第31話 罪人は救世主の夢を見るか?
「おいっす…ってやっぱりいたか」
扉が勢いよく開き、挨拶と共にデルシンが入店してきた。服の湿り気からして外は小雨らしい。彼は一息ついた後にカウンターでいがみ合う二人と、お手上げ状態で酒を飲んでいるメリッサを見つけて彼らのもとへ足早に辿り着いた。
「どうしたの?」
「パトロールついでに伝言しとこうと思ってな。新米の教育を俺がやる事になったが、その間お前ら二人で新しい仕事をして欲しいんだと。殺人事件、詳しい事は本部で聞いてくれ。それじゃ、伝えたからな」
デルシンはクリス達にひとしきり喋った後で店を出る。新人のお守りなどほっぽり出してあの場に加わりたかったと、しょぼくれながら小雨の中を走って行った。
————数日後、事件が起きたとされる労働者達の共同宿舎にイゾウとクリスは出向いていた。付近には製鉄所や紡績工場が存在し、労働者達はそこへ通うために住み込みで働いていたのである。
「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」
出迎えた兵士は、封鎖されている宿舎の内部へと二人を連れ込んだ。色褪せ、所々にシミのある内装に目をやりながら階段を昇り、事件が起きた部屋に辿り着く。死体は片付けられてはいたが、拭き取れなかった血痕が残ったままであった。それを始めとした痕跡の多さから、いかに凄惨な状況だったのかは想像に難くない。おまけに窓が跡形も無く割れており、部屋の所々に刃物によるものと思われる深い引っ掻き傷があった。
「死体を最初に発見したのは?」
クリスは壊された窓の淵を指で触って様子を確かめながら言った。
「この宿舎に同居していた知人だそうです。普段なら共に工場へ向かうはずが、いつまで経っても出てこないのを不思議に思って調べたところ、死体を発見したと」
「目撃者は?それと、ここ最近に不審な事が起きてなかったか?」
「現在調査中です。この後で同居人たちにも話を伺う予定となっています」
兵士は死体が発見されるまでの経緯を説明する。イゾウがさらなる情報を求めると、まだ判明していないとして話を切り上げた。窓の外にある道路を見ていたクリスは、すぐに窓際に残っていた僅かなガラスの破片へ目をやって奇妙そうに顔をしかめる。
「この後は司法解剖の結果が出るらしい。ひとまず…おい、聞いてるのか?」
イゾウは被害者の死体について話していたが、無視して窓際に立っているクリスに言った。
「部屋の清掃をしたのは誰だ?」
「業者です。一応私も立ち会っていましたが」
「窓ガラスは床に散らばっていたのか?」
「ええ…おかしいですよね。ここは三階だっていうのに、外から割られてるなんて」
クリスが窓ガラスがどの様な状況であったかを尋ねると、兵士も違和感を感じていた事を述べつつ彼の質問に答えた。
「窓に気を引き付けて玄関から侵入した可能性は?」
「複数人による犯行ですか…無いでしょう。玄関からここに至るまで、何の手掛かりもありませんでした」
「じゃあ窓を割って直接入って来たのか…なあ、魔法でどうに出来る物か?」
「死因が分からなきゃ何とも言えない。少なくとも一介の人間に出来る芸当ではないな」
イゾウと兵士が少しの会話の末、犯人は窓から入って来たという線で話を進める。そうなるとやはり可能性として浮上するのは魔術師による犯行であった。しかしクリスは、被害者の死因を特定するのが優先として話を打ち止める。
「ひとまずは本部へ向かおう。司法解剖の結果も気になる」
外へ出たイゾウは、クリスと共に念のため周囲を調べてからそう言った。そして馬車のもとへ向かおうとした時、ふと歩道の敷石に亀裂が入っている事に気づく。近づいてみると、放射状に広がる亀裂の中央には細長い窪みが作られていた。縦に伸びているその窪みが向く先は、事件が起きた宿舎である。
一度だけ顔を見合わせた二人は立ち上がり、付近にいた兵士に同じような痕跡が近辺に無いかを調べるように命じて本部へと帰投した。
――――とある研究室、監視の目にうんざりしながら一人の女性が試験管に溜まった薬品を掻き混ぜていた。しかし、何かに行き詰ったらしく弄っていた物を試験管立てに置き、背伸びを始める。
「ねえ。お茶にしたいから外に出ても良いかしら?」
女性は黒髪をなびかせ、資材や設備の隙間を縫って歩く。そして入口で立っている見張り達に聞いてみたが返事は無かった。
「聞こえた?休憩にしたいの」
「…欲しい物があれば言ってください。お運びしますので」
様々な理由から凝ってしまった肩を自分で叩きながら、扉の前に来た女性は寄りかかる様にしてもう一度尋ねてみる。見張りは適当にあしらって再び沈黙した。
「ちょっとだけなのよ?二十分もすれば戻って来る」
「はあ…単刀直入に言わせていただきますが、身の程を知ってください。こうなったのは自業自得です」
「ちぇ…もう良いわ」
ふと時計を見れば、あっという間に夕方になろうとしている。勝手にキメラを放した事で軟禁される羽目になってしまった彼女の名は、マーシェ・ベイカー。れっきとした科学者である。もう今日は食事でも取って寝てしまおうかと考えた時、研究室の扉が開いてギャッツが乗り込んできた。
「よう」
「あ~あ、めんどくさいのが来た」
ギャッツが無愛想に挨拶するのとほぼ同時に、マーシェは不機嫌そうに言った。
「随分と嫌われているみたいだが、元はと言えば貴様が勝手に動いたせいだ」
「チンタラしてたら先を越されると思った故の優しさよ。こうしておけば、あなたには化け物どもを使役できる力があると他の連中に示せる。それにデータも取れるでしょ?」
当然の報いだとギャッツは彼女を咎めたが、懲りてない様子で彼女は反論した。
「…減らず口を。貴様は黙って仕事をしていればいい。次は無いぞ、忘れるな」
「ハイハイ。私の代わりに研究が出来る様な人材が見つかると良いわね、ホモ野郎」
引き続き自分が上の立場にある事を強調して、ギャッツは彼女に釘を刺す。その偉そうな物言いが鼻に付いたのか、マーシェは彼とアンディの肉体関係に言及してまで暴言を吐いた。
「愛した相手がたまたま男だった…それだけの事。相性さえ良ければ何だろうが関係ない」
「あ、そう。気持ち悪いからさっさと出ていってくれないかしら?」
食い下がる様に言い返すギャッツに、マーシェは手で追い払う仕草をして帰る様に言った。苛つきながら帰るギャッツを見てから少しほくそ笑み、近くの椅子に座って薄汚れた天井を仰ぐ。”キメラ”に関する研究を続けている限りは、奴も迂闊に自分を処分できないからこその強気な態度であったが、それもいつまで続くか分からない。
「白馬に乗った王子様でも助けに来てくれないかしら…なんて無理よね、フフ」
今の退屈な状況が変わるのなら何でも良いと、冗談半分に彼女は口にしながらその馬鹿らしさに一人笑っていた。
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