第5話 カミサマ

「カミサマ? ……イザナミ? 」


 その響き、どこか懐かしい。

 遥か遠く、もう戻れない時の彼方で、

 私は誰かに、そう呼ばれていた?


 遠くの空を見ているかのような私の目を見て、ミツハちゃんは困った顔で笑ってとんとんと手をたたく。

「わかるよ。ちんぷんかんぷんよね。もう少ししたら地上に出るわ。そうしたら説明するね」

 その言葉にカケル君が頷きながら、天井を見上げながらつぶやいていた。

「今は人混みに紛れちまった方が安全かもな……この上は……押上辺りか? 」


 背中の暗闇に後ろ髪をひかれながらも。

 ただひたすらにトンネルを進んで行く。

 その先に、上へとのびる階段が見えた。

 そこをまた、ひたすらに上っていく。

 するとひとつのドアにたどり着いた。

「なんの為のドアかしら~。オレラの為のドアなのよ~♪」

 カケル君は歌いながら目の前のドアノブを上下左右に複雑に動かす。

 ビックリして凝視している私を振り返って見て、カラカラとカケル君が笑って見せた。

「これがカギなんだよね。宵の一族だけが知ってる暗号見たいなもん」


 つき、と私の胸が傷んだ。

 明るく笑っていたけれど、目の端が少しだけ赤い。おばあちゃんや、仲間の人達を殺されてしまったんだもの。

 無理はなかった。


 私は優しくカケル君の背中を撫でる。

 小さいときに、お母さんが泣いてる私にしてくれた仕草。

 今の私は、これくらいの事しか出来ない。

 それでも、少しでもカケル君の悲しみが軽くなります様にと、願いを込めて。

 その私の手の動きに、体ごと振り向いたカケル君はじっと私を見て、くしゃっと笑った。


 なんて、人懐っこい笑顔なの?

 年相応の幼い笑顔。

 金髪にして、大人びようと背伸びして。

 だけど、私はこっちの笑顔の方が数倍も好きだった。


 そうして、またドアノブ自体を動かして、『カチリ』と音が暗闇に響き、静かに横にスライドする。

 薄暗い熱気と、差し込むLEDのライトの光りが隙間から滑り込んできた。


 私達が通ったドアは、路地裏にどこにでもある非常口だった。




「マックシェイクマジデ神! 」


 満面の笑みのカケル君。

 両手にシェイク、向かいに花の女の子。

 よほどお腹が空いていたのか、大きなハンバーガーを三個食べた。


 深夜でも込み合う店内は、他人の事なんか関係なく、どこも勝手に騒がしい。

 私は落ち着き無く、キョロキョロと辺りを見回していた。

 その私の心の中の不安を見抜いて、ミツハちゃんが肩を寄せてささやいた。

「人は見ないものは見えないのよ。だからわたし達を見てる人なんて、ほとんどいないわ」


 それを利用して人の中に隠れてしまうの。


 ポテトを指でちょんと摘まみながら、ミツハちゃんは私に聞こえる程度の声で話す。

 そして、言葉を選ぶようにゆっくりとうなずいた。

「人間だけがヒトガタの姿をしている訳じゃないし、教科書で習う歴史だけが真実って訳でもない。でも信じない人にとって、その事実は噂話やお伽噺とぎばなしの類いでしかないのよ」

