第11話 母なる女神

ショウちゃん! あのお店の味、変わってなかったね」


 薄いピンクのスーツに身を包んだ妻は、結婚当初と変わり無く愛らしいしぐさで振り向いた。

 そう言って笑った顔が、まさか妻の最後の姿なんて、いったい誰が思っただろうか?


 三日月の夜。

 薄い月明かりの公園を抜けた先の帰り道。

 息子を預けていた祖父母の家へと続く道で。



 妻は鉱人こうじんに食い殺された。



 この頃の記憶は断片的なものでしか無い。

 警察の慌てた顔、

 義両親の怒り顔、

 息子の泣き顔。

 妻の笑顔。

 鏡に映る、生気の抜けた自分の顔。

 それらがぐるぐると、脳裏のスクリーンにただ映し出され続ける毎日。


 あの頃はただ、どこかに怒りをぶつけていた気がした。そうでなければ、動けなかったのだ。

 遺体が無い状態の妻の死は、失踪扱いになると言われたようだ。今思えば、あの刑事も明の神の傘下の者だったのだろう。

 今では顔さえ思い出せない。


 ただ、あの日は運が良かった。

 当てもなく、妻を殺した相手を探しに行った帰りだった。


 襲ってきたのは、二人の鉱人こうじん

 その内一人は、妻を食い殺した男だった。




「お兄さん。……生きてる? 」


 遊具の多い公園だった。

 夜分遅く、人影もない。

 滑り台の支柱に背中を預けて足を投げ出し、緑色の日本刀を振り回していたまだ若い女性が、その前に力無く横たわる自分に話しかけてきた。


 鉱人に食い裂かれたお腹を押さえて、リクルートスーツを着たその女性が息も絶え絶えに、目線だけをこちらに向ける。肩で切り揃えた髪の毛が、ぐしゃぐしゃに乱れていた。


 一方自分は、左足と内臓を砕かれた痛みで声もだせない状態だったが、かろうじてまばたきだけで、合図を送る。

 その女性は合図を受け取りフフ、と笑って目を閉じた。

「良かった。私はもうダメね。足の感覚が全く無いの」

 彼女を見て、ショーゴは何も出来なかった自分を呪った。

「すま……い、足、手まとい、だった 」

 歯を食い縛りながら、体を引きずり起こして彼女の元へはっていく。


 少しでも、彼女の話し声が小さな声で済むように。


「ねぇ、おじさん。逃げた鉱人こうじんに恨みがあるでしょ」

 面白そうに、彼女は笑う。


 血の気が引いた丸い顔つきが、空にあがる月みたいだ。

 自分は真っ白なその顔を、生気の無い目で見ていたのだろう。彼女の瞳から笑みが消える。

「取引しよう。のんでくれたら、あいつをその手で捕まえられるよ」

 そう言って、彼女はこちらに手を伸ばしてきたのだ。


 自分は、何も考えること無く。

 その手を取ることを選んだ。


「ありがとう」

 彼女の最後の言葉を、喉笛に走る激痛の中、聞いていた。

 その瞬間に、太古の記憶も受け継いだ。







    ―― 一面の、海原だ ――


 気が遠くなるような。

 遥か昔の物語。


 兄妹神は地上オノゴロへと降り立った。


 たくさんの愛と、

 たくさんの子供たち。


 しかし、悲劇は訪れる。


 愛と引き換えに、

 命を落とす愛しい妻。


 夫は妻を取り戻し、

 もう一度世界を作り替えようとしていた。

 今度は妻を死なせないような、

 そんな完璧な世界を目指した。


 妻はそれを拒んだ。


 愛しい子供たちを守るため、

 愛しい世界を守るため、

 愛しい夫から隠れる事を選んだ。


 そのために子供たちと協力して、

 魂を分けて完璧から遠ざかる。


 それは昔の物語。


 確かにあった歴史の一部。





「まさか、自分がその歴史の一部だったとはね」



 自分がやなぎにはいた台詞セリフから、シナツを引き継いだ頃の記憶を思い出していた。

 あれから鉱人こうじんを、ところ構わず狩尽かりつくした。

 その男を始末したあとも、暴力に酔っていたところをミキママに出会い、カケル達と出会ったのだった。


 ふ、とため息を吐く。

 建物の裏方で、ショーゴは石垣に座り込みながら頭を抱え、いくつもの連絡用のメモを見た。


 目新しい情報は入ってきていない。

 協力者達の元にもない。

(行き止まりか……)

 ため息をつき、胸ポケットからスマホを取り出す。


 ショーゴはスマホの中の息子を見ていた。

 会えばこの永い永い歴史の戦いに巻き込んむことになるだろう。

 父なる神は、そういう男だ。

 だからこそ。

 あけの神に奪われる位なら、自ら手放した方が数倍もマシだった。


 スクリーンには、まだ幼いままの息子が満面の笑みで映っている。

 今はもう、高校生になった頃だ。

 何もなければ、妻と一緒に隣で立っていられたのに。


 だがあの時、自分から風の神シナツヒコとして生きる道を選んだ。妻を殺した犯人を、どうしても自分の手で葬り去りたかった。

 その目的を達成した今は、息子の生きる世界を守ることが自分の生きる意味だった。


 スマホをまた、胸ポケットにしまい、その上からてのひらを置き、天井を仰いで目を閉じた。


 例え、父として会えなくなったとしても。

 後悔はなかった。

 妻の敵をとれるのならば。

 でも、息子の気持ちを一度でも考えただろうか?


 ジャリ……と誰かの軽い足音が耳に入る。

 風の神と共存している自分には、それが誰だか見ずともわかる。

「ショーゴさん。……あの、ごめんなさい」

 その言葉に左側に目を向けると、頭を下げた柳がいた。


 宵の一族に助けられ、命が消える寸前に風の神シナツヒコに喰われた今、シナツの記憶も受け継いでいた。


 横に立ち尽くすのは、遠い昔に別れた母。

 目の前の少女は確かにイザナミの魂を身に宿す。気配でわかってしまうのだ。

 母と子の絆という奴かも知れない。


 優しく、偉大な母なる女神。


 目を腫らして、顔をくしゃくしゃにして、胸の前で指先が赤くなるまで組んでいる。

「私、自分の事ばかりで……。皆も悲しいのに、その……ごめんなさい」


 いつも父神の側に控えて、静かな笑顔で自分達を見ていてくれた。


「私も、頑張って強く、なります。死んでもいいなんて、もう言いません。……その、それだけなんです」

 それだけを、目を見つめてきっぱりと言い放つと、おろおろと目線を泳がせる柳は、残念ながら母神の姿とは重ならなかった。


 だが、この一人の少女に神を重ねるのもきっと酷なことだろう。

 自分と同じように、突然普通の幸せを奪われた人間なのだから。


 少し視線を穏やかなものに変え、ショーゴは自分よりもまだまだ若く、経験も少ない少女のために、本当は息子に言ってみたかった言葉をかける。

「頑張らなくても、いいんじゃない? 君は気づけたのだから」


 重要な選択を前に、自分の命を大切にすることを。

 まわりの人間を思いやる気持ちを。

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