エンドレス/サマー/バケーション/エンド/ガール

森宇 悠

出来過ぎた状況だ。あまりにも。



「この町は8月を繰り返しているの」





 と彼女が言ったとき、僕は背中に嫌な汗が広がるのを感じていた。

 体温を下げるさらりとしたやつじゃない、自律神経がストレスを訴えかけるときのじわりとした汗だ。粘性が高いやつ。


 なにせ、季節は夏で、夏だと言うのに僕たちは町の喫茶店のテラス席なんかにいて暑がっていて、青空には入道雲、目の前の彼女は日除けのパラソルの下で汗ばんだセーラー服姿の女子高生。そして僕たちは夏休み。


 出来すぎた状況だ。あまりにも。

 いや、当然なんだけど、でも出来すぎている。


 僕は思わず、彼女の言葉の意味がはっきりわかっているにもかかわらず聞き返した。


「……ええと、なんだって?」

「この町は8月を繰り返しているの」


 一言一句変わらない彼女の言葉、口調。


 僕はそれを聞いてまず、つまりはそう言う、何かの、間違いなのかと考えた。

バグのような間違い。そう、バグだ。うわ言のようなバグ。同じ言葉を繰り返してしまうトラブル。そういう何かの間違いなんだと。


 でも違った。彼女の言葉はストローでするりと吸われたレモネードを呼び水にして変化した。

 レモネード、レモネードだって?

 この期に及んで?

 夏にテラス席でレモネード? そして世界の不思議を語る同級生の女の子?


 やっぱりこんな状況、出来すぎている。


「みんな気がついてないけど、8月1日から8月31日の一ヶ月間を繰り返しているの、この町は……いえ、この世界は」


 彼女は静かな興奮を抑えながら言う。額に浮かんだ汗は僕の背中のものと同じく体温調節のためだけではなさそうだ。彼女も緊張しているのだ。


「ヤカモトくんは何か違和感を覚えることはない?」


 僕が爆笑しだすことを恐れて彼女は矢継ぎ早に繰り返す。

僕は首を振る。首を振りながら、腕にはめたウェアコンで“同級生が「ループする世界」に言及してきた場合の対処法”を慌てて検索する。どこにも答えは見当たらない。やはりこれは何かの間違いなのだ。バグのようなもの。だってそんなことは、あり得ない。


「そう……そうだよね。でもね、ヤカモトくんは覚えてないんだろうけど、私はこの話を前回の8月でもヤカモトくんにしているの。その時も同じ反応だった」


 彼女の言葉にどう返せばいいのか……僕は曖昧な笑みで答える。肯定とも否定とも取れないように。ただ理解はしたよという意思表示だ。


「私以外の誰も気がついていない。でも私は知っているの。ほら、先週ウジタくんがタタイさんと付き合ったでしょ。あれも前の八月で起きたことと一緒。来週ツバラ先生が夏期講習の最中に学校を辞めるって言い出すけど、それも。月末の花火大会に爆破予告が届いて中止になるのも、市民プールで中学生の集団同士が殴り合いの喧嘩をするのも、明日スダイ山に黒いお皿みたいなUFOがあらわれるのも、すべてこの8月で繰り返されていることなの。ずっと、何回も」


 彼女はじっと僕の目を見る。

 信じて、と訴えかけながら同時にあなたはどうなの、と僕を見定めているようでもあった。

 僕は注意深く口を開く。


「……君は、何度、8月を繰り返してる、の」


 僕は偉かった。動揺しながらそれでも、一番聞くべきことをなんとか言えた。


「四回繰り返した。これで五回目」

「四回も?」

「最初に異変を感じたとき……つまり二回目の8月は怖かった。自分がおかしくなったんじゃないかと。それでも次に繰り返したとき、確信に変わった。四回目でどうすればここを抜け出せるのか考え出したの。何かを変えるべきなんじゃないかって。そうじゃないと先へ進めないって。それでヤカモトくんや他の信用できる人にも説明をしたんだけどうまくいかなくて……それで今回、五回目。私たちは四ヶ月間もこの8月に閉じ込められている」


 僕は深く息を吐く。汗がさらに滲む。こんなことってあるのか。四回も。いや、四周も?



「信じて、くれる……?」



 すがるようにそう言う。それでもまだ彼女は強く毅然として見えた。世界の法則が歪んでいるっていうのに彼女は揺らがない。

 でもじっと見ている内に、彼女の瞳が少しずつ潤んでいっているのがわかった。興奮でか不安でかはわからない。でもその瞳は僕を諦めさせるには充分だった。



「…………信じるよ」



「本当に!?」

「うん、君が言っていることはきっと正しい……この世界はきっと、同じ8月を繰り返してる」

「ありがとう……本当にありがとう!」


 彼女は身を乗り出して僕の手を握り、汗の混じった涙が彼女の頬を伝う。

 僕はその様子にわずかな罪悪感を覚える。彼女が考えているようには僕は彼女の協力者にはなれそうもないからだ。


「ごめんね、泣いたりして」


 首を振る。無理もないだろうと思ったから。この世界で一人孤独に、世界の真理に気がついてしまったのだから。それは僕にもよくわかった。共感できた。


「実はね、前回の8月ではこの話、誰にも信じてもらえなかったの。…………ヤカモトくんにも。だから嬉しくて、安心して。私、本当に自分がおかしいんじゃないかって不安だったから」


 僕の中で罪悪感が強くなる。そんなことは知らずに彼女はひとしきり静かに涙を流すと、もう元の彼女に戻り、涙を拭いてレモネードを一気に飲み干した。


 明日から二人でこの世界のループを止めるべく行動を起こそうと諸々話し合った。というより、彼女が一方的に持論を展開するばかりで僕は驚きながら頷き続けるだけだった。頷きながらずっと、僕は緊張しっぱなしだった。

 延々と続いた彼女の過去四カ月分の不安も、夕暮れが空の端から広がり始める頃には終わりを迎えた。彼女の方に家に帰らなければいけない理由があったからだ。


「これまでの8月と一緒なら、今日はお父さんが珍しく家でピザをとろうって言い出す”予定”なの、弟に選ばせたくないからさっ」


 いつもの……つまりループについて言及する前の彼女の無邪気さでそう言い、そそくさと彼女は家路につく。

 赤く夕日に浸った世界でそれを見送りながら、僕の胸の中の罪悪感はずっと消えないで広がり続けていた。



 なぜなら、僕にははっきりと前回のループの記憶があったからだ。



 前回だけではない。



 その前も、その前の前も、少なくとも彼女が口にした過去四回の8月を僕はすべてちゃんと覚えていた。

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