吾妻達がこの一月の間で作成した見取り図は実に正確であった。


 伊織達は誰かと鉢合わせることもなく、城主が普段生活している奥御殿の間へと辿り着くことができた。


 襖の両脇に分かれて立つ蝶と兵庫、そして、襖の正面には伊織が床に座り、互いに目配せしあう。


 それぞれ準備ができ、頷き合うと、伊織が中へ声をかけた。



「殿、ご報告にございます」

「どうぞ」



 どこか聞き覚えのある声に、伊織は一瞬反応が遅れた。


 その声を聞いたのがどこだったか思い出せぬまま、襖へと手をかけ開ける。



「……失礼いたします」



 襖を開けた時は伏せていた顔を上げると、中には後ろを向いた男が一人。その手には、背の丈より僅かに短い棒を持っている。



「殿、は、いずこにございましょう」

「もうここにはいないよ」

「……っ」



 先程よりもはっきりと聞こえた声に、誰よりも真っ先に反応したのは、襖の陰に隠れていた蝶だった。



「……何で。何でお前がここにおるんや!」



 襖を掴み、部屋の中に踏み込む蝶は、顔を酷く歪めている。


 伊織も、そして、蝶に引き続いて姿を見せた兵庫も、その男が誰なのか悟った。



「平治っ!」



 蝶が喉奥から絞り出すように叫ぶ名は、かつて学び舎で共に学んだ友のもの。そして、雛の時分、野外鍛錬中の事故で行方不明になっていた、正蔵と蝶と同じ伊織達の代の松が一人。


 探して探して、たとえ生きておらずとも骸だけでもと皆で探して、探し尽くして。初めて味わう友との別れに、皆、様々な想いを抱えていた。


 その友が、今、こうして敵の本丸、それも奥御殿の城主が普段過ごす間にいる。


 本当は何故ここにいるのかなど聞かずとも良かった。聞いたところで、今が変わるわけでもないことは明白。


 しかし、蝶は聞かずにはいられなかった。



「僕の役目は、ここで色々と後始末をすること。本当はこの導火線に火をつけて、ここを爆破することだったんだけど、君達を食い止めることもだったみたい。……時間が惜しいから、さっさとやろうか」

