第10話 今は昔、悲しき過去

「ニュースにさえ、ならないのね」

 私は泣きすぎてかすれた声でつぶやく。


 あれから一週間。

 私達の悲劇は


 横須賀の中華街の近くのとある場所。

 地下駐車場の非常口から数キロ潜った所にある、自然の洞窟を利用した隠れ里。

 まだここに鉱人こうじんは来ていないが、いつここの場所が見つかるかもわからない。ピリピリとした空気の中、里の人間は警備を増やして里自体を守っている。


 必死になってこの里にたどり着いてから倒れこんだカケルは、出血が多くいまだに眠り続けていた。

 ショーゴは情報収集のために、姿を変えて里の外へ出ている。

 ミツハは泣いてる柳を慰めて、カケル君のお世話をしていてと、忙しく働いている。


 私は……ただ泣いているだけだった。


 カケル君にあの時渡されたスマホを見る。

 スマホの待受画面は細長い葉に、黄色い色の小さな花。


 そのスマホの中のニュースには、感染症関係の事ばかりがあふれかえっているばかり。

 人が行方不明と言う文字さえ、無い。

 悲しいけれど、これが現実。

“見たいものしか、見えない


「サ、サナちゃん……が、死んじゃった、のに。あの女の人だって……」

 その現実に打ちのめされながら、愛くるしく笑うサナちゃんの笑顔を思いだすと、また涙が溢れてくる。


 私、涙腺るいせんが壊れちゃったみたい。

 ポツリ、ポツリと落ちた涙が地面にシミを作っていく。

 短い間でも、明るく優しく、接してくれた少女はもういない。

 今も、瓦礫がれきの海の底。


 悲しくて。

 悲しくて。

 涙が、止まらない。

 胸が引き裂かれてしまったよう。


 ミツハちゃんはそんな私の背中をさすり、ただ静かに慰めてくれていた。

やなぎ様、ありがとう。サナちゃんも木の神クグノチも、きっと今は幸せよ。だって、“お母さん”の側で死ねたのだから」

 いつも優しいミツハちゃんの、震える声が私の心に波紋を産む。

 

 それでもとめどなく溢れてくる涙は、私の目の縁を赤く腫らしていることだろう。


 こんなにも涙が止まらないのは、きっと“イザナミ”の魂が泣いているからだわ。

 だから、あのワタツミの女の人の事も、悲しく、辛く思うのだわ。


「私なんか、のために、死んでほしく、なかったのに」

 私はこんな悲しいこと、

 少しも望んでいなかったのに。


 しゃくりあげながらも、一生懸命しゃべる私の涙をミツハちゃんはハンカチでぬぐってくれている。

 ミツハちゃんのその目にも、私とおんなじものがあった。

「私なんか、さくらと違って、ドジだか、ら。桜なら、よかったのに。私は死んだって、誰も迷惑、しないのに! 」

 両手で顔をおおって、体を丸めて私は叫んだ。


 苦しくて。

 苦しくて。

 あの日の記憶がよみがえる。


 双子の姉だけでなく、両親にさえ見捨てられた私なのに。

 もし私と桜が逆の立場だったら?

 もっと、きっと、明るい未来が待っていたのかもしれない。

 そう思うと悔しくて悲しくて、

 情けなくって申し訳なかった。

 


