第9話 燃える瞳 後編

「まったく、使えない連中だ」


 体が動かない。目だけを動かすと、ひらひらと起爆装置を持った手を振る男の姿があった。

 暗闇の中、残酷に輝く赤い瞳。そして、もう一方の目を覆い隠す黒眼帯。

 その風貌は、悪魔そのものだった。


所詮しょせんはそこらの軟弱な組織ということか――せっかく高額な報酬を提示してやったというのに。やはり、最初から我が部下たちを送るべきだったよ」


「なん……で」


 朔也さくやすすを吸い込んで咳き込んだ。


「お前の協力者じゃなかったのか」


「あいにく、使い捨てのこまを数えていられるほど私は暇ではないのでね」


 悪魔は悪びれる様子もなく肩をすくめる。


「それに比べて、君は意外に骨があるじゃないか。これは面白くなりそうだな」


 かつかつと靴音を高鳴らせながら歩み寄ってくる。逃げなければ、いや、戦わなければと思うのに、指一本まともに動かせない。

 銃声が鳴り響き、男の金茶色の髪が揺れた。見ると、けいが地面に倒れ伏したまま、拳銃を構えた左腕を伸ばしていた。


「逃げてください! 奴の狙いは朔也さんっす!」


「……お前か、俺の計画を邪魔したのは」


 悪魔の視線がぎろりと桂を刺す。


「うっとうしい。小ネズミがちょろちょろと……!」


 尖った靴の先が桂の脇腹に突き刺さった。オレンジ色の双眸そうぼうが、たび重なる苦痛に歪む。


「桂!」


「この小僧は君を助けに来たのだろう? ――ああ、邪魔だ。俺の邪魔をする奴は全員消えろ!」


 目を血走らせ、革靴を履いた足を何度も桂の体に振り下ろす。


「やめろ!」


 考えるより先に体が動いていた。

 力を振り絞って地面を蹴り、体ごと男に突っ込む。男はわずかによろめいただけだったが、その隙に朔也は桂の前に立ちはだかった。


「大丈夫か」


 ほお、と馬鹿にしたように鼻を鳴らすのが頭上から聞こえた。


「疫病神様にも人の心があるんだな」


 きっと男をにらみつける。

 なぜ、この男が自分を知っているのか。頭の片隅かたすみで思ったが、爆発的に噴き上がった感情が疑問をかき消した。


 自分は何をされても構わない。だが、こんな自分に温かい手を差し伸べてくれた彼らを傷つけることは絶対に許さない。


「その目……最高だ」


 悪魔の隻眼が恍惚こうこつに輝くのが分かった。余興よきょうを楽しむかのごとく、その声は弾んでいた。


「あの日も、そうやって奴を守れたらよかったのになぁ」


 いったい奴は何を言っているのか。

 全身を支配する激しい感情に困惑が加わり、朔也は悪魔を睨みつける目にさらに力をこめる。


「君はあの火事が、本当に事故だと思うのか?」


 まさか、と思う間もなかった。


 気づいたときには、男に殴りかかっていた。


 当然、爆発でダメージを負った朔也に勝ち目はなかった。男は飛びかかった朔也の腹を蹴り上げ、頭を踏みつけた。


「何で、あんなこと⋯⋯」


「なぜか? そんなのひとつに決まっているだろう」


 男は黒いマントをひるがえし、空に浮かぶ月に向かって大きく両手を広げた。

 

「この俺が、この世界の王になるためだ」


 意味が分からない。

 絶望的な心情で、朔也は思った。まるで答えになっていない。そして何て⋯⋯何て身勝手な願いなんだ。


 人間でも変化獣へんげじゅうでもない。こいつは、正真正銘の悪魔だ。


「君、いや君たちが、俺の刺客しかくを相手にどこまでる抵抗できるのか見ものだな。まあ、せいぜい楽しませてくれよ」


 男は一度背を向けたが、思い出したようにつけ加えた。


「俺の名はリカルドだ。覚えておくといい」


 リカルドの姿が闇に消えた後、静寂の中で朔也はゆっくりと立ち上がった。噛みしめた唇にぷつりとにじんだ血が、顎先を伝ってアスファルトに落ちた。


 強く、拳を握りしめる。


 渦巻くのは怒りか憎しみか、それともその両方か。少なくとも、朔也の中には一つの決意が生まれていた。


 必ず奴を――リカルドを倒す。


「朔也さん」


 ふいに、服の端を引っ張られる。


「その目……」


 桂は驚愕に見開いた目で、恐る恐るといったように指を伸ばした。

 足元の水溜まりに目を移す。


「っ……!」


 本来、見つめ返すはずの緑色はそこにはなかった。


 朔也の瞳は今、血に染まったような赤色に変わっていた。

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