本丸御殿前の広場に女中と吾妻達が集められ、地面に正座で座らされた。


 事の次第を語られ、自分達が怪しまれていると悟った女中達は、青天の霹靂へきれきとばかりに慌てふためいた。



「私達は何も知りません!」

「何かの間違いでございます!」

「そんな大それたこと、誓って私達ではございません!」



 しかし、奏者の疑いの眼は女中達へと向けられたままである。


 吾妻達も最初疑われていたが、吾妻が、もし自分達が下手人なら、自分達見張り番に渡された物なのだから、怪しまれないように同じものをほんの少し食べるはずと言って、奏者を上手く言いくるめ、疑いの目を逸らすことに成功していた。


 なかなか口を割ろうとしない女中達に業を煮やしたのか、奏者と共にいた侍の一人が刀を抜いて、女中の顔にひたりと当てた。その女中は声にもならず、ぼろぼろと涙をこぼし始めた。



「お、お待ち下さい!」



 正蔵が女中達とその侍の間に入り、侍の目をひたと見上げた。



「なんだ。お前達が盛ったというのか?」

「いえ、そうではありません。こうも沢山の人数に症状が出たのですから、食あたりの類なのではありませんか?」

「なに? 食あたりだと?」



 決して逸らさない正蔵の大きな目で向けられる視線は、どこかしら威圧感に似たものがある。侍もそれを感じたのか、侍の問いに対して横から答えた吾妻の方へと避けるように視線をずらした。


 すると、馬の手綱を引く青年が、薬箱を持った同じくらいの年の頃の青年を連れ、奏者達の元へと走って来た。


 近くにいる者に馬の手綱を預け、奏者に頭を下げる。薬箱を持った青年も隣で顔を伏せた。



「薬師をお連れしました!」

「遅くなってしまって申し訳ございません。丁度、怪我人の手当てをしていたもので」

「そんなことはどうでもいい! 早く診てやれ!」

「はい」



 見ると、確かに青年の服には血と思しき赤い飛沫が飛んでいる。しかし、今はそんなことはどうでもよいと、奏者はさほど気にも留めなかった。


 青年が連れていかれた後、奏者もやはり経過が気になってくる。連れて来させた女中達をこのまま捕らえておくように従者に言い含め、青年の後を追いかけた。


 患者が集められた場に案内された青年は、患者の一人の様子を隈なく見始めた。手の甲にもう片方の指を当て、患者の腹部を軽く押して行く。その頃には最早腹部全体に広がっていた痛みに、患者は僅かな力でも痛いとばかりに暴れ回る。


 青年は険しい眼差しとなり、立ち上がって少し離れた位置で様子を窺っている奏者の元までやってきた。


 そして、皆には聞こえぬよう奏者の耳元に手をやり、小声で話し始めた。



「お武家様、これは予防薬でございます」

「……なに?」



 青年は小さな包みをいくつか奏者のそでたもとに差し入れた。

 いぶかしがる奏者に、青年はちらりと患者達を見て、言葉を続けた。



「これは流行り病かもしれませぬ。異国でこのような症状の者が次々と倒れたという話を聞いたことがございます」

「な、なに? では、それを飲めば大丈夫なのか?」

「はい。ですが、数に限りがございます」

「すぐに作ればよいではないか」

「いいえ。作れませぬ。なにせ、これは異国渡の薬。私もつい先日手に入れたばかりのものです。商人から購入してそのまま薬箱の中に入れておりましたゆえ、こちらに」

「そ、そうか」



 奏者は神妙な顔つきで、袂に入れられた薬包みを服の上からもてあそんだ。



「お武家様、そちらを貴方様が大事と思われる方にもお渡しくださいませ。そして、ここは危険です。痛みに我を忘れ、誰彼構わず攻撃する者がでるやもしれません。早く本丸内にご避難を」

「あ、あぁ。任せたぞ」

「はい」



 奏者が本丸へ向かおうとすると、玄関の前に女達を集めたままだったのを思い出した。奏者は殊勝な面持ちで待っていた女中達に、疑いは晴れた故にすぐに看病に当たるようにと立ち去り際に言い残して本丸の中へと戻っていく。


