第六章―狼藉の代償



 地蔵縁日の前の晩。月はなく、星の僅かな光点だけが空を闇と共に彩る。


 先に支城へと潜入していた吾妻と正蔵が、黙々と握り飯を握り直している。もちろん、女中達の手伝いを買って出たわけではない。必要に迫られてのことだ。


 そして、城の外では物陰に隠れた伊織達が合図を待っていた。


 数刻前、城を抜け出してきた吾妻と正蔵の報告を受け、最終確認も全員で済ませてある。後は臨機応変にそれぞれが対処するだけだ。


 吾妻と正蔵は、握り終えた握り飯と水の入った竹筒を底の浅い箱に戻し、自らそれを台車に乗せ、いて外に出向いた。


 この支城は、梯郭式ていかくしきと呼ばれる造りの一種で、本丸の背後を山、二の丸が本丸をくの字型で囲み、三の丸がその二の丸をくの字型で囲んでいる。そして、それぞれの間を掘と橋で繋げるという縄張りになっている。また、それぞれの狭間と門、そして本丸御殿の玄関前にはいつも一定数の見張りがついていた。

 しかし、今はただでさえ農繁期で兵を集めることができないうえ、半強制的に集める口実となる有事もない。城兵はわずか三百あまり。


 吾妻と正蔵は手分けして、その各所の見張り番の男達に持ってきた握り飯と竹筒を配り歩いた。



「お疲れ様です。こちら、お女中方から差し入れです。皆様でどうぞ、と」

「おぉ、ありがたい」

「いただこう」



 配り漏れがないように、細心の注意を払う。これが第一の要。ここでつまずくわけにはいかない。

 配り終えると、二人は人の良い笑みを浮かべながら踵を僅かに返した。



「では、我々は大手門の番の交代時間ですので」

「これにて」

「おぉ。持ってきてくれてありがとな」

「いえ」



 この城の見張り番は一斉交代ではなく、各所の交代時間は一刻ほどずらしてある。もし、一斉に交代すれば、どうしてもどこかにすきが生じてしまうのだ。こうして人が少なければ少ない程、一つずつは僅かであっても、集まればそこそこ大きなものとなる。


 また、人というものは、なかなかどうして、慣れてきてしまうと見張りをさぼりがちになってしまう。どこかの見張りの手がゆるんでしまっていても大丈夫なように、先代城主の代からこのような手が取られていた。


 二人が城の正面にある大手門に着くと、やはり、門番の男達は持っている槍の柄にもたれかかるようにして立っていた。



「お疲れ様です。交代の時間です」

「おぉ。待ちくたびれたぞ」

「あと、こちら、お女中方からの差し入れです」

「おっ、いいのか?」

「はい。我々はもう頂いてきましたから」

「そうか」

「それはすまんな」

「では、しっかりな」

「「はい」」



 残った握り飯と竹筒を受け取ると、男達は早速握り飯にかじりつきながら城内に戻っていった。


 そして、待つこと半刻ほど。



「そろそろ、かな?」

「そうですね」



 二人が顔を見合わせ、ほくそ笑む頃。


 見張りのいる各所では握り飯を食べた男達が、急な腹痛に顔を歪めていた。



「な、なんか腹の調子が」

「……お前もか? 俺もだ」

「俺も痛ぇ」

「俺、ちょっとかわや行ってくる」

「あ、俺も」

「俺も!」



 脂汗がこめかみから垂れるほどの事態に、見張りの代わりをなどと言い出す暇もない。そして、言い出す者もいない。


 そう間を置かず、見張りは門にいる吾妻達二人だけとなっていた。



「……静かになりましたね」

「うん」



 隼人から受け取っていた呼子を、吾妻が教えられた合図通り空に向かって吹いた。すると、あらかじめ放してあった羽角が、空中で左旋回をし始める。それを隼人が遠眼鏡で見ていた。



「お、合図だ」

「おっしゃ! 行こうぜ」

「あぁ」



 先に持ち場の山へと回った左近と与一以外の残り全員が、足音を立てず、門を目指して駆けた。


 その頃、城内は大混乱をきたしていた。


 厠という厠には腹痛を起こした男達が詰めかけ、地面には痛みに耐えきれなくなったのか、のたうち回る男もいる。いつの間にか大勢が地に伏しており、うめき声の嵐が巻き起こっていた。


 ようやく騒ぎを聞きつけ、城に詰めていた侍達が本丸内から姿を見せ、あまりの光景に目を白黒させた。そして、倒れている者全員が見張り番の証である布を腕に巻いていることに気づいた。



「おい! お前達! 見張り番はどうした!」

「それどころじゃないんだ! そこをどいてくれ!」

「腹が! 腹がっ!」

「なに? 腹?」

「もしかして、何か盛られたのか?」

「見張りの交代を! 交代の者を送れ!」



 急ぎ代わりの者達が配置されることになったが、時すでに遅し。伊織達はもう内部まで入り込んでいた。そして、看病するのにも人が取られ、少なくとも症状が蔓延まんえんする前のような見張り体制に戻すことは叶わない。振り分けられた雑兵達も困惑と動揺で決して心中穏やかではない。最低限の所に人が送られ、大手門付近もかなり手薄になった。


