ここで何が起きているのか、君は知ってるのか?
ゲームの開発自体はもうすでに終盤になっているはずだった。
……はず、だった。
僕にはリリースに向けての情報はもう一部しか届かない。
相変わらず自宅で起きてウェアコンからプログラムを呼び出し、スクリーンの中で彼女が動くのを見る。
最近ではVRに入って間近で彼女を見るのも苦しいため、もっぱら自分のプレイキャラクタは自動で動かし、時折彼女と会話するだけになっていた。
スクリーン内で動き回る彼女を見ながら、僕が寝ている間の彼女の数か月分の行動をチェックして、会社へ提出するためのレポート――それは彼女の奇行の記録でしかない――を作成する。
自分は何をしているんだろう、と思うことすらもうやめた。
単調な暮らしの中に飲み込まれて、僕も時間のらせんの中を繰り返し繰り返し這いずり回っている気がした。
この生活の終わりが見えないという点では僕も彼女も一緒かもしれなかった。
「……うだね、ちゃんと覚えてるよ、でもなんでヤカモトくんが……」
ぼうっとして、彼女が何かを喋っているのに気が付くのが遅れた。
もしかしたらうたた寝していたのかもしれない。
気が付くと彼女は無人の市営球場でバットを振っているところだった。
いつの間にこんなところに? 何周分進んだんだろう?
「今が三百三十二回目の8月15日でしょ、それで、明日起きる出来事は……ええと、クエガワさんの幽霊が川のほとりに現れる、タタイさんがオガヤマくんたちと海を見に行く計画を立てはじめる、駅前の交差点で事故が起きてベニサシくんが怪我をする、イイジカ先生とトトトベ先生がカイザーソゼの命令で友述大学の研究室にモネイさんを監禁する、あと……」
一瞬、どういった話の流れでそんなことを言い出したのか見当がつかず、会話のログを遡ろうとした。
彼女はその間にも素振りをしながら自分が覚えている限りのこの世界に関する知識と未来予測を口にしていく。なぜ急にそんな話をし始めたんだろう?
「じゃあ、君はすべての事象を記憶してるんだね? この三百三十二回の夏のことを全部?」
彼女の話を遮るように僕の声が質問をした。
…………僕の声が?
僕はそんなこと口にしていない。
ただ呆けてスクリーンを眺めているだけだ。
でもスクリーンの中では僕のアバターが勝手に動いて、彼女にそう話しかけている。
何が起きてるんだ?
「うん、全部覚えてる。忘れない、忘れてないよ」
彼女のフルスイング。非の打ちどころのないフォーム。野球ボールが存在さえしていれば間違いなくホームランだっただろう。
でも僕はそれを気にも留めず質問を続ける。いや、僕じゃない。僕じゃないんだけど、でも僕が彼女に話しかけている、ことになっている。
「……じゃあ、それ以前の記憶は?」
「それ以前?」
「8月以前の記憶は、君にはある?」
「それは……」
「こうなる前の記憶はある? 去年の8月はこんな風に繰り返していなかったんだろう?」
「…………私、は……十六年前の8月に生まれて……それで」
「そうじゃない。知識やプロフィールじゃないよ。経験の話をしてる。例えば君には思い出がある? こうなる前の十六年間の8月で君は何をして、どうやってここへ至った?」
彼女の表情が曇る。
しかしスイングは止まらない。美しいフォームも崩れない。相変わらず見えないホームランボールがせせこましい外野席へと降り注ぎ続ける。
僕はぐるりと辺り見渡す。
いや僕は辺りを見渡してなどいない。でもスクリーンの中の僕は辺りを見渡しているのだ。
慌ててVR装置をつけた。やっぱり視界が勝手に動いている。
そこでやっと気がついた。僕のアバターが、誰かに勝手に動かされている。
ハッキングされている。
ハッキングの主は僕がゲームを覗いていることに気がついているのかいないのか、彼女への質問を続ける。
「じゃあ君はどうして友鐘高校に入学した? 君は弓道部だけど、なぜその部活に入った? 覚えてない? 覚えてないとしたら、なぜその事に疑問を抱かなかったんだ? 時間のループと同じぐらい不自然だろう」
彼女は何も答えられない。ただスイングだけが加速していく。存在しない彼女の心拍数を表しているみたいに。
「……ねえ、君はなぜここでこうしているんだい?」
スイングが、止まった。
実に約三百ヵ月ぶりに、彼女は奇行をやめ、そして、困惑していた。
見ているこちらがいたたまれなくなるような表情だった。
こんな表情がプログラミングされていただなんて。
こんな彼女、初めて見る。
困惑を通り越して恐怖すら覚えているようだった。
無理もない。彼女の世界の根底が揺らいでいる。時間のループどころの騒ぎじゃない。
「それで君は……やめろ!」
無理矢理主導権を奪い取り、自分で自分の発言を止めた。
それでやっとハッカーの方も僕の存在に気がついたらしい。一瞬視界がぶれてから、完全にアバターは僕の支配下へと戻った。
彼女は目の前の僕のおかしな行動はまったく気にしていない、というよりそれどころではないようで、ただ困惑したままその場からふらふらと離れていった。
無人のグラウンドは夏の日に白く照らされ、砂漠を遭難しているみたいに彼女は頼りなかった。
――悪かったな、勝手に使って……今こっちのチャンネルで話せるか?
ゲーム内ではなく、プライベート回線から声が聞こえた。男の、低い声だ。
――別のアバターでこの世界に闖入すれば会社にもばれかねない。まだ穏便にしておきたいんだよ、何が起きているか確定するまでは。
「何が起きているか……って」
――この世界……彼女の世界ってことだけど、ここで何が起きているのか、君は知ってるのか? 事態を把握しているか?
「……あんたは知ってるっていうのかよ」
――知っている。というより、気が付いている。おそらく君も気が付き始めているだろう。
僕の動揺や疑問を見透かすように声は言う。
と、同時にチャンネルへの招待がウェアコンから僕を呼ぶ。
視界の端で、彼女がグラウンド脇の木陰で立ち尽くしているのがわかった。
何を考えているんだろう。
おそらく彼女自身もそれをうまく説明できないに違いない。
僕ですら、いま何を考えるべきかわからないぐらいだ。
何が起きているかも、何が起ころうとしているのかも。
それでもいま取るべき行動はわかっていた。
僕は招待状を開き、チャンネルへとアクセスする。
少なくともここで待つ誰かは、僕の知らない何かを知っている。
……はずだ。
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