雪を溶く熱
文長こすと
第1話 ―白く埋めてしまえばいい―
その町に残っていたほとんど最後の若者が、雪村美冬だった。
北海道 ■■湖のほとり、道東の雄大な自然に抱かれた古き良き静かな観光街のはずが、美冬のほとんど最後の友人が離れていったのは2週間前のことだった。喉元に貼りつけたテープ状の
開封してみると案の定、1番仲の良かった級友からの、引越しの連絡だった。
『雪村美冬様へ。お元気ですか? 春香です』
そんな書き出しから始まる、丁寧な――だが普段何でも話し合う口調からは一線を引いていて、美冬に失礼のないよう形式を整えたことが伺える――文章。
何の汚さ・醜さもない、積もったばかりの雪のように真っ新な文面で、美冬への思いやりと、町を出る残念な気持ちが綴られていた。小学校での宿泊学習でのちょっとした事件のこと、高校でのスキー旅行で夜更かしして話したこと、高校を出てからも毎週のようにこの町で食べたり騒いだりしたこと。
この町と、そして親友だった美冬との思い出をそこまで細やかに書き連ねても、美冬にとってその全てはごまかしのようなものでしかなかった。
なぜなら、結論は既に明らかだから。
春香もこの町から出て行く。美冬が最も聞きたくない結論――それを角を立てず伝えるためだけに、これほど分厚い思い遣りを支払っているのだ。
親友が町を離れる理由は自明だった。この町の外れには、ツノが生えていた。最新の測定結果によれば高さ12.2メートル、最も太い根元部の外周15.8メートル。まるで鉤爪のように鋭く湾曲してとがったどす黒い円錐――しかしその表面の割目の奥からは、溶岩のような灼熱と赤色の光を放つ、岩石状の物体。まるで
発芽後、18年間に渡って安定状態は維持されている。しかし、ひとたび暴発すれば国民生活を脅かす極めて危険な代物だということは、他地域での先例が証明していた。現存する国内数カ所のツノの生育箇所の中でも、この町のそれは最も巨大なものだった。
周辺住民の疎開が促進されてきた結果、未だに町に残っているのは、何があっても慣れ親しんだ町と運命を共にするのだという頑迷な住民と、最前線でツノの対策にあたる関係者とその家族、そして災害対策に翻弄され日常の崩壊したエリアへ
その3つの中で美冬はどれに該当するかと言えば、1番目と2番目のミックスと言えた。
そうやってふと2週間前の瞬間を思い返し、自室の窓辺で呆とした気持ちに浸りながら、(そっか、春香も行っちゃったんだっけ……)と美冬は胸の中で呟いた。今夜の夜ご飯に何気なく春香を誘おうとして、ふと彼女が出て行ったことを思い出したのだった。
もう、うんざり。
でも、春香が転出する理由は切実なものだ。わたしみたいに、ツノから数キロと離れていない場所で、未だに残り続けている方がどうかしてる。
そんな寂しい自己批判をして、美冬は窓の外に広がる、夜の林を眺めた。
何か光が見つかればいいな、という子どもじみた、だが切実な願いを抱いて。
カルデラの雄大な光景に包まれた、■■湖のほとり。無造作な林の中に町が浮かんでいるようなひっそりとした土地で、草木を控えめに押しのけて建てられたような民家が美冬の生まれ育った家だった。
かつて自然公園法に基づく国立公園の一角としてその景勝と手つかずの自然で知られた清涼な地域は、現在では全く異なる根拠法・指定理由・知名度でもってラベリングされている。道内一帯を吹き飛ばしかねない危険地域――つまり、今から15年前の2026年に制定された特定熱源体対策特別措置法(通称“熱災特措法”)に基づく特別指定封域として警戒体制が敷かれている中にあった。
美冬の目線の先では、今日もまた、薄暗くなった窓の外を雪が降り始めている。すっかり葉の落ちた針葉樹林の寂しい空隙を埋めるように、さらさらと白の粒子が降りてくる。
もっと降ればいいのに。美冬はそう願う。
もっと降って、この町を白く、白く
針葉樹林の先にある“氷の棺”。そこに今も遺された人ごと。そこに封じられた、あの忌々しいツノごと。全部。
だが、仮に雪がこの町を埋没させても、ここに美冬を縛りつけるものは何も変わらない。空疎な願望に過ぎなかった。彼女もすぐそれに気づいて、小さく歯ぎしりをする。
窓にはただ悔しげな自分の顔が写るだけだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます