喪失(4)最終話
幼いころ、優秀な僕は隣町の大富豪のパーティーに招待された。
兄弟で唯一、最年少にして明晰な頭脳を持つ僕だからこそ見れた金の美しさと愚かさを今でも覚えている。
大富豪のチャーリー・ウドソンは、一夫多妻で7人の妻を抱えていた。
「私は幸せだ、人は幸せな限り失うものは何もない。今度、8人目の妻を迎えるつもりだ。」
彼は、言う。人は一度満たされれば、もう失うことは無いということだろうか。幸せを積み重ねた時、その始末として何が待っているのか。
彼は答えてくれなかった。
応えられなかった。
彼に会いに行く前に、無常と切実の本をあのページまで熟読した。僕が失望した、あの一節まで。
アルバートは、約束の日を迎え講堂で待っているペルシアを無視し”彼”のところへと向かった。そのために、講堂をあえて避けて図書室へ向かう。
ペルシアを裏切った罪悪感、しかし彼に会えるという高揚感が彼に混乱を招いていた。自分がすべきなのは、一体何なのか。アルバートの胸が疼き、心臓の鼓動が最高潮に到達する。図書室の螺旋階段へと続く、古びたドアが見える。
アルバートは、一度深呼吸をしドアノブに手をかけ、右回りへゆっくり回す。
「何かあったのね。」
七色のステンドガラスがある講堂で、ペルシアはアルバートを待ち続けていた。かれこれ、1時間になり男子生徒から誘われそうになるのを必死に断っている。
ペルシアは、必死に解読した無常と切実の本 366ページの切れ端を持っていた。
「思わず、破ってしまった366ページ…アズマは、ここ2日間姿を見ていないし。アズマとアルバティア、一体どうしてしまったの?」
ペルシアは、図書室に返されているかもしれない無常と切実の本を観に講堂から螺旋階段を通って図書室へ向かおうとしていた。講堂から出ると、図書室へ向かうには螺旋階段を上るのが一番近道である。
ペルシアが螺旋階段を昇り始めると、何やら上の方で話声がすることに気づいた。「聞いたことのある声…あれは、アルバー…ト。」
階段の隙間から、誰かと話し涙を流すアルバートの姿が見えた。
「アルバティア、一体何が…!」
ペルシアは、何があったのかと近寄ろうとするが、ある一言で、その足は止まった。
同じように、螺旋階段のてっぺんからアルバートは階段を降りる。1つ下の階段には、アルバートにとっての彼。すなわち、アズマが居た。
両手をポケットに入れ、「待っていた」とばかりにアズマはアルバートに近づく。心臓の鼓動が高鳴り、また倒れてしまわぬようにと、アルバートは深呼吸をした、
「…教えてくれないか」おずおずと、アルバートは口を開く。
「何を?」アズマが、端的に話す。
「君が僕に与えたものは、絶望か?それとも、喪失であるか。」
アルバートは、息を飲んだ。
「…君の中の理性が物語っているんじゃあないか。あの時、あなたは理性が変化するものだとか言っていたね。」
アルバートは、アズマから目線をそらす。
アズマは、アルバートへ近づき顔を見せるよう頬を自らの方向へぐいと向かせる。
「やめてくれ、女とは勝負をしたくない。」
アルバートがそうつぶやくと、アズマははっとし思わず頬から手を放す。
「…君のにおいは、母のにおいにそっくりなんだ。女はたいてい、男のためにコロンを付けるんだろう。」
アズマは、それがどんな意味を指すのか悟った。そして、
「僕の経験則だよ…か?」アズマが言った。アルバートは、目を見張る。
「どうして…僕の心が見える?声にも出していないのに。」
「言葉だけが、唯一のコミュニケーションの手段では無いんだ。いつか、誰かが君を湖から、引き上げてくれる。深く沈んでいった君を救い上げ、君は救われる。」
アルバートは、アズマの言っていることが分からず思わず自分の足元を見る。
「なら、僕の心がいっぱいに満たされたとき、君は居ないんだね。」
アルバートがそう言うと、アズマはにっこりと笑った。
すると、アズマはアルバートが持っている無常と切実の本を取って、アルバートが欠落した、と語ったページから365ページまで読めと言った。
じっくりと、素早く読むアルバートの横顔をアズマは見つめ口を開く。
「信じていたんでしょう?…君は、処女の血を飲んだことがあるんだ。」
不意を突かれ、アルバートは動揺し読む手が震える。思わず、右目から気持ちが液体となってあふれ出る。
「その血は、君の血肉となって君を生かしてる。」
アルバートは、再び鼓動が大きくなるのを感じ過呼吸になるのを感じる。
それと同時に、アズマは自身の首の切り傷をアルバートに見せた。
「そんな…君が、君が僕に、」
アルバートは思いもよらない出来事を受け止めきれず、うずくまって大粒の涙を流す。アルバートの、今にも消えてしまいそうな小さなうめき声が螺旋階段いっぱいに広がった。
「アズマ…あなた、アルバティアとどういう関係なの。」
螺旋階段を昇ってきた、ペルシアにアズマは驚き息を飲んだ。ペルシアが腕を組み、大きな威圧感を身にまとっている。
「…カラスの話よ、あなたもすべて読んだなら。その意味が分かるはず。」
アルバートは、大粒の涙を流しながら365ページまで読み、366ページ目をペルシアから受け取った。
ペルシアが解読したメモを、アルバートはじっくりと詠み、再び喪失感を覚えるのであった。
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読み終わった後、一人の少年は沈みゆく太陽の光に照らされていた。
ただ一人、螺旋階段の頂上で窓を眺めうずくまるのであった。
その時、自身の首の切り傷から血が一滴たれ落ちたことに気づき、なぜかふと彼女を思い出し、恋しいと思うのであった。
それから。
無常と切実 366ページ目 最終ページ
別に、どうしたこともない。
僕が(私、と書かれた部分が乱雑にボールペンでぐちゃぐちゃにされている)周到な文章を書くには、透徹の筆と少し濁った紙があれば十分だ。
しかし最近、気になることがある。
心に穴が空いたような、虚無感と。誰かを失った、喪失感だ。
僕(上と同様、私が消されている。)は何を失ったか、どうしてこのような端的な感情になるのか分からない。
だから少し、時計の針を戻してみようか。
著者 チャーリー・ウドソン 1924(元の著者だと思われる部分が、インクで見えなくなっている。)
少年は、そう書かれた本を手にし
「もう一度、君で満たされたように。」
と文章の最後に付け足して、心を補完させたのであった。
短編「喪失」 終
短編「喪失」 水野スイ @asukasann
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