第12話 Welcome to the Bremen!
昨日の朝に
髪を拭きながら脱衣所に出ると、元々着ていた服はどこにもなく、代わりに真新しくはないがきちんと洗濯され、丁寧にアイロンをかけられた服が畳んで置いてあった。胸に温かいものがじんわりと込み上げてくるのを感じながら、手早く着替え、彼のもとに戻る。
「さっぱりしたか?」
「それ、俺が昔着てたやつなんだ。悪いな、お下がりで」
「いえ。すみません何度も」
促されるままに阿左見の向かいに腰掛ける。先日ぶりの臙脂色のソファは相変わらず抜群の座り心地だった。『ブレーメン』にやってくる依頼人たちは、ここに通されて緊張をほぐすのだろう。
「その目、まだ元に戻らないのか」
阿左見がローテーブル越しに顔を覗き込んでくる。
「……みたいです」
「目薬でも差すか?」
「いやアレルギーじゃないんですから」
「冗談だよ。それにしても、緑から赤に変わるなんて、まるでアレキサンドライトだな」
朔也は首を傾げた。
「それは?」
「別名『皇帝の宝石』。自然光の下と人工照明の下とで、まったく違う色を見せる宝石だ。なるほど、あいつが欲しがるのも分かる気がするな」
「奴を知っているんですか?」
思わずガタッと身を乗り出す。
「ああ、『グリムリーパー』とうちは何度も対立してるからな。お互い顔が割れてない
「いえ……この前初めて聞きました」
「『
変化獣の社会的地位は低い。二つの姿を持つ彼らを「人間」として扱うべきか否か今も議論が絶えず、現実は劣勢に傾いている。
しかし、ただ放っておくには、この生物たちはあまりにも危険すぎる。人間百人と変化獣百人では、戦力の差は歴然だ。反乱を起こされてはひとたまりもない。
そこで
「ほとんどすべての変化獣のデータがこの機関で管理されている。ほとんどすべての、な。どういう意味かもう分かるだろ?」
朔也はごくりと喉を鳴らした。
「『
阿左見は、よくできましたという風に頷いた。朔也は眉を寄せる。
「厄介ですね、 未登録の変化獣なんて」
「いや、お前も昨日までそうだったぞ」
「えっ」
「まあ珍しい話じゃないさ。安心しろ、俺が手続き済ませておいたから。それに、だからこそ『グリムリーパー』の奴らもお前を見つけるのが遅くなったんだろうしな」
「あ、ありがとうございます。すみません……」
阿左見はコーヒーを一口飲み、息をついた。
「一言で言えば、『グリムリーパー』は『
朔也は顎をぐっと引き、口を開く。
「阿佐見さん」
「ん?」
「俺を、『ブレーメン』に入れてくれませんか」
何の脈絡もない発言だったが、阿左見はさして驚く様子もなかった。朔也は両手をぎゅっと握りしめ、深々と頭を下げる。
「自分勝手な頼みなのは分かっています。でも、俺は強くなりたいんです。……奴を、リカルドを倒すために。そして」
「お前が引き寄せる不幸に対応できるように、か?」
顔を上げるのが怖かった。
彼はどんな表情をしているのだろう。いきなり何を言い出すんだ、と呆れているだろうか。
「朔也」
思わず肩が震えた。そろりと目を上げる。
と、小さな何かが、ぽんと緩い放物線を描いて飛んできた。慌てて両手を差し出す。
そっと手を開くと、そこにあったのは美しい金色のエンブレムだった。『ブレーメンの音楽隊』のシンボル、積み重なった動物たちが
「⋯⋯いいんですか?」
「『ブレーメン』の信条は『来る者拒まず去るもの追わず』だからな。歓迎するぜ、朔也。……と言いたいところだが、今回ばかりは隊長にお伺いを立てる必要があるかもしれない。まああの人のことだし、十中八九お前を気に入ると思うけどな」
「いつ帰ってくるんでしょうか?」
「さあな、明日かもしれないし一年後かもしれない。気ままな人なんだ」
阿左見は窓の外に目を向け、何かを懐かしむように優しく微笑んだ。
「とはいえ訓練は厳しいぞ。名前に
朔也は手の中のエンブレムを見つめ、ぎゅっと握りしめた。
「俺……頑張ります」
「ああ。期待してるぞ」
阿左見が半身を乗り出し、笑顔とともに拳を突き出す。朔也もエンブレムを握りこんだ右手を伸ばし、二つの拳はローテーブルの上でこつんとぶつかり合った。その瞬間。
朔也の目の毒々しい赤色が溶けるように消えたかと思うと、何事もなかったかのようにもとの翡翠色に戻ったのだ。当事者の朔也にその様子は見えなかったが、奇妙な感覚と阿佐見の表情でそれが分かった。二人は
「……戻ったぞ」
「みたいですね……」
朔也と阿佐見は同時に吹き出した。まるで
「俺はそっちの色の方が好きだぜ」
阿左見がそう言うのが、ひどく嬉しかった。あんな赤い目なんて、まるで悪魔と──奴と同等になったようで気持ちが悪い。
「さてと。もう夜が明けちまったが、お前は少し寝ろ。部屋に案内するよ」
彼の後に続いて応接間を出る。廊下の柱時計を通りすがりざまに見ると、時刻は午前六時を回ろうとしていた。
「うちは寮制で、基本二人部屋なんだ。文句は言うなよ? 確か、
階段を二つ上って左に進んだ突き当たりが、
朔也は早速ベッドに近づいた。下段は既に使用されている形跡が見て取れたので、梯子を登り、真新しい柔らかな寝具に身を横たえる。目を閉じると、疲れと睡魔がどっと全身に押し寄せ、朔也は瞬く間に眠りに落ちた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます