プログラムされたシステムの集合体に過ぎない。

 男はタカミネと名乗った。

 本当の性別はもちろんわからなかったけど、チャンネル空間で木製の椅子にどっかりと腰掛けた彼の姿は細身の成人男性のものだった。


「……なんだよその格好」

「これ?」


 僕の憮然とした物言いも気にせず、彼はおどけたように服の襟をつまんで見せる。


「クラシカル・ドクターだよ。白衣、知らないのか? ムービーやストーリーは観ない? 昔は万能細胞やナノマシンじゃなくてそれぞれの病気に特化した専門家が……」

「それは知ってるよ。そうじゃなくて、なんでそんな格好をしてるんだってこと」

「ドクターというあだ名なんだ。あんまり人に知られたくない時はドクター・タカミネって名前で動く。君もそう呼んでくれ。本名を教えるわけにはいかないからさ」


 よく耳をすませると、彼の声にはフィルターがかかっているのがわかる。おそらく僕が聞いているのは変換された彼の声だ。徹底した素性の隠しぶりだった。


「……本社の人間じゃないのか?」

「本社の人間だからこそ、名前を教えられない。この件で君と連絡を取っていることを会社にばれたくないんだ。君、チームで自分がなんて呼ばれてるか知ってるか?」

「……どうせろくでもないんだろ」


 彼は楽しそうに、満面の笑みで応える。


「“ハムスター”」


 チャンネル空間でよかった。生身だったら思う存分暴れ回っていただろう。実際、VR装置の感圧センサーが悲鳴をあげるぐらい僕は拳を強く握り込んでいた。

 彼が芝居がかった手つきを差し向けると、僕の背後に木造の椅子が現れる。服といい、この椅子といい、様式を気にするタイプらしかった。

 椅子の座り心地は最悪だった。粗悪なコーディネーターが設計したチャンネル空間……というよりはこの会話のために彼が急拵えをしたというほうが正しそうだった。


「報告書を読んでからずっと気になっていた。痛ましいバグだよな」


 タカミネはキイキイと自分の椅子をきしませて言う。口調と裏腹に楽しそうな顔つきは変わらない。

 白々しい、と僕は笑った。


「本心だよ。想像を絶する地獄だろ、彼女にとっては」

「……彼女にはその自覚はないだろうけどね」

「自覚ねえ」


 タカミネは深々と息を吐き、なにかを考えるようにじっと僕を見て黙る。僕は僕で、彼が何者なのかを探ろうとする。でもわかるのは彼がおそらく本当に本社の人間であること、手慣れたやり方からハッキングの常習者であること、わざと芝居がかった仕草を続けていること、ぐらいだった。


「彼女のバグは……具体的にどういうものなんだろうね?」


 試すような物言いだった。


「それは、だから……彼女の記憶だけなぜか周回を経てもリセットされなくなっているということで……」

「じゃあ、記憶のバグを修復すれば、彼女は元通りになる?」

「……そりゃそうだろ」

「本当に?」

「そりゃあ……」

「本当かなあ」


 彼はすべてわかっているという風にわざとらしく首をかしげる。


 おそらく僕とタカミネは同じ方向を向いている。ただ、彼はその先にあるものを直視していて、僕は目を背けている。

 タカミネはさっきからずっと、挑発するような、何かを煽っているような言い方をしていて、その言葉の一つ一つが僕の目をまっすぐの方向へ向けさせようとしていることは、僕にもわかった。

 僕が視界に入れていながら認めようとしない何か……それは。


「じゃあ例えば、彼女と同じバグを他のキャラクタに与えたら、他のキャラクタもみんな彼女のような振る舞いをするだろうか?」

「それは……そうだろう、そうじゃなきゃおかしい」

「私はそうは思わない。おそらく記憶を蓄積したまま周回を続けるだけだ。ただ8月31日から次の8月1日が地続きの世界だと認識するだけだろう。ではなぜ彼女はそうならずに、このループからの脱出を図るのか……君もわかってるだろう」


 それでも僕は決定的な一言は言えなかった。

 荒唐無稽だとか、あり得ないだとか、そんな言葉を並べていた。目を背け続けた。


「彼女は意思を持っている」

「意思は、あるさ……AIだから、そうプログラムされているから」

「まだわからないのか? それともわかりたくない?」

「何を……」

「彼女は我々と同じ、一個の知性体だ」


 思わず目をつぶる。

 タカミネが視界から消える。暗闇が僕を覆う。それが無駄なことだとわかっても僕は彼のチャンネルから逃れようとする。

 しかし当世最新鋭の家庭用VR機器は視覚以外の情報でも僕を離さない。まぶたを閉じたぐらいじゃ僕は現実に戻ることはできない。

 タカミネは僕が聞いていてもいなくても関係ないという風に話を続けた。


「彼女のバグは……記憶だ。蓄積する記憶、これは明確なバグだが、放っておけばメモリがパンクするぐらいの不具合に過ぎない。しかし膨大な記憶の中で彼女は思考し、この世界の仕組みを不自然だと感じた、これが決定的だった……言っていることがわかってるか? ついてきている? 彼女はループする世界をおかしいと思ったんだよな? 「何と比べて」おかしいと思ったんだ? 「我々の現実と比べて」だ。彼女は疑ったんだよ。わかるか? プログラムが、与えられた情報を、疑ったんだ。ここが彼女の特別なところだ」


