に行こうなんて、頭の出来が悪いとしか思えねぇよ」

「だってあの海王ですよ。四強のプレッシャーなんか背負えませんって」

「だよなぁ、分かる。まぁ、そういう話が広がって、烏丸は実は凄くないんじゃないか、って言われたのを烏丸自身が結果で黙らせたってのがオチだ。実際スタミナは無いわ全球フルスイングだわで、課題は多かったけどな」

「ちょ、菅原の前でそれ言わないでくださいよ。この間選球の練習教えたばっかなんですって」

 楽しそうに思い出話をする二人。

 色んなドラマがあるんだなぁ、この人達にも。

 その後、疲れで意識が朦朧とした郷田がヤケクソになって歌い出したり、島野が風呂で一瞬にして茹で上がって京平の横に並べられたり、男子風呂は大盛り上がりだった。



 ・荒巻薫side


 男風呂から郷田の大熱唱が響いてくるのと同時期に、アタシ達も女子風呂にいた。

 チームメイトで同期の明良ちゃんとゆっくり浸かっていると、ガラガラっと扉が開く。

「お、まだいたか。ちょうど良かった」

 生まれたままの姿の三原監督だった。

 同性とはいえ、よく生徒の前で何もかもさらけ出せるものだ。

 美人でスタイル良い、性格も良い、なんだこの人完璧かよ。

 ていうか筋肉凄い。

 腹筋見えるし、腕も足も筋肉がしっかり締まってる。

 わぁ肩と背中かっこいい。


「よいしょ、と」

 浴槽に入ってくる監督。

 水も滴る良い女、とはまさにこの絵のための言葉だろう。

「野球部入ってしばらく経ったな。どうだ、同期とかとちゃんと話せてるか?」

「あ、はい。まだ少しだけですが」

「それで良いのさ。日々のコミュニケーションとは、その少しを積み重ねてできるものなのさ。一番悪いのは、無視するということさね」

「はぁ」

 この人、歳いくつなんだろう。

 たまにとんでもない人生経験が顔を見せるんだけど。


「ふむふむ。で、気になる男はいたか?」

 ブーッ!!

 こ、この人、生徒になんちゅーこと聞くんだ!

「お、その反応、二人ともいそうだな?」

 隣を見ると、明良ちゃんが沈んでいて、静かに浮き上がってきていた。

「い、いたとしても言わないですよ、監督相手に!」

「よいではないかよいではないか。折角の女だけの場だ。私もたまには浮わついた話がしたいのだよーー。で、誰だ、荒巻。菅原か、この間は島野と良いコンビだったなーー!」

「ちょ、目が光ってますよ監督!」

「青山は田浦か、それとも他にも先輩とかだうろか!?」

「うぅーー」

「そ、それを言うなら監督もですよ!」

「そ、そうです。彼氏の一人や二人、いるんですか、いないんですか!?」

 明良ちゃん、多分二人はマズイよ!

「いない。今は野球しか考えてない」

 その目は据わっていた。

 あ、触れちゃいけないやつだ。

 何とか二人で話題逸らして、その後は好きな男のタイプとか、理想の結婚とか、語り合ってしまった。

 なんだろう、三原監督、先生、って感じじゃないのよね。

 あと明良ちゃん、好きなそうなタイプで、言い回し違うけど方向性同じな気がするな。


 こうやって初日は終わった。

 しかしアタシ達は、この先の地獄の想像が足りなかったことを、後悔することになるのだった。

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