 一方、再び物陰に隠れた伊織達は、ひたすら次の行動の時機を見計らっている。


 そして、交代の者達は吾妻達の所にもやってきた。その男達の目に飛び込んできたのは、門に寄りかかるようにして顔を伏せ、腹を押さえる吾妻と正蔵の姿であった。



「うぅ」

「おい! 大丈夫か!?」

「お前達も腹が痛いのか!?」

「え、えぇ」

「すみませんが、肩を貸してもらえませんか? ここから動けそうになくて」

「あぁ。ほら」

「どうもありがとうございます」



 ごりっ、と。硬いものが砕ける音が二つ、小さく響いた。



「……」



 正蔵は顔を僅かに歪め、吾妻は無表情のまま、崩れ落ちていくものを見送る。


 そして、物陰から出てきた蝶と兵庫が、物言わぬ骸となった男達の肩に腕を回し、まるで生きているかのように振る舞い、介抱するふりをして奥へと進んでいった。


 雑兵の数が多ければ多いほど、紛れ込んでも気づかれにくい。それがこんな緊急事態ならばなおさらだ。たとえ従来よりもうんと少なくとも、三百という数は一人一人の顔を覚えていられる数ではない。


 その後ろを、隠し通路の見張り兼鷹を使っての伝令役の隼人が隠れて続く。




 時間と共に増す腹痛、そして悪寒に、地に伏している男達は痛みと共に恐怖も覚え始めた。



「腹が、腹が痛ぇっ!」

「早くっ、早く代わってくれぇっ!」

「たすけて、誰かっ! 助けてくれぇっ!」



 すると、とうとうこの城の城主が顔を出した。



「これはどうしたことだ!?」

「殿! なにやら急に見張り番の者達が集団で腹痛を訴え始めましてっ」

「なに!? 毒か!?」

「いえ、まだ分かりません。急ぎ薬師に薬を用意させてはいるのですが、なにぶん数が多く」

「えぇい。城下にも薬師はおろうっ。急ぎ連れて参れ!」

「ははっ」



 城主の男も、もがき苦しむ雑兵達を見て、次は我が身と危惧したらしい。普段は歯牙しがにも掛けないことだが、傍目はためには仏心を出したかのようにも見えた。


 指示を受けた男がすぐに用意された馬に乗り、大手門まで駆けてくる。



「開門、かいもーん!」



 少し離れた所から叫ぶ声に、正蔵と吾妻は言われた通りに門を押し開いた。




 一方、比較的軽症の者の隣に、取次ぎ役である奏者の男が膝をついた。



「そなた達、一体これはどうしたことか」

「大手門の門番の男達が、女中達からの差し入れだと……握り飯と水を配ってくれて……」

「それを飲み食いしたわけか」



 小刻みに頷く男は、増していく痛みを少しでも散らそうとしてか、身を何度もひねっている。


 奏者はそれ以上聞くのを諦め、顔を周囲へ巡らした。



「急ぎ、その門番達とくりや番の女中達をここへ!」

「はっ」



 手の空いた者達が門と厨、それぞれへと走っていく。


 すわ、事が露見する一大事か。と、思いきや。その迎えを待っていたのは、むしろにやりと口元に笑みをたたえる伊織達の方であった。



「ここまでは順調、だな」

「えぇ。おそらく、じきに。ほら、来ましたよ」



 伊織はこちらに迫る人影から隠れるため、再び物陰に姿を消した。



「おい、お前達!」

「はい」

「城内が騒がしいようですが、何かございましたか?」

「その件で、私と共に来てもらいたい。殿がお呼びだ」

「お殿様が、でございますか?」

「えぇい! つべこべ言わずついてくればよい!」

「は、はいっ」

「承知しました」



 そこで、男は交代の者を連れてきていないことに、ふと気づいた。しまったと顔をゆがめていると、丁度男が二人、門までやって来て、交代として行くように言われて来たと告げた。これで安心とばかりに、男は吾妻と正蔵の二人を連れて奏者のところまで戻って行った。


 しばらくすると、城下町の方から馬のひづめの音がする。



「門を開けぇい!」



 そのまま速度を落とさずに駆けてこようとした馬の前脚が、開かぬ門を前にして跳ね上がった。それに思わず振り落とされてしまった男が二人。


 そのうち、前に乗っていた男の首が、白刃の一閃いっせんんだ。


 実際に間近で飛び散る飛沫を見たことはなかったのか、尻餅をついた初老の男が恐怖に顔を酷く蒼褪あおざめさせ、じりじりと後ずさっていく。


 その視線の先には、刀を手に骸を見下ろす男――門番の交代として堂々と姿を見せた伊織がいた。その顔には安堵あんどなのかあざけりなのか分からない笑みが浮かんでいる。



「ひ、ひぃっ」

「……このまま家へとお帰りなさい。そして、明日、日が昇ってから、この城で流行り病が出たと吹聴するのです。いいですか? 明日、日が昇ってから、ですよ? そして、今見たことは忘れておしまいなさい。貴方の五つの孫息子をある日突然失いたくはないでしょう?」

「な、なぜ孫のことを」

「貴方のこと、というより、この街の薬師のことはよく調べてあります。さぁ、後は貴方の判断にお任せしますので、薬箱を置いて、ここを早く立ち去りなさい。明日返しに行きますから」

「く、薬箱はいらないっ。だから……だから、あの子だけはっ」

「分かっています。貴方が私との約束を守って生涯過ごせば、彼には何の手も出しません。私達にも、あのくらいの子供達がたくさんいますから」

「あぁ……絶対に守る。守るからっ」



 そう言って、初老の男はほうほうの体で立ち去っていく。

 その背を見送ると、伊織は薬箱を拾い、それぞれ物陰に隠れていた彦四郎と慎太郎を呼んだ。



「後始末は任せた」

「おぅ」



 二人が姿を見せると、一緒に門番として物陰から出てきていた源太に声をかけ、三人はさらに奥へと進んでいった。


 これはまだ、序の口。

 山で待機中の左近達は、自分の番を今か今かと手ぐすね引いて待ちわびていた。


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