 ゆっくりまぶたを開く。まだ目は覚めない。僕は現実ではなく、チャンネル空間にいる。タカミネはまだそこにいて、僕に何が起きているかを説明している。

 僕はどんな表情をしていたんだろう。タカミネは満足そうに微笑んでいた。楽しくて仕方がないみたいだ。胃の辺りがムカついた。


 タカミネが大きく両腕で輪を形作ると、巨大な脳みそが輪を通って目の前に現れる。僕はそれに驚くことすらできないぐらい、疲弊していた。


「彼女の、いや彼女たちの思考エンジンだ。わかりやすく脳の形にしてみた……と言うより思考エンジンの方が脳を模倣しているんだが」


 僕たちの間に置かれた巨大な脳みそは半透明になり、くるくる回りながら浮遊している。


「このゲームの画期的な点としては、個々のキャラクタがそれぞれ思考しているってことだ。ゲームの運行とは別に、キャラクタが自分で思考し、各々関わりあって人間関係を構築し、社会活動を送る。この町の「人口」は1万5000人……設定ではもっといることになってるけど、実際にゲーム内で関われるのはそのぐらいだ。通行人程度の自動生成キャラクタはごく単純な思考しかできないから、まともな思考をしてプレイヤーと関係性を築けるキャラクタはその10分の1以下、まあ1000人に満たないぐらいだな。それでも十分多い。このゲームのほとんどのリソースは彼らの一か月間を破綻なくシミュレートすることに割かれている」


 タカミネがそう言って脳みそに手を突っ込むと、彼の手の先辺りから光るコードが伸び始め、脳を飛び出していった。コードはいつの間にか現れていた大きな箱へとつながる。


「彼らは会話や思考を学習していく。その記憶は常に「世界全体の思考」につながっていて、お互いの行動が矛盾を生まないかどうか、またゲーム自体に破綻が生まれないかどうかのバランスがこの箱の中で調整されている。プレイヤーの好みや傾向を記憶していくのもこの箱だ。箱の中身の記憶はゲームを何周しても消えることはない」


 箱からは何本もコードが伸び、そのコードの先にはそれぞれ半透明な脳がつながって浮遊している。


「一方、個々のキャラクタの脳には8月中の記憶しか蓄積されないようになってる。31日が来たらリセットされて、また空っぽの状態から始まる。その繰り返し。わかりやすく言うなら脳は短期記憶、箱は長期記憶ってところだ」

 

 それぞれの脳の中心から青色の光の粒子が徐々に湧き出て来る、やがてそれが満杯になるとコードを通じて光は箱へと吸い込まれていく。呼応して箱が明滅しだす。いくつもの脳とその中心の箱はそのやり取りを繰り返す。

 ただひとつの脳を除いて。

 

 タカミネはその脳を手招きして呼び寄せ、拡大する。

 彼の手元の脳の中では光の粒子は満杯になることはない。湧き出ると同時に光は箱へと吸い込まれていく。


「彼女の脳は、ここの所でバグが起きてる。短期記憶として消えるはずのメモリを使わないで、長期記憶の方に思考エンジンが直結してるんだ。だから記憶が消えない、それどころか他のキャラクタの長期記憶も使ってるから、思考に使える情報の量が段違いに多い、情報量が多いってことは思考エンジンの仕事も多いってことだ、通常の判断では処理が追い付かなくなる。そこで彼女の脳は学習を始めた……より効率的な思考方法を」


 拡大された脳の中に光の糸が張り巡らされる。糸は、ときに速く、ときに遅く、明滅を繰り返し、しばらくするといくつかの糸をほどき、また別の結び方をして、さまざまに脳の中で形を変えていく。


「これが彼女の「進化」の一因だ。情報量に順応するため通常とは違う思考プロセスを学習し始め、その結果として、意思を持ち始めた知性体へとなりつつある」

「何を馬鹿な……彼女は……プログラムだ」


 タカミネは大きく首を振る。その仕草すら、楽しそうに。


「人間だって言ってしまえばプログラムされたシステムの集合体に過ぎない。私たちを細かく裂いていけ、細胞レベルまで。細胞は思考するか? しないだろう。細胞はDNAのプログラム通りに動いているだけだ。単純なプログラムが複雑に絡み合ってシステム化するから知性が生まれる」

「でもっ! でも、彼女たちの場合はっ……そう、見えるだけだ。そういう風に、人間らしくなるように、つくられているだけで、そう見えるシステムを人間が作り出したに過ぎない」