 さらに、雑兵姿の青年が怪しまれない程度に距離を開け、奏者の後をついて行く。騒がしい夜であるから、その青年の姿に気づく者はほぼいない。


 そそくさとこの場を後にした奏者の背を、薬師の青年は冷ややかな視線で見送った。


 そして、視線を近くに寝ている患者へと戻し、しゃがみ込んでその背に手を差し込み、体を起こさせて耳元でそっとささやいた。



「大丈夫。大丈夫ですよ。……静かにお聴きなさい。貴方のこの症状は、実は城主が毒を盛ったのです。その証拠に、城主もその取次ぎ役である奏者も、皆の前で驚いて見せた後、もう立ち去っています」

「な、なにっ……!」

「大丈夫です。この薬を飲めばしばらくすれば良くなりますから」

「あぁ……はやくっ、早くその薬をくれっ」

「えぇ。ですが、騒いではいけません。殺されてしまいますから」

「わ、分かったっ」



 がくがくと首を振る患者の男に、青年は包みと水入りの竹筒を手渡した。


 手渡した包みに入った薬が喉を鳴らしながら流し込まれて行くのを、青年は最後までは見届けず、また次、また次と、同じ話を聞かせて回った。


 そして、馬を引いてきた青年に加え、あと数人も薬師の青年と同じような行動を見せている。


 患者のある者は信じられないと目を見張り、ある者は恨みがましい目で本丸の方を睨み上げた。しかし、誰もが青年達の言うことを聞き、表立っては言い出さない。元々が評判の悪い城主のこと。その発言は大して抵抗もなく受け入れられたのだろう。


 それは彼ら――薬師にふんした伊織、馬を引いてやって来た彦四郎、雑兵の慎太郎、先に看病する側に回っていた蝶と兵庫、そして奏者に命じられて看病に加わった吾妻と正蔵――忍びが使う術の一つで、偽の告発を行い、重要人物を陥れる蛍火術にまんまとはまったも同然であった。


 その頃、着々と離反の下地がつくられているとも知らず、本丸内の奥にある部屋では、城主が奏者の報告を首を長くして待っていた。そこへ、奏者が戻ってきたのだ。城主は脇息を押しやらんばかりの勢いで迫った。



「殿。落ち着いてお聞きくださいませ。薬師より、これは異国の流行り病ではないかと。こちらが予防薬だそうでございます」

「なにっ? ……その薬師、信用できるのか?」

「……ですが、もし本当にそうだった場合、事が露見すれば、里攻めも叶わなかった我らは余計に御屋形様にうとまれることになります」

「……何が言いたい」

「口はわざわいの元、証拠は消すもの、でございます」

「……そうか。そうだな。お前に任す」

「はっ」



 城主は今だ戻らぬ軍奉行を務める老臣の次にこの奏者の男を信用していた。


 その男が言うのだから、自分はただ任せておけばよい。そうやって今まで生きてきた。


 ……あの里攻めの件を除いて。


 今になって蘇る恐ろしい記憶に、ぶるりと体を震わす。


 すると、奏者が包みを再度差し出してきた。



「殿はこちらをお飲みになって、念のため隠し通路からお逃げください。後の始末はこの時のために用意しておいたあの者に」

「あぁ、分かった。水を持て!」

「ははっ」



 側にいた小姓に水の入った柄杓ひしゃくを持って来させ、薬と水をぐいぐいっと一気に飲み干した。


 膝を掌で打ちつけ、城主は腰を上げた。



「……よし。行くぞ!」

「はっ」



 それから間もなく。

 十分なほど雑兵達に言い回った伊織達は、密やかに本丸内へと侵入していた。


 人と出会っても、報告したいことがあると言えば、皆が納得し、それ以上引き止められることもない。もちろん、必要以上に怪しまれることも。


 そんな伊織達を、先程まで城主がいた部屋に呼び出され、待ち構える青年がいた。年の頃は伊織達とそう変わらず見える。


 その青年は目を瞑り、部屋の入口に背を向けている。



「……とうとう、来たんだね」



 静かな声音がこぼした独り言は、誰に聞かれることもなく、泡のように消えた。


 青年は心臓の上に手をやり、ぎゅっと握りしめる。


 彼にも、守りたいものがある。守らなければいけないものがある。


 だからこそ、いつかは会わなければいけなかった。そして、それが今だっただけのこと。


 再び開かれた瞳は、決して揺るがない。

 瞳の奥、脳裏に浮かぶたくさんの姿が懐かしく、恋しく、そして、もう手が届かない所にあるのだということが分かっているからこそ。


 部屋の外から声がかけられたのは、それからすぐのことだった。


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