第29話 もう全部あいつ一人で良いんじゃないかな

 朝焼けを浴びながら森を進み続けるブラザーフッドの軍勢は、期待と不安を胸に秘めながらホワイトレイヴンが取り仕切る集落へと歩む。ブラザーフッドの振る舞いに誇りを持っているわけではなかったが、集落が自分達に降るのは火を見るよりも明らかだろうとどこか楽観的であった。後にその半端な覚悟に後悔するとも知らずに。


 やがて入り口である岩の坊壁に囲まれた門に辿り着いたブラザーフッドの面々は、周囲に気配を感じる。交渉を任されていた先頭に立つ魔術師の下に、付近を囲まれているという情報が入ると、いつでも戦えるように準備だけ促して先頭の魔術師は大声で叫んだ。


「さあ!我々は十分に待ったぞ!答えを聞かせてもらおう!」


 返事は無い。既に集落に住む者の大半は即席で作られた岩の囲いで守られている避難所で縮こまり、防壁の裏側には武装した騎士団の兵士達、そして戦う事が可能な集落の魔術師が待機していた。この戦いに対して反発的な考えを持つ者はおれど、暴虐の一途を辿り続けるブラザーフッドに協力したがる存在もまた皆無であった。


「それが答えというわけだな!よろしい、総員!ただちに――」


 交渉にあたっていた魔術師が音頭を取って攻撃を仕掛けようとしたその時、開くことが無いと思われていた木製の門が軋み、重々しく開いた。やはり血を流すのは御免だったのだと安堵して風を切る様に開かれた門へ向かおうとした時、その安堵と愉悦が砕けるのをその場にいたブラザーフッドの兵士達は味わった。


 一人の男が門から現れる。彼らは確かにその男に見覚えがあった。というよりも知っておくべき相手として叩きこまれていた。英雄と称され稀代の天才と称された魔術師”であった”男、クリス・ガーランドが明確な敵意を持って自分達の前に立っている。その現実はあまりにも重々しく、戦慄と共に彼らを震え上がらせる。


「おい、本当だったのかよ?」

「噂では聞いてたが…」

「でも、魔法は使えなくなってるそうだぜ」

「それぐらいでダメになる奴が怪物なんて呼ばれると思うか?」


 口々にどよめく中で、クリスは門から外に出てから合図を送って門を閉めるように言った。すぐに門は閉じられ、互いに様子を窺うような沈黙が続く。やがてクリスが二丁の拳銃をホルスターから引き抜いて携えると、一度だけ深呼吸をした。


「最初で最後だ!!引き返すのなら見逃してやる!!」


 木々が震えたと見間違うほどの強烈な怒号であったが、退くという考えは毛頭なかった。それにしても妙なのは、周囲に兵を配備している事が明らかだというのになぜ彼が出張って来たのか、それがブラザーフッドの兵士達には理解が出来なかったのである。不意打ちのために彼が何かしらの合図を出して来るはずだと意識していたその時だった。いつまでも動かない自分達の意思を察したのか、クリスが一歩ずつ自分達のもとへ迫ってき始める。本当に一人で突っ込んでくる気なのかと、周囲の者達が正気を疑い始めた。


 次第に歩むペースが速まり、遂に駆け足になったと思った瞬間にそれは起きた。クリスが目の前から消えたのである。直後、不思議に思った一人の兵士の前に閃光の如く現れて顔面に飛び蹴りが入った。蹴り倒した兵士を凄まじい勢いで踏みつけながら、持っていた拳銃を片っ端から撃ち始めていく。遠方の高台から双眼鏡でその様子を見ていた兵士は、他の者達にも攻撃が始まった事を伝えた。話を聞いたシェリルはすぐさま狙撃眼鏡越しに引き金を引いて、狼狽える魔術師の一人の頭を砕いた。他の兵士達も銃声に続けと両側から射撃を開始していく。『自分の不意打ちを皮切りに攻撃を開始しろ』、それがクリスからの指示だった。


 一方で現場では混乱と恐怖が渦巻き、大きく荒れていた。銃撃により倒れ行く仲間達や、抵抗しようにもそれを妨げるように襲い掛かって来るクリスの双方が脅威に他ならない。特にクリスに至っては手当たり次第に拳銃で頭や腕を吹き飛ばしていき、魔法を使い攻撃しようにも闇の力で躱されてしまう。時には付近にいた味方の背後へ瞬間移動されてしまい、同士討ちを仕向けれられてしまう事も多々あった。


「…弾が切れた」


 拳銃を撃っている最中に弾切れが発生し、リロードを行おうにも隙ありと判断した魔術師達が襲い掛かって来る。咄嗟にクリスは拳銃の銃身を握りしめて鈍器代わりに拳銃のグリップエンドで殴りつけた。そこいらの支給品とは比べ物にならない重量を持つ一品である。当然、殴られた側は無事では済まない。ある程度周りを片付けてから素早くリロードを済ませて再び暴れるクリスだったが、不意に一人の魔術師が大声を上げて自分を呼び止めていた。


「…クリス・ガーランド!俺と一騎討ちをしろ!」


 非常に屈強そうな体格をしている男が叫ぶ。泥まみれになっている所から、銃撃を生き延びていた事が分かった。クリスは監視や兵士達に見える様に手を上げて、攻撃を一度止めるように示す。


