五章:混沌からの産声

第30話 水魚の交わり、犬猿の仲

『クリス・ガーランドによって数十名の魔術師が殺された』


 この報せはたちまちブラザーフッドのみならず、彼らに肩入れする魔術師の派閥や裏社会の組織達のもとで拡散していった。情報伝達の過程である時は誇張され、またある時は過少な表現の下で広がりを見せ、いつしか「全員を磔にして片っ端から銃殺していった」、「実はクリス・ガーランドは出向いておらず、魔術師達は騎士団によって片付けられた」、「寧ろクリス・ガーランドが独断で動いて全員を殴殺した」など諸説が出回る結果に陥ってしまったのである。


 この騒動はどちらの意味にしても効果が表れた。一つはこの騒動が見せしめとなったのか定かでは無いが、ブラザーフッドによるものと思われる犯罪が減少した。しかしそれと同時に別の問題が浮上する事となる。この戦いによってホグドラムの怪物が実在し、ブラザーフッドが掛けた懸賞金がただのデタラメでは無いと知ってしまった者達が現れた事であった。


「アンディ、その情報は確かだな?」


 国の首都であるレングートの街にて、煌びやか且つ物騒な装飾品に囲まれた男が秘書である若い男に乱暴に尋ねた。


「有力な情報と非常に類似している特徴を持つ騎士が、レングートで頻繁に目撃されています。可能性は高いかと」


 華奢でありながらバレエダンサーの様に引き締まった肉体をスーツで隠しながら、青年は男に答えた。中性的で端麗な顔立ちの青年に対して、鉄製のマスクによって口元を隠していた男は上機嫌に答えを聞いてから、はしゃぐように酒をグラスに注ぐ。


「ブラザーフッドがあの額を払ってくれるかどうかは知らんが、少なくとも誰よりも先に奴を倒せば俺の評判と名声は大きく跳ねあがる…最高のシナリオだ。ところで、新しい男でも引っ掛けたか?」


 男は野望への足掛かりを夢物語の様に語っていたが、不意にアンディの些細な変化に気づいた。


「バレちゃいました?」

「香水が普段使っている物ではないな…他の男に色目を使ってまで俺にやきもちを妬いて欲しかったか、ん?」


 近づいて来たアンディの顎を軽く持ち上げ、自分の方に向かせながら男は少し枯れた声で言った。その挑発に乗ってやろうと言わんばかりにアンディが椅子に座っている男にまたがり、彼の胸を軽く撫でる。たまらなく心地よかったのか、男は彼の尻に手を当て、その澄まし顔を滅茶苦茶にしてやろうと決意した時、扉が勢いよく開いて手下の一人が部屋に入って来た。


「ギャッツ様! 近況についてご報…告…が…」


 部下は入るや否や、目の前で起ころうとしていた出来事を目前にして、突拍子の無さに呆然とした。


「せめてノックをしろ。気の利かん奴だ」


 不貞腐れた様に言いながら、アンディをどかしてギャッツは言った。


「も、申し訳ありません。ミス・ベイカーの実験について…良い報告と悪い報告がございます」

「”キメラ”か。聞かせてみろ」

「まず良い報告についてですが、実戦にも耐えうるであろう個体の開発に成功したそうです。それも二体」

「素晴らしい!それで悪い報せは?」


 多額の資金を投資して行っている計画の進捗が伝えられると、目を輝かせながらギャッツは褒めたたえる。しかし、次に待っていたのは想像以上に彼の期待を裏切る物であった。


「すぐにでも試したいと言って、街に放したそうです…我々は止めたのですが」

「あの女…いつもいつも、金を貰って置きながら余計なマネを!スポンサーに成果を披露するくらいの事も出来んのか!」


 どんどんギャッツの機嫌が悪くなっていくのを部下は表情から悟り、俯いた瞬間にすぐさま癇癪が起きた。苛立ちを隠そうともせずに立ち上がって周囲を歩き、手当たり次第に物を壊した。報告をしただけであるにも拘わらず、彼の八つ当たりに付き合わされる部下を不憫に思ったのか、アンディは動き出した。


「そう言わずに…少なくともお望み通りの物が作れるのであれば、また作らせれば良いだけです。あの手の人間は金を渡してやると、大概素直になってくれます」

「…そうだな。これ以上余計な事をしないようにベイカーを監視下に置け。それと、招集をかけた連中はまだ集まらんのか?」


 彼に諭されて落ち着いたギャッツは、破壊したコレクションの残骸に囲まれたまま部下に尋ねた。


「明日の夜には全員集まるかと」

「なら、時間はたっぷりあるなあ…おい」


 部下の返答の後、ギャッツは一度だけアンディを見てから酒瓶を掴んで部下に放った。


「ご苦労だった。それはお前にやろう…俺はこれから、この癖が悪い子犬ちゃんに主人が誰なのか教えてやらんといかんからな。次に用がある時はちゃんと一声かけろよ?」

「了解です!」


 部下が立ち去った後、ギャッツが気を取り直してグラスに手を掛けようとしたが、それよりも先にアンディが取り上げた。一口嗜んだ直後、ギャッツによってグラスを持つ手首を抑えられる。笑いながら窘められたが、握力の強さと手の熱さから彼が何を思い、これから自分に何が起こるのかについて、アンディはゾクゾクとした興奮と共に思いを馳せた。一方でギャッツは、そのまま彼をテーブルへ押し倒す。


