短編「喪失」

水野スイ

喪失

別に、どうしたこともない。

僕が周到な文章を書くには、透徹の筆と少し濁った紙があれば十分だ。

しかし最近、気になることがある。

心に穴が開いたような、虚無感と。誰かを失った、喪失感だ。

僕は何を失ったか、どうしてこのような端的な感情になるのか分からない。

だから少し、時計の針を戻してみようか。


1.無常と切実

女は、純潔を守れと言われてきた。

どの時代も、女は美しくあるべきだと言及される。

もっと昔にさかのぼれば、処女の血を飲むと不老不死になれる…と迷信があったようだが。そんな、ヒステリックで不気味な迷信を信じるのはとてもばからしい。


「つまらん」

僕はひとこと、そうぼやいてしまった。その文章が明らかに欠落していたからだ。

365ページにも及ぶ分厚い本の最終章の最初の文章。

「無常と切実」の本は、僕の大学ではかなり有名な本であった。講義が終わっては、そそくさと小走りになり本棚に囲まれながら毎日読んでいた。

時には、ブロンドヘアの生意気女。ペルシアに、先を越され屈辱的な思いをしたことがある。

 どちらかというと、僕は繊細で理性のある男だ。勝負に負けたからと言って、いや訂正しよう。これは勝負ではなく、ただの本だ。僕が言いたいのは、屈辱的な思いをしたからといって理性の概念を壊さないということだ。

 常軌を越した態度は、女にも男にも愛されない。

ごもっとも、僕は多大なる喪失感に現状、襲われている。

「無常と切実」の本の背びれを、静かに閉じゆっくりと本棚に戻す。

”おめでとう、ペルシア。君の勝ちだ、僕は退屈になってしまったのであとは君の思うがままにしてくれ。  アルバート.Jより”

そういったメモを本の隙間に残し、講義室に忘れていったお気に入りカバンを取りに戻ろうと螺旋階段を下りた。


 すると、僕を待ち構えるかのように金髪でブルーの瞳を持つ背の高い男が立っている。腕組…?全く、初対面にしては傲慢な態度をとるな。


「理性を重んじるお前が、女と勝負だと?勝ち負けにはこだわらないんじゃないのか。」

僕は目を見張った。なんだと?質問したいことがたくさんあるが、ここは動揺せず冷静な対応をとることが一番だと、「考古学」のシルバニアが言っていたぞ。

「はは、シルバニアのことを考えてるんだな。あの爺さんは、言っていることは含蓄があるように思えるがただの”経験則”。」

金髪ヤロウは、ほくそ笑いをにじませながら僕の肩に両手を乗せた。

「お前は誰だ、なぜ私がシルバニアを?…名を名乗るのが、ルールだ。」

「焦ってんのか、愛しのペルシアがやってきてあの”本”に自分が喪失した表情を見せられたくないって?」金髪の人差し指が、僕の胸を2回つつく。

「思いは、時と場合による。男なら誰でも勝負はしたいし、勝ってもみたい。もっとも、高身長の差では圧倒的お前の勝ちさ。」僕は、金髪の目を見つめながら言ってやった。

「理性というのは、変化するものなんだよ。抑揚があるから、臨機応変に動ける。

どうやら、頭の良さでは俺の勝ちのようだ。この能無しめ。」

我ながら決まった、昔から悪党に絡まれることなんてしょっちゅう。そのたびに僕は、呆れ優越感を手にする。

「能無しか…いつまでも優越感にひたってばかりじゃ、何もかもがつまらなく感じる。そう思わないか?」 

金髪は何を言っている?

ふいに心をのぞかれているような気がしたので、その場から僕は無言で立ち去ろうとした。そこに同情があったのかもしれないし、金髪を求めていたのかもしれない。

「今、理性は変化したか?」その金髪の声と同時に、奴の引力に引かれた。


その儀式は、10秒にもわたり。いつのまにか、僕は過呼吸になっていた。

金髪は僕を突き放した。

「どうだ?これが、本当の喪失だよ。感慨にふけるだろう?しかし、まだ足りない。「無常と切実」の本を最後まで読めば、…」金髪が淡々と語る…

僕は心臓の脈が、限界に達したことを悟り「喪失」どころではなくなった。


僕は汚されてしまった、金髪の目的は何だったのだ。

薄れゆく意識の中、見覚えのない天井を見つめ、考えた。

「アルバートさん!」…医者か

「アルティ!」…母さん?叔母さんか。

「アルバート!」…父さん、こんな時だけ。

ペルシアのブロンドヘアが、夕日に照らされているのが見える。彼女もまた、僕の名を呼んでいる。

「アルバティア!」彼女の愛犬の名で呼ぶのは、ペルシアだけだからな。


「無常と切実」の本への喪失は、喪失では無いというのか。確か金髪が言っていた。なら知りたい、本当の喪失とは何か。


最大の疑問はこうだ。


金髪、お前は僕に何を与えた?



つづく

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