第6話 現実
JRの終電もとうに終わった時間帯。
でも人の波は止むことが無い。
心配そうな、ミツハの顔が私の顔を覗き込むけど、私は一言も発することが出来なかった。
「
ミツハちゃんが私の体を支えながら、カケル君に提案する。
正直立っているのも、しんどい。
「ご免なさい。ちゃんと眠れてなくて」
しゃべるだけでも、頭が痛い。
寝不足で、頭が痛くて
……私って、情けない。
双子の
ぼやけた黒い影が、情けなく揺れている。
迷惑をかけている自分が本当に、情けない。
そう思っていると、おでこに添えられた一本指が私の気持ちと共に、顔を上向かせる。
「それな、キンシ。“ご免なさい”」
厳しいまなじりのカケル君にビシッと指を指される。
「あんなツラい事もあって、生きてきた基準も丸っと変わっちまうんだ。眠れなくてアタリマエ! 」
思わず息を引っ込めて、頭痛もどこかへ飛んでゆく。
真剣に、私の事を怒ってくれている。
「ごめ……えっと……」
両手をもじもじとあわせて戸惑う。
私への暖かい感情に、口ごもってしまう。
嬉しくて、恥ずかしくって。
いままでの当たり前が、
今はもう、遥か彼方、夢の跡。
「……ミキママの所にいくか」
そんな柳の顔を見て苦笑するカケルは、軽々と柳をおんぶして、足早に夜の熱を残す通りに出ていく。
いきなりのおんぶにビックリしてミツハちゃんの方を見る。目が合った優しい彼女は私の背中を押さえて笑っている。
少年だと思ってたのに。凄く広い背中。
また私は知らない世界をひとつ知る。
そこは少し裏通りに入った所にある、とあるパブだった。
チカチカと光る頭上の看板には
“
の名が輝く。
「あらぁ~。カケルちゃん。おーひさ~」
カララン、と軽やかな音が鳴ってドアが開くと、凄く綺麗な
「久しぶり! ミキママ。ちとかくまってくんない? 」
カケルはくすぐったそうな笑顔を作り、猫なで声で頭一つ分高いその女性を見上げた。
ミキママ、と呼ばれた女性はお日様のような笑顔を作り、カケル君に答えていた。
そしてカケル君と一緒に捕まえた、隣で笑うミツハちゃんを見下ろしている。
「もちろんよ! それよりもちゃんと食べてる? あら~また傷なんか作ってミツハちゃん! 」
そうして、ミツハちゃんの後で突然の出来事に硬直していた私と目が合った。
「 もう!!
びっくりしている私を見て、そのミキママの目もキョトンとしている。
「あら、新入り?
腕の中の二人に問いかけていたが、ミツハちゃんが口を開く前に2人を解放して、今度は私を抱き締める。
筋肉質の、
厚めの胸板にちゃんと
「?? 」
多分そうなのだと思うけど、触感と視覚の違いで混乱する。
そうとも知らず、カケル君が頭の後で指を組んで、にっこり笑って答えていた。
「そ、新入り。イザナミの片割れの柳だよん♪ 」
ミキママに締めあげられて、私は悲鳴を上げた。
「ご免なさいねぇ。アタシ力が強くってぇ」
シュンとしてミキママが謝ってくる。カウンターの向こう側から、私の前にコトンと水色のマグカップが置かれた。
緩やかにあがる湯気と香り。
私は思わずうっとりと、ため息をついた。
温かいミルクには蜂蜜をたっぷり入れて。
疲れた体と心にはこれが一番効くのよって、ミキママ自ら作ってくれた。
「そういえば、あんた達にもこれ作ったわよねえ。懐かしい、10年になるかしら? 」
あれは確か~と話しながら、お店の看板の灯りを落とす。入り口に鍵をかけて、閉店の支度をはじめた。
そんなミキママを目で追ってから、隣に座るカケル君が目を
「9年前、かな? 店閉めていいの? ミキママ。
そう言いながらも、カケルはツマミを次々と食べ尽くす。
お腹の痛みは治ったみたいで、ケロッとして手をのばしている。
それに負けじと男の子って凄いわねぇ、と目をキラキラさせたミキママが次々と食べ物を並べていく。
「この御時世だもの。今日はもうオシマイよぅ!あんた達にまた会えたお祝いでもあるわけだしね♪」
お酒が並んだカウンター越しにミキママが手を動かしたまま、ウインクしている。
美味しそうな匂い。
その幸せそうな料理を前に、
私の緊張も溶けてゆく。
ミキママがそんな私の顔を見て、楽しそうに笑って言った。
「太らせて食べようなんて思ってないから安心してネ。アタシ
その言葉に、私は思わず腰を浮かした。
隣に座るミツハちゃんがそれに気付いて、緊張にまた堅くなる私の背中をゆっくりさする。
「大丈夫よ。ミキママみたいに
思わずミキママを見る。
楽しそうに料理をするミキママの目は、薄浅黄色。
私の視線に気付いてウインク。
お
カケルもさっさと隣に座り直して、手にお箸を握っておねだり。
「ミキママに助けられたんだよな、オレ達。売春宿から逃げて
ケタケタ笑う顔の割には、恐ろしい内容の話をする。
その笑いにつられて、ミキママも大げさに持っていたお玉を振り上げる。
「ホント、あのときはびびったわぁ!
