第10話 予兆:路地裏

 その路地は、まるで夏という季節の切れ目であるかのように、外界の光も温度もほとんど届いていなかった。


 そんな薄ら寒い場所で、一人の青年が外壁に背中をもたせ掛けて立っていた。


 ポケットに両手を突っ込み、足を投げ出すようにして顔をうつむかせている。羽織はおった紺色のパーカーのフードを目深まぶかに被っているため、起きているのか寝ているのかさえ分からない。目を離したらこのまま背景と一体化してしまいそうな危うさと気配が、彼にはあった。


 狭い通路に靴音が響いた。青年が顔を上げる。フードの端から、金色の瞳が覗いた。


「ユーリ……遅かったね」


 青年は言った。ささやくような、ややかすれた声だった。やって来た相手の方が背が高いので、わずかに見上げる格好になる。


「よぉ、ナット」


 ユーリと呼ばれた男がにやりと嗤うと、銀光りする金属製の口輪の奥から鋭い犬歯が覗いた。両耳の無数のピアスが、ビルの狭間からわずかに差し込む光にギラリと輝く。


 彼はさらに数歩、ナットとの距離を詰めた。と、次の瞬間、その体から恐ろしいほどの殺気がほとばしり、拳が轟音とともにナットの顔のすぐ横の壁にめり込んだ。


「ひっ」


「……ったくお前よぉ。聞いたぜ? まーたこの前"狩り"に失敗したそうじゃねぇか? お前がしくじると、コンビ組んでる俺の名前にも傷がつくんだよ。なあ。分かるか、役立たず?」


 放射状に入ったヒビから、細かい破片がパラパラとこぼれ落ちる。至近距離で睨めつけるスカイブルーの瞳は静かな怒りで激しく燃えていた。


「口輪がなかったら今すぐその喉に噛みついてやりてぇとこだぞ」


「ご、ごめんなさい」


 ナットは服の胸元を握りしめ、おどおどと目をそらした。喰われる。口輪がありながら、本気でそう覚悟した。


「こっ、今回はちゃんとやるから。ちゃんとユーリの役に立ってみせるから、だから……」


 ユーリはふん、と鼻を鳴らし、壁から手を離した。顔の過半部が覆われているため表情が読みにくいが、その目が歪み、不気味に笑ったのが分かった。


「いいからさっさと済ませるぞ。作戦会議なんてくだらねぇ。どうせお前は使えねぇんだからな。こんなゴミ臭ぇとこ長々といたくねぇし」


 ナットは震える手でポケットから一枚の写真を取り出した。


「これが、今回の標的ターゲット


疫病神やくびょうがみ⋯⋯か」


 ユーリがひったくるように写真を手に取る。


「ボスから組織全体に命令が下されたときはちょっとばかし驚いたが、何てことはねぇな」


 スカイブルーの両目が、言葉に合わせてまたにやりと細められた。彼は朔也の写真を顔の前に掲げ、真っ二つに破り裂く。


「獲物を仕留めるのはこの俺だ」

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