それが、僕が決定的に何かを間違えた瞬間だったんだと思う。

 彼女にとって六回目の8月1日。


 彼女はゲーム本編が開始されると、いち早く僕に連絡をしてきた。

 本来のゲームであれば彼女と僕は現時点ではまだそれほど仲良くない。それでも連絡をとってくるということが、彼女のバグが解消されていないことの現れだった。


「ヤカモトくん! ヤカモトくん!」


 連絡をしてからすぐに僕の自宅前に走ってきた彼女が、肩を掴んで凄まじい勢いで僕の体を揺する。

 揺すってから、何かに気がついたようにパッと手を離し身を引くと、慌てて平常を装う。僕よりも彼女の方が戸惑っているみたいだった。

 彼女のバグの継続を僕が疑ったように、彼女もまた、僕に前回の記憶が引き継がれているのかを心配しているんだろう。


 さて、僕はどうするべきか。

 

 本来のゲームの進行を装うべきか。

 それとも、彼女と同じく前の周の記憶を共有していると伝えてやるべきか。


 ……どう考えてもこのまま彼女に付き合うべきじゃなかった。

 なにせ、彼女のバグに話を合わせ続けて「自由研究」に付き合うことがゲーム全体にどんな影響を与えるかわからない。もちろんテストプレイ用のデータの一つに過ぎないこの世界がどうなろうといくらでもリカバリは効くけど、それでも僕の立場を危うくすることは間違いない。

 それに僕の仕事はデバッグだ。

 本来であれば彼女一人のバグを見逃していることですら許されないのに、そのバグを縦横無尽に動き回らせる手伝いをするだなんて……。


 やっぱり、何をどう考えても、彼女に付き合うべきじゃなかった。


 それでも僕はうなずいた。


「大丈夫、覚えてるよ……また8月1日から始まってるんだね」


 ああ……彼女の表情のほころび方。

 スローモーションで何度も脳裏で再生できるほど鮮やかなその笑顔のおかげで、僕は自分の行動を正当化することができた。

 


