第3話 旅路
結局眠れなくて、ただ時間が過ぎてゆく。
今は朝か、夜なのか。
それすらも、ここにいたらわからない。
体が緊張でかちこちに固まっている。
畳に
そこへ、キシキシと軽い足音が近付いて来て、私は頭を持ち上げて
ぽすんぽすん、とノックの音。
「おはよう。起きてたかな? 」
ふすまを開けてひょこっと顔を出したのは、私と同じくらいの女の子。
ここに来て、初めての同年代位の女の子に出会った。
思わず見とれてしまうほど。
きれいな茶髪に栗色の瞳、
顔立ちもほりが深くてかわいい。
後ろ手で襖を閉めて、にこにこと笑いながら私の側へ来る。
私もかけ布団を足元に寄せて、敷き布団の上に正座をした。
その子が手に持っていたのは、ユニクロのシャツにスカート、下着まで。
そういえば、カケル君もユニクロを着てたかしら。
「これ着替えね。わたしと同じくらいかなって思って。新しいものだから遠慮しないでね」
手に持っていた洋服を私に渡して脱いだものは置いといてね、と声をかけられる。
「ありがとう。あの……」
私の言いたいことに気付いてくれた彼女が明るく笑ってこちらを見てくれた。
綺麗な
「あ、わたしミツハよ。よろしくね、
そう言って彼女は襖を開けて、外で待ってるね、と笑顔を残して出て行った。
私は渡された服に着替えるために、高校の制服を脱いでいった。
自分の名前の最後に様をつけられるなど、昨日までは想像もしてなかった。
世界がたった一日でひっくり返ってしまったのだわ。
昨日のおばあちゃんもそうだったけど。
……どうして私なんかに様なんて付けるんだろう。
待ち望んでいたと言っていたけど、私はただの高校生なのに。
それに。
待っていたのは、本当に『私』なのかな?
外で待っていてくれた彼女についていくと、昨日の部屋にまた、あの小さなおばあちゃんが座っていた。
私の姿を見て、ニコニコ笑い、私に向かって頭を下げた。
「よくお休みには、なれなかったようですね。柳様」
私も昨日と同じ所に座ってお辞儀をした。
私の顔色がよっぽど悪かったのだろうか。おばあちゃんは苦笑して温かいお茶を出してくれた。
おずおずと湯呑みに口をつける。
透き通った苦味が、疲れた心と体に染み渡る。
思わずほぅっとため息をついて、思いきって話しかけてみた。
「あの……、私なんかに様なんて……やめてください」
小さなおばあちゃんは笑みを濃くして首を振り、にこやかに笑う。
隣に、昨日のカケル君と同じ位置に座ったミツハちゃんもふふ、と笑う。
「あなた様は我らが長年お守りしていたお方。当然の作法でございますよ。今はまだ、全て解らなくともよいのです。必ずやあなた様は思い出す時が来ますでしょうから」
居心地が悪そうな私に、隣に正座っているミツハが、優しく話しかけてくれる。
「
そうして軽くウインクしてくる。
不安で押し潰されそうな私を安心させる微笑みだった。
……そういえば、物心付いてから双子の
この子がそう言うなら、そうなのかもしれないと、心に温かいものが広がっていくのを感じる。
かちこちに固まっていた心と体がすぅっと溶けていく。
心の底から、自然に出た笑みだった。
「ありがとう、ミツハちゃん」
その私の笑顔を見て、パチンっとミツハちゃんが胸の前で手を打った。
「では朝御飯にしましょうか!」
その言葉と同時に私のお腹が鳴った。
「この里の皆は
ミツハちゃんに里の中を案内されている時だった。
見上げた先は天井で、幾つかプロペラが回っている。風があるのはこれのおかげだったのか。これで酸素とか必要な空気を取り入れてるのかな?
地下にいるのはやっぱり間違いなさそう。
隣に並んで一つ一つ説明してくれるミツハちゃんの横顔を黙って見つめて、次の言葉を待っていた。
「ここで生活しているのは無戸籍や虐待、人身売買で行き場を失った人達が殆どよ。その情報を長が収集していて、何かあったときに里の人間が助けに入るの。今の日本でって思うでしょ? でも実際にある話だし、わたしもそうしてこの里にやって来たのよ」
私は思わず息を飲む。
明るく笑うミツハちゃんを見て、更にびっくりしてしまう。
今まで身近にそういう人がいなかったから、どうやって声をかければいいかわからなかった。
うつむいて、唇を噛む。
当事者にならないと、こうした苦しみがあるとは知らなかっただろうな。
でも私は、その当事者でもない。
けれど、その
「……ご免なさい。なんていったらいいか……」
言葉に迷う私を見て、ミツハちゃんが慌てて手を振る。
「違うの違うの! つまりわたし、今は幸せなのよ! 」
「……へ? 」
思ってもみない言葉が返ってきて、笑ったままのミツハちゃんを見て、私は大いに戸惑った。
遠くで小さな畑を耕すおばあさんとその近くで遊ぶ子供たち。
そこを風が過ぎてゆく。
青空がここにあれば、何一つ違和感なんか感じない。
また、透き通る様な笑みを見せて、ミツハちゃんは天井を見上げて語る。
「私は誰よりも恵まれているの。この里の家族になって、柳様を守れる力までも授かることが出来た。必要とされるって本当に幸せな事なのよ? 」
「どうして私を守ってくれるの? 私が守られることで、なにかあるの? 」
あまりに幸せそうなミツハちゃんの笑顔に、私は胸の前で指を組んで問いかけた。
昨日見た両親の顔。
桜の横にいた、知らない男性の顔。
昨日の悪夢が甦る。
でも、それと同時に今はカケル君の顔が浮かぶ。
そしてミツハちゃんの笑顔も。
ミツハちゃんは、私の組んだ指を両手で包み込んで、優しく
「……これから、少しずつ解っていってくれればいいわ。でもひとつだけ。ほら、柳様が会った男の人がいたでしょう? あの人が、
少し困ったように笑うミツハちゃん。
「今はただ、わたしは柳様を守れる事がとても、とても幸せなの。それだけは覚えておいてね」
彼女の私を見る目は情熱に潤んでいた。
日本の各地下にこういう“里”が、点在していると言われても、すぐには信じられなかった。
「それだけ日本はいまだ闇の部分が有るといってもいいわね。まあ、そのお陰でわたしとカケル兄さんは今も生きてる訳だしね」
あの後、私とミツハちゃんが手を握り合ってるところに「そろそろ行こか」と、カケル君が迎えに来た。
あの明るい笑顔を見せながら。
それからおばあちゃんの家に戻って、新たな場所に移動するための最小限の荷物を、ミツハとカケルが背負って、あの地下トンネルを移動するために里を出てきたのだ。
「柳様、これを」
里の入り口でおばあちゃんが差し出したのは、小さな御守りだった。
手のひらにすっぽり収まる朱色の
「柳様を御守りするよう、魂を込めました」
そう言って、私達の背中でカチカチと石を打つ。
「これであなた方の行く先には災いは起こらないでしょう。どうぞ、お健やかに」
そう言って、小さなおばあちゃんは頭を下げた。回りで駆け回る子供たちも口々に言って頭を下げた。
御守りが、暖かい。
ほんの少ししか一緒に過ごさなかったけど、このおばあちゃんの、私への思いがありがたかった。
何か言ったら、涙がこぼれてしまいそうで。
ただ、黙って頭を下げた。
こうして、私達は里を出てきたのだ。
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