「我が名はグレイン・リーソップ!覚えておくが良い!」


 銃撃が止むと、男は名を名乗ってからつむじ風を巻き起こしながら構えを取った。クリスも銃を仕舞って静かに拳を握る。


 高速の低空飛行によってこちらへ突っ込んでくるグレインをクリスは抑えようとしたが、そのまま勢いに押され木に叩きつけられる。木をへし折って行きながら近くの盛り上がった土手に叩きつけられると、マウントを取られたクリスの顔面に拳が入ろうとして来た。不穏な気配を感じたクリスが闇の力を使って脱出をすると、殴られた箇所の地面が抉り取られたように窪んでいる。拳や腕の周りに鎌鼬かまいたちを発生させているらしく、殴られた際の事はあまり想像したくなかった。


 さらに高速で詰め寄って来るグレインの攻撃を捌こうとする度に、ガントレットが鋭い音を立てて傷つけられる。時には完璧に対処できずに腹部や肩、太腿が削られた。鮮血が迸り、荒い削り目の肉の中に白濁とした骨が垣間見える。銃を使う気にはなれなかった。ここまで風の魔法を使いこなせる者であれば、強風で弾道を逸らすといった事など造作も無いため、意味が無いと判断したのが理由である。


 怯みを無理やり隠して殴り返すと、冷や汗をかきながらグレインは上体を反らして回避した。あくまで対人ではあるが、この攻撃方法によりグレインは幾多もの修羅場を潜り抜けてきた。しかし、負傷に物怖じせずに反撃される事は想定していなかったのである。殴ったはずの箇所も既に皮膚が覆っており、相手は人間ではないと思わせるには十分であった。


 それならばと一気に距離を置き、無数のつむじ風を発生させた。そして砂利や木片を巻き上げてクリスを囲むように襲い掛からせる。服や露出した肌に夥しい切り傷が刻まれ、砂利や木の枝が痛々しく刺さる。だが、辛うじて生きていた魔術師達の中で、ある一人が異変に気付いた。


「あの男…攻撃を一切防いでいない…!」


 クリスが自身の体のタフさに物を言わせて持久戦に持ち込むと、次第にグレインの中にも焦りが見え始めた。傷を付けた傍から傷が治っていく様を見せられる事による気色悪さと、どう足掻いても殺せない虚しさが彼に諦めをチラつかせた。しかしここで止めれば寿命が縮まるだけといった後戻りできない状態がそれを許そうとしない。


 結局のところ、無駄であった。肩で息をして跪くグレインのもとに一歩ずつ、乾いた血によって黒く染まった服をなびかせてクリスが近寄って来る。


「見せしめだ」


 彼の背後で這いつくばりながらこちらを見ている若い魔術師へ一度だけ視線を送った後、クリスは言った。


 グレインの髪を掴んで立ち上がらせ、手を離した直後に拳がグレインの顔を捉える。仰け反る彼の背後に瞬間移動で回り込み、間髪入れずに膝蹴りを入れた。再び正面に現れてみぞおちに拳が食い込む。顔を歪めてよろめいた瞬間に右手側に瞬間移動を行い、飛び蹴りを喰らわされた。以降もクリスは、次々と彼の肉体を痛めつけていく。


 闇の力を発現する際に現れる黒い靄に身を包んで、クリスは瞬く間にグレインの体を破壊していく。何かが砕ける鈍い音や途切れる呻き声によって自身の上司が味わっている地獄を若き魔術師は見つめるしかなかった。グレインもまた、倒されることも生かされることも許されず、漆黒の風と化したクリスによってただ破壊されるために立ち尽くすしかなかった。


 攻撃が止み、声一つ挙げることなく倒れ伏した血まみれのグレインを尻目に、怯えて逃げる事すら忘れていた魔術師のもとにクリスは歩み寄る。若き魔術師の頭の中では、幼い頃に読んだホグドラムの伝説や、それにまつわる兵士の手記が走馬灯の様に思い返される。


 ”――戦い、交戦といった生温いものではない。あれは圧倒的な強者による殺戮であった”


 躊躇いや悔いといった情を微塵も見せずに近寄る怪物を前に、命からがら逃げかえったという兵士の記録に記されていた言葉が魔術師の頭をよぎる。彼の前に立ったままクリスは少し様子を見ていたが、やがて疲れを見せながらゆっくりとしゃがみ込んだ。


「生かしてやるが、仲間達に自分が何を見たのか伝えてやれ。ほら…行け」


 震える足をもつれさせ、何度も転びながら逃げ去って行く魔術師を見送った後にクリスは集落へ引き返す。歓声が上がる事は無かった。しかし、非難をされる事も無かった。この野暮臭い中年男がなぜホグドラムの怪物と呼ばれていたのか、端的にではあるが目撃した者達全員が理解をしたのである。彼らが選んだ答えは畏怖による沈黙であった。


「結局…ほとんどアイツがやっちゃった」


 そんな集落の雰囲気は露知らず、高台で仲間達と共に撤退の準備をするシェリルが残念そうにボヤいていた。

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