第34話 目には目を

 夜、紡績工場では見張りである雇われの荒くれ者達が、建物の周囲や内部で働いている労働者達に目を光らせていた。中には鞭を片手に、ミスをした労働者などを痛めつけるなどして鬱憤を晴らしている者さえいる。そんなおおよそ人としては下等な部類に入るであろう男達の内の数人は、労働者達が逆らえないのを良い事に休憩室でたむろしていた。


「しっかし、ケイネスさんは羨ましいよな。今頃貴族達とパーティーか」


 淹れた紅茶で一息ついた男の一人が言った。


「最近、儲かってるらしいからな。これでうまく気に入られて上流階級の仲間入りって魂胆だろ」

「そんなに景気が良いならもう少し給料増やしてほしいぜ」

「贅沢だな。あいつら適当に痛めつけるだけで金貰えるんだ。こんな美味しい仕事ないだろ?」

「ハハッ言えてらあ…よし、そろそろ交代だ」


 上司への愚痴や他愛も無い雑談で暫し気を和らげた男たちは、他の者達と警備を交代するために部屋から出ていく。あくせくと働く労働者達を睨みながら歩いていた一人が、その拍子に二階の通路から何かが重いものが落ちるような音を耳にした。上にあるのは物置や事務室のみであり、数度見回りに訪れるだけで良い箇所である。休憩に気づかず仕事を続けているのかもと思い、一声かけようと階段から上がってみたが誰もいない。作業場を見渡せる手すりと、その先にある事務室、何の変哲も無い通路が見えるばかりである。


「何だったんだ?」


 疑問に思っていた男の頭上では、鉄骨の上にシェリルが乗って息を殺していた。思いの外足音が響く事を想定していなかったらしく、慌てて鉄骨によじ登って見張りが居なくなるのを待つと、そのまま鉄骨の上を渡って事務室へ近づいていく。素性がバレると面倒になるという事から、いつもの騎士団の制服ではなく体に馴染んでいる私服のコートに身を包んでいた。口元もスカーフで隠している。


 今度こそと慎重に降り立った彼女は、そのまま事務室のドアに近づいてノブを回してみる。やはり鍵が掛かっているのか、ガタガタと震えるばかりで開く気配は無い。


「久しぶりだけど…やってみよっか」


 鍵穴の使いこみ方や型からしてそれほど新しくない物だと判断したシェリルは、少し緊張した様にテンションとピックを取り出し、おもむろに穴へと挿入した。まずはテンションを使って鍵を回転させる。そしてかみ合わないピンを細いピックによって調整する事で鍵が開くはずなのだが、久しぶりと言う事もあってかイマイチ感触が掴めない。階下から階段を昇る音まで聞こえ始め、焦り始めた彼女だったが上手く行ったらしく鍵が回り、カチャリという心地良い音が響いた。階段から見張りが姿を現す直前に部屋に滑り込むと、音を立てないように静かに扉を閉めて内側から鍵をかけた。


 余程間抜けなのか、見張りは何事も無さそうに部屋に近づいて鍵が掛かってるのを確認すると、その場を後にしていく。物音がしなくなったのを確認したシェリルは、近くにあった椅子をドアノブの下に立て掛けて物色を開始した。出てくるのは工場の収益や行政から宛てられた税金に対する通告などであり、不審な点はこれといって無い。並べられている本棚についても怪しいものは無かった。


「シロだったって事?」


 当てが外れたのかと残念がるシェリルだったが、ふと部屋の片隅に置いてある金庫が目に付いた。躊躇いはしたが、金を盗むわけでは無いのだからと近づいて聴診器を取り出す。慎重に音を聞き分けながらダイヤルを左右へ回し、幾ばくか悪戦苦闘した末にようやく金庫が開いた。札束や機密と思われる書類が積まれており、少なくとも公には出せない物である事が分かる。


「ん?」


 ひとまず書類を取り上げて見ていく内に妙な内容が記されている物がある事にシェリルが気づいた瞬間、入口付近から人の声がした。


「急に戻ってきて一体どうしたんです?」

「お得意先に見せたい物があったのを忘れててな。欲しい物を取ったらすぐに出るさ」


 よりにもよってケイネスが戻って来た事は彼女にとって最悪のケースだった。予期せぬ事態であって備えておけと常日頃から兵士達に教官として言い聞かせている立場だというのに、当の自分はその僅かな可能性を覚悟していなかったのである。シェリルはどうにか脱出をしなければと思っていたが、よりにもよって窓が無い上に、出入りできる場所も先程自分が入って来た扉のみである。こうなってしまうと残された道はただ一つしかなかった。