そんな事を言いながら、私の前にコトンとお皿を置く。
トロトロツヤツヤの半熟卵に赤が鮮やかなケチャップライス。カリカリのベーコンが顔をのぞかせる。
お盆をハンドルのように持ちながら、ミキママが肩をすぼめて答える。
「まぁ、わからなくもないのよね。ヒトって栄養満点だし。力を使うとお腹空くじゃない? 昔はそれで魔女狩りだの、鬼狩りだのでずいぶん肩身の狭い思いもしたわぁ。アタシは食べたことないし、食べようとも思わないんダケドネェ」
カウンターの中に戻ったミキママが、
そういえば、地下の里を出てからコーラを飲んだだけだった。
食欲。
生きるための、欲。
私はそっと、口に運んだ。
……美味しい……。
不意に、鼻の奥がツンとする。
ふあ、と大きな
「怖かったわねぇ。辛かったわねぇ」
その言葉が、張りつめていた心の糸を切ってくれた。
色んな事がありすぎて。
辛くてついていけなくて。
撫でてくれた
柔らかな朝日が顔にあたる。
頭だけ動かして、まだ眠っている少女を見る。
隣に眠るミツハちゃんの温もりが、私をずっと守ってくれていた。
ミツハちゃんの穏やかな顔。
茶色の睫毛が光に透けて綺麗。
それでも。
全部夢だったらよかったのに。
だいぶ冷えている空気のなか、私はそっと部屋をあとにした。
懐かしい家の外観に、あれは全部夢だったのねと、ほっとしている私がいた。
カケル君とミツハちゃんには、黙って出てきてしまっていた。
二日前と何も変わらない我が家。
玄関の鍵も開いたまま。
きっとお母さんがいるんだわ。
少しだけ、見るだけだから。
「ただいま」って帰れば、お母さんの「お帰り」があるんじゃないかと思って。
沢山歩いたから、足がもう動かない。
凄く、疲れちゃった。
もうすぐお夕飯のはず。
いい匂いが、待っているはず、
だったのに。
ドアを開けた先は、見たことも無いくらい荒れていた。
思わず足を踏み入れて、その場で顔を手でおおい、立ち尽くす。
リビングはひっくり返したように、ぐちゃぐちゃで、鉄のような匂いがした。
所々、刺さる石。
沢山の、飛び散った、血液と……。
「
おもいきり、心臓の跳ねる音。
後ろからの、幼い声。
普通に見える女の子達。
青、蒼、碧、藍。
目が宝石の様な光さえ、帯びていなければ。
「必ず戻って来るって」
「ねぇ」
思い思いの場所にいて、スマホを見ながら他の3人が答えをかえす。
普通の4人の女子高校生。
「じゃあ早く済ませようよ。アタシまだ課題やってないしさぁ」
あくびを噛み殺しながら一人が答える。
まだ、スマホに夢中のままなのに、じりじりと輪を縮める4人の
「り……、両親は……」
息を吸うのも忘れていたみたいで、喉が張り付いて、声が出ない。
後はもう壁で、こびりついた血と肉が、異様な匂いを放っていた。
そんな私の反応も、彼女達には伝わらない。
つまらなそうに一人の少女がスマホから目をあげて、たった一言、投げ捨てた。
「そんなの、とっくに食べちゃったわよ」
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