第11話 帰還
重い足を一歩一歩引きずるようにしてポーチの階段をのぼり、荒い息を整えつつ桂を背負い直す。両手がふさがっているため、自らの肩口に頬をこすりつけるようにして汗を拭った。
本来ならば、変化した姿である猫とネズミの方が身体能力が高く、サイズ的にも朔也が桂をくわえて運びやすい。しかし、変化獣、特に桂のような極小動物は動物形態のときの方が細菌やウイルスに対する免疫力が弱くなりやすい傾向にある。そのため朔也は、自分も疲弊しているにも関わらず人ひとりを背負って帰らなくてはならなくなり、ただでさえ長い道のりがそのときの彼には砂漠の行進のように果てしなく感じられた。
どうにか片手を伸ばし、ロバの頭を象った真鍮のノッカーを弱々しく打ち鳴らす。途端、地響きのような音が鳴り始め、それが足音だと気づいた瞬間、風圧で髪がなびくほどの勢いで扉が開け放たれた。
「お前ら、大丈夫か!」
銀髪を振り乱して飛び出してきたのは
「ひでぇ怪我じゃねぇか……。もう少し遅かったら捜索隊を駆り出すところだったんだ。とにかく中に入れ」
「阿左見さん、桂が……」
こちらを向いた阿左見は、朔也と目が合うと驚いたように一瞬動きを止めた。
理由は明白だった。それまでは辺りが暗いせいで気づいていなかったらしい。見開かれた彼の青い瞳が釘付けになっているのはただ一つ──未だ不気味に染まった赤い
「お前、その目……」
「阿左見くん、そんなことより、まず怪我人を」
聞き慣れぬ声にはっとする。見ると、阿左見の後ろから白衣の青年が歩み寄ってくるところだった。阿左見が顔をしかめる。
「そんなことって、お前」
「怪我人の保護が最優先です」
落ち着いた声音と同じく冷静で聡明な眼差しが、黒縁眼鏡の奥から朔也を見る。
「えっと」
朔也はどぎまぎと目を泳がせ、首を傾げて青年を見つめ返した。
「あなたは……」
「ああ、申し遅れました。私は
そう言うと、ずいっと朔也に顔を寄せ、眼鏡のブリッジを押し上げる。
「……
では、失礼します。彼はやにわにポケットから紫色の液体が入った試験管を取り出し、有無を言わさず朔也の口に流し込んだ。
「んぐっ!」
「"少しだけ"マズいですが我慢してください」
……少しだけ、とは。今にも吐き出しそうになるのをどうにか堪えて、朔也は口の中の液体を飲み込んだ。やがて、体の中心からじわじわと温かさが広がってくるような感覚が全身を包み込む。
「効いてきたようですね。今日寝て明日起きる頃にはたいていの傷は治っていますよ。それで、桂くんの容態は?」
「それが、さっきから返事もなくて……」
朔也はうつむいた。背中越しに感じる鼓動も心做しか遅く、身体も重くなっているように感じる。失礼、と樫原が朔也の背中を覗き込み、そして言った。
「寝てますね」
「はあっ?」
「足も問題なさそうです。しっかり応急処置をしてあるので、一日もあれば治療できるでしょう。なので朔也くん、どうぞ」
樫原がひらりと手のひらを差し向けて促す。待ってましたとばかりに、朔也は背負い投げの要領で小柄な体を振り落とした。
「ぎゃああっ! 痛っ! えっ、何すかっ? ここどこ?」
誰が見ても寝起きの顔できょろきょろと辺りを見回す桂。ご丁寧によだれまで垂らしているのが余計憎たらしい。
「お前、人の背中でぬけぬけと……」
「さっ、朔也さん!」
朔也の視線に気づくと、桂は飛び上がってズザザッと後ずさりした。
「違うんすよ、ちょっと疲れてたしその揺れがちょうどよかったから」
「いや何が違うんだよ」
「ひいっ」
「まあまあ、それくらいにしとけ」
呆れ顔で阿左見が止めに入ったので、追求もほどほどにしておいてやることにする。そもそも朔也も本気で怒っているわけではない。元気そうな桂の姿を見て内心ほっとしている気持ちの方が大きかった。
「さあ、怪我人はもう行きますよ」
樫原がひょいと桂を抱え上げる。
「ちょっ、樫原さん! 下ろしてください、俺もう子どもじゃないんすよ!」
「十六歳は十分子どもです。それにさっきまで朔也くんにおぶられていたでしょう、暴れないでください」
そんな彼らの様子を、阿左見は至って冷静な目つきで観察していた。
「にしても、お前らの怪我といい朔也の目といい、マジで何があったんだ一体……」
「『グリムリーパー』っすよ、阿左見さん」
抵抗するのをやめて、桂がまっすぐ阿左見を見る。
「しかもボス直々のお出ましっす。奴の狙いは」
オレンジ色の目がちらりと朔也の方を向いた。
「……阿左見さんも薄々予想がついてるんでしょ?」
「ああ、おそらくな……。とにかく、二人とも無事でよかった。まさか助けに行った奴の方が重症で帰ってくるとは思ってなかったけどな」
「ほんと悔しいっす……すいません、まさかミイラ取りがミイラになるどころかミイラよりもボロボロになっちゃうなんて……ん?」
「自分でも意味分かんねぇなら口開くな」
「ひどい! 怪我人なのに!」
「……」
安心を超えて、もはや
「そんじゃ樫原、桂を頼んだぞ」
「承知致しました」
「それと朔也」
「は、はい」
阿左見は朔也と目を合わせると、やはりどこか気難しげな表情をした。顎に手を当て、少しだけ何かを考えるような顔をした後、困ったような笑みを浮かべて口を開く。
「まあその、言いたいことは山のようにあるが、まずは飯食って風呂入れ。話はそれからだ」
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