「そのまま泣かせておいたら?」


 冷たい声が、突然上から降ってくる。

 はっとして泣き顔のまま降りあおぐと、疲れた表情でズボンのポケットに手を入れて、冷めた視線のショーゴが見下していた。

「自分の悲劇に酔いたいなら好きにすればいい。ただしあんたが死ねば、全ての命は混沌はじまりに帰されるんだ。それは迷惑だから止めてくれ」

 それだけだ、と眉根を寄せて、軽蔑を私に吐き捨てる。

 あとは一瞥いちべつもせず、ショーゴはこの場を立ち去った。

 私は息を吐くことも出来ずに、胸辺りで手を握りしめて、彼を見送った。


 去ってゆくその背中を見つめて、ミツハがぽつんとつぶやく。


「……私達はね、“神様に食べられて”今があるの」

 遠くを見つめるミツハちゃんの視線の先には、ショーゴさんは映っていない。

 私はまじまじと、ミツハちゃんの横顔を見る。

「“食べられる”……?」

 衝撃的なその単語に、私は背筋に走る冷たい衝撃を感じた。

 ミツハちゃんは昔を思い出すように、隣に座ったまま、不思議そうな顔をして天井の岩を見つめている。

「この子もなの。カケル兄さんと一緒にここに来て、前身ぜんしんの天寿間際の“ミツハヒメ”に文字通り食べられたの。そうすることで、は人の世の中で長い年月を生き続けて来れたのよ」

 その格好のまま目を伏せて、静かに笑うミツハちゃんの顔。


 言葉の端にちらりと見える、

 水の女神ミツハヒメ

 生きてる証。



「怖くなかったの?」

 目を開けて私の方を見るミツハちゃんは、いつもの優しい笑顔をくれる彼女に戻る。

「ぜーんぜん。何の価値もないと思っていた自分が神様の役にたてたんだもの。それにね、自分が神様とひとつになって、初めて生きてることが嬉しいと感じているわ」

 そして彼女の両手を私の手に重ねて、情熱を込めてささやいた。

「全ては貴女を守るために」





 その瞬間は、全く覚えてないわ。


 私、カケル兄さんと一緒にどこかから逃げていたの。そしてそのまま路上生活をしていたわ。

 子供のホームレスなんて、今の日本じゃ珍しくはないわよ?


 その当時はぼろの服を着て、お腹も空いていて、本当に汚ならしい子供だと思ったわ。

 世間はそんな私達に優しくはなかったの。

 でもカケル兄さんは、どんな時でも私を守ってくれていた。

 自分に何の価値もないと、その当時は思っていたからそれがとっても不思議だった。

 そのあと私達も捕まって、鉱人こうじんのご飯になってしまう瞬間、今度はあのミキママが守ってくれて、親にも棄てられてどこにも行く当ての無い私達を、ヨイの一族は迎え入れてくれた。

 だから私から食べられることを選んだの。


 神様は私が必要で、

 私は生きる意味が必要だった。

 それを与えてくれる神様の力になれるとしたならば、

 こんな素敵な事はないって子供ながらに思ったの。


 生まれて初めて、心の底から生きてて良かったなって、思ったの。




 私は黙って聞きながら、ミツハちゃんの陰りの無い笑顔に見とれる。


 強い人。

 辛いことすら受け入れて、

 流れるままに、生きていく。

 その笑顔に、私の心も動いてく。

 

 私、私は……。


 黙ったままの私を見て、ミツハちゃんは首を傾げて少し困った顔をする。

「だから、私は後悔なんて微塵みじんも感じていないわ。柳様に出会うことが出来て、側にいられることが凄く幸せだから。でもショーゴさんには他にも大切な人がいるのね、きっと。……それにね」

 私は頷いて、ミツハちゃんが指差す方を見た。


 カケル君のスマート・フォン。

 その待受の黄色い花は。


 

 細長い葉に隠されながら、

 控えめながらも精一杯に、

 小さいながらも枝に連なる、

 懸命に咲く、柳の花。



 ミツハちゃんは苦笑いしながら、私を見た。

「 兄さんがね、『満開に咲き誇る桜の花も綺麗だけど、風に揺らされてシャラシャラと鳴く中で、一生懸命に咲く黄色い柳の花の方がもっと好きだ』って言ってたの」

 私も笑ってミツハちゃんを見た。


 そうだ。

 私は私。

 私も、やっと気付いた。

 やっと気付けた気がしたよ。


「ミツハちゃん、ありがとう」

 


 

 もっと、強くなりたい。

 カケル君やミツハちゃん。

 誰かが私の為に傷つくのは、

 もう見たくない。







 


   


 















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