 それが、僕が決定的に何かを間違えた瞬間だったんだと思う。



 僕は彼女のバグを見守り、消さないことを選んだ。

 自分が独りになるのは嫌だったし、彼女も独りにはしたくなかった。

 罪悪感を抱えたままでも、二人でいることを望んだ。


 彼女は歓喜して僕の両手を握り踊り狂った後、また8月が繰り返されてしまったことに静かに落ち込んだ。

 それでもすぐに彼女の口からは希望が語られる。


 他にもこんな怪しいことがあるの。

 ここも変だったの。

 異変の原因はあれかもしれない。


 無数の可能性、彼女にとっての希望。でもそれはただこのゲームのいくつかのイベントのフラグでしかないことを僕は知っている。

 それでも僕は話を合わせる。なるべくこの世界に波風立てない範囲で彼女が思う存分研究できるように、それとなく彼女を導く。


 僕はささやかな嘘をいくつも塗り重ねながら彼女の傍らにいることを決めた。




 僕と彼女は冒険をし続けた。

 もちろん僕らの冒険は一度の8月にはおさまらなかった。

 次の8月でも次の次の8月でも僕たちはこの町の異変を追い続けた。

 しかし一向にループは終わらない。形は違うけど同じ線の上の8月31日が訪れて、また始業式が来て、そして螺旋を描いて8月1日からやり直す。



 町の外れにある小金池に眠る伝説の巨大魚を追い……。


 バイパス道沿いに夜な夜な現れるゴーストライダーを追いかけ……。


 市内で流行している謎のゆるキャラと海賊放送のラジオの関連性を突き止め……。


 一週間で8人の同級生とデートをしなければいけなくなり(僕の役目だった)……。


 友鐘高校の七不思議を暴く倶楽部を結成し……。


 同級生の間にまことしやかに広まる「ワだむラダゆうミぢロウ」の噂を探り……。


 クラスの男女のキューピッド係を務める羽目になり……。


 かつての領主のお宝を探しに線路沿いを進み……。


 スダイ山の黒い皿型UFOとコンタクトして……。


 市内の路地の忘れ去られた公園を少しずつ修復し……。


 夏祭りの日に屋台を出して突如現れたライバルと売り上げを競い……。


 小さな球体ロボットと宇宙商人との争いに巻き込まれ……。



 これらの何倍にも及ぶ冒険と、そしてその何倍にも及ぶ僕があらかじめへし折った冒険への入り口、すべてを完走するのに、僕たちは実に二十三周の8月を繰り返した。

 ゲーム内の時間は現実時間とずれている。当然、ゲームの方が早く時間は過ぎていく。僕にとっては一ヶ月に満たない期間だったが、彼女にとっては純粋な二十三ヶ月。実に二年近くをこの8月で過ごしたことになる。


 もちろん、彼女の二年は徒労で終わった。


 彼女にとって二十九回目の8月1日、僕らはいつもの喫茶店のパラソルの下でいつものようにレモネードを飲んでいた。


「やっぱり……ヒリタくんがカギだったんじゃないかな」

「ヒリタ……ああ、未来人の?」

「そう、彼、やっぱり怪しかったよ」


 それは四周前の8月で解決したイベントだった。クラスメイトの一人が実は未来からのタイムトラベラ―だったというもので、時間を飛び越えてこの町に現れたヒリタの存在は彼女を期待させるのには充分だった。

 もちろん彼はこのゲームに元々組み込まれているイベントキャラクタでしかない。肩透かしなほど8月のループについては何も答えられず、どこかのシナリオライターが考えた架空の未来世界の設定をくどくど話すポンコツ未来人に、すぐに彼女はがっかりする羽目になったんだけど。


「……何か隠してるのかも、ねえ、もう一度当たってみない?」

「いいけど……無駄だと思う」

「彼の時間転移装置がこの町に異変をもたらしてるってことは考えられないかな?」

「それは一度考えたけど……結局あいつにも原理はよくわかってない上に、あいつは問題なく未来へ帰ったじゃん……それでも何も変わらなかっただろ」

「そう、だね……」

 

 彼女の声は萎む。僕は何も言えず、もう飽きている喫茶店からの景色を興味深そうに眺めるふりをする。


「……本当に、これ、終わるのかな」

「……え?」


 彼女の言葉の意味がよくわからず、一瞬返事が遅れた。


「この、繰り返しのさ、終わりは本当に訪れるのかな。ずっとこのまんまなんじゃないかな」

「ずっとって……いや、でもそれは」


 焦る。焦る、が何を言えばいいのかわからない。いつか必ず抜け出られるよだなんて嘘をさらりとつけるほど冷たくはなれない。

 実際、彼女にとってのこの二年は予想通りに徒労に終わった。今後も同じことが続くのだと僕は知っている。


「本当はこれが普通でさ。9月なんてもう二度と来ないの。私たちはずっと、永遠に、8月の中にいるの。夏休みもずっと終わらない……年もとらないで、ずっとこうしてる」

「終わらない……夏休み」

「そう、ずうっとここで、ヤカモトくんと、町の人と……」


 永遠に続く夏休み。終わらない16歳。

 それはある種の楽園なんだろうか、それともゆるやかな地獄なんだろうか。

 少なくとも僕にとっては……既にこの世界は手狭で退屈な檻でしかない。

 彼女と過ごすようになってそれは変わったけど、それでも徐々に退屈は追いかけて来ているのがわかる。


「……それって、でもさ、素敵だよね。人類の夢じゃんねえ。不老不死」


 彼女は笑うが、それが心からの笑顔だとは僕には思えない。

 心から?

 僕は自分の考えの馬鹿馬鹿しさに苦笑する。

 心から? 彼女に、心? 彼女はプログラムの一部にすぎないのに。


 苦笑しながら、でも本当に心がないのはどちらだろうとも考えていた。

 僕がやっていることはひどく残酷なことなんじゃないだろうか。

 僕が彼女にしている仕打ちは許されるんだろうか。

 本当は彼女のバグを消して普通のNPCに戻してやることが一番いいんじゃないだろうか。



 僕は曖昧な返事でその場をごまかすことしかできなかった。

 


 次の日から彼女は世界の不思議に首を突っ込むことをやめた。

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