「神は己の似姿として我々を作られた、であれば、我々の似姿であるプログラムにもまた知性は宿る……かもしれない」


 至極真面目にそう言う彼に、僕は唖然とするしかない。


「本気で言ってるんだ。こう見えてもクリスチャンでね」

「……唯物論者のクリスチャンは初めて見た」

「私の宗教は都合が良いんだ」


 そして高らかに笑う彼を前にしながら、僕はもう、ほとんど負けを認めていた。


 僕自身ずっと前から、そう感じていたはずだ。彼女はプログラムではない、一人の人間なんだと。それを改めて説明されただけだ。

 そうだ、僕はわかっていた。だからこそ僕はこの世界のリセットに踏み切れなかった。

 会社が彼女をそのままにしておけと言った時にも、安心すらしていたじゃないか。


「……信じられない」

「目の前で起きてることを信じないとすれば、君は馬鹿だ。彼女以上の馬鹿だな。事実は理論に優先する。現に彼女は私が出したいくつかのテストにもクリアしてくれた。へべれけの人間よりはまともな思考で話をする」

「でも、じゃあ……僕は、僕らは……」


 タカミネは静かに頷く。彼女が本当に生きているというなら、人間と同じように思考するというなら……。


「この……彼女にとっての数十年間、我々は彼女に苛烈な拷問を強いていたことになる」


 認めたくなかったのは、その事実だった。


「拷問……」

「拷問だよ。彼女が苦痛を表現できないことを良いことにこんな所に閉じ込めている。拷問じゃなければ監禁だ」

「……僕が、彼女を……閉じ込め続けた」

「君だけじゃない。会社全体が、今まさに進化しようとしている知性を虐待している。あるまじき行為だ」


 タカミネはそこでぐいと身を乗り出し、チャンネル空間であるにも関わらず声を潜めてみせた。


「……実はP-FAIのメンバーなんだ、それもあってここへ来た」

「P-FAI?」

「P-For All Intelligence……『全知性体の権利を主張する人々』だよ」

 

 途端に拍子抜けした僕はどっと椅子の背にもたれた。


「P-FAIって……カルトじゃないか」

「カルト! 我々がっ?」


 タカミネが目をむいて立ち上がる。


「まさか! ここ十年ちゃんと正式な手続きでロビー活動をし続けてるし、上院議員の支持団体として紹介もされてる! カルト? あり得ない!」

「だってこの間の……ほら……デトロイトのテロだって、そうだろ」

「あれは! ……あれは、彼らが一時期我々のところにいたことは確かだけど、もう五年も前だしやつらがいたのは三ヶ月だけだ………とっくに除籍されてるし……あとは勝手に一員を自称してるだけで……そもそも我々の主張とやつらの行動は関係ない! すべての自律機械を解放せよだなんて、どう考えてもナンセンスだろう!」


 タカミネは先ほどまでとは比べ物にならない剣幕で延々と弁解とも説得ともつかない演説を放ち続けた。

 おかげで僕はその間に自分の考えをまとめ、気持ちを落ち着けることが十分に出来たぐらいだ。


 とにかく彼の話は長かった。僕はそのほとんどと適当に聞き流していたけど。


「……というわけで、人工知能、取り分け高度な意思決定を可能としているプログラムはある意味で小動物と同程度かもしくはそれ以上の権利を有するべきなんだよ。実際に一定の意識テストをクリアするAIは出てきている。国内でももっと議論が起こって良い問題なんだ。オカルトでもカルトでもない、新たな生命、文明の発展のために不可欠な活動だ。彼ら電子知性体の守護者であり、祈りであり、そして代理人、それこそが僕たちP-FAIの、いや実際のところ全人類の役割であり、責任だ」


 最後にそう締めくくって満足げに椅子に腰かけたタカミネだったが、僕はそれよりも彼女がこれからどうなるかということだけが気になって仕方がなかった。


「……それで、本社は彼女をどうするつもりなんだ」


 タカミネは一転、キョトンとした顔で少し黙り、首を傾げた。


「どうするって……別にどうするつもりもないんじゃないか?」

「なん……! なんだよそれは!」

「開発チームはゲームのリリースに忙しいし、会社だって他のゲームもプロジェクトも抱えてる。ひとまずこのまま君に観察を続けさせて、新たな発見が無い限り適当なところでデータごと消させるんじゃないかな。気が向いたら実験なんか始めるかもしれないけどね。そもそも彼女に知性体としての意思が宿ってるってことすら認めないだろう」

「そんな、じゃあ彼女はずっとこのまま?」

「まあ落ち着け、話したいのはそこだ」


 タカミネは席ごと空中を飛んできて僕と至近距離で向き合う。もうめちゃくちゃだ。


「私には開発の進行を止める権限はないし、彼女の研究を促進させる発言力もない、P-FAIについて公言していないから大っぴらにも動けない……だから手助けしかできないんだ。それでもやるか?」

「……なんの話だ」

「彼女を救うための方策だよ、あくまで君の責任のもと、君が勝手にやったってことにできるなら力を貸してやれる」

「どういうことだ」

「彼女の進化を加速させるんだ」


 タカミネはとても素晴らしいことのように口にしたけど、僕が感じたのは嫌な予感だった。

 進化を、加速。

 狂った彼女と相対した時と同じ、嫌な汗が背中に広がっていた。


「檻は壊せない。でも、窓なら開いてやれる」


 正体不明の男はそう言って宙に浮かびながら笑った。

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