この町で、一人で。

 この町は8月1日から8月31日までの一ヶ月間を何度も繰り返している。


 正確には7月28日の県立友鐘高校の終業式を皮切りに、数日のチュートリアル期間を経て、8月1日から僕たちは動き出すようになる。


一ヶ月後、8月31日に僕たちは自由に動くことをやめ、9月1日、同校の始業式と共にすべてが終わる。


『えんどれす/さまー/ばけーしょん』というのがこのゲームのタイトルだからだ。


 大規模箱庭VRシミュレーションゲームの期待作としてリリースされる予定のこのゲームは、2000年代の日本の地方都市を舞台に、年齢や職業、外見、性別はもちろん、自分のステータスから運勢、ヒーローやヒロインの設定、友人家族の有無、それらを詳細に調整し、その設定に基づいて8月の一ヶ月間を過ごせるというコンセプトのゲームだ。


 主に恋愛シミュレーション的要素を売りにして宣伝はされているものの、その実、ノスタルジーやジュブナイル的な楽しみ方を選択することもできる。


 恋愛そっちのけで仕事や部活に精を出してもいいし、町で起きている不可解な事件を解決していく謎解き的楽しみ方もある。もちろん何もしないで一ヶ月間を過ごしてもいい。「理想の八月」を過ごすために必要なことは全てできる。

 ただ、一応メインストーリーがあることにはある。県立友鐘高校での出来事を中心に展開していくそれらのストーリーを解き明かしていくことがゲームの主な目的になっているので、友鐘高校の夏休み期間しかゲームはプレイできないというわけだ。

 友鐘高校の始業式がこのゲームの一応のエンディングだ。プレイヤーの行動によって始業式当日……9月1日に起きる出来事が変わりはするが、プレイヤー自身はエンディングは眺めることしかできない。実質動けるのは8月いっぱいということになる。


 僕はそのゲームの開発チームのデバッグ担当。今回はテストプレイヤーとして繰り返し一定条件下でゲームをプレイして、発生するバグを確認する、というのが仕事だった。

 この8月も、特定の設定でプレイをする数回目のテストプレイの対象に過ぎない……はず、だった。


 僕は自分のウェアコンから一連のバグ報告と対処法を検索し、やはりいま目の前で起きたばかりの「キャラクタからのループ申告」のバグは他に発生していないことを確認する。

 前回の8月で彼女からこの「ループについて」を聞かされたときにバグ報告をしなかったのは、ただの自動生成の会話か、何かのイベントのフラグだと考えたからだった。

 しかし二回目となれば話は違う。彼女には明確に「前回からの」記憶があるのだ。これは、重大なバグだ。


 早速ウェアコンで報告画面を呼び出し、僕はバグ報告をぶつぶつと呟き始めた。


 彼女が消えていった夕焼け色の路地を眺めながら、バグの発生状況と考えられるバグの原因を頭の中で組み立てていく。

 バグはいつから彼女の中で発生していたのか。彼女はどうしてこの世界のループに気が付いたのか。考えるべきことは山ほどあった。


 彼女の自己申告によると初めてループに気が付いたのは四周前のプレイからだ。過去四周分のゲームプレイで彼女は普通のキャラクタと違う行動をとっていただろうか?

 これはあとでデータを漁る必要があった。前の周はともかく、その前もその前も彼女の行動には特別目を配ってはいなかったからだ。


 いや、そもそも彼女のバグは本当に四周前から発生したものなんだろうか。


 それよりも以前からバグの積み重なりはあったんじゃないのか? 


 決定的な形で現れたのが四周前というだけじゃ?


 他のキャラクタにも同様のバグが発生しているんじゃないか?