「せめて…ベッドに行きたいんだけど」

「言ったろう、躾だ。善は急げと言うからな」


 どこか心待ちにしてるかのようにアンディが待ったをかけるが、ギャッツは不気味に笑って断りながらマスクを外す。そして外傷によって歪み、大きく損傷している口に酒を流し込んだ。




 ――――その頃、クリスは以前から興味のあった酒場である『ドランカー』にて二十杯目のグラスを飲み干して、勢いよくカウンターに叩きつけた。


「ああ…体が少し火照ってきた」

「うわあ、結構やるじゃん」


 私服姿で酒を煽るクリスに、同じく仕事を休んでいるメリッサが軽く引きつつも楽しんでいる様子でそれを見た。周囲は非番らしい兵士や常連達で賑わっており、自慢げに店の紹介をするのも納得の居心地と酒の味であった。


「しかし、クリスさんも容赦が無いんですな。どこもかしこも噂でもちきりですよ。例のブラザーフッドとの衝突」


 トムが面白いものを観てるかのように笑い、グラスを片付けながらクリスに話しかける。


「そうそう。かなり派手にやったみたいだけど、大丈夫なの?真偽の分からない情報が大量に出回ってるし、確実に目を付けられるわよ」


 ジョッキに注がれたビールをしんみりと口に入れながらメリッサも尋ねて来た。クリスは問題ないという風に手を振ってアピールをしてみせる。


「あれだけ派手にやっておけば、ブラザーフッドや他の連中も迂闊に手を出そうとはしない筈だ。おまけに噂が出回ったおかげで、人々は「下手に暴れれば騎士団や、或いは俺の標的にされる」と学習した…逆に言えば連中が嫌いな奴にとっては騎士団と組みたいと思う理由になる。いずれにせよ俺達にとっては動きやすい状況に持っていける可能性が高い。そうだ、トム…今までのは聞かなかったことにしておけ。重要な戦略…だと思う」

「独り言で訳の分からん事を呟いてた。それで良いんですね?」

「ハハア…分かってるじゃないか」


 饒舌な口の回り方で自分の意図を述べるクリスに、トムは優しい愛想笑いと共に答えた。満足げに喋るクリスを横目に呆れた様にメリッサは微笑んでいる。


「頭がおめでたいと色んな意味で得するな」


 水を差すように鋭い声がクリスの横から聞こえる。イゾウだった。


「ほう…じゃあ聞かせてもらおうか。なんでおめでたいと思った?」


 クリスは癪に障ったのか、低い声で唸る様に言った。


「ていうか、何でここにいるの?」

「非番だからだ。ついでに酒と呼べるものを出してくれるのがこの店意外に無かったから。それとも俺が飲んでたら悪いか?」


 メリッサも面倒くさそうに聞くと、イゾウは店の事も褒めつつ理由を言った。トムは「毎度どうも」と相槌を打ち、メリッサは虫の居所が悪いようにそっぽを向く。


「すまないトム、もう一杯くれ…まあいい。それよりガーランド…お前の話は、ハッキリ言って欠陥だらけも良い所、理想論でしかない。懸賞金については知ってるだろ?お前が暴れたせいで自分の動向をわざわざ教えてやった様なものなんだぞ。本気で狙いに来てるような奴らがいたらどうする?手段も選ばずに…それこそ民間人を犠牲にしてでもお前を倒そうとするような連中だったら?そうなれば責任を取れるのか?」


 イゾウもだいぶ酔っているのか、捲し立てながらクリスの判断は軽率だと彼を責めた。


「ああ、トム。俺も一杯頼む…情報が出回ってるんなら、俺の体がその辺の賞金首とは違う事も分かっている筈だ。それを知ったうえで挑みに来るんなら、そいつはたぶん自殺志願者か金に飛びついて後を考えてないバター犬だけだろ。あ・た・まを使え少しは」


 酒が進んでいたが、クリスも食い下がる気は無かった。指で側頭を小突きながらイゾウを挑発すると、どうやら彼もその仕草が気に食わなかったらしい。もう一杯くれとトムに伝えながらクリスを睨んでいた。


「ああどうも、何度も悪いな…確か懸賞金の条件には生け捕りもあったんだがなあ。民間人に犠牲が出て、お前まで捕まるなんてことになれば騎士団は余計な手間を増やされるわけだ。そうなればどうするつもりか知らんが…」

「もう一杯だ…簡単だろ、そうならない様にすれば良い。身の程知らず達は片っ端から叩き潰して、犯罪が起きようとするなら止める。それとさっきから言いたい事がある」

「ほお、奇遇だ。俺も言いたい事があった」


 互いに不毛な言い合いが続く中で、不意に言いたい事があると申し出が出て来る。次の瞬間には、「酒を飲んだくらいで俺と張り合ってるつもりか?」という声が二人同時に飛び出た。ほぼ同じ数のグラスでカウンターを埋めていたクリスとイゾウは、バツが悪そうに目を逸らす。


「ホントに男ってめんどくさい生き物…」


メリッサはそう言いながら、眉間に指を当てて困り果てた様に座っていた。

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