「平治っ! ……この野郎っ」



 蝶は隠し持っていた峨嵋刺がびしを取り出し、伊織の制止も聞かず、飛び出していった。


 我を忘れてしまえば、普段の力を出し切ることもできなくなる。その矛先を向ける相手が旧友ならば、なおさら。



「……かはっ」



 磨かれた平治の棒術は相も変わらず健在のようで、数瞬打ち合った後、蝶の鳩尾を平治の棒先が強く突いた。


 平治は崩れ落ちる蝶を見下ろし、蝶の首に斜めに添わせるように棒を当て、顔を上げさせる。



「ど、して」



 悔しげに、ぎりっと歯を食いしばる蝶のまなじりから涙が一筋零れ落ちた。


 平治の持つ棒が蝶の首元にあるため、伊織達も迂闊うかつに手が出せない。



「平治。生きていたのか」

「うん。おかげさまでね」

「何故戻ってこなかった」

「何でだろうね。でも、戻れなかったんだよ」



 戻らなかったのではなく、戻れなかった。

 それを聞いて、ほんの僅かに安堵してしまう自分がいることに、伊織は眉を顰めた。


 戻れなかったとは、言葉を良いように解釈すれば、戻りたかったともとれる。


 しかし、雛とはいえ、八咫烏並みの実力はすでにあった。どういった経緯でここに来たかは分からないが、その気になればいつだって戻れたはずだ。なのに、何故。


 唇を噛む伊織の前に、兵庫が出た。



「正蔵、泣いてた」

「……そう。……ごめん。もうおしゃべりはお仕舞いにしよう」

「……っ!」

「兵庫!」



 蝶から得物を退けた平治が今度は兵庫に向かって、棒をまるで自分の身体の一部のように操り、問答無用とばかりに打ち込んでくる。

 長さを計算され尽くした攻撃は、室内だというのに全く不利となっていない。室内で接近戦となっても問題ないように選んだ人選も、彼の前では些末な事であった。


 兵庫も上手くさばいてはいるものの、やはり本調子ではないのが見ていてすぐに分かる。


 もちろん、それに気づいた平治は、僅かに顔をしかめた。



「兵庫。ちゃんと本気を出して。でないと僕には勝てないよ? ……それとも、もう一度学び舎の雛達を襲わせようか?」

「っ!」



 昔の彼なら絶対に言わなかったであろう一言に、伊織は息を呑んだ。


 口角を上げるその表情は、冗談を言っているようには見えない。


 しかし、他ならぬ平治自身のその言葉が思い出させた。

 八咫烏の大事は主君と、次代を担う雛達である。友への情は、そこに割り込むことは許されない。



 伊織は静かに刀の鯉口を切った。ふっと微かに笑った平治も、棒を斜に構える。


 兵庫はその僅かな金属音を聞き逃さず、その場を退いて平治から距離をとりつつ、いまだ床にくずおれたままの蝶の元に駆け寄った。


 先に動いたのは、平治の方だった。その、はずだった。


 次の瞬間、床に倒れたのは伊織ではなく、平治のほう。伊織はそこから一歩も動かず、刀をさやに納めていた。


 兵庫に支えられるようにして起き上がっていた蝶が、平治に駆け寄り、身体を抱き起こす。

 腹部から胸部にかけての一太刀。平治の着物は見る間に血で染まっていった。



「……あの、ね……ほ……とは……もど……たかっ……よ」

「なら! どんな手ぇ使っても知らせぇや! 絶対! 助けた! なのに……なんでや。なんでなんや。こんな……望んでへん。こんなん……なんで」

「ちょ、う。しょ……ぞ……に、ごめ……て」



 掠れる平治の声に、蝶が一喝する。


 それに淡く微笑みつつ、平治はゆっくりと目を閉じた。



「待てや! 自分で言わんかい! 伊織!」

「兵庫、殿しんがり頼む」

「あぁ」



 ここで出来る限りの血止めを行い、なるべく揺らさないよう、蝶が平治を背負った。


 伊織が先頭、兵庫が背後から誰も来ないよう後ろを振り返りながら二人を護衛し、本丸の中を駆ける。



「……え、へへ」

「阿呆! へらへら笑うな!」

「なつ、かし」

「そうやろなぁ! 何年も行方不明なっとった大馬鹿もんは言うことが違うわっ」

「その通りだ。この馬鹿」

「ふふっ」



 密やかに行動してるというのに、蝶の声は良く通る。


 しかし、伊織も兵庫もそれを注意しない。話せるうちに話させておきたいという友への情が、それをするのを阻んだ。


 本来は伊織ほどの実力があれば、あの時点でほぼ即死。伊織も友を斬る覚悟を決めたとはいえ、知らず知らずのうちに加減していたのかもしれない。だが、それも長くは続かない。



「……平治?」



 段々と反応がなくなってきた平治に、蝶が声をかける。しかし、声がかえってこない。僅かに背中に感じる呼吸だけが、彼がまだ生きていることを証明する手がかりだった。



「おい、蝶! 急ぐぞ!」

「分かっとる!」



 走る速度をあげ、声をかけてきた者は兵庫に任せ、二人は外へとひた走った。


 そして、外では彦四郎達がいまだ雑兵達の手当てを隠れ蓑に、偽の情報の種を蒔いているところだった。



「伊織、蝶。どうだっ……た、って、おい! そいつは!」



 一番近くにいた彦四郎が本丸から出てきた二人の姿を見て、蝶が背負う平治に気づき、目を大きく見開いた。



「正蔵んとこまで走る!」

「確か向こうにいた! 急げ!」



 正蔵の姿を探しながら走ると、吾妻の姿を見つけた。



「正蔵は!?」

「正蔵ならばあちらです。……平治!?」



 吾妻が指し示した方に、蝶が先に走っていく。



「正蔵!」

「え? ……あ、へ、平治っ!?」



 平治の顔を覗き込み、着物を濡らす血に、正蔵はさぁっと顔色を無くしていく。



「どうしてここに!?」

「……城主の尻ぬぐいやってやがった。平治に全部責任を被せて、奴ら、ここを爆破するつもりだったんだろう」

「そんなっ!」

「正蔵、蝶。お前達は山へ回れ。与一のところまで連れて行くんだ」

「分かった!」

「平治! しっかりしぃや!? あとちょっとやから!」



 二人は大手門の方へと走っていく。

 ぴたりと蝶の横につく正蔵は、必死に平治に声をかけ続けるが、やはり答えが返る様子はない。



「隼人。城主達は?」

「さっき、重臣達を連れて隠し通路を潜っていった」

「なら、お前も山へ回れ。それと、源太にこちらに来るように言ってくれ」

「おぅ」



 左近達に合図を送り終えた鷹達も次の指示を待って、上空で自由に飛び回っている。隼人が駆けだすと、隼人の上を飛んでいった。



「与一達には言ってあるが!」



 伊織が声を張り上げたので、隼人は足を止めずに振り返った。



「俺が行くまで絶対に生かしておけ」

「……分かってる!」



 にっと口元を上げる隼人に、伊織も頷いて返した。


 しばらく患者の手当てを続け、これまた巧妙に二の丸三の丸へと誘導した。


 本丸御殿のあの部屋には火薬が仕掛けられていた。

 もし、まだ他にもあって、平治以外の誰かがその導火線に火をつければ。


 ここは容易く崩れ落ちてしまう。


 これから協力してもらわなければならない証言者達に、ここでいなくなられては困る。



「伊織」

「あぁ」



 ほとんどの者を避難させ終わった後、残った皆は再び伊織の元へとつどっていた。



「慎太郎、源太は硝煙蔵と武器庫の爆破を。奴らに武器の類を残すな」

「任せろ」

「おぅ」

「後は山に回る」



 爆破後速やかに山に回ってくるよう指示をして、伊織は吾妻達と共に先に行った者達が待つ背後の山へと向かった。


 ここへ来た時に比べ、また目的が一つ増えた。

 どちらも解決しなければいけない目的で、問題だ。


 そしてまた、解決したとしても、伊織にとっては、今後も向き合っていかなければならない問題になりつつあった。


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