また次の8月が始まる。

 彼女は跳びはね続けた。

 8月の間中ずっと。


 このゲーム内では排泄行為こそできないものの、食事や休息、睡眠などは、体力回復の手段として存在している。定期的に実行しないと数日間寝込むことにもなる。最悪の場合は……明確な死というものはこのゲームには存在しないけど、でもゲームオーバーになることに変わりはない。その周はバッドエンド扱いで、また8月1日からやり直さなくてはいけない。


 それはプレイヤーだけではなくNPCも同様だ。

 彼女だって例外じゃない。跳びはね続けながらも彼女は一日に何度か体力回復のための行動を取る必要があった。その時ばかりは彼女も跳ねるのをやめざるを得ない。ずっと跳び続けることはできない。

 しかし8月も半ばになると、彼女はそれらの回復すらも各種のアイテムを揃えてその場で行うようになり、睡眠以外のほとんどを跳びはね続けることに費やすようになった。


 執念、というものがAIに存在するのかわからない。でも僕が彼女の行動にそれを感じたのは間違いない。

 彼女はただ跳びはね続けていたんじゃない。その先に8月の終わりがあると信じて跳びはね続けていたんだ。

 彼女はそうやって彼女の目指す9月に向かって跳び続けた。


 朝早い時間から、夜が更けても、山中で跳びはね続ける女の子。

 ここが現実世界だったら怪談になっているところだろう。

 実際、傍から見ると奇妙な光景だった。彼女の表情が平然としているところがまた不気味だ。


 僕は僕で、彼女が探し当てたバグを消す作業に没頭し続けた。

 それこそ彼女と同様に、必死で、寝食忘れて。驚異的な仕事量だった。

 でもおかげで他のバグのほとんどはその周で取り除くことができた。彼女が跳びはねるのに集中して、他のことに手を出さなかったのも助かった。

 むしろ自分でテストプレイを繰り返すよりも手っ取り早くバグが発見できたので、本社から驚かれたぐらいだ。


 これで安心だった。

 少なくとも彼女の行動が世界の崩壊につながることはない。

 僕は満足しながら8月31日23時59分59秒を跳びはね続ける彼女の傍らで迎える。

 彼女が最後の跳躍をした時、ちょうどその周の8月が終わった。


 この世界はもう、彼女によって壊されることはない。


 また次の8月が始まる。

 彼女は今度は跳びはねない。


 8月1日の彼女は友鐘高校の校門前にいた。彼女はそれから8月の間中ずっと校門を叩き続けていた。


 次の8月がやって来る。


 彼女は町中の家を巡ってすべての飼い犬を撫で続ける。


 8月はまたやって来る。


 彼女は川を泳ぎ続ける。最下流まで流れ着くと、とぼとぼとまた上流まで歩き、川へと入る。それをひたすら繰り返す。


 8月が来る。


 その次の回では彼女は誰とも一言も会話せずに一ヶ月を過ごした。


 8月が来る。


 その次は町に存在するありとあらゆる紫色のモノを次々に触り続けた。


 その次は……。


 その次の次は……。


 その次の次の次の次の……。


 ……………。



 彼女はそれから三十周に渡って、自分なりのデバッグを繰り返した。



 彼女は狂ってしまった。


 僕にはそう思えてならなかった。


 僕も同様のテストプレイをしたことはある。

 何百回と同じ行動を繰り返すデバッグ。絶え間ない奇行の連続と言ってもいい。

 現実の世界で同じような行動をとる人がいたなら、少なくとも僕は近寄らないだろうってぐらいの、言わば異常行動。


 彼女の奇行の目的はわかっている。

 彼女なりの論理によってそれが行われていることも。

 話しかければ会話ができる(こともある)し、応答も理路整然としている。

 それでも彼女が普通の生活に戻ることは、もう、ない。

 

 見ていられなかった。


 奇行を繰り返し、それでこの世界を修正できると思っている彼女。

 この8月の中で過ごした数年間の、その半分以上を彼女は奇行に費やしている。

 彼女はそうやってこの世界を正しい姿に戻そうとしている。ループのない世界に。


 でも、間違っているのは彼女自身なんだ。


 ループする8月の方が正しくて、間違っているのはそれに気がついてしまった彼女の方なんだ。


 必死にデバッグを繰り返す彼女の中に、一番大きなバグがある。最悪の皮肉だ。



 僕は数周目の時点で彼女のバグを本社に報告しなかったことを後悔していた。

 もっと早く彼女のバグを取り除いていれば、彼女を正常に戻していれば、彼女は数年間も苦しまずにすんだはずだ。

 僕がただ独り空しく周回するテストプレイを恐れたために、彼女はまるで僕の身代わりのように空しい行動をとり続けている。

 こんなことは望んでいなかったのに。

 ただひたすら歩道橋を駆け回ったり、行き交う車に突っ込んで跳ねとばされる続ける彼女を見たかったわけじゃない。

 彼女が狂っていくのを眺めていたかったんじゃない。


 呆然と狂った彼女の傍らに居続けることしかできない僕は、それでも時々考えてしまう。


 このループを繰り返すゲーム世界の中で、そのループに気がついているということは、本当に異常なことなんだろうか?


 本来ならばこの完璧な仮想空間は現実と同じように、夏を終え、秋を過ぎ、冬を迎えて春にたどり着き、時間の流れの中で世界を広げていくべきなんじゃないか?


 この世界。精巧に作られ、自分の意思を持っているかのようにすら感じられるAIが住む世界が、人間の都合で空しい繰り返しを強いられることは異常ではないのだろうか。


 ……僕は、ゲームの中に長くいすぎたのかもしれない。


 ただのプログラムやキャラクタに必要以上に価値を見出したり意思を認めたりするのは、VRゲームのテスターやプレイヤーに多く見られる現象だ。

 リアルな世界がそう思わせる錯覚でしかない。


 僕は長年この仕事をして来て、そんな自分を客観視してもいる。

 これはゲームなんだ。

 僕はただのゲームに、ただのプログラムに感情移入をしすぎているだけだ。

 それだけこのゲームがよくできているということの証明なんだ。


 言い聞かせるようにそんなことを考え続けた。


 僕も彼女と同じように、その考えを反復する。

 何度も何度も。

 何度も何度も何度も。


 これはゲームなんだ。


 彼女はゲーム内のプログラムで、ループする世界に気がつかないことの方が彼女にとっては正常で、良いことなんだ。


 彼女を苦しみから救ってあげるべきなんだ。


 彼女と違い、僕の反復は実を結んだ。僕は現実世界に生きているから。


 僕は所々つっかえながら彼女のAIのバグ報告をウェアコンに吹き込んだ。

 そしてそれを………………本社に送った。


 これですべては元通り。正常になるはずだった。

 修正の指示がすぐに来て、それで彼女は救われる。

 彼女はすべて忘れる。数年間繰り返した8月のことも、僕との自由研究も。

 世界はまたこともなくループして、僕は孤独に8月を繰り返し、ゲームはリリースされて、売れて、また新たにどこかでループする世界が作られる。

 それでいいんだ。

 そうあるべきなんだ。


 逆立ちのままヨースイ・イノウエの『少年時代』を歌う彼女を見ながら、僕は必死に自分を納得させ続けた。


 本社から返答が来たのはその二日後だった。

 僕はゲームの開発チームから外された。


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