『繰り返す8月における過去と未来の連続性についての考察とその実験記録』

 次の日から彼女と僕はこのループする世界から抜け出すための研究を始めた。


 つまり、この町に起こる不自然な事象を発見し、それについて観察し、仮説を立て、実験し、検証して、また考えるということの繰り返しだ。

 と言っても、積極的に動き回り、提案し、街中の不思議を探し回るのはほとんど彼女の方だった。僕はただその後ろに突き従うだけ。


 当たり前だ。

 だって僕はこんな研究が無意味だってことを知っているわけだから。

 どんな風に足掻いたところでこの町のループが停まるわけがない。なぜならこの世界はそういう風に出来ているから。

 朝日が昇ってくることを拒めないのと同じように、この世界の仕組み、ループを止めることはできない。


 それでも僕は彼女に付き合うしかなかった。

 なぜって。

 彼女と話している間だけは、この町、この世界で、一人にならずに済むから。

 彼女だけは僕と同じく世界の真理に気が付いている、正気になりかけている。

 彼女だけがこの世界で唯一僕の仲間と言える存在だった。


 彼女はありとあらゆる仮説を立て、この町に何が起きているのかを探った。

 不穏な出来事には残らず首を突っ込み、当然、同行している僕も同じようにしなくてはいけなくなる。

 これには焦ったし実際想像以上に大変だった。

 彼女が異変を感じている出来事のほとんどはメインストーリーに関わるフラグだったからだ。中にはまだ未整備のものもあるそれらのフラグを彼女は片っ端から立てていく。僕は傍らにいながら、あるフラグは折り、あるフラグは生かし、この世界がこれ以上ややこしくならないように調整をし続けた。それは通常の周回以上にややこしいプレイスタイルだった。

 しかも合間にはデバッグの仕事をしなくてはいけない。僕はほとんど寝る間も惜しんでゲームをプレイし、デバッグの情報を会社に送り続ける一方で、彼女のバグを隠し続けた。


 それでも僕は楽しかったんだ。まだ、この頃までは。



 その周の8月中をめいっぱい研究に費やした最終日の8月31日。


 僕と彼女は夜更けのバイパス道脇のコンビニでアイスを食べながらぼんやりと疲れ果てていた。

 目の前にはいつも通りの静かで穏やかな地方都市が眠っている。

 いつも通りのはずなのに、いつもと違う夏を過ごしたせいか、全てを知っている僕ですらこれが最後の8月31日の夜景になるのかも、なんてちょっと本気で感傷に浸っていたほどだった。

 それぐらい町はいつも通りで、それ以上に傍らに彼女がいるってことは特別なことだった。


 彼女は、おそらく僕よりも本気でその感傷に浸っていただろう。哀愁たっぷりの遠い目をしながら口を開いた。


「なんかさあ……これって」

「……うん」

「この、実験して考えて、記録してって……自由研究みたい」

「ジユーケンキュウ?」

「夏休みの宿題、ほら、小学校とかで自由研究ってやらなかった? 理科とか工作とか。私は確かアサガオの成長記録とかつけてたかなあ。それぞれ違う土とか肥料の鉢植えに植えて、育ち方がどう違うか観察したの。あとうちで飼ってるピートの観察日記提出した年もあったなあ……」

「……ああ」


 僕の通っていた学校にはそのホームワークはなかったけど、それでもいくつかのコミックやムービーで知識として知ってはいた。いかにもある時期の日本という感じのホームワークだ。そんな知識までNPCに植え付けている製作チームの芸の細かさに驚きながら、僕は曖昧にうなずいた。


「だからこれもさ、自由研究」

「壮大な……自由研究だね」

「うん、相当大変だよね。『繰り返す8月における過去と未来の連続性についての考察とその実験記録』とか、そんなタイトルでさ」


 急に現れた仰々しい名前が彼女の呆けた表情とあまりにも不釣り合いで、思わず大笑いした。現実世界でだって最近じゃこんな風には笑ってないんじゃないかってぐらいに。

 彼女も満足げに微笑んでいる。


「面白かった?」

「……うん、それ、いいね」

「どこに提出すれば良いのか誰が採点するのかもわからない自由研究だけどねえ」

「そうだね、徒労に終わるだけ……」


 と、言いかけて、彼女に何か悟られはしないだろうかと慌てて口をつぐんだ。

 今の発言は僕らの行動が無駄だってことを知っているみたいじゃなかったか。僕が何かを知っていると彼女が気が付くんじゃないか。

 しかしおそるおそる目をやった彼女は相変わらずアイスを頬張って呆けているだけだった。僕は安堵する。

 安堵しながら、僕は自分の異変に気が付く。


 僕は何に怯えているんだ?


 彼女が僕の正体に気が付くかもって?

 

 でもそれが起きたところで何の問題があるっていうんだ。


 彼女は本当に意思を持っている人間じゃない。プログラムなんだ。このループに疑問を持つというのもバグに過ぎなくて、それですら解きほぐせば見えて来るプログラムの連なりに過ぎないんだ。


 それなのに、何を……。


「でも意外と、人生ってそんなものかもね」


 彼女の言葉で思考は遮られた。感情があちこち、忙しく跳ねまわる。


「計画して実行して失敗する、それの繰り返し。死ぬまでそうやって生きるの」

「それは……そうかな」

「そ、徒労に終わるだけ、最後には誰に提出すればいいのかもわからない、誰が採点するかもわからない人生の記録が残るだけ」


 プログラムに人生を説かれるとは思わなかった。僕はその奇妙さに首をかしげる。それでもなんとか適当な返答を探す。


「あー……神様、とかは?」

「え?」

「自由研究の提出先、神様とか。それで、採点してもらって、地獄へ行くとか天国とか、何に生まれ変わるとか決められる、みたいな……」


 今度は彼女が大笑いした。僕は照れるしかない。現実世界でだってしばらくこんな風には笑われてない。でも不思議と嫌な気分じゃなかった。


「それいいよ! ヤカモトくん!」

「あ、ありがとう……」

「いいね、それ! そっか、神様か! じゃあきっとこの自由研究だって、神様に提出するものなのかもね。採点次第で世界の異変を直してもらえるとかでさ、このループも終わるの」

「うん……そうだね」

「明日がさあ、来るといいよね」


 彼女の目はバイパスを時折過ぎていく車を目で追いながら、しかしその実、焦点はもっと別のところで結ばれている。

 おそらくは、彼女が願う9月で。


「きっと来るよ」


 そう言う彼女の顔を僕はもう見られなかった。僕は彼女の願いが叶わないことを知っている。


「来てほしいな……そうしたら私、ヤカモトくんと、」




 彼女の言葉はそこで途切れた。



 8月31日23時59分が終わったのだ。



 そして明日はちゃんとやって来た。

 

 ゲームのエンディングは9月1日なのだから。


 しかし彼女が望んでいたのそういうことじゃない。

 おそらく彼女はその先の世界を望んでいたんだろうし。その先の先を、先の先の先を望んでいたんだと思う。


 彼女が望んでいたのは9月1日ではなく、9月2日であり、9月30日であり、11月23日であり、12月24日であり1月1日だった。


 しかしそれらは訪れない。





 また7月28日が訪れる。

 彼女も虚ろな目で終業式からのチュートリアルに加わる。

 その時点での彼女はまだ、自分の願いが叶わなかったことに気がつかない。

 

 8月1日、彼女にとっては6回目の絶望が訪れる。


 その時僕は彼女の絶望を知りながら、それでも心のどこかで喜んでいた。


 これでまた、一人きりじゃない夏が始まる。

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