喪失(2)

昔はもっと、寛容な人間だった。いや、そうなりたかっただけ。

どんなことでも受け入れられた。

自分は、兄弟の中でも優等生の典型で誰からも褒められた。


僕の心は、幸せでいっぱいに満たされていた。

あの本に出会うまでは。

”君はとても謙虚な人間なんだね”


今でも忘れない、あの本の一行目。憎たらいとも思うし、自分の中の何かが喚起さえるような感覚に陥った。

”でも、それでいいの?”

”君を呼び起こす、とびきりの果実がこの本には詰まっている。”

”ページをめくって、最後まで味わうんだ”


そうやって、そうやって。僕は、何かを失うと同時に素晴らしいものを獲得した。

幸せで満たされていた僕の心、幼き無邪気な少年は蛹の殻を破り飛び立った。

透き通る快晴の空は、僕を歓迎し。風たちは、微笑みながら僕を揺らす。



それなのに。

あの本は、僕を裏切った。

喪失感と、劣等感に襲われペルシアにすべてを譲った。

僕の中の理性が壊れる前に、また満たされてしまう前に。



”満たされるという事は、喪失するということだ”

125ページ 

”希望を手に入れると同時に、人は絶望を味わう”

236ページ

”そんなことはばからしい”

345ページ 


「無駄だった?」

女性の声…。昔、僕が好きだったハープの音の安心感に似ている。

継母によく弾いてもらった。僕がうたたねしても、ずっと弾いていた。

すやすやと眠る、僕の頬を撫で、涙を流しながら。


なぜ僕はそれを知っている?


「…!!」見知らぬ天井に、驚くあまりベット横にある薬用の水をこぼしてしまった。…と、その水がペルシアのスカートにかかってしまった。

「あ、ああ。すまない、ペルシア…今は何日だい?大学は停学になってしまった…?」僕がそう言うと、ペルシアは涙を拭い「1週間よ、大丈夫。」と言った。


僕は、安心感に包まれた。


大学に戻ってから、”彼”の事をよく考えていた。

大学中の顔写真付き名簿を見ても、彼は居ない。

金髪の髪に、ブルーの瞳。

確実に、僕の心を読み僕に何かを与えた。


そして、また奪い去った。奴らと同じように、


「最近、彼。何を考えてるのか分からないのよ。」

大学の講義の後、ペルシアは友人のアズマと一緒に昼食を庭園で食べていた。片手には、サンドイッチ。片手には、「無常と切実」の本。


「彼、病弱なの?この前倒れたって、学校中に広まったわ。」

「アズマ、彼は弱い人なの。体じゃなく、心もね。きっかけは、この本。正直言って、私にはこの本を理解できない。」

「どういうこと…?」

「希望を手に入れると同時に、人は絶望を味わう…彼、寝言でそう言ってた。明らかに、この本を総統した言葉なのよ。」

アズマは、興味津々の顔でペルシアを見つめる。

「私は、最後まで読んだの。彼のことだから、”ばかばかしい”という言葉で断念したのよ、きっと。彼の信じていたことや、興味がある事を否定される。自分を否定されたような気がして、読むのをやめた。」

アズマの、片手のサンドイッチの卵が落ちたことも気づかず質問を続ける。

「それで…?」

「この本が、本当に伝えたかったのは絶望とか希望じゃない。そういう、気持ちではないの…もっと物理的なものなの。隅々まで読んだ人にしか分からない、イメージがあるのよ。」

アズマは、ぽかんとするがペルシアの真剣な顔を見つめ微笑む。

「気づかせてあげるのは、あなたよ。彼にその本を最後まで読ませるの。」

アズマは、ペルシアの肩をたたく。

「…アズマ、あなたはいつもそうね。中学生の時から、私はずっと成績2位だった。なぜかって?あなたが居たからよ。」

「ペルシア。私だって、ずっと2位だった。まさか同じ点数だなんでね、好きな人も同じになったのに。勝ったのは、あなたよ。」

ペルシアは、アズマに小さく微笑みその場を去った。


「やあ、アズマ。今一人かい?」

ペルシアが去った後、独りで残りのサンドイッチを庭園のベンチで食べていたアズマに、一人の男子生徒が話しかけた。

「ええ、一人よ。何の用?」 男子生徒は、アズマの隣に座る。

「講堂から見ていたよ、君の綺麗な金色の髪のことさ。僕は、君の髪が好きでね。」

「あら、美容科かしら?かなりのショートにしたから、傷んでない?」

「傷んでも、君のアースブルーの瞳が潤いをもたらすさ。より、スタイリッシュになったね。男に間違えられるんじゃない?」

「ふふ、そうね。」

アズマは、そう笑ってサンドイッチを残さず食べた。


気づけば、講義は終わっていてあの日と同じように夕日が窓から差し込んでいた。

図書室に行くと、あの本は貸し出し中できっとペルシアが読んだのだと確信した。

「最後まで、読めばよかった。」

僕はそうつぶやき、何かに期待をしながら”同じように”階段を降りる。そこには、何もない。もう一度、一段目に戻る。


何もない。

誰もいない。

「君に会いたい、答えを知りたい。」

僕は、たった一人の男を想像したんだ。

金髪で、ブルーの瞳…確か、あの瞳はアースブルーとも言うらしい。暗い宇宙に、美しさを灯すオアシス、母なる星、地球のように。




無常と切実 56ページ


あるところに、神の国に7匹のカラスの兄弟がいた。みな、純白で美しいのに1匹だけ真っ黒な羽を持つ末っ子のカラスがいた。真っ黒なカラスは、醜いと迫害されついに神の国から追放されてしまった。

 しかし、そんなカラスを哀れに思った少女が、黒いカラスにエサを与え善を尽くすように命じ、カラスは善を尽くした。

 神は、その善の行いを評価し黒いカラスは、白いカラスへとみるみる変化し神の使いとして生きたのであった。


無常と切実 360ページ


 神の使いとして、生きていたあのカラスは神の目を盗んでしまったがためにたちまち黒いカラスへと戻され、少女の元へと舞い戻る。

 老婆となった少女に、カラスは神の目を与え目が見えなくなった少女に光を灯した。

 神の目を持つ、老婆は人の感情や気持ち、欲望を汲み取り崇拝されその翌年、後継者を残して死んでしまった。




 カラスの行方は、誰も知らない。
















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