彼女は狂ったんだ。
その周から、彼女は目に見えて落ち込んでいった。
あらゆるフラグとメインシナリオ、サブシナリオを網羅した彼女にはもう打つ手がなかった。
精力的に面倒ごとに首を突っ込んでいったそれまでの周が嘘のように、彼女はただ町をふらつくだけになってしまった。それはそうだろう。どんなことをしてもその先は変わらないってわかっているんだから。
僕も一応彼女に同行はしたが、彼女は本当にくまなく町を散歩するだけで特に何も行動は起こさなかった。
時々思案顔で立ち止まりはするが、すぐにまたふらふらと無言で進むだけだ。完全に燃え尽きているようだった。
仕方ない事だろう。
彼女は緩やかにこの8月からの脱出を諦め始めている。
そのことを不憫に思いながらも、僕は心のどこかで安堵していた。
それはつまり、彼女がここにい続けることを納得したってことだから。
このループし続ける世界を彼女は受け入れてくれたのだ。
重大なバグが彼女によって誘発されることはもうない。ただ穏やかに彼女と過ごすことができる。
デバッグも順調に進められそうだった。
彼女はただふらつくだけで二十九周目を終え、三十周目の8月1日がやってきた。
その日、彼女は僕のところに連絡を寄越さなかった。
家の前にも現れなかった。
それは彼女と僕がこのループの秘密について共有してから初めてのことだった。
まず頭に浮かんだのは、彼女のバグが消えたのでは、ということだった。
彼女がループからの脱出を諦めたと同時に、バグも消え、全ては元通りに……。
原理はともかく、その可能性は僕を激しく動揺させた。
また僕は一人になってしまう。
彼女がループについてを諦めたとしても、僕と過ごした前の周を記憶してくれている特別なキャラクタだということに変わりはない。
失いたくなかった。
慌ててウェアコンを操作し、彼女の居所を検索した。
自宅には……いない。
ということは通常のプログラム通りの行動をとっているわけでもない。彼女のバグはまだ直っていないのかもしれない。
結局彼女がいたのは、町をぐるりと囲む山中の一角だった。
しかもまったく動かない。ただ一点に留まり続けている。不可解だった。
まさかまた別のバグが?
あり得る話だった。彼女は不安定なバグを抱えているのだから、さらに異常な動作が起きたとしても不思議じゃない。
僕は急いでスダイ山の山道へと自分を転送させる。
彼女のもとへと緑の中を分け入っていく。
最悪の事態――彼女がバグによって完全に制御不能な状態になってしまったことを予想しながら。
僕が発見した時、彼女は木漏れ日の中で跳びはねていた。
一度や二度じゃない。
何度も何度も、巨木の傍らで真上に向かってジャンプし続けている。
正確に、ただひたすらに。
その光景は僕を落胆させるのに十分だった。
バグだ。彼女は狂ったんだ。
「あ、ヤカモトくん」
跳びはね続けながら彼女が僕に気が付き手を振る。
会話できる、ということは僕を喜ばせた。まだ会話できるレベルなら、どうにか修復できるかもしれない。僕は彼女のソースコードを開く準備をする。
「あ、あの」
「んー?」
「なに、してるの……」
「ん? ジャンプ」
彼女は跳びはねるのをやめない。
「どうしてジャンプしてるの……」
「鍵を探してるの」
「鍵?」
「そう、鍵。この世界を外側に開く鍵」
言いながらも跳び跳ね続ける彼女。その表情はいつも通りだ。いつも通りの、この8月からの解放を願ってる彼女だ。
僕の手が止まる。バグにしては何かが変だ。
「鍵って、え……どこに?」
彼女は手を伸ばしてすらいない。何かのアイテムを取ろうとしているようには見えない。
「ジャンプをするとね、なんだか不思議な感覚がするから」
彼女の瞳はまっすぐこちらを見据えている。
「ちょっと、言っている意味が……」
「きっとね、この世界の法則が変になってしまったのを元に戻すには、その法則から外れるような、普通じゃないことをしなきゃダメなんだよ」
「……普通じゃないことって」
「だからこんな風にさ、ずうっとジャンプし続けるとか、壁に向かってずうっと走り続けるとか、そういうこと。普通じゃない世界の法則から外れることをし続ければ、普通の世界に戻れる鍵が見つかりそうじゃない、そう思って」
言葉が出てこなかった。
彼女の異常な発言の意味がわからなかったからじゃない。
彼女の行動の意味が一瞬で理解できたからだった。
彼女は跳び跳ね続けるつもりなのだ。
一日中ではない。
この8月中ずっと、ここで、この場所で。
しかも僕を愕然とさせたのはその行動というより、彼女が口にした彼女なりの理論の方だった。
彼女はこの世界をデバッグしようとしている。
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