 標的が扉へ近づく直前に椅子をどけて、シェリルは机の裏に隠れる。不審な物音に胸騒ぎを覚えたケイネスが急いで鍵を挿し込んで事務室へ押し入ると、椅子が転がっており大事に扱っていた金庫が空いている。背筋に悪寒が走り、ドタドタとケイネスが近づいた直後だった。物陰から飛び出たシェリルは取り出していた警棒を使って彼の膝を殴りつけ、痛みと衝撃で思わず跪いた後に素早く後頭部を殴って悶絶させる。


「な、何だお前!」


 同行していた部下の一人が叫ぶや否や、シェリルは煙幕を投げつけて炸裂させた。目の前が真っ白に包まれ、むせ返るような煙たさの中で藻掻こうとしていた部下だったが間もなくシェリルによって足元を掬われる。


「くっ…泥棒だ!さっさと追え!」


 そのまま部下を床に叩きつけた後に近くの窓をかち割り、外へ逃げ出すシェリルを朦朧とする意識の中で目撃した部下は、仲間達に怒鳴って追跡を命じる。そのまま街に繰り出したシェリルは、人混みなどを通りつつ上着やスカーフをかなぐり捨てる。そして待機させていた馬車に飛び込んだ。


「すぐに出して」


 彼女の合図と共に馬車が通行人に気を付けつつも走り出し、小窓越しに見える工場がすっかり小さくなった。


「う、上手く行きましたか?」

「何とかね。このまま走らせて」


 変装してまで協力する羽目になった兵士が恐る恐る聞くと、先程の焦りが落ち着いたのかいつも通りの冷たい口調でシェリルは指示した。




 ――――戻って来たシェリルがクリス達に渡した書類には、特定の労働者達の経歴や家族構成、交友関係などが記されているリストであった。さらに失踪したとされている労働者達が含まれている。


「×印が引かれているのは失踪した労働者だけだな」

「となればあの男が失踪に一枚噛んでたわけだ。それと死体について調べていたが、被害者の三人は失踪した労働者の一人…ああ、こいつだ。この男と良くつるんでいたらしい。報酬の引き渡しについてまで書いてる…こいつらが売ったって事か。となれば復讐の動機としては十分」

「だがこの失踪した青年は病弱だとあるぞ…不意打ちであったとして、成人した男を三人も殺せるか?」


 シェリルが持ち帰った書類を照らし合わせて被害者とケイネス、そして犯人の関係性を割り出そうと二人は深夜になって静かになっている会議室で躍起になっていた。


「まあ、失踪した後に何かあったと考えるのが妥当だろう。俺達が宿舎の近くで見た不可解な痕跡についてだが、街の至る所で目撃されている。屋根の上を跳躍して走り去る奇怪な生物を見たという証言もかなり入ってるそうだ…まるでバネでも入ってるかのようなジャンプ力、そのせいで”バネ足ジャック”なんて呼ばれているらしい」

「殺人犯にしては、また随分と洒落た名前だな」


 少し気晴らしをしたかったのか、イゾウは煙草を吹かして部下から取り寄せた情報について語る。クリスは殺人犯と思われる怪人に付けられたあだ名をしょうも無いと一蹴し、引き続き考察をしようとしていた。


「じゃあさ、二手に別れれば?」


 部屋の隅でドライフルーツを齧っていたシェリルが唐突に言った。


「二手?」

「そう。片方は容疑者かもしれない怪人を追う。それでもう一人は失踪者の行方」

「いや、もう少し様子を見るべきだろう。今の段階じゃケイネスを問い詰める事も出来ない。何より、犯人の情報についても詳しく集める必要がある」


 シェリルの提案にイゾウはもう少し慎重に行きたいと却下を下す。


「何だよ?魔術師じゃないからってビビってんのか」

「黙れ。お前と違って俺は死んだらそこまでなんだ」


 案の定、面白くなさそうにクリスがバカにし始めた。イゾウも面倒くさそうに言い返していると、駆け足で兵士が会議室に突撃してくる。


「ご報告です!例の…あー、”バネ足ジャック”が現れたと!」

「やったぜ。あっちから出向いてくれた」


 息を切らす兵士に対して、手間が省けたとクリスは気合を入れ直した。

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