 考えればきりがない。どうして起きたバグなのか見当もつかない。冷静に、一つ一つ考えていく必要がありそうだった。


 僕はまず彼女についてのデータを引っ張り出した。


 身長設定は160センチ、体重設定は50キロ前後。体力レベルは普通。知能も普通。友鐘高校の2年B組、部活は弓道部、弟が一人いる。友人や教師からも信頼されていて交友関係は広い。成績はともかく素行面においてはいわゆる優等生ではあるけど、堅物というわけでもなく、誰とでも気さくに話をするし、楽しそうな遊びには積極的について来てくれる。活動時間は主に8時から23時。自宅は市内にある。

 目立つキャラクタではないけど、何通りかのメインストーリーでは進行に関わってくることもある、良い脇役といったところだ。友鐘高校の生徒や教師としてゲームをプレイをしない場合は知りあうことなく終わることもある。


 彼女にはこれといった特徴はない。この町に、この世界に無数にいるNPC(ノンプレイアブルキャラクタ)の一人でしかない。


 なぜ彼女にバグが起きたんだろう?


 ループについて打ち明けられた前回の記憶を思い出す。

 特に変わったことはなかったはずだ。だからこそ、僕も彼女の発言をただのシナリオの一部だと取り合わなかった。


「そっかー、そりゃあ大変だー」


 とかなんとか言って適当に受け流していた。

 彼女もそれで引き下がった。いや、諦めたんだろう。

 この世界がループしている、異常だということに気が付きながら、彼女は一人でそれをどうにかするしかなかったわけだ。


 この町で、一人で。


 ……僕は報告書作成を止めて、黙り込んだ。


 しばらくその場で、赤い赤い夕陽が町の端の山に吸い込まれていくのを眺めながら、しばらく見ていない現実の夕陽はあんなに赤かっただろうかとぼんやり考えた。

 そして鮮麗なグラフィックの夕陽が完全に山の陰に隠れると、藍色から薄い紺へと夏の夜空は変わる。

 それをしっかりと見届けたのち、僕はウェアコンから報告書を削除した。

 ひとまずゲームを続行することにしたのだ。


 なぜだろう。

 何が僕の手を止めさせたのか。


 ……僕はきっと、寂しかったのだ。

 この繰り返しの世界。8月の檻の中の世界に僕はすでに現実時間で600時間以上もいる。彼女がループに気がついた5回どころではない。僕はこの世界を何十周としていて、ありとあらゆる条件下で特定の行動を取り続けている。それが仕事だから仕方ないことだけど、傍目には奇行としか見えない行動の連続で街行くNPCから白い目を向けられたことも一度や二度ではない。

 その膨大な時間の中で僕はずっと孤独だった。この町の8月の中に閉じ込められた唯一の囚人だった。


 しかし今は彼女がいる。


 いまここでバグの報告をすればどうなるだろう?

 おそらくはいくつかの検証が行われた後、バグの原因は特定され、修正が施され、彼女はまた普通のNPCの一人に戻る。

 この繰り返す8月のことも、その真実に気がつき僕に相談したことも、すべて忘れてまたこの世界の一部に……繰り返す8月という僕を取り巻く監獄そのものに戻ってしまう。

 もちろんそれは正しいことだ。そうあるべき形に戻るだけのことだ。


 それでも、ちょっとだけ。

 それはちょっとだけ、寂しいことだった。


 考えてもみてほしい。周囲の誰もが気が付かない世界の真理と嘘に気が付いたまま、自分も同じように無知であることを装いながら生きていく苦しみを。


 もちろんこれはゲームだ。それはわかってる。

 だけど、このリアルなVR空間に600時間もいれば誰だってそんなことは関係なくなるに違いない。

 僕はこの数か月間(これは現実の時間で数か月ってことだけど)自分の家の近所を歩いている時間よりも、ゲーム内で街中を歩いている時間の方が長いぐらいだったんだ。


 ほんの少しだけ、僕だって息抜きをしてみてもいいはずだ。

 この繰り返すばかりの檻の中に楽しみを見出してもいいはずじゃないか。

 ゲームの完成にこんなにも注力しているんだから、それぐらい許されるべきじゃないか。


 僕は最後にはそんな自己正当化までして、彼女のバグを少しの間見逃してみることを決めた。



 彼女がバグり続けている間は、僕は孤独じゃないんだ。



 頭の中はそのことでいっぱいだった。

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