 この世界の本当は、

 もっと複雑で難解なもの。

 私は今、それを身をもって感じている。


 楽しく談笑する女性。

 黙々と食事をとる男性。

 ここにいるまわりの人達は、

 地下で沢山の人が死んだのすら知らない。

 それが彼らの現実だから。


 そう思うと食欲なんかわくはずもなくて。

 私はストローをくわえて、コーラをちびちびと飲む。

「あのでも、神様とか、イザナミって言われても……」

 ゴニョゴニョと、口の中でしゃべっていても、二人はちゃんと私の話を聞いてくれる。

古事記こじきって知ってる? 」

 いきなり向かいから手が延びてポテトをかっさらい、ミツハちゃんがカケル君を睨んで私の分を死守する。

 口の中に戦利品を突っ込んで、カケル君が片眉を上げて「フフン」と肩をすくめた。


 こう見ると何処にでもいる男の子なのに。

 ミツハちゃんと共に神様の一人だなんて、いまだに信じられなかった。

 そんなことを考えているとも知らず、カケル君がポテトを飲み込んで、シェイクを力一杯吸い込んだ。


「イザナギとイザナミのヤっちゃう物語ストーリーなんだけど。知らない?」


 私は首を傾げるしかなかった。

 相変わらずカケル君の説明は解らない。

 隣でミツハちゃんが大きなため息をついて、私の方に体を向けて説明をはじめてくれた。

「日本神話のひとつで、最も古いお話よ。この国の神様がたくさん生まれる物語なの」

 目をぱちぱちさせてミツハちゃんを見る。

「私がそのイザナミっていう神様なの? 」

 ミツハちゃんは頷こうとしていたが、あ、でもと、気づいたような言葉を吐く。

「そうだったわ。今の柳様はイザナミ様の半分って所なのよね? 」

 うーんと、あごをおさえてミツハちゃんがポテトを口一杯に頬張るカケル君の方を見る。

 今度はカケル君が説明に入る。

 やっと空になったシェイクを話して軽い口調でつまんだポテトを振り回した。

あけの神を名乗るイザナギから、自分を隠すために魂カチ割ったんだよ、イザナミは。そして宵の一族にだけ、産まれかわる瞬間にお告げみたいなもんがポッと降ってくんの。それがオレラがいた里の長の役目だったわけ。完璧な存在じゃなければイザナギの方は感知できないらしいし。なぜかは解んないけど。んだ。桜と柳もそうだろ? 」

「でも私、普通の人だよ? お姉ちゃんのさくらはすごく頭がいいけど。それでも普通の両親から産まれたと、思うけど……」


 そう。

 私は普通の人間。

 でも、桜ならなんとなくわかる気がする。

 どんなに仲が悪くても、

 自分の姉が桜だという事実が、どんなに自慢だったのだろう。


 シェイクも飲み終え、ポテトを食べるカケルがうつむく私に言う。

「ソリャ普通さ。普通の人間として産まれるんだから。とにかくさ、明の神に捕まったらヤバいってこと。だからオレラは逃げ続けなきゃなんねぇ。片割れが殺されれば、残った体にもう半分の魂は引っ張られて流れ着く。ンで、イザナミが復活すれば、新たな国産みが始まる。それをイザナギは望んでるんだ」

 そこまで言ってカケル君の表情が、厳しくなる。鋭い目付きに、怒りがこもっているのが見えて、思わず私の背筋に悪寒が走った。

「この歴史を塗り替えたいんだよ、親父さんは」


 吐き捨てたその言葉に

 コーラの泡が、弾けて消えた。


   

 カケル君が、里を出る前に全国に散らばる仲間達に招集をかけてくれていたらしい。

 母なる女神イザナミの側に居るのはいまだカケルミツハの神だけ。

 あけの神に対抗するには、あまりにも心もとなく、不利すぎる。





 人気の無い真夜中の公園で、オレはうずくまっていた。

 腹を壊した。食いすぎた。

「カケル君? 大丈夫? 」

 しゃがみこむオレの顔をのぞきこむちっさい顔が目にはいる。


 オレの魂の母なるオンナノコ。


 心配そうに眉根を寄せて、隣にしゃがんで背中をゆっくりさすってくれてる。


“手当て”ってこんなにも効くもんだな。


「まだお腹痛い? シェイク二つも飲むからだよ? ミツハちゃんがお薬買ってきてくれるって」

 コテンとその場で横になり、柳の顔がよく見えるように移動する。

 薄目を開けて、そっと盗み見る。


 ずっと見守ってた。

 になる前からずっと、ずっと。


「大丈夫。柳がさわってくれれば秒で治る」


 その言葉に、きょとんとした顔の柳の顔が見えた。

 素直。

 ……マジでオレの腹をさすりやがる。

「カケル君もミツハちゃんも神様なの? 」

 手を動かしながらも、オレの顔をのぞき込む。

「そだよん。オレは“カグツチ”っつって火の神様。んでミツハは“ミツハヒメ”っつー水の神様。ミツハはときに名前も変えちまったくらい相性良くて、強い繋がりがあるんだぜ」

 目線をうえげて首を傾げる癖は、何度生まれ変わっても変わらなかったと、カケルは柳を見て思う。

「……?」

「わかんなくても大丈夫。柳は捕まんない事だけ考えてな。今の柳に出来ることをやればいーんだからさ」

 その言葉に柳は、うっすら笑って頷いた。

「……わかった」

 素直な性格は子供の頃から変わってねぇな。いっつも桜の影に隠れて過ごしてた。


 …でも、オレは知っていた。

 優しくて、以外と勇気があることを。


「マジでカワイーな、柳」

 でっかい目ェして固まってるし。

 目ぇ離せねぇし。

 思わず抱き締めたくなるじゃん。


 腹を撫でていた手をつかんで、つとめて真剣に柳に伝える。

「ありがとな、柳。絶対オレが守るから」


 いつかきっと、桜も奪い返すから。


 でももし、それが叶わなかったら。



 その時は、ちゃんと